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現代帝都 愛すべき死とともに死す

 帝都に程近い港町に山を切り開いて作った瀟洒な景勝地がある。
 通称「異人街」と呼ばれるその場所は示す名の通り、極東の島国にありながらカラフルな三角屋根の洋館や煉瓦造りの教会が立ち並び、さながら西欧の風を直接肌で感じるが如くだった。往来にはめかしこんだ男女が行き交い、ブティックでは帽子や杖を品定めする紳士が髭を撫で、カフェーでは舶来の紅茶や菓子を嗜む。
 けれど、そんな華やかな街も一度夜が更ければ、たちまち様子は一変する。元より夜更けまで営業している店舗が少ないせいか、街灯は少なく、あんなに街に溢れていた人々もどこかへ消え失せてしまう。野犬の遠吠えが遠くから物悲し気に届き、野山から餌を追ってきた蝙蝠は音もなく夜天をすべった。
 そして、そんな不穏な空気の極め付けはなぜか街のほぼ中央に位置している墓地だろう。周囲を鬱蒼と生い茂る木々に囲まれ、外側から中を窺い知ることはほぼ出来ないものの、突き出した尖塔に留まる無数のカラス、時折さっと吹く生臭い風、曇天に高らかとは言い難い音で鳴る鐘など人々があえて避けて通るには充分な理由が揃っていた。
 昼ならばともかく真夜中に故人を偲ぶためにわざわざ墓地へとやって来る者もいない。ゆえに光なき夜の中でも更に根深い闇夜がここにはあった。煮溶かした影、足元を這いあがる湿度、目に見えぬ何かが潜んでいるのではないかという恐怖。それらは必然として進行を試みる人間の足を軒並み止める。だが、時折そんな本能が欠如した非人間がいることも、また人の世の不条理として当然、あった。
「あったか!?」
「まだだ」
 静まり返った墓地に男たちが密やかに交わす話し声が不協和音となって散開する。粗末なランタンには無数のヒビが入り、灯りに群がる虫たちが作り出す影は芝生の上を縦横無尽に乱舞した。
 絶え間なく聞こえてくるのは土を掘り起こすシャベルの音。彼らが比較的裕福な異国人が眠るこの墓地に目を付けたのは今日が初めてではなかった。幾日も前から下見を繰り返し、葬儀の様子を観察した。墓へと参る人々の服装から階級を推測し、金目のものが入っていそうな棺を念入りに見定めた。
 そうした下調べの末、彼らが決め打ったのは「優しき娘マリア・ロスチャイルド、ここに安らかに眠る」と記された墓石だった。この墓へと参るのは彼らが見る限り母親と思しき老婆一人だった。彼女は週に一度ほどの頻度でやって来ては、故人が好んだ花を手向け、愛おし気に十字架の形をした石を撫でながら二言三言、異国の言葉で語り掛ける。意味はわからずともそれが慈愛の心から来ることは誰の目にも明らかだった。
 しかし、男たちにとって重要なのはその墓が少なくとも数年前から存在することと、老婆が身に着けた数々の装飾品だけだった。指の合間にきらりと輝く大ぶりのエメラルド、首から提げられたネックレスにはダイヤモンドが揺れ、耳には大きなパール。スカーフに留まる蝶のブローチも何種類もの貴金属できらめき、その暮らしぶりが相当裕福なことが伺えた。となれば、そんな彼女が亡くなってそれなりの年数が経ってなお頻繁に通うほど溺愛した娘の棺だ。同等程度の貴金属がたっぷり詰められていてもおかしくない。男らはそう、考えた。
「あったぞ!棺だ!」
 そう、短慮にも!
 彼らは死者に対する敬意を怠った。死者に対する冒涜を恐れなかった。そして、何より。彼らは欲に目がくらみ、人間らしい本能と危機感を放棄した。
「慎重に開けろ。中身が土に埋まったら厄介だ」
「完璧に白骨化してるな。これなら指輪だろうがなんだろうが…」
「ねえ」
