ibaraboshi***

home > 小説 > > 刀剣乱舞 魔女審神者・雪水薫子は愛するための余白を持たない

刀剣乱舞 魔女審神者・雪水薫子は愛するための余白を持たない

「江雪、江雪左文字」
 小鳥の囀るような声が江雪を呼ぶ。庭先で盛りの紫陽花を一花一花慈しむように撫でていた袈裟姿の刀剣が振り返る。
 視線の先には少女がいた。
 時代が数百年は遡ったかのような平山城の本丸御殿に似つかわしくないワンピース。漆黒のビロードの生地にふんだんにあしらわれた深い紺青のフリル。パフスリーブは彼女の立ち姿をより柔らかに見せ、広がるスカートの裾は風が撫でる度に自在に遊ぶ。首元まできっちり閉じられた貝釦、ヴァイオレットのリボンタイ、シルクの手袋、タイツ、一針一針職人が刺した小さな革靴。精巧に作られたアンティークの人形が意志を持ち、呼吸をし、言葉を操ったらこうなるのではなかろうかという立ち姿。そうなれば眉の上と肩口で美しく切り揃えられた黒髪は烏の濡れ羽ではなく夜空から紡いだブルネットであろうし、透き通るように白い肌は白磁であろうし、嵌め込まれた瞳は一切の光差さぬ深い澱みから掘り出されたアメシストだろう。
 返事をせずとも江雪の存在に気づいた少女がこちらを向いてにこりと笑う。その顔は齢六つ、七つの幼子に全く相応しくなく大人びていた。
「花を見ていたの?」
「ええ…美しく咲きました」
「本当、綺麗な紫陽花ね」
 うっとりと目を細めるようにして彼女、江雪左文字をこの世に顕現させた雪水薫子(ゆきみず かおるこ)は言う。優しく差し向けられた問いかけには何の意味もなく、小綺麗な言葉には微塵の感情も含まれていない。冷ややかで鋭利。そう称されることは彼女にとって名誉。なぜならその身に宿る魂は最早この世のものではないから。人の道を踏み外したとも、悪魔に魂を売ったともいう。西欧から伝わりし禁忌に手を染めた一人の魔術師が如何にして魔女となったのか。
 江雪は知らない。知りたくもなかった。
「わたくしも紫陽花は好きよ」
「そうですか…」
 鞠のような花に手を添えて鼻を近づける少女のつむじをじっと見下ろした。薄紫の装飾花、細工物のような花に少女の黒髪が差し掛かる。まるで闇に飲まれたようで、と表現するのはおそらく江雪の心象を過剰に反映しているので正しくはない。ただ少女を形作る全てが作りもので、紛い物で、歪められた虚像であることは間違いなかった。善悪と正邪の判断は別として、その身に順当な魂が入っているとはとても思えない。
 しかし、この本丸には江雪を含め十数振りの人として具現化した刀剣たちがいたが、江雪と同様の考えを彼女に対して持っているものはいないようだった。皆、忠実な彼女の剣としての役目を全うしている。それこそ同じ左文字の銘を持つ江雪の弟たちでさえ。
「江雪、江雪左文字」
 彼女の声が呼ぶ。あどけない高音は違和感しか感じられない。見開かれた宝石の瞳の奥底は昏く濁っている。首から下の露出を極限までなくした衣装に隠された玉肌に刻まれた獣の紋様が薄っぺらい布地など突き抜けて浮かび上がってくる幻を見る。禍々しくも荒々しく、そして何より美しい。蠱惑的ともいえるその姿を彼女が江雪にだけ晒したのは信頼だとか親愛だとかそんな生ぬるいもののためではない。
 それは呪い。それは対価。
 彼女の身の裡に潜み声なき声で終末の雄叫びをあげる獣は江雪左文字の魂をより強く、縛りあげるためだけに使われる。悪魔の戯れ、悪意のない悪事、獰猛な爪で行われる嬲り。口を噤んで、目を閉じて、耳を塞ぎ、嵐のような悪意に耐えるしか矮小な刀剣の物の怪に残された道はない。
「そんな怖い目でわたくしのことを睨んでどうしたのかしら?」
「…別にどうもしていません…」
「本当?嘘はいやよ、江雪」
「…嘘など」
「あなたはわたくしに正直でなくてはならない。あなたはわたくしに忠実でなくてはならない」
 そう言って嫣然と笑う様は例えるのであれば猛獣使いのそれであって。冷徹な支配は江雪の身の芯まで染み渡る。声が、視線が、心を絡め取り掴んで離さない。それは彼女が江雪左文字を江雪左文字足らしめる唯一の主である故か。それとも。
