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その他 碧の蛇王6

 乾季とは雨が降らぬ季節のことを言う。だから、天を焼くほどの苛烈な太陽の光は当たり前で、カラカラに乾いた大地のひび割れも当然で、井戸の水位が下がるのもいつものことであるというのに。どうしてもメドゥは不安を拭いきれない。今日でひと月、雨が降っていなかった。

 その夜、メドゥは夢を見た。

 夢の中でこれは夢だと理解している、そんな風な夢だった。
 神殿の中庭の噴水は水を失って久しく、底には風によって運ばれた砂礫が堆積していた。乾燥に強いはずのナツメヤシは枯れて褐色にくすんだ葉をかさかさと鳴らし、萎れた葡萄の蔓には一滴の潤いすら残っていなかった。
 神殿もまた砂の侵食が始まっていた。
 美しいタイルは所々が剥がれ落ち、割れた破片が床に散乱している。吹き込んだ砂は掃き出されることもなく、柱の影や部屋の隅に堆積しては、崩壊と構築を繰り返す。ガラスの窓は埃によってくすみ、ランプのほとんどは割れていた。メドゥは荒れ果てた神殿を茫然自失の足取りで進んでいる。口の中は乾いて、爪の中にまで砂が詰まっていた。靴はどこかで失くした。足の裏で時折踏んでしまう小石が痛い。けれど、その痛みによってどうにかメドゥは正気を保っている。
 苛烈な太陽の光によって、雲一つない晴天によって、水も食べ物もろくに口に出来なくなった男の目はぎらついていた。褐色の肌は艶をなくし、眼球の白だけが影のように輪郭を失くした男の中で妙に浮き上がって見えた。メドゥは探している。「それ」を見届けない限り、メドゥは枯れてしまうこともできない。亡霊のようになりながらも、ひたすらに神殿の中を彷徨う。
 どれほど歩き回ったのかわからない。何枚の扉を押し開いたのかおぼえていない。
 けれど、メドゥはようやく見つけた。神殿の最奥、神の居室で、散らばった青い鱗はかつての輝きの見る影もなく、逞しい肉体は干からび、長い黒髪は風が吹くだけで千切れて宙に舞う。かつての面影などない。あるわけなどない。けれど、それは正しく、メドゥの。

 りん、りんりんりんっ。

 メドゥは飛び起きた。背中にびっしょりと汗をかいていたが、寝床から離れないわけにはいかなかった。
 慌てて軽く身支度を整え、靴を履いて、扉を目指す。たった一枚の木板を越えただけなのに部屋の雰囲気はぐっと変わった。ランプが灯りとともに放つ炎の匂い、浮かび上がった豪奢な調度品の数々に複雑な文様を描いた絨毯、そしていつも通り寝台で布に包まった神はメドゥの姿を捉えると、すぐさま怪訝な顔をする。傍に素早く跪いたメドゥは彼の表情を読み取ることはできない。
「どうした?」
 問いかけは簡潔で、ゆえにメドゥは答えられなかった。どうもしていないと言えばどうもしていない。ただ、夢見が悪かっただけだ。けれど、ただの悪夢かといえばそれも違った。それはどう足掻いても拭い去れないメドゥの暗闇を否が応でも膨張させていた。晴れすぎた空、降らない雨、帰らない父、母は狂った慈愛で息子を荒野に送り出す。
「どうもしないということはなかろう」
 呆れたようなため息。何も答えぬメドゥに焦れた神が手を伸ばす。その手を、ほとんど無意識でメドゥは払う。それはもう半ば自動的な防衛反応で一秒後にまずいと思って顔を上げても、最早時既に遅しであった。
 神は振り払われた手を空中で持て余す。
 その黒いまなこから何事かの表情を感じ取ることができないのは、人と神との隔たりゆえか。さざなみ一つない鏡面のように澄んだ瞳には何も映っていなかった。そこに「彼」はいなかった。そして、メドゥさえも。
「も、うしわけ、ありません…」
 絞り出した声は掠れていた。神はゆるゆると首を振る。諦めのような、悲しみのような、なんとも判断のつかない動作だった。
「構わぬ。なんぞ理由あってのことだろう」
「ラ、」
「我らが憎いか?」
「え?」
「我らが恐ろしいか?人の子よ」
 そう言って、神は唐突に真っ直ぐメドゥを見据えた。薄い闇の中で黒々とした瞳が底知れぬ井戸の底のように深い闇を湛えていた。メドゥは全身の気概を持って、それを見返す。心を強く持っていなければ、気が触れてしまいそうだった。憎くないと言えば、嘘になる。恐ろしくないと言えば、嘘になる。ただ、それだけでないことも事実だった。だからメドゥは口をつぐむ。沈黙以外にメドゥが彼に返すことのできる誠意はなかった。
「……メドゥよ」
「はい」
「共寝を無理強いしてすまなかった。今宵は己が寝所で眠るといい」
 我ももう眠る、と一つぽつりと呟いて、神は布の海の中へともぐって行ってしまった。一人取り残されたメドゥは。
 やはり黙してこうべを垂れる他に、選択肢はない。


2017.11.25

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