 その声は突如男たちの頭上から降り注いだ。何しろ棺は凡そ二メートルの地中に埋まっていて、それを掘り下げたのだから、たとえ相手が地上にいたとしても見下ろす格好になるのは当たり前だった。
 それこそ男たちはバネのように振り仰いだ。空には灰色の雲が風に乗って流れ、今夜の丸い月がそれらに深い陰影を施すかのように照らし出していた。
 そして、そんな夜を背に負うように。
 一人の女が立っていた。頭には黒いレースの付いたトーク帽、黒いサテン生地のワンピースに黒いロンググローブ、そして手には身の丈ほどもある杖。明らかに喪服の女は、けれど決して弔問客には見えない。男たちが彼女の存在を見極めきれず、対応しかねていると彼女は大きな瞳で一つ、二つと瞬きをした。未だ少女の面影が残る顔立ちに表情はない。ただ、冷ややかな眼差しだけが男たちを不自然なほど冷静に観察していた。
「貴方たちは盗人ですね」
 それは質問ではなく、断言だった。女はレースの下で眉一つ動かさず、罪を暴く。それに先に反応したのはスコップで棺の蓋にかかる土を避けていた男だった。もう一人より年嵩の彼は素早く女を「敵」と見做すと雄叫びをあげて、鈍器を振りかざす。けれど、その一打は女へと届くことはなかった。道具の先端は虚しく芝を抉り、不意を突かれた男たちは己が目を疑った。女が消えた。彼らの目に映る現実は果たして端的に言い表せばその通りだっただろう。しかし、女は違った。彼女は異なる現実を見ることができる人間だった。
 即ち、魔術師。
 この帝都に三つある魔術師の大家の中でも自ら末席を名乗る者たち。魔術師(デビルサマナー)の京家、魔術師(ソーサラー)の雪水家、そして。
「私、綺堂百合睦(きどう ゆりちか)と申します。魔術師…極めて正確に言うと死霊術師(ネクロマンサー)と呼ばれる職に従事しております。どうぞお見知り置きを」
 声は、墓石の上からした。
 十字架のてっぺんに危なげなく女は立つ。杖には死の体現であるかの如き髑髏がぽかりと暗い眼窩を掲げ、並んだ歯はカタカタと鳴って慎ましく威嚇をした。死者を冒涜する者らには等しく同じ「死」を。死者とともに生きるからこそ死者に寄り添う魔術師は氷のような無表情の下で烈火の如く燃え盛る怒りを杖に込める。
「我は汝らの代弁者なり、我は汝らの代行者なり。死をもって死を導くは摂理にして道理。我が呼び声に応えよ」
 彼女の登場からじわじわと変わりつつあった墓地の空気がその言葉によって今度は一変する。それは無知で傲慢な男たちも気が付くほどの変容だった。森はざわめき、風は唸り、生臭い匂いは鼻をつく。その気配を誰もが言葉に出来ずとも知っていた。誰からも教えられずともわかっていた。死そのものから滲み出す気配、空気、忍び寄る停滞。我らこそが。
「貴方たちに美しき死は相応しくない」
 瞬間、男たちは弾かれたように走り出した。道具も所持品も何もかも投げ出して墓地の出口へと一目散に逃げていく。彼らの表情にはべったりと恐怖が張り付いていた。彼らが何を見たのかはおそらく彼らのみぞ知るのだろう。
 その後ろ姿をゆったりと見送った喪服の女は危なげなく墓石から飛び降りると、ふうとため息をついた。手にした杖が再びカタカタと鳴る。その音に導かれるように視線を移動させれば、掘り起こされた棺の中で眠っていた白骨死体がむくりと身を起こし、じっとこちらを見ているところだった。
 女は微笑む。決して動かないと思われた表情筋を豊かに波打たせ、踊るように手を伸ばす。
「一緒に行きましょうか、レディ・マリア」
 黒いグローブに包まれた指先に遠慮がちに死の白色が触れる。その何も孕まぬ眼窩の中には確かに親愛の情のようなものが宿っているかのように思うのは、果たして女が生者であるがゆえかもしれなかった。


2017.10.07

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