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その他 碧の蛇王1

 熱く乾いた風が吹き続ける乾季も半ばを過ぎた頃だった。
 今年はもうないだろう、と神官たちが胸を撫で下ろした頃合いを見計らったかのようにそれはやって来た。青く澄み渡る空の向こう、一筋の灰色の雲がむくりと鎌首をもたげたかと思えば、雷霆一条。轟音とともに落ちた光の奔流は周囲一帯の人々の目に留まり、その意味を察したすべての人々は落雷の方角に向かって膝を折り、深々と頭を垂れた。
 「晴天の霹靂」。そう呼び習わす白昼の雷は国の気象を司る神の生誕の知らせ。即ち新たなる蛇神がまた一柱、今日この日に大地へと降りたのだ。

「お前を呼んだのは他でもない」
 純白の衣装に身を包んだ壮年の男が厳かに告げる。その声を耳で聞けども、心で聞かぬのはやはり同様の衣装に身を包んだ青年だった。
 ラクルカント王国、第七神殿。王都から遥か南東、白亜の大砂漠と近接した荒涼とした荒野続く辺境の地に建つ施設は近隣の村々の信仰によってなんとか体裁を維持してはいたものの、繁栄極まるとは言い難かった。ゆえに、だろうか。青年は神官とは名ばかりの雑用係に過ぎない己が、今日に限ってわざわざ神官長に呼び出された理由をなんとなく察していた。白い衣装の襟には雷、裾に雨雲と最低限の刺繍を施した彼の位は最下位。対して口ひげを蓄えた神官長の衣装には五色の糸を使って瑞雲、旋風、後光に至るまでが色とりどりに描かれている。それは彼ら二人の間に決定的な格差がある、この上ない証だった。
「メドゥよ、かつてあった村の子よ。神々の下僕よ」
「はい、神官長」
「お前に任を命ずる。急ぎ丘の上の神殿に赴き、ご生誕された蛇神様に奉仕せよ」
「はい。もったいなきお役目、このメドゥ、謹んでお請けいたします」
 うむ、と神官長は大仰に頷いた。
 本来であれば蛇神の奉仕役は名誉ある役目である。俗っぽい言い方をしてしまえば、出世に直結していると言ってもいい。だが、今は時が悪かった。王都にある中央神殿に出仕する神官を決める選出会議の真っ最中なのだ。明日にも神官長をはじめとした高位の神官たちは徒党を組んで王都へと旅立つ。何しろ中央神殿の神官に選ばれれば地位は安泰。王都に勤める役人と懇意になって、辺境の村だろうが、荒れ果てた土地だろうが、井戸の施工や街道の敷設を融通してもらって、より豊かな暮らしを約束することも夢ではない。
 馬鹿らしい、と思うのはどうやらすでに故郷なきメドゥだけらしい。
 皆血眼になって王都への栄転の道を探る。肝心かなめの蛇神様さえ放り出して。
 相応の罰でも当たるが相当かと思うが、メドゥは人を呪わない。人を呪うには、嫌うには、憎むには、あまりにメドゥは疲れて果ててしまった。萎れてしまった。齢十九にして誰の庇護もなく、この世の不条理と無作法を見続けてきた男は緑の瞳の光を消して、従順に権力に傅く。
「早速お伺いします。蛇神様をお待たせしてはいけませんので」
「物資は追って届けさせる。これより七日は村々で祭が続こうが、お前は役目を果たすがいい」
 傲慢な物言いにも今更腹を立てることもない。メドゥは言われるがままに神官長の御前から辞した。
 両開きの扉から出ると廊下にはすでに他の神官たちが待ち構えていてメドゥを急かす。三日分のパンが入った袋を手渡され、乾物を中心とした食料や生活に必要な道具はすでに神殿に揃っているからと簡単な説明を受けた。
 蛇神様は個体差が大きい。そうメドゥの身なりを軽くチェックしていた神官が言った。怒りっぽい方、気まぐれな方、人間を厭う方、どんな方が顕現されていたとしても、敬意を払うように。当たり前のことを彼が言うので、当たり前にメドゥは頷いた。たとえどんな気性であっても相手は神だ。天より雷を伴って生まれ、この世に起こるすべての気象を司り、自在に操る。そんな相手を前にどうやって自分と同列の存在だと思って接することができるというのか。
