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FGO 恋するアップフェルシュトゥルーデル

 ランチタイムを過ぎた食堂はがらんと静まり返っていた。
 きつく締められたはずの蛇口からは水滴が一つぽたりと落ち、銀色のシンクへ滲むように消えていく。火の消えたコンロの上の寸胴鍋ではすでに夕食の下ごしらえが終わっていて、洗いざらしの布巾によって磨かれた食器類は規則正しく棚の中に納められていた。
 珍しくスタッフの誰もが時間通りに食事を摂ったのだろう。常ならば一つ二つはある取り置きの皿も今日に限っていえば、どこにも見つけることはできなかった。
 よって藤間朱花は誰に気兼ねすることもなく、六人掛けの長机に古今東西の料理の本を思う存分広げることができていた。
 つや消しのプラスチックのようなメラミン製の天板には、狐色のパイ生地から林檎のフィリングがたっぷりこぼれるアップルパイが堂々と表紙を飾ったその名も『THE APPLEPIE 100』、ヨーロッパの伝統的な郷土菓子を紹介する『グランマからママン、そして私へ』、チョコレートを使った世界のスイーツが列挙された『カカオの誘惑』、布張りの製本がひときわ目を惹く本格かつ実践的な製菓の教本『ペストリーシェフへの道標』、イギリスの湖水地方にある有名なティーハウスのメニューを伝授する『ブレックファーストをいつまでも』などなどが所狭しと並ぶ。どの本も図書館に置かれていたものなのか、油染みや粉にまみれることもなく、すこぶる良好な状態だった。しかし、午後のティータイムを愛する幾人もが熱心にページをめくったのだろう。程よく読み込まれた紙の独特の質感は朱花の指先に温かいものを残す。少なからずこの本が手に取られたとき、読者は甘いものを求めていたのだ。その顔も名もわからない誰かと、知らぬ間に繋がっているような気がして、つい嬉しくなってしまう。
 「彼」は一体誰のために何を作ろうとしていたのだろう。自分のため?家族のため?それとも大切な誰かのために?ひょっとしてひょっとしたら、今の朱花と同じように「何を作っていいのかわからなくて」、必死に頭を悩ませてうんうん唸っていたのではないだろうか?
 そんな都合のいい連帯感を勝手に抱きながら、朱花はゆるゆるとため息をつく。そう、藤間朱花は悩んでいた。とりわけ悩み事からは程遠く、今日の夕飯のメニューだってビーフシチュー!と高らかに即決し、休憩のときにいただくお茶はアールグレイ一択であるし、お茶菓子はカレンツとナッツをたっぷり混ぜ込んだドロップクッキーと決めているあの朱花がだ。
「…ただのおやつなら迷わないんだけど…」
 誰もいないのをいいことに大きめの独り言を呟いて机に突っ伏す。そう、朱花が悩んでいるのは他でもないお茶会のメニューのことだった。
 この慣例がいつから始まったのか、朱花は最早正確に記憶していない。ただ、はじめは朱花とマシュと時折ドクター・ロマンやダヴィンチちゃんが加わるといった、ささやかな午後のティータイムだったと思う。それがいつの間にかサーヴァントやスタッフたちの目に留まり耳に入り、いつの間にかそれなりの人数が集まる催しになっていた。無論、常にフルメンバーが集まるわけではない。できるときにできる人で。それがこのお茶会の暗黙のルールで、逆に言えばそれ以上の決まりも何もなかった。場所も食堂であったり、中庭であったり、娯楽室であったり。お茶会で供されるメニューも様々で、ただし、そのほとんどは朱花が一人で考えていた。
 お茶会の主催はあくまで自分であるという自認が朱花にはあった。お茶会にやって来た人たちをもてなしたい。それがサーヴァントであれ、スタッフであれ、心持ちに変わりはなかった。そして、その純粋な願いゆえに、今こうして朱花は頭を抱える羽目になっている。
 なぜって次のお茶会のゲストは何を隠そう「王妃様」だからだ。
 それもヨーロッパで隆盛を誇ったハプスブルク家の一族にして「女帝」マリア・テレジアの末娘であり、十四歳でフランスに嫁いだプリンセスの中のプリンセス、マリー・アントワネット。
 英霊としての彼女はフランス国中に愛された全盛期の姿で現界した。ゆえに明朗快活、何よりも民を愛し、国を愛し、愛らしく、美しく、朱花のこともマスターとしてひたむきに慕ってくれている。だから、そんな彼女がお茶会に参加したいと言ってきたとき、朱花は一も二もなく了承した。きらきらと常に光り輝くような彼女と一緒にテーブルを囲めることは純粋に嬉しかったし、何より楽しみだった。温かいお茶を飲み、美味しいお菓子を食べ、麗らかな午後の一時を過ごす。それは想像するだに素敵な時間に違いなかった。
 だからこそお茶会のメニューにも妥協はしたくない。どうすればマリーは喜んでくれるだろうか。最初はその一心であったはずなのに気が付けば朱花は思索の闇路にすっかり迷い込んでいた。
