ibaraboshi***

home > 小説 > , > 現代帝都 曼珠沙華咲く野の原にて

現代帝都 曼珠沙華咲く野の原にて

 吉原の季節は当たり前だが吉原とともに回る。
 それは無論、元の吉原を完璧に再現した「裏吉原」でも大した相違はない。八朔を終え、吉原のあらゆる人々がひと月にも及ぶ催し物に興じる「俄」を迎えたかと思えば、月見のために穂を出したばかりの芒を飾り、団子を積む。遊女たちのきらびやかな錦をはじめ、衣替えの準備は着々と進み、そうこうしているうちに蝉時雨はぱたりと止んで、いつの間にか秋の夜長を虫たちの合唱が埋め尽くす。
 そんな頃合い、決まって休診の札を出す診療所があった。
 揚屋町ちょうど真ん中辺り、二階建て長屋の一つに居を構えるは名医と名高い久木野々千年。彼が人間人外問わず広く門戸を開く「万年診療所」に本来であれば定まった休日はない。だが、とある秋の好日ばかりは診療所の重たい看板を裏返し、朝から夕暮れ時までその戸が開くことは決してなかった。呼びかけても返事はなく、人の気配は毛ほどもない。途方に暮れた患者が玄関先で右往左往していると、向かいの小間物屋の亭主が決まってお節介を焼く。
「先生なら逢引ですよ。当世風に言うなら『でぇと』ってやつかね?」
 それを聞いてある患者は亭主の冗談だと苦笑いし、ある患者は男やもめと思い込んでいた先生に良い人がいたのかと驚愕し、ある患者は思い当たる節に大いに納得して踵を返した。
 良くも悪くも惚れた腫れたに寛容な街、裏吉原である。生真面目一辺倒の先生が年に一度の休暇を楽しんでいると聞いて腹を立てる人なんざ誰もいやしなかった。
 よって今年も晴れて目出度く、行楽弁当が花開く。
 揚屋町の端に店を構える台屋に無理を言って、早朝受け取りに行った漆塗りの重箱は三段重ね。一段目には松茸の煮物、栗の甘露煮、菊菜の胡麻和えに揚げた翡翠色の銀杏と目にも口にも楽しい前菜が並び、二段目には焼いた子持ち鮎に秋鮭の南蛮漬け、紅葉が描かれた陶器の器におさめられた小さな茶碗蒸しは穴子入り、有頭海老は朱の色も鮮やかな塩焼きにしてある。三段目は俵型に握られ海苔を巻いた握り飯がこれでもかとみっちり詰められ、具材は梅、鮭、昆布であるとのこと。
「なんとおはぎもある」
「すげぇ!」
 口に飯粒をいっぱいに押し込んだまま思わず叫んだ骸塚髑髏に一瞬、渋面を作ったものの、結局千年は喉元まで出かかった小言をぐっと腹の底まで押し込んだ。
 何しろ年に一度の日である。天高く馬は肥え、そよぐ風はたわわな実りの季節を予感させ、優雅に空を舞うは無数の秋茜の群れ。そして何よりただ石を積んだだけの質素な無数の墓石とその隙間を埋め尽くすように咲き誇る曼珠沙華の真紅は圧巻の一言に尽きた。
 古くは戦国の世から名もなき死体の打ち捨て場であり、その後近隣の村々が飢饉や流行り病に襲われる度にまるで見捨てるように死人を埋葬してきた形だけの墓地。言わずもがなそこには無名でありながら数えきれぬほどの怨念が絶えず渦を巻いていた。怨嗟の声はどす黒いうねりとなって辺り一帯を飲み込み、見えぬ聞こえぬの鈍感な人間ですら寄せ付けない。けれど、果たしてそれがこの二人にとってなんだというのだろうか。
 その本性を罪人の魂を食らう炎そのものである火車とする千年と、恨みつらみ降り積もった白骨が巨大化したがしゃどくろである髑髏は何を隠そうここで出会った。
 お互いに強烈な死臭と怨讐に引き寄せられてのことだった。もう百年以上も昔のことになるか。
 そのときの千年は今のようにちゃんとした人の形をしていなかった。めらめらと燃え盛る烈火の炎は水銀のような火の粉を絶え間なく撒き散らし、常に姿形を変える流動的な存在である割に黄色く光る二つの目だけが妙に鋭利に尖っていた。一方の髑髏も人の姿をしていなかった。数多の無念ある魂、青白く光る狐火を引き連れ、白茶けた肋の合間には澱んだ闇がまとわりつき、大きな眼窩には虚ろな諦観だけがうずくまっていた。
 お互いに一目惚れだった。
 これに関しては二人とも何一つ認識に相違が出ることはない。そのときすでに重度の骨格愛好者だった千年は夢にまで見た巨大な髑髏に姿を隠すのも忘れて呆然と見入り、一方の髑髏は初めて見た火車なる炎の眩さと美しさに存在しないはずの眼球が焼かれるほどに恋い焦がれた。二人の凹と凸はぴたりとはまり、決して足りぬということも過ぎるということもなかった。おそらくそれがよかったのだろう。二人は何一つ言葉を交わすことなくお互いの気持ちを理解した。これを運命と呼ばずなんと呼ぶのか!一字一句違わず叫んだのも同時なら、それが声なき声であることまで一緒だった。
「美味いなあ。物の怪の身でも、ものが美味いことにこんなに感謝する日が来るとはなあ」
「同感だ」
「お前のおかげだなあ、千年。お前に会えて俺はよかった」
「それは、」
 こちらの台詞だ、と例年通り告げようとして千年は思わず口を閉ざす。その視線の先ではちょうど恋人の頭の上に真っ赤な蜻蛉が着陸するところだった。自分の頭上など見えず、事情がわからない彼が首を傾げても一匹の豪胆な勝ち虫は微動だにしない。
「ふふっ」
「おっ、どうしたよ?」
「いや、何も」
 君が好きだなあと思っただけだ。
 そう言えば不意打ちだったのか、恋人はぼろりとその手から握り飯を取り落とした。
 幾度季節が巡ろうとも変わらぬ連れ合いの初々しい姿に今日ばかりは千年もふわふわと浮ついた笑みを浮かべるばかりだ。


2017.09.18

新しい記事
古い記事

return to page top