「とはいえあなたは当然よくわかっていらっしゃるでしょうけど」
 そのとき突然足元で猫が鳴いた。
 スノウ、と薫子の嬉しそうな声が聞こえ、名を呼ばれた真っ黒な毛並みの猫もますます甘ったるく鳴き声をあげて少女の足元に擦り寄る。心なしか口角を緩めた彼女は細腕を伸ばして艶やかな毛玉のようなそれを抱き上げる。とろけるようなグリーンアイは少女の薄い爪で丹念に喉をくすぐられるとすぐさま細められ、柔らかい毛の海へと埋没した。黒一色に飴玉のような瞳と白いヒゲだけが目立つ獣に与えられた名が遠い異国の言葉で雪を意味するのだと、江雪が知ったのはつい最近だ。
「お茶の準備をしましょうか。そろそろ第二部隊も戻ってくる頃合いでしょう」
 黒猫に頬擦りしながら少女が言う。第二部隊には江雪の弟である宗三左文字、小夜左文字もいた。兄が何よりも弟たちのことに関して気を揉むのを見抜いていると言わんばかりに魔女は微笑む。
「次の戦はあなたが出るのよ、江雪左文字」
「…拒否権は、ないのでしょう…?」
「そんなことはないわ。ただあなたが行かないと言うのなら宗三左文字を出すだけよ」
「………貴方という人は…」
「ひどい?そうね、そうでしょうね」
 彼女は笑って、笑って、笑う。たっぷりとしたスカートの裾を翻し、リボンを揺らし、整えられた黒髪をふわりとなびかせ、圧倒的な少女性を武器に江雪左文字の前に立っている。その命令に背くことはできない。魔女に魅入られたは最後。煉獄の果てまで供をするしか道はない。
「抱いて頂戴、江雪左文字」
「………」
「聴こえているのでしょう?」
 江雪が長駆を屈めて手を伸ばせば、何事か察した黒猫は少女の腕をぱっとすり抜けた。
 太刀の付喪神の手によって簡単に持ち上げられた身体は羽のように軽く、力を入れれば真っ二つに折れてしまいそうなほど繊細だった。
 小さな魔女を己の片腕の上に座らせてやれば彼女は満足そうに爪先を揺らす。
「良い眺め。ありがとう、江雪」
「…いえ」
「では、お部屋に参りましょう。今日の茶葉を選ばないと。それにお菓子も」
 チェッカークッキー、アーモンドサブレ、ナッツビスコッティ、ロシアケーキ、フルーツパウンド、メレンゲ、ダックワーズ、フィナンシェ、マドレーヌ。
 現世から持ち込んだ多種多様の焼き菓子は欧風にカスタマイズされた彼女の部屋の戸棚にいくらでも入っていた。畳の上に絨毯を敷き、飴色の丸テーブルに野の花が描かれたゴブラン織を張った揃いの椅子。絶え間なく秒針を刻む柱時計、ガラスケースに納められた枯れない薔薇、仕切りのついた箱に奥ゆかしく並んだたくさんのリボン、どこからか香る甘ったるい匂いはベルガモットで、それは少女が常に纏う香りと同じだった。漆黒の髪、菫の瞳、雪の肌。美しい人形は体温で香り立つ花の香を立ち上らせながら江雪の髪を一房手に取る。銀糸が小さな掌で弄ばれ、くるりと輪っかにされたかと思えばするりと解けた。くすくす、とさざ波のように笑う。
「あなたもお菓子のようね、江雪。キャンディかアイスクリームみたいな髪だわ」
 そう言って僅かに覗く赤い舌が少女らしからず妙に扇情的なのは彼女が魔女だから。そうでなければ。
「……ならば貴方は花でしょうか……」
「ええ、ええ」
「美しさに惹かれて口にすれば…たちまち倒れましょう」
「素敵だわ。スズランかしら、ジギタリスかしら」
「………主、」
 何があってもただ一人の。
 呼ばれて彼女はゆったりと微笑んだ。それはひと気のない屋敷の窓辺に座る物言わぬ人形に似て、荒れ果てた野に突如として立つ牙剥く獣のそれに似て、仄暗い谷間に咲く純白の花に似て、深い森で下向きに揺れる狐の手袋に似て、けれどもそのいずれにも当てはまらなかった。彼女は。
「我が…主」
 銘に左の一字を切った一振り江雪左文字が主。それ以上でも以下でもない、少女の姿形をした魔性である。


2015.06.20

新しい記事
古い記事

return to page top