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その他 碧の蛇王9

 結局、あれから神官長をはじめとした何某からメドゥへのお咎めが来ることは一切なかった。
 他ならぬ神自身が奉仕役を連れ帰ったのだ。その意には背けぬと思ったのか、はたまたこれ以上神様のご機嫌を損ねるにはあまりにも不利益と悟ったのか。なんにせよメドゥは以前と変わらぬ奉仕を続けることになった。
 幾日か後にいつも通りパンを携えてやって来たルビアはひたすら委縮していた。
 ルビアが意図的に行ったことでもなく、結果としてメドゥは変わらぬ役目に付いているのだから気にしなくていい、と何度言っても彼女は顔を上げることはしなかった。その眦には薄っすら涙さえ溜まっていた気がするが、メドゥは見て見ぬふりをした。優しさというものが正しく何かということはわからぬメドゥではあるが、少なくとも彼女の様子を指摘することは不要な悲しみを招くばかりな気がしたからだ。
 メドゥがなにゆえ突然奉仕役を下ろされたのかは彼女がすべて語ってくれた。
 概ねの予想通り、それは神官長の陰謀だった。あの日、初めて蛇神の姿を見たルビアは心の底から驚いたらしい。何しろ詰め所では此度降臨された神様は位の低い、取るに足らない神様だと専らの噂だったのにも関わらず、彼の御方の鱗はラクルカントの空よりも鮮やかな碧色だったのだから。
 残念ながらメドゥは浅学にして蛇神というのはすべからく青色の鱗を持つと思い込んでいたし、蛇神の位が鱗の色合いによって定まることを知らなかった。ルビアは神官長の娘としてではなく、純粋に同僚としてメドゥを哀れんだ目で見たが、それは甘んじて受けるに値する仕打ちだろう。
 そんなメドゥに彼女は丁寧に神話を紐解いてくれた。曰く、碧色の鱗持つ神は気象神の最高位であるとされる、と。その理由は定かではない。ラクルカント王国の成り立ちよりも遥か昔、神々が地上に暮らしていたときからそうだったという説。今この世界の空こそが最初の蛇神の鱗を模しているからという説。様々な言い伝えは網目のように張り巡らされ、結局一つに帰結はしないものの、結論だけはいつも変わらない。碧の鱗持つ神、即ち蛇王(ナーガ)は天空を統べる神々の王だ。
 へえ、と感心したように呟いたメドゥにルビアがしばし不思議そうな顔をする。何、と問えば、彼女は緩く笑って見せた。
 そんな貴方だからあの御方も貴方を選ぶのでしょう。
 そう意味深に呟いて、ルビアは丘を降りて行った。
 一方の神様もやはり相変わらずだった。彼はよく書を読み、よく物を食べ、よく眠った。
 けれど、毎日顔を合わせるメドゥだけが気が付いていることがある。彼は以前にも増して空を見上げる時間が長くなっていた。
 中庭から四角く切り抜かれたそれを、厨房の高窓で縞模様になったそれを、書庫の重たい鎧窓を開けた先のそれを。黒いまなこを見開いていつまでも見上げていた。メドゥは、それを見て見ぬふりをする。気が付いているのに、気が付いていないふりをする。
 季節は徐々に移り替わろうとしていた。焼き尽くすような太陽の光はゆっくりと猛攻を緩め、次第に薄い雲に遮られるようになった。吹く風は湿気をはらみ、まとわりつくように頬を撫でる。乾季が、終わろうとしている。
 その夜、久しぶりに鈴が鳴った。
 まだ寝入りばなだったメドゥは素早く起き上がると、彼の部屋へと滑り込んだ。すでに夜はしんと冷え込むようになって数日が経つ。部屋の中央に置かれた火鉢が赤々と燃え、ぱちりと時折火の粉を鳴らす中、相変わらず布にまみれた神様が憮然と言い放つ。
「寒い」
 そんなはずないでしょう、とメドゥは言わない。
 黙してこうべを垂れ、彼に寄り添うようにして寝台へと入り込む。たくさんの布をかき分ければいつしか金属的な質感を持つ鱗が指先に触れ、続いて体温を持つ人間の部分が緩やかにメドゥを引き寄せた。
「ラフィーガ様、」
「うん?」
「ラフィーガ様は天に帰るのですか?」
「そうだな。いずれ」
 彼の答えは淀みがなかった。蛇神なのだから当たり前だ。彼らは天から降りて、しばしの間を地上で過ごしたのち、天へと帰る。地上での生活が一時的なのだ。本来であれば天空の果てからこの国のすべての気象を司るのが本来の役目。だから、その答えに逡巡などあるはずがないのに。少し寂しいなどと、思ってしまうのはどうしてなのだろう。
「お前も来るか?」
 そう、さも簡単そうに彼は言う。それが簡単なことなのか、困難なことなのかさえ、メドゥにはわからない。
「それって、神様になるってことですか?」
「そんなようなことだ」
「……」
「俺は本気だぞ。たとえお前がおぼえていなくとも、俺は忘れぬよ」
「…え?」
「お前が見たいというなら虹の橋を架けてもよいぞ…あれはさぞ美しいそうだから、きっと気にいる…」
 背中に回った腕に力がこもったかと思えば、やがて規則正しい寝息が聞こえてくる。メドゥは暗闇の中で一人、まとまらない考えをこねくり回すしかない。だが、鼓動と体温とどこまでも優しい抱擁に。やがてなんの結論も出ぬうちに、メドゥもまたすっかり意識を手放していた。


2017.12.02

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