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刀剣乱舞 誰ぞ彼と闇に吠えれば

 京都市中は深い夜の帳が落ちてから数刻も過ぎ、濃密な静寂の中にあった。数え切れないほど立ち並んだ長屋の戸は固く閉ざされて虫の入り込む隙間もなく、溝板の上を時折駆け抜けるのは鼠ばかりで人の気配は全く感じられない。湿った夜風が頬を撫で、どこかで犬の遠吠えが切なく尾を引いてこだました。大名屋敷の松の枝は僅かに揺れては落ちる影をちらつかせ、暗闇に身を潜ませる者たちの心臓を不用意に縮みあがらせる。
 月が叢雲に隠れる合間。
 月明かりさえ届かぬ隘路。
 猫すら歩く気配のないどこまでも空中の楼閣のように連なる長屋の屋根。
 瓦が鳴らぬよう慎重に足を運ぶ一行は闇夜を滑るようにして進んでいた。先頭を行くは一人の女。そのすぐ傍には金糸の揺れるマントに帽子を被った少年が控え、後ろにも彼とよく似たデザインの衣装を身に纏った少年たちが続く。
 女の名は神山火焔(かみやま かえん)。刀剣の御霊を降ろす審神者でありながら、自ら将として前線に立つのを惜しまぬ彼女は普段の袴を身体にぴったりと合うパンツへと着替え、足元もゴム底のブーツに代えていた。夜目の効く瞳を巡らせ、軽やかに市中を舞う彼女とそれに付き従う刀剣たちの姿はまるで密やかな百鬼夜行のようでもあったが、それもさもありなん。時空の歪みを作り出す歴史修正主義者なる者たちとその兵を狩るのは彼らと同様、異形の者たちでなくてはならないから。
「主、」
 小声で囁かれた声に火焔は足を止める。視線をずらすと人懐こい顔をした脇差の一振り、鯰尾藤四郎がにまりと笑って此方を見上げていた。彼は人差し指を前方に向けながら、とても戦場での血生臭い戦闘を控えているとは思えないのんびりした雰囲気で言う。
「骨喰が来ますよ」
 その言葉通り煮凝りに似た闇の中から銀色の軌跡を描きながら現れたのは鯰尾藤四郎の兄弟刀でもある骨喰藤四郎だった。彼は迷うことなく用水桶を踏み台にすると身軽に跳躍し、容易く屋根の上に上がってくる。見開かれた瞳はこぼれそうなほど大きく、美しい満天の夜空を映しては静かにきらめいた。だがその儚い外見に反して、不動の表情に息一つ乱れていない様は歴戦の忍を思わせる。
「戻った」
「おかえり、兄弟ー」
「どうだった」
「敵部隊を発見。経路からして、この路地へ入りこんで来るのは間違いない。部隊長は大太刀。それに薙刀、槍二振り、打刀二振り」
「到達までどれほどとみる?」
「…遅くて半刻」
 それを聞くと火焔は頷いて、己の足元を見下ろした。正確にはこちらの会話に真摯に耳を傾けていた綺麗に切り揃えられた前髪の奥に光る灰色の瞳を、である。
 主に視線を寄越される形で促された少年もまた軽く頷いた。火焔が率いる京都市中攻略部隊の部隊長を務めるのは世に名刀の誉れ高い粟田口吉光の末席に名を連ねる前田藤四郎だった。彼は常から優しげな表情をきゅっと引き締め、拳を握り締めると雄々しく胸元へやる。真っ直ぐな視線の先には鯰尾、骨喰をはじめとし、薬研藤四郎、厚藤四郎、乱藤四郎と藤四郎の名を同じくする彼の兄たちが並んでいる。
「兄上方、本隊はこれよりこの場所で敵を迎え撃ちます。ご準備を」
 前田の声に各位が応じる。遅くて半刻、との骨喰の報告を皆聞いていたのだろう。各々事前に打ち合わせたとおりに素早く屋根上、路地の死角、稲荷社の茂みへと身を潜めると、彼らが一つだけ身につけられる刀装が鈍い光を放つ。具現化に要する時間はほんの僅かで、気がつけば弓矢や投石具を携えた数名の兵士が刀剣たちに付き従う形で整列していた。その姿は限りなく人に近しい形をしているが、決して人ではない。白い狐面を着装した兵士人形は無機質に乾いた音をさせながら、戦いの準備に取り掛かる。意志やコミュニケーションのための能力を持たない彼らは命令に忠実で、それ故に死または破壊と呼ばれるものを恐れることなく敵へと立ち向かう。
