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刀剣乱舞 業火の護り人

 夜露が草を濡らし、地を湿らせ、日が高い内は息を殺して身を潜めていた連中が真暗の闇から這い出してくる頃ー要するに丑三つ時である。本丸内は昼間とは打って変わって静まり返り、晩春のまだ桜も散り切らぬ時分では蛙の声も虫の音も聞こえない。開け放った障子戸からはぬめりと湿った風が吹き込み、無明の泥のような夜が静かに寄せては返しを繰り返す。
 常と変わらぬようでいて、黒々とした空間に少しずつ漂い始めるのは違和感。一寸先も見えぬ暗闇に一点を添えるのは小さな異物。重々しく、ねっとりとこちらを睨めつけるような気配は徐々に大胆にその存在感を増していく。
 行灯の心許ない明かりの下で書きものに没頭していた火焔(かえん)は堪らず筆を置くと、頭をもたげた。
 庭の奥に視線を遣れど人の目に見えるのはやはり闇ばかりだが、確かにそこには「何か」がいる。
 歴史修正主義者と戦うための正しく「本丸」であるところの本丸はここに住まう審神者と多数の刀剣を敵の目から欺くために数多の技術を駆使して巧みに構築されている。だが、それはあくまで「敵」に対するものであって、こうした魑魅魍魎の類に対する守りは手薄なのではないかと火焔は考える。ただでさえ数百年の時を経て自我を与えられた刀剣の付喪神がうろうろしているような場所である。人の手から作り出されたもの由来故か、畏怖を込めて神と呼ばれようとも怪異は怪異。神も鬼も紙一重。怪力乱神が跋扈するこの地で、それに惹きつけられるように訳のわからぬどもが集まってきても何ら不思議はないような気がした。
 それにしても。
 火焔は人知れず眉をひそめ、舌打ちする。他愛のないものなら放って置くし、悪しきものなら追い払わねばならない。今宵集まって来ているものはおそらく研ぎ澄まされた彼女の直感が正しければ、造作もない相手である。けれど、幾振りかの刀剣たちにとっては最も恐れるものであり、恐怖の対象だ。それは器物である彼らの本質とも言うべき鋼の部分を弱らせ、打ち砕き、灰燼へと帰す。赤く舐め上げるように燃え盛り、白い熱はすべてを包み込んで、何もかもなかったことにしてしまう。
 早めに対処するか。そう心を定めた火焔が思い腰を上げようとしたときのことだった。
「主?」
 縁台の軋む足音。静寂に溶ける柔らかな声音。それだけで容易く想像できるその出で立ちに火焔は浮かせかけた腰を再度落とした。膝頭を庭先へ向けて揃えると背筋を伸ばし、真正面を厳しく睨みつける。
 ぼっ、と火花が弾けた。
 恐れは場の風を留めて空気を澱ませ、火の勢いを否が応でも強める。ぼっ、ぼっ、ぼっと断続的に鈍い爆発音が続き、さすがの彼も気が付いたのだろう。部屋の灯りに照らしあげられるその姿は戦仕度のまま。薄藍の髪に飴色をした瞳。壮麗な衣装に身を包んだ痩躯は僅かに土埃に汚れていたが目立つ損傷はない。
 第二部隊、部隊長、一期一振。真夜中に遠征から帰還した彼は隊長の務めとして主に戦果の報告をと赴いたのだろうが、如何せんタイミングが悪かった。整った横顔は凍りつき、その指先が微かに震えているのが薄闇の中でも見て取れる。その視線の先。その先を先程から火焔もじっと見つめている。逸らせばたちまちその昏い炎に囚われてしまうから。
 鳴り止まない音をたてて幾つもの鬼火が何もないところからわき起こってくる。青白い炎はゆらゆらと風もないのに左右に揺れ、まるで意志を持つかのように自在に中空を乱れ飛ぶ。鬼火、火の玉、人魂、隠火に狐火。様々な名で呼ばれども意図するところは一つ。それはあの世からはみ出して来たこの世ならざるものということ。その炎はあの世もこの世も関係なく焼くのだということ。
「一期。一期一振」
「………」
「こちらへ」
「………」
「来るんだ、一期」
「…………あ」
 何度目かの呼びかけでようやく見開かれた瞳が主へと向く。薄く開いた唇が何度か上下し、声にならない言葉を紡いだあと、緩慢な動きでその爪先がこちらへと向いた。
「そう。おいで、良い子だからゆっくり、おいで」
 ぎし、と畳が鳴る。一歩、二歩、三歩。牛歩の如き歩みでじりじりと彼はこちらへと近付き、火焔もその気配を感じ取る。浅い息遣い。ほんの手を伸ばせば届く距離で空気が燃える音。恐れているから。けれど、それは何ら彼の責任なのではない。いたずらに脆い心を食い物にしようとするあれこそが姑息な捕食者であるに過ぎないのだ。
「あ、るじ」
「そうだ。よく来たね、一期」
 その言葉が合図であったかのように。どうと膝から崩れ落ちた彼の首筋は多量の汗が伝い、血の気の引いた頬は恐れのあまり引き攣っていた。震えの止まらぬ指先を手に取り、小さな頭を片腕で肩口へと引き寄せる。触れればよりはっきりとわかる冷たい身体を安心させるように撫でさすった。
「大丈夫だ。呼吸ができるか、一期一振」
 見下ろした後頭部が軽く上下する。うんと頷いて火焔は改めて前方を見据えた。じわりと鬼火との距離は縮まっているようにみえる。しかも最初は小さな火元が漂っていただけのくせに今は何とも厚かましく立派な火の玉が六つも七つも闇夜の下で揺れている。月もなく、薄い雲が星さえ隠す。愚かな。吐息と共にこぼれた言葉にざわめいたように見えたのは気のせいか。それとも。