 簡単な身支度を整え、建物を出ると外は灼熱の白昼だった。
 乾いた風は白茶けた大地に沈殿した埃を巻き上げ、乾いた草をかさかさと騒がせる。しかし、これでも今年は幾らか雨が降っている方だ。それに井戸は枯れずに絶え間なく水を汲むことが出来、しばらく馬を走らせたところにある川の水も豊かに湛えられている。人間が生き延びるだけの温情が今年の乾季にはあった。
 タイターンの丘にある第七神殿は麓にある神官詰め所と丘の頂上にある神殿の大きく二つの建造物で成り立っている。神殿は通常神の居場所であり、神官たちでさえ儀式や祭のとき以外は立ち入らない。詰め所から神殿へは一本道で、子供の足でも往復するのに大儀ない。わずかな草木と石ころが転がっただけの緩やかな丘陵に建つ神殿は麓からでもその姿をよく確認することができた。気の遠くなる歳月をかけて積み上げた煉瓦に、これまた気の遠くなるような数の職人たちが焼き上げたタイルを張り、曲線と直線の組み合わさった見事な幾何学模様を描き出した荘厳な建築物。神々の生まれ落ちる場所。最も天に近い地上。
 今まさに蛇神が舞い降りて、名実ともに神の居城となった神殿へとメドゥは足を向ける。本当を言えば今になってもまだメドゥは半信半疑だった。神々は毎年律儀に神殿へと生まれるわけでもなければ、順繰りに国に八つある神殿を巡るわけでもない。第七神殿に蛇神が降臨したことは、少なからずメドゥがやって来てから一度もなかった。だから、実際にこの目で晴天の霹靂を見ても、神官長の命を受けても、今一つ実感がわかない。この国の守護、この国の成り立ちに深く関わり、この国とともにある神。実在するのだろうか。否、実在することは確かなのだが、現実味がないだけだ。
 サンダルの底が砂利を蹴飛ばす。強烈な日差しの中では僅かな傾斜でも必要以上に体力を奪った。額に浮かんだ汗を拭い、目を焼く白い光を疎まし気に睨む。雄々しき太陽の光を威風堂々反射して神殿は建つ。静かに、眼前に。
 メドゥは最後の行程となる神殿の階段を慎重に踏んだ。二十段余りの段差をようやく上り切れば現れたアーチ状の天井が苛烈な光を遮り、日影へと身を滑り込ませることができる。ようやくほっと息が吐けた。
 神殿は奥に行くほどに複雑になっているが、入り口から祭壇までは実に単純な構造になっている。階段上のアプローチから太い柱が左右に三本並んだ短い廊下が連なり、ドーム型の天井にまで施された見事なタイル張りや吊るされた硝子製のランプに目を奪われながら足を進めれば、やがてもう一度白い光が見えてくる。
 蛇神とは空から「降りてくる」神であるがゆえに。
 祭壇の天井は丸くくり抜かれ、まるで抜き取られた紺碧の青空がぽかりと薄闇の中に浮かんでいるようだった。やはり壁一面に施されたタイルは草木に加え、天地の気象を表し、反して鈍色に輝く床は大理石の艶めかしさだけをそっとひそませている。
 それはおそらく主役である「神」を引き立たせるためだろう。
 否、建築者の意図などメドゥは知らない。だが、たった今目の前に広がる光景を見て、メドゥは確信した。
 ラクルカントの民とは異なる青白い肌、漆黒の髪、漆黒の瞳、そして何より人間の上半身とは一線を画す下半身。その腰の辺りから伸びる肢体には足がなく、日差しを受けたそれは鮮やかな碧色にきらきらと輝いていた。まるで地中から掘り起こされた天河石のように、朝靄を生み出す深き湖の水のように、憎らしいほどに晴れ渡った蒼天のように。硬質でいて、柔らかく、そして美しい。彼ら人ならざる証、彼ら神である証、彼ら異形であるがゆえに。
「遅い」
 そう、不機嫌そうに告げたのは半人半蛇の紛れもない神である。


2017.10.22

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