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刀剣乱舞 ぬばたまの夜に三日月

 口唇が触れ合おうかという距離である。
 先程まで縁側でゆるりと月を眺めていたはずの視界いっぱいに映るのは女の酷く整った顔立ち。白皙の肌には傷一つなく、戦場とはおおよそ縁もゆかりもなさそうなのに、いざ砂埃と血臭にまみれたその地へと立てば誰よりも勇ましく、冷徹で賢い。誠に稀有な女だった。刀剣に宿った魂を降ろして神と成し、歴史改変を目論むものとの戦いで否が応でも積もる穢れを払い、一癖も二癖もある刀剣達を率いる力をどれも欠けずに持っていた。
 そして、何より。天下五剣と謳われたこの三日月宗近を就任初日に神降ろしした。
 それが彼女の評価を決定付けた。十年に一人の逸材と喝采を浴び、しかし当の本人はそんな周囲の声などどこ吹く風だ。萎縮するなり天狗になるなりすればまだ人並みと思われるだろうにそれもない。ただ飄々と諾々と、剣を率いて敵を討つ。その様はまるで実直な歴戦の勇将のようであるし、片手を上げて勝利を導く女神のようでもあった。
 彼女の容姿がまたそれを冗長するのであろう。三日月には人の美醜はよくわからない。それは時代によっていともたやすく変わっていくものだから。だが彼女の黒く艶やかな長い髪は白昼に突如現れた闇夜のようであるし、すらりと長い手脚は野山を駆ける野生の馬のようであるし、なんの遠慮もなく触れてくる指先にのっかった薄い爪は波打ち際で朝日を浴びる桜貝のようであるし、それに何よりその瞳は。
「主、首が痛いぞ」
 彼女の冷たい掌が頬にある。ぐいっとうわ向かされて、彼女の興味深そうな視線を間近で受ける。
 好奇心は猫をも殺すとよく言うが、これほど彼女に適切な言葉はない。戦場であれほど的確で冷静な指示を下す将は一歩そこから抜け出せば、実に危なっかしく衝動的で推し量りがたい。
 そしてそれがまた、刀剣の御霊を惹きつける理由の一端となる。当事者でなければ決してわからぬほど些細なことだが、これは善悪でもましてや性格や能力の問題でもなかった。簡単に言ってしまえば、彼女の魂の有り様が刀剣たちにとっては純粋に好ましいのだ。ただそうであることが彼女を審神者としていたらしめる。そういう意味では彼女を見出した政府の機関とやらは大変に有能だといえるだろう。
「うお!?宗近殿と…主殿か?何しちゅうがか…?」
 通りすがりの陸奥守吉行が面食らったような声を出す。それはそうだろう。刀剣とその主とはいえ、見目は完全に年頃の男女だ。普通の感性であれば、気安く近寄ることはないし、触れ合うほどの距離で顔を覗き込んだりはしない。だが、幸か不幸か彼らの主の感性は普通ではない。
「陸奥殿?どうし…大将、またやってんのか…」
 次に通りかかったのは本丸の最古参の一人であり、短刀たちの兄貴分の薬研藤四郎だ。姿は見えねど小脇に洗濯物か野菜でも持った様がありありと脳裏に思い浮かぶ。
「また!?」
「大将はああなっちまうと周りが全く見えなくなっちまうんだよなあ…まあ、しばらくすりゃ飽きるから」
 最後の言葉は陸奥守に対してではなく、三日月に対してだろう。首を固定されているので何の反応もできないが、その心遣いにそっと感謝する。
 陸奥守ももうそれ以上は何も言えず、薬研と一言二言交わすと二人揃ってその場を去って行った。
 一人、否二人、月明かりの下取り残される。三日月の視界には相変わらず女の顔しかない。その表情は言うまでもなく真剣だが、一体三日月の何がそんなに彼女の興をそそるというのか。
 さすがに首も疲れてきたことだし、試しに尋ねてみようかと口を開いたときだった。
「三日月の…」
 遮るように響いた声。高くもなく低くもなく、それでいて張り上げればよく通る。鋼のように硬質で、虫の音のように柔らかく。三日月は思わずうっとりと聞き惚れる。主の、他ならぬ己の主の声だ。
「三日月の、瞳の中に三日月がある…変わっているな」
 それでようやく合点がいった。三日月の瞳には刀であるときの打ちのけを模したかように、三日月型の模様が浮かび上がっている。それをどこからか聞きつけた彼女は好奇心のままに三日月の顔を捕捉したのだ。
 初めからそう言ってくれれば、顔でも何でもいくらでも貸したものの。そう思いつつも、ふと三日月に悪戯ごころがわき起こった。たまには意趣返しも悪くはない。
 腕を伸ばし、その柳腰を引き寄せる。瞳を覗き込むために屈んでいた彼女は呆気なく態勢を崩し、三日月の胸の中に崩れ落ちる。きょとんと見開かれた目はまるで少女のようだが、彼女はそれなりに妙齢の女性だ。そして、彼女がこんなにも三日月に対して無防備なのはあくまで彼らを刀剣としてしか見ていないからだ。人の形して人でなし、それはいつかの彼女の言葉。
「なんだ三日月?」
 落ち着き払った声がする。その頬を両の手で挟み込んでも、彼女は表情一つ変えない。それを良いことにお返しとばかりにまじまじとその瞳を覗き込む。柔らかそうなまぶた、縁取る長いまつ毛、虹彩の色は漆黒。夜を凝縮したような黒曜石の玉は僅かな光をも感じ取って反射する。
「主の瞳は黒色か」
「普通だろう?」
 特に興味もなさそうに言う。彼女はおそらく三日月たちに対してもある特定のことしか興味がないように、自分自身にも特別興味がない。虚ろな鏡面には何も映らないと皆が言う。何もかも飲み込んで、受け入れて、されど何ものにも動かされずに度し難い。けれど三日月はそうは思わぬ。そうはとても、思えない。掌から伝わる熱は温かく、寄り添った鼓動は規則的な刻みを繰り返す。だからこそ、この宝石は美しい。まるで生きている真夜中のように。
「ぬばたまの、夜に浮かぶは眉月ひとぉつ」
 にこりと笑みを浮かべてその頬を殊更愛しいように撫でる。人真似の児戯にも等しい仕草を彼女は不思議そうに瞬きして見た。そして今しがた褒めたばかりの美しい瞳を眇めて、わざとらしくため息をついてみせる。窘めるわけでも、戒めるわけでもなく、呆れるわけでも、嫌がるわけでもなく。その反応は実に彼女らしく曖昧で、故に深い隔たりを感じた。主と、刀剣とそれ以上があるわけもなし。三日月も、そう思う。
「年の功かね、じいさん」
「ははっそうやもしれぬなあ」
 だから、「それ」にはしばらく気付かぬふりをする。今はただその瞳に月ひとつ浮かぶことがあればそれで良いと嘯いて、美しい刀はその腕に夜を抱く。


2015.02.01

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