「去れ」
 命令は簡潔で強い。腹の底から怒気のようなものと共にはっきりと発せられる意志に僅かながら妖たちの動揺が見て取れる。恐れおののく人の子らの様子は見慣れていても正面切って啖呵を切る人の子には心当たりなどないに違いない。それも外見は単なる娘だ。黒い髪に白い肌。引かれた眉の強さと底光りする瞳の色だけが妙に印象に残る彼女を瞬時にその本質まで理解することは彼らにはできまい。
「去れ。ここにはお前たちの餌はない」
 断言され、ゆらりと炎が揺らぐ。彼女の言葉を理解し、納得しているわけではないだろう。それらはあくまで彼女の口調に、意志に、感情に圧倒されているだけだ。けれども確かに存在は揺らぐ。実体を持たぬからこそ揺らぎやすい炎はぐらり、ぐらりと次々に弾け、ついにぼっと音を立て一際大きな青白い火花が飛び散った。
「散れ。この場を治めるのはこの私だ」
 それは決定的な言葉だった。崩れかけた火の玉はあっという間に霞に紛れるように消えていく。まるですべてが悪い夢であったかのように。現れたときと同様に空気を燃やす音だけを残して。湿った夜風がその一瞬の隙をついて庭先の空気を押し流す。
 果たして風が吹き止むと、そこにはもう何もなかった。
 静寂と重く垂れ込めた夜だけが横たわる庭には鏡のように闇夜を映す池と僅かに薄桃色の花弁を残した桜の木がものも言わず立つばかりだ。
 火焔は細い息を吐くと、全身に漲らせていた緊張を緩めた。あのような手合いに対面するのは初めてではないとはいえ、やはり専門家ではない以上、恐れは常につきまとう。今回は首尾どおりに事が進んだが、次はどうなることか。次など考えたくもなかったが、そういうわけにもいかない。何かしら対策を考えねばいけないだろう。
「一期、大丈夫か?」
 膝をついて以降、微動だにしない刀剣の肩を揺り動かす。よもや死んではいないとは思うが、あまりに白い横顔とぴくりともしない身体に今更不安が募る。
 一期、という呼びかけに長い睫毛が静かに震える。刀剣男士たちのほとんどがどういうわけか非常に整った顔立ちをしているが、特にこの一期一振はともすれば女性的とも捉えられるような容姿と優雅な身のこなしとがあいまって繊細な印象を作り出していた。この世の全ての美を結集させ、かつその上に胡座を組んだような三日月宗近とはまた異なる趣きの秀麗な刀剣である。儚いという言葉が実によく似合うし、実際今は蒼白の顔色がそれを助長させている。もっと言うなら生気を失った死人にも見えるその様は結構洒落になっていない。思わずぎょっとした火焔に対して、その唇が小さくか細い声を吐く。
「も、うしわけありません…お見苦しいところを……今、離れ、ます…」
 身を起こそうとした彼を火焔は慌てて押し留めた。どう考えてもまともに立って歩けるようにも見えない。待て、と簡潔な言葉と共に引かれた腕をどう思ったのか一期一振が眉間に皺を寄せる。ああそうだった。彼はこの容姿でこの物腰でそれでいて思った以上に強情というか侠気に富むところがあったのだった。今も己の主人に情けないところを見られたばかりか迷惑をかけているという一点のみで立ち上がろうとしている。それは何とも。
「痛ましいな」
「主…?」
 掴んだ腕をひょいと引く。常ならびくともしないであろう青年の身体は呆気なく体勢を崩し、その頭は火焔の膝に落ちる。目を白黒させる刀剣を尻目に火焔の白い右手がその両目をしっかりと塞いだ。
「傍にいるから、しばらく眠るといい」
「…ですが、」
「眠りなさい」
 有無を言わさぬ主の口調に彼も最早何も言えぬと悟ったのだろう。口を噤んだかと思ったら寸分の間もなく、すぐに穏やかな寝息が聞こえてきた。
 ゆっくりとその手を外せば存外幼い寝顔。疲れが出たのだろう。長期の遠征帰りにあんな怪異に出会ったのだから無理もない。炎に焼かれる痛ましい記憶を暴かれて、震えるほどの恐怖を味わわねばならなかったことを思うと豪胆な火焔の胸も小さく痛んだ。
 時折、己の手でなしていることを棚に上げて思うのだ。人として生まれ人として生きるだけでも辛いのに、刀剣として人の手によって生み出され人の手によって人として生きることを強いられる彼らの心持ちは幾許だろう、と。
 考えをどれほど巡らせても火焔にはわからない。わかる術もなく、わかるはずもなかった。
 だからせめて、その生まれたばかりの柔い心を恐怖に震わせる夜が来るのならば彼らに代わってその敵を己が斬ろうと思うのだ。それだけの力はこの身にもあった。主が黒々と燃える焔を人知れず身の内に飼っているのを彼らは知らない。知らなくて良い。彼らが戦場で刃を振るうように、彼女もまた月の出ない夜に刃を振るう。誰にも見えぬ、鋭利な刃を。
 そっと刀剣の柔らかな髪を撫でる。はらりと影差す横顔に。小さく覗いた夜色の瞳の底には確かに消えぬ焔が蠢いているように見えた。


2015.04.30

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