 だって相手は王妃様なのだ。
 おそらくは人類の歴史の中において最も華やかな生活を送っていただろう彼女。当時高価だったはずの砂糖やバターをもふんだんに使った菓子が彼女のためだけに用意され、テーブルの上はさながら宝石箱のように飾られたに違いない。無論、このカルデアでそんな豪勢なティータイムを再現することはとてもできない。それは朱花にも充分わかってはいるが、では果たしてどんなお茶会なら彼女に喜んでもらえるというのだろう。考えはぐるぐると堂々巡りを続け、出口は一向に見えてこなかった。
「マスター」
「ひゃあ!?」
 突如背後から聞こえた可憐な声に素っ頓狂な声をあげて振り返れば、そこには今正に意中の人であったマリー・アントワネットがいて、朱花は再び叫びそうになった口を慌てて塞ぐ。
 マリーは予想以上の反応に面食らったように瞬きを繰り返すと、ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったの、と丁寧に言い繕った。もちろんアサシンクラスでもない彼女が完全に気配を遮断できるわけもなく、単に朱花がぼーっとしていただけである。こちらこそと非礼を詫びれば、安心したような笑みがふわりとこぼれた。
「お悩み事かしら?マスター。随分と唸ってらしたようだけれど」
「え、えーと…」
「あら。これってガトーかしら?まあこんなにたくさん」
 気遣わしげに問われて、なんと言い訳しようか朱花が考えている間にマリーの興味は花から花へと移り飛ぶ蝶のように広げられた料理の本へと移る。赤いグローブに包まれた指先がぱらぱらとページをめくる度にまあ綺麗とか可愛らしいとか素直な感嘆のため息が漏れ聞こえた。
 オーストリアの姫君からフランスの王妃へ。自ら料理をしたことはおろか、料理本さえ珍しいのだろう。
 それはそうだろうなあと一人納得していた朱花にさっと閃きが走る。悩んでいたって答えは出そうもない。これはもう本人に直接尋ねてしまうのが早いのではなかろうか。サプライズは失われてしまうが、食べ物とは何より美味しいこと、好みに合致していることが重要だ。断言しよう。間違いない。
「マリー、何か食べたいお菓子ってある?」
「まあ、それって今度のお茶会のことかしら?」
 聡い彼女は瞬時に察し、気侭に流し読みしていた目を真剣なものへと改める。銀色の髪はふわりふわりと本の上を踊り、薔薇園の噴水に似た微かな甘い香りが鼻先をくすぐった。長い睫毛、すっと通った鼻梁、弧を描く唇。あまりにも華やか過ぎる容姿をもった少女はその豪奢さを他国からも羨ましがられたというヴェルサイユの宮殿においても一つも引けを取るところはなかったのだろう。ゆえに彼女は愛され、ゆえに、恨まれた。やって来た革命に、自由と平等の狂乱に飲み込まれ、踏み躙られ、そして。
「マスター!これよ!わたし、これが食べたいわ」
 彼女は一冊の本を見開いてこちらへと掲げてみせる。さぞやきらびやかなお菓子が彩ったページだろうと覚悟して目を向けた朱花は予想を裏切られて、思わずえっと小さく声をあげてしまった。マリーが指を指していたのは薄い生地で林檎、レーズン、パン粉やシナモンシュガーを混ぜ合わせたフィリングをくるくると巻き込み、オーブンで焼き上げる素朴なお菓子だった。要するにアップルパイのバリエーションだが、オーストリアやドイツなどで昔から食べられている、言わば家庭のおやつである。
 フランス王妃である彼女がなぜそれを?という疑問は問うまでもなく瞬く間に氷解した。そう、彼女は嫁ぎ先のフランスではなく、愛する母や兄弟姉妹たちと伸びやかに過ごした生家、オーストリアの伝統的な味を所望したのだ。
「これとっても美味しいの!みんなと一緒に食べることができたら本当に素敵だわ!」
「………」
「…マスター?ひょっとして、わたし、無茶なお願いをしてしまったかしら…?」
 お料理のことは詳しくなくて、と消沈する少女の勘違いを慌てて打ち消す。林檎は食料庫にストックがたくさんあるし、その他の材料もすべて揃う。手順も問題ないだろう。何度かレシピを読み込んで念のため本を開きながら作れば、間違いなく美味しく出来上がるはずだ。
 そんなことを身振り手振りを踏まえて伝えれば、みるみるうちに彼女の表情が輝いていく。まるで花のほころぶが如く。これほどその形容に相応しい人は見たことがなかった。眩しげに目を細め、朱花は言う。ただこのひとときの輝きのために。
「楽しみにしててね、マリー」
「ええ、ええ!わたし、とっても楽しみよ!ありがとう、マスター!」
 きゅっと握られた両手から伝わる体温、花の香り。最期には断頭台の露と消えた彼女であるけれど、いや、だからこそ。英霊となった今、マリー・アントワネットは微笑み続けるのだろう。愛しