ibaraboshi***

home > 小説 > , , , > その他 碧の蛇王0

その他 碧の蛇王0



ラクルカント王国 - Kingdom of the Lacrcant -
 
 西方をアリーティア海に面し、その他三方を果ても見えぬ砂漠に囲まれた王国。
 国土のほとんどは荒涼とした荒野と白亜の砂漠だが、キリーヒ湖をはじめとした数多のオアシスの恵みを受け、慈悲深き英雄アッターディバの末裔が敷く善政により、平和な時代が何百年も築いている。
 国の象徴、また国の気象、政、信仰と密接に関わるのが蛇神である。
 この「姿現す神」は半人半蛇、ラクルカントの民と異なる青白い肌に漆黒の髪と瞳を持ち、天候にまつわるあらゆる事象を司る。
 新たなる蛇神の生誕の際は必ず国に八つある神殿のいずれかに「晴天の霹靂」とともに生まれ落ち、雨季の訪れとともに天へと帰るとされる。

『ラクルカント史』序文より





「さあ、お行きなさい、メドゥ。振り返ってはだめ。足を止めてもだめ。蛇神様の神殿に辿り着くまで、決して」
 振り仰いだ母の顔は青白く、悲壮な決意に満ちていた。
 泥の煉瓦を積み上げた質素な家の中は凄まじい日差しを避けるためすべての窓が厚い布で覆われ、真昼だというのに褐色の薄闇が澱んでいた。水を探しに行くと言って村の若い男たちと出て行った父親は一か月経った今でも戻って来てはいない。村の井戸が枯れてから一週間後に三番目の妹は「おみずがのみたい」と一言だけ絞り出すように呟いて息を引き取った。祖母は自ら織った美しい模様の膝掛けが砂埃で煤けているのにも気付かないようにぼんやりと虚空を見つめている。その深い皺の刻まれた頬には乾いて白くなった涙の跡が幾筋も残っていた。
 メドゥは改めて母の顔を見遣る。ベールの中に押し込まれた銀色の髪に褐色の肌、そして、緑色の瞳。この国ラクルカントに住む民が皆同じ英雄の子らであることの証。すべての民が皆兄弟であることの証。当然、メドゥも同じ色彩を持っている。とはいえ、今はこれから始まる長い旅路に備えて全身を白い布地で覆っているせいで、見えているのはやけに目立つ緑眼だけなのだけれど。
 村にはもう何か月も雨が降っていなかった。
 井戸はとっくに枯れ果てて、石ころしか出てこない。畑の作物は例外なく茶色く萎れ、行けども行けども草の一本も見つからぬ荒野に疲れ果てた家畜も眠るように倒れていった。
 それなのに太陽は一向にその日差しを緩める気配はない。村の中は死の恐怖を通り越し、無味乾燥とした諦観が支配していた。母がたった一人の息子に壺の中に隠しておいた最後の飲み水を持たせ、旅立たせようとしているのがその証拠だ。彼女にはもうそれ以外に子供たちを、家族を、守る手立てが思いつかないのだ。それはメドゥの家だけではない。どこの家も同じだった。一人、二人とある家では年老いた父親が消え、ある家ではまだ乳飲み子だった赤ん坊が消え、ある家では腹に子を抱えた妊婦が消えた。誰も彼もが正常な判断力を失っていた。だって、メドゥの母親は聡明で美しい人だったのだ。その彼女が平素の状態でいられたのなら、こんななけなしの水だけを持たせて、まだ七つになったばかりの息子を荒野に放り出すはずがない。
「いってらっしゃい、メドゥ。どうかあなたに蛇神様のご加護を」
 母は最後に最愛の息子を抱きしめて、その額にキスをした。息子は「はい」と従順に頷いて、家を出た。
 日光の下へと出れば、すぐさま白い光が全身を焼いた。苛烈な炎の残滓は大地を焼き、川を干上がらせ、村を滅ぼす。この国には気象を司る神がいる。それなのに、時折気まぐれを起こす神はいとも簡単に厄災を引き起こす。落雷、嵐、洪水、旱魃。すべては神の御心のままに。
 村の出口まで来たメドゥは母の言いつけを破って振り返った。すべてを燃やすような太陽の下、村はすでに死んでいるように思えた。そして、きっとメドゥも生きてはここに戻ってこないだろう。
「さよなら」
 口の中でのみ呟いた言葉はメドゥの幼い胸の内にことりと落ちて、固まった。固まる他に行き場もなかった。
 メドゥの予感は正しかった。
 メドゥは少なくともその後の人生において、この村に戻ってくることはなかった。けれど、彼の悲観的な予想は幸か不幸かほんのわずかに外れていた。
 母親が言う神殿に辿り着く前に荒野か砂漠で力尽きるだろうと思われた彼は幸運にも神殿へと向かう途中で大規模なキャラバンに拾われ、どうにか無事生き延びることはできたのだった。けれど、その到達は今一歩及ばなかった。少年の訴えを受け、別のキャラバンが大量の水を積んで村へ向かったときにはもう、村の中に生きている人間は一人もいなかった。


2017.10.22

新しい記事
古い記事

return to page top