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その他 碧の蛇王7

 ラクルカント王国辺境の地、第七神殿周辺には相変わらず雨が降らなかった。まだ井戸は干上がらないし、噴水は絶え間なく水を撒き散らしているし、ナツメヤシも枯れていない。巡回するキャラバンによれば周辺のオアシスも豊かに水を湛え、特に異変は見当たらないようで、これは雨季まで保つでしょう、と心強い言葉も聞かれたらしかった。
 よってメドゥが案ずる必要は何一つなかった。それに言ってしまえばメドゥが案じたところで事態が変わることもまたあり得ない。
 すべては蛇神様の御心のままに。天におわす気象の神々が人類が滅びぬように手加減してくれることを、ラクルカントの民は祈るしかない。太陽も雨も人間の思い通りになるわけがない。無意味なことを長らく思い悩んだところで生産性が皆無であることはメドゥ自身が一番理解していた。
 それにメドゥにはもっと身近で重大で考えるべき問題が他にあった。
 下手をすればメドゥの今後の去就にすら関わると言っても過言ではない。あの夜、あの日から、メドゥとラフィーガはろくな言葉を交わしてはいなかった。
 当然必要最低限の会話はある。しかし、以前はそれこそ当たり前のようにあった些細なやり取りはまるで最初からなかったかのように消え失せてしまった。彼はもうメドゥに中庭にやって来る鳥の名前を問うたりはしない。供せられる食事の調理方法を尋ねたり、布に施された刺繍の柄の意味に疑問を持ったり、水盤の底に沈んでいた水晶の欠片を得意げにメドゥに見せに来たりはしない。
 神と人間の適切な距離、といえばそうなのかもしれない。けれど、どこか物足りなく思ってしまうのはメドゥが生まれたての神様をどこか自分に懐いた雛鳥のように感じていたからだろうか。
 否。それこそ不遜な考え方だった。
 蛇神とは気象のすべてを司る天に座す神の一柱。異形の姿をもって畏怖を振り撒き、燦然と世界に君臨する。メドゥはあくまで人間であって、奉仕役に過ぎない。彼のすることに異を唱えるなど以ての外だ。過ぎたる行いだ。
 それにひょっとしたら、これはメドゥの単なる思い過ごしなのかもしれないけれど、彼は気を遣っているのかもしれなかった。己を憎いかと問うて答えられなかったメドゥに。己を恐ろしいかと問うて答えられなかったメドゥに。恐怖のあまり伸ばされる手すら振り払ったメドゥに。
 そうだ、メドゥは蛇神が憎い。家族を、村を干上がらせ、風化させ、奪った神々が恨めしい。どうして、と何度心の中で叫んだかわからない。神様ならきっと雨を降らせて村を救うぐらい造作もなかった。なのに、なんで。

 どうして、助けてくれなかったのか。

「メドゥ、大丈夫?蛇神様とはうまくやれてる?」
「…あんまり」
  麓の詰め所からパンを届けに来てくれたのは同僚のルビアだった。ルビアは神官長の娘でありながら、神に仕える身として皆と同等に扱って欲しいとわざわざ進言し、メドゥ同様下位の新官職が受け持つ雑用に追われている。年はメドゥより三つ下だが、気配りができて、気立てもいい。あの強欲な神官長と血が繋がっているとはとても思えないと皆が言うが、概ねメドゥも同意だった。
「何かあった?」
「いや、大したことじゃないよ」
 長く伸ばした銀色の髪を複雑に編み込んだ少女は落ち込んだ様子の同僚を見て、わかりやすく眉を下げてみせる。彼女の表情は雨季の空のようにくるくるとよく変わり、それがまた彼女の魅力的な要素の一つだった。
 祭壇がある手前と神の居住区となる奥の神殿を繋ぐ廊下で二人はぼそぼそと言葉を交わす。蛇神様が神殿におわす間、奉仕役の人間以外はそれ以上奥には入れない決まりになっていた。
「今回の蛇神様はとてもいい方だ。ルビアが心配するようなことは何もない」
「本当に?」
「本当に。何かあったらすぐ知らせるから」
 心配しないで、と重ねて言い含めると渋々といった表情を隠さずに彼女は頷いた。よくよく嘘がつけないたちだ。だが、そんな彼女の優しさに触れて、メドゥの心も気持ち軽くなった。そう、相手は神様なのだから、すべてはメドゥの理解の範疇にあるわけがない。空から地へと生まれ、やがて空へと帰る間の一時の交わり。メドゥは地を這う人間の代表として、彼に奉仕しているに過ぎないのだから。
「メドゥ、メドゥよ」
 改めてルビアに礼を告げようかと思ったが、それは叶わなかった。どこか遠くから彼が己の名を呼ぶ声がする。ほぼ反射的にメドゥはぱっと居住まいを正し、ルビアは初めて聞いた神の声に不思議そうな顔をした。
「これが…蛇神様のお声?」
「うん。俺を呼んでるみたい。悪いけど、ルビア」
 また今度、とだけ投げてメドゥは踵を返す。扉に辿り着くよりも早く、その隙間がきいっと軽い音を立てて開いた。覗くのは黒い髪、黒いまなこ。そうして、碧色の鱗が閃いたかと思うと、少し不機嫌そうな声がむすりと呟いた。
「遅い」
「はい、ただいま!」
 久方ぶりに聞いた感情を込めた声色にそれが決してよい色ではないにも関わらず、メドゥは必要以上に元気よく返事をした。ひょっとして嬉しかったのだろうか。嬉しかったのかもしれない。だって、そのときのメドゥは背後で少女がはっと息を呑んだ様子にさえ気が付いていなかったのだから。


2017.11.26

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