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その他 碧の蛇王11

 白亜の宮殿を背景に鳥が囀り、冷たい水をなみなみと湛えた池には無数の蓮が薄紅色の花を開く。花の香りは穏やかに吹く風にのって広がり、極彩色の蝶や蜂を優しく誘う。どこからともなく聞こえてくるのは弦を弾いて作る天上の音楽。そこに重なるのは陶器のごとき肌をした無数の女たち笑い声。薄衣を纏い、長い黒髪をした彼女らは天上の宮殿に仕える女官たちだ。その本性を蓮の葉から零れ落ちる夜露からなる女たちはつるりとした容姿と陽気な性格で、賑やかに己の仕事をこなしていた。
「ラフィーガ様!ラフィーガ様ぁー!」
 しかし、そんな穏やかで平凡な毎日につい最近大きな変化が現れた。霞を押し退けるようにして轟く彼の声は最早日常茶飯事で、女官たちはお互いに顔を見合わせるとくすくすと小さく笑い合う。そのうち目の前の回廊を通るに違いないよ、と機織りの手を止めて待っていると、かくしてその人は肩で息を切らして現れる。
「メドゥ様、メドゥ様、また王をお探しで?」
「本日はどちらでしょう?南の蓮池?西の東屋?それとも南東の泉でしょうか?」
「王はメドゥ様が大好きですから」
「好いていらっしゃるから」
「探してもらいたいのですわ」
「甘えていらっしゃる」
「可愛らしいお方」
「本当に」
「愛らしい方たち。王もメドゥ様も」
 ねー、と声を合わせる女たちにメドゥは諌める気も失せて大きく息を吐いた。この天上世界において珍しい褐色の肌は惜しげもなく晒されている。腰巻だけの格好は露出している部分が多すぎる気がして最初は気になったが、暑くもなければ寒くもないこの楽園においてはなんの不便もなく、じきに慣れた。
「ラフィーガ様を見かけてはいないのですね?」
 メドゥが問うと女たちは揃って頷いた。彼女らは基本的に与えられた役目をこなすようにしか作られていない。人間のように会話をしたとしても、そこに感情や意思はほとんどない。とはいえ、他愛もないお喋りは鳥たちの囀りと言うにはだいぶ口さがないし、喧しい。それに仮にも人間の姿をしたものをメドゥはどうしても人形とも道具とも思えず、変わらぬ礼を尽くすようにしていた。どうもそれが彼女らの好評を博したようで、いつしかメドゥは女官たちから愛ゆえの好奇心を一身に受けるようになっていた。
「ありがとうございます。もう少し探してみます」
 頑張ってー、と呑気な声援を背後に受けながらメドゥは探索を再開する。
 気象を司る神であり、また数多いる蛇神たちの王であり、実質ラクルカントの命運を握るといっても過言ではない「王」にはこなすべき職務や儀式がたくさんある。それは必ずしも彼にとって楽しいことばかりではないのは言わずもがなだが、堅苦しい催しの連続にどうしても嫌になってしまうことも多々あるようで。そうなると彼は当たり前のようにふらりとどこかに消えてしまう。この広い広い王宮のどこか。一点の瑕疵もなく整えられた白い石畳の回廊がどこまでも続き、澄み切った水が絶え間なく流れる水路が縦横無尽に張り巡らされ、神殿も王宮も眩いばかりに光を放つ、この神の宮で、メドゥは彼を探して散々歩き回る羽目になるのだ。
 さて、今日は一体どこに行ったのだろう。女官たちの言う通り、彼の逃避場所は幾つもあってそのすべてを把握してるとはいえ、如何せん数が多い。さらさらと流れる水音を聞きながら、交差路でメドゥが思案していると目の前をふらりと青い翅を持つ蝶が舞う。まるで虹色の鱗粉を振りまくように飛ぶ様にしばし目を奪われたメドゥは、ふと蝶が飛んでいく方に足を向けた。
 それはただの思いつきであって、なんら確信を持った判断ではなかったのだけれど、結果的に今日のメドゥは一際冴えていたと言えるだろう。
 柱に絡みついた蔓には小さな葉と白い花が鈴生りに咲いている。どうやら蝶はこの蜜を求めていたらしいが、男は単にこの日陰が気に入っているだけだと思われた。
 白い石で作られた長椅子に全身を預けるようにして居眠りをする王は上半身は人間、下半身は巨大な蛇の姿をした神だ。国においては蛇神とも称される男はしっかりと瞼を降ろして、午睡の真っ最中だった。青白い頬に黒い髪がさらりとかかり、はっきりした目鼻立ちが陰影を深める。だが、最も力強い瞳が伏せられているせいで、このままでは彼の印象をはっきりと定めることは難しいだろう。そのまなこは、井戸の底の水面より黒く、夜の闇よりも暗く、それでいて、何もかも無条件に抱擁するかのような優し気な色に満ちている。メドゥが何よりも安堵し、好ましく思う安寧の黒。
「…なんと、こそばゆい」
 ほとんど無意識のうちにラフィーガの頬に触れていたメドゥは、突如発せられた声に我に帰ったが、よもや彼がそんな間抜けな人間を逃してくれるはずもない。あっという間に引き寄せられては、腕の中に囲われてしまう。抗議しようと顔を上げても、その視界にはのんびりと欠伸をする男の顎と優美に下を向いた睫毛が映るばかりだ。
「仕事です」
「わかっている。ちょっと昼寝をしていただけであろう」
「…『ちょっと』」
 責めるような物言いに、機嫌を損ねたと思ったのか彼が小さく笑う。とはいえ、メドゥの背に回された腕はまったく力を緩める気配はなく、いつの間にか青い鱗に覆われた尾が宥めるようにメドゥの腕を撫でている。まったく。
「ラフィーガ様はずるい。俺が強く言えないのをわかっていらっしゃる」
「はは、そうだなあ。だがなあ、メドゥよ。ここは楽土だ。少しぐらいのんびり過ごしたところでばちは当たらぬ」
「……」
「実際やってくるまでは半信半疑だったが…ここはよいところだ。おぬしの作る飯は美味いし、相変わらず抱き心地は一等いい。おまけに女官たちとともに舞う姿は天女に勝るとも劣らぬとは嬉しい思い誤りよ」
 そう言って満足げに微笑まれてはメドゥも悪い気はしない。たとえいつもこの調子で丸め込まれているとわかっていても、それでも触れたこの皮膚の温度だとか、規則正しく伝わる鼓動だとか、どこまでも優しい声色だとかがメドゥをくらくらと甘い気持ちにさせる。だって、信じられるだろうか。絶えることのない水のせせらぎよりも、口にするよりも早く身の回りを世話してくれる美しい女官よりも、毎朝花開く可憐で清楚な蓮の花よりも、その馨しい香りよりもこの人は。
「俺のことばかりではないですか」
「然り。つまりはどこであろうと、おぬしがいればそこが楽土ということよ」
「…はあ、まあ…」
 そうなるのですか、と頼りなく言ったメドゥに相変わらずラフィーガは目を見開くと愉快そうに笑ってみせる。色気のない!と笑ってもその声は決して不快ではない。
 花は咲き、水は絶えず、蝶は舞う。空はどこまでも青く、美しい宮と忠実な女官たち、清らかな衣装、温かな寝床。ああ、けれどそれらすべてを失ったとて、この美しの碧色さえあれば、たとえそこが乾ききった砂漠のど真ん中であろうとも。
「俺は貴方のお傍におりますとも」
 許されるならば、幾久しく貴方とともに。ただ貴方とともに生きる喜びを胸に抱く。


2017.12.02

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