「主君はこちらでお控えください」
「ああ」
「狭い場所での戦闘となります故、いつものように混戦に乗じて前線に出られてはいけませんよ。それから…」
「前田、」
「主君、人の話は最後まで」
「来るぞ」
 その一声に一瞬で緊張が走る。想定よりもだいぶ早い。だが、間に合わなかったわけではない。火焔は屋根の斜面に這うように背を低くし、前田もそれに倣う。狐面の弓兵だけが足元を整え、キリキリと締め上げられるかのような音をたてながら矢をつがう。
 息を吸うのも憚られるような静寂。それでいて息をひそめた者たち全ての呼吸が手に取るようにわかる。
 火焔は戦場のこの空気が好きだった。脈拍は正常、それなのに全身の血液が沸騰するかのように熱くなっていく。頭の中でざわざわと何かがうねっている。耳から入る音は何もかもが刀剣の切っ先のように鋭く、目で見るもの全ての輪郭は際立って見えた。指先が白く冷え、足裏、腿、腹、脇、腕と順々に緊張が漲っていく。一秒一秒、刻一刻と生死を遣り取りする時間が近づいてくる。その時計の針は誰にも止められない。望もうと望まないと。戦場は生の裏側から屍を引きずってやって来る。
「今です!!」
 誰よりも早く敵の接近を察知した前田の声が闇を切り裂くように響き渡った。次いで放たれた無数の矢は鋭い余韻を残して路地裏へと吸い込まれるように消えていく。たちまち辺りからわき起こるのは呻き声、悲鳴、具足がたたらを踏む音、肉の塊が倒れる鈍く重い地響き。どうやら数体を仕留めるのに成功したようだったが、相手もそれで怯み退却するほど腰抜けではない。
「畳み掛けます!」
「突っ込むぞ!」
「オレに続け!」
 そう遠くない位置から次々と鬨の声があがり、刀剣たちは己の得物を手に路地へと舞い降りていく。蹴り上げた土煙と元よりの市中の闇が視界を遮り、火焔のいる位置からは各々の動きがよく見えない。耳に届くのは絶え間ない剣戟と時折響く断末魔の悲鳴。それに味方の声が一つも混じっていないことを確認しながら、火焔は敵方にその存在が知られぬよう、そろりと屋根伝いに歩を進める。
 大将首を狙うのは戦のセオリーだ。
 何しろ最小の労力で最大の目的が達成できるのだから、狙わぬ手はない。当然守る方としては大将はなるべく敵の手の届かぬところ、刃も矢も弾も届かぬところにいて欲しいというのが本音だ。火焔にもそれは痛いほどによくわかる。たとえば、この場で火焔が敵の凶弾に倒れたらどうだろう。戦場における収拾自体は部隊長である前田が何とか凌ぐかもしれない。けれどもその後の本丸の行く末については何もわからない。ましてや審神者でもある火焔を失って、彼女に呼ばれた刀剣男士はどうなるというのだろう。
 否、火焔は一つの回答を得ている。仔狐の姿をした端末は特定者以外秘ですと断って教えてくれた。即ち審神者を失うこと、これは刀剣男士にとって死を意味すると。
 それは緩やかな消滅であるらしい。依り代をなくした刀剣の御霊はたとえ媒介たる鋼が残っていようともこの世には留まれない。だから、消える。跡形もなく、まるで初めから何もなかったかのように。忠誠を誓った主の魂も兄弟の触れ合いも耕した畑も交わした声も何もかも手放して、なかったことになる。それが彼らの死。
 だから、きっと彼らにとって火焔は本丸に留まっていて貰った方が余程都合は良い。実際、合理的であるとも思う。火焔が討たれぬ限り刀剣たちは何度もその手で蘇ることができるのだから。たとえそれが「異なる」一振りであろうとも。
 それでも何故、火焔は戦場に立つのか。
 適当な理由なら幾らでも思いつく。兵法に通じた将が直接赴き指示をすることで勝率を上げる、撤退の最終的な見極めをする、味方を鼓舞する、血に穢れ傷ついた刀剣を少なからず応急処置的とはいえ直すことができる。だが、そのどれもが己の心に定まった真実一つの答えではない。それは傲慢とも無鉄砲とも、また我儘ともいえる火焔の願望、欲望、望み。神山火焔が戦場に立つ理由。それは。

