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WOE 遠雷の心音

 ぷすぷすと焦げ臭い匂いが鼻の奥で燻っている。雷鳴は遠く曇天の彼方へと去りつつあるが、この雷霆の森にあった落雷は薄い白煙が昇る数を数えるだけで相当数であるということが推測された。
 そして、運悪くそれらのうちの一条が空を舞うアレクセイに直撃したのだ。
 瞬時に防御結界を展開したものの、十全には至らなかった。衝撃は脳天から指の先に至るまで筋肉、血管、骨とあらゆる経路を辿って蹂躙し、背の翼はたちまち浮遊力を無くしたかと思えば最早なす術なく落下するしかなかった。ひょっとしたら吸血鬼の特性をもって、蝙蝠の姿になっていればまだダメージは少なかったかもしれない。だが、魔女の使い魔であり彼女の力を授かった強力な魔物であるアレクセイとて、天の力に逆らうことはできなかった。
 それは一瞬でありとあらゆる機能を破壊した。魔力、身体、そして意識も。
 気が付けばアレクセイは焼け焦げたボロボロのスーツを身にまとったまま、森の中で仰向けにひっくり返っていた。背の高い針葉樹の枝葉がクッションの代わりになったのだろう。身体の下には折れた常緑が散乱し、相当な高さからにも関わらず落下によるダメージは思ったより少なそうだった。
 無論、それはアレクセイが吸血鬼であればこそだ。普通の人間ならば雷の直撃も上空からの自由落下も到底耐え切れるものではあるまい。
 その点、魔性の存在は丈夫で便利だ。使い勝手がいいとも言えるな、と重傷にも関わらず呑気に視線だけを巡らせたアレクセイがふと気が付いたのはそのときだった。
 おそらく蝙蝠を射抜いた雷はそれだけではエネルギーを消費しきれず、そのまま地面に撃ち込まれたのだろう。倒木の傍、茶色く焼けた苔の合間からにょきにょきと顔を覗かせる青白く光るそれは正しく。
「雷電、茸…」
 ここ雷霆の森で落雷があった場所にだけ生えるという幻の菌糸類。その姿は一点の曇りもない純白に、まるで雷そのものをまとうかのように青白い光を仄かに放つ。しかし、その光もわずかな時間だけの儚い灯火だ。落雷とともに生まれた雷電茸は驚くべき早さで成長を遂げ、発生からものの数分で枯れ果てる。胞子を飛ばし切るまで約八十秒。それまでに地面から引き抜けば、雷の力は途切れ、その後一昼夜程度であれば美味しく食べられる。
 そう、雷電茸は美味だ。それはもう驚くほどに美味い。フリット、グリル、アヒージョ。茸を主役にした料理なら何にしてもいい。肉厚の身は旨味をたっぷり閉じ込め、弾力のある歯応えは何ものにも変えがたい。
 何を隠そうアレクセイは前年、自らの主人とともにこの森へと茸狩りに赴き、山ほどの収穫を得ていた。とはいえ、そのときは姿を蝙蝠へと変え、青空を切り抜いたかのような真っ青なウィッチハットの下でぬくぬくと主人の手際を見学していたに過ぎなかったのだが。
 アレクセイの主、魔女セラフィータは恐るべき雷電茸ハンターだった。
 重力を切り離し、中空での自在な移動を可能にする飛行魔術を得意とする彼女は箒の柄にヒールを乗せて高速移動し、荒波のように押し寄せる雷鳴を巧みに避け、落雷と見るや否や急加速してほぼ落下する勢いで茸の元へと駆け付けると手早く獲物を収穫した。
 その手際たるやあまりの正確さと速度に見惚れるほどで、アレクセイはほとんど呼吸なんてしていなかったんじゃないかと思う。帽子を叩く雨粒はわずかな振動となって皮膜の翼に伝わり、彼女の髪は絶え間なく森の匂いを振り撒き、目を焼く雷光はチカチカと赤眼の中で瞬いた。
 立場も忘れてただ純粋に心が踊った。
 魔女はこの世界で最高峰を誇る魔法使いだ。自然を従え、理を捻じ曲げ、あらぬる事象を操作する。その姿は他ならぬ強者のそれだ。強い者は美しい。理屈ではなく、理性ではなく、圧倒的な感情論は卑屈な蝙蝠の心臓をガンガンと叩く。きっとこれは罰だろう。不遜にもそんな存在の真似事をしてみようと思ってしまったのがそもそもの罪の始まり。
「何やってんだお前」
 声はすぐ上から聞こえた。目を開けば視界いっぱいに広がる青。それが彼女の帽子であり衣装であり髪であり瞳であるとすぐに気が付いた。だって、その名前は。
「マ、」
 スター、という声は喉の奥で潰えた。声帯が焼かれているのかもしれない。ぱくぱくと口を動かすことしかできない従者に何を思ったのだろう。魔女は肩を竦めるとわずかなため息をついた。それを呆れとも叱責とも取れず、アレクセイが困惑していると彼女の乱暴な声色がわしわしと耳朶を打つ。
「こんな天気の日に雷霆の森に入る馬鹿がどこにいるよ…」
 ですが、マスター。
「大方、雷電茸でも採りに来たんだろうが…ありゃ、俺みたいな馬鹿野郎でもねえヤツが命懸けで採るもんじゃねえよ」
 でも、私はマスターに。
「美味い茸なら他に幾らでもあるだろうが。わかってんのか、アレクセイ」
 そこでようやくアレクセイは彼女が悲しんでいることに気が付いた。
 怒りではない。彼女は彼女の使い魔が愚かにも無用にも傷付いたことに心の底から悲しんでいた。そこでようやくアレクセイも途方もない罪悪感に襲われる。なんて馬鹿なことをしたんだろう。なんて無意味なことをしたんだろう。あんなに再三言われていたのに。主人を心配させるような使い魔は使い魔失格、だと。
「俺の可愛い、愚かな吸血鬼よ。マイマスターに何か言うことは?」
「あ…も、うしわけ、…ありませ、ん…」
「よろしい。今回は連れ帰ってやるけどな。次はねえぞ」
「…は、い…もうしわけ……」
「ばーか。冗談だよ」
 そう言うと彼女はアレクセイの腕を引いて上半身を起こし、そのまま半身に腕を差し込んだかと思うと勢いよく背負いあげた。ヒールを履いた彼女の背丈はアレクセイと同じくらいか、下手したらそれよりも高い。加えて魔法で筋力や重量をいじっているのか、それなりに重たいはずの人間の肉体を背負ってもびくともしない。
 恐れ多い格好に慌てて退こうとしても、今やアレクセイの身体は一つも言うことをきかなかった。指先さえ動かず、まるで死体のような体たらくであるのに、なぜか触れた箇所からはしっかりとした体温が伝わった。華奢な肩、好ましい凹凸を描いた肩甲骨、背骨の並び、鼻先を掠める彼女の体臭、温度、振動、遠雷を胸の高鳴りと勘違いするのは他でもない。
「アーク、寝るなよ」
 寝ませんよ勿体無いですから。そんな不埒な言葉を口に出来ず、このときばかりは焼かれた喉に感謝した。


2017.09.03

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