 彼女がその生を賭して、戦場を、戦いを、愛しているからに他ならない。

「鯰尾!」
「ってー…」
 規則的に繰り返されていた剣戟と掛け声に不協和音が混じり出す。まずいな、という独り言は夜の闇へと消え落ちた。
 優劣はいつ何時覆るかわからないものだ。骨喰の正確な偵察や奇襲の成功、素早い動きで敵を翻弄する短刀たちの働きで確かに優勢を保っていた味方の動きが鈍りつつある。敵の残数は未だ複数。時折、聞こえる雄々しい唸り声は戦意を喪失していないことを意味している。
 そもそも奇襲とは奇を衒い、敵の意表を突き、短期間で仕留めることにこそ優位性が現れるのであって、長引けば長引くほど此方がじりじりと攻められていくのは仕方がないことだった。なれば引くか、押すか。
 ちかっ、と。
 フルスピードで考えを巡らせる火焔の視界に揺らめく橙の色が映ったのはそのときだった。燻る炎の音。薄く差し込む月の光に照らしあげられる漆黒の銃身。ずらりと並んだ銃口は路地裏へと向けられる。敵も味方も関係ない。銃兵による掃射。火焔の喉がひゅっと鳴る。
「ーっ、銃だ!薬研!乱!」
 有りっ丈の叫び声は耳をつんざく銃声によって掻き消される。だが、寸前のところでその声は届いていたのだろう。聞こえる呻き声は敵のものばかりで、音の乱撃が止んだ瞬間に二人分の人影が屋根上へと躍り出る。白皙の肌に返り血を浴び、不敵に笑うは薬研藤四郎。長い髪を振り乱し、逆手に構えた白刃を閃かせるのは乱藤四郎。彼らの剣と踏み込んだ片足は素早く的確に銃兵の急所を狙い、その度に崩れ落ちた人形が斜面を転がり落ちていく。
 先程の銃撃はほとんど敵の止めを刺すことになったようだった。路地は徐々に落ち着きを取り戻しつつあり、耳を澄まし、目を凝らしても刀剣たちが浅く繰り返す呼吸音と砕かれ散らばった刀剣が踏みつけられる度に跳ね返ってくる光以外には何も聞こえない、見えない。ようやく終わったかと火焔も思ったし、その場にいた誰もがそう考えただろう。
 だから、油断していなかったと言えば嘘になる。奇襲、夜戦、混戦の中で敵味方入り乱れての戦が勝敗の決し難いものであると理解し尽くしていたかと問われれば素直に否と答えるしかない。
 ずると体勢が崩れた。
 何かが強い力で足首を掴んだ。
 まずい、と思ったときにはすでにもう火焔は空中で逆さまに吊られていた。ぶらんと垂れた腕は重力に従って翻弄され、逆流した血液が頭に集まる。視界に広がるのは敵の大太刀。鬼のような屈強な体躯は刃傷を幾つも受け、赤黒い血で汚れていた。濁った緑の瞳がぎろりと此方を睨めつける。
 その、瞬間。
 どうしてこの太刀は自分を引き摺り下ろしたと同時に地面に叩きつけなかったのだろうという疑問が脳裏をよぎった。しかし、思考は瞬きの時間よりも早く強制終了され、身体は即座に生きるための行動を開始する。反撃、自由を得よ、死なぬために、無様であろうとも、ただ、目の前の敵を討たねばならぬ。
「今剣!」
 その名を呼ばれるか否かのタイミングで火焔の手にはもうすでに抜き身の短刀が握られていた。銀の刃、金の柄。闇夜から突如出現したかのような白刃をしっかりと握りしめ、火焔は腹筋を使って勢い良く身を起こす。
 一撃はまずその腕へ。
 肉を刺す独特の感覚、骨に突き当たって止まった刃の傷は深くない。けれど、だからと言って無反応のままいられるわけもない。悲鳴のような雄叫びが聞こえ、掴まれていた足首の力が緩む。そのほんの一時の間を見逃さず、火焔は身を捩って敵の手から逃れる。間合いは充分。着地したその場所から頸動脈、心臓、眼球、脳髄、どれでも間違いなく狙える自信があった。
 だが結果的に火焔がその両脚に力を込めることはなかった。
 それよりも早く視界の端から疾風のように闖入して来た影たちがその頸動脈に、心臓に、眼球に、脳髄に勢いよく食らいつく。肉を切り裂く不協和音が鳴り、喰い破られた臓物が飛び散る。翻る刃を簡単には抜けぬほど情け容赦なく柄まで突き通すのは、確かに仕留められるという確信があるから。実際に地を震わすような断末魔をあげながら、どうと後ろに倒れたそれは頸動脈を掻き切られ、心臓に深々と刃を突きたてられ、眼球は潰され、脳髄をはみ出させ、絶命していた。させられた。疑う余地もないほどに。
 その死を確かに見届けた彼らがゆっくりと振り返る。爛々と光る瞳が見開かれ、火焔へと向けられたかと思えば。
「主君!!ご無事で!?」
「肝が冷えたぜ、大将…」
「もう!だから隠れててって言ったのに!」
「ははは!しかし、さすが大将だ。しっかり一太刀浴びせてやがる」
 そう四者四様、口々好き勝手に喋り出す短刀たちを前に火焔は軽く目許を緩ませた。
 彼らは戦うことこそ本分だ。どう取り繕っても刃が肉を断つ以上、戦場からは切っても切り離せない。そしてそれは火焔にとって、とても心地の良いことで。
『あるじさま、あるじさま。ぼくもがんばりましたよ。かえったらたーくさんほめてくださいね』
 黒々とした血にまみれた今剣が火焔の手の中で嬉しさを堪えきれないように言葉だけを響かせた。弾んだ声は死屍累々の戦場に何とも不釣り合いで、つい火焔は楽しそうに口元を歪めてしまう。全くもって、短刀というものは。
「頼りがいのある連中だ」
 その声は骨喰に引きずられながらようやく合流した鯰尾の声にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。ただ、戦いの終わった市中の路地を、踏み躙られた数多の屍を、生き残った彼らの揃いの濃紺の衣装を、ようやく叢雲の中から完全に姿を現した月の光が誇らしげに真白く照らし出していた。


2015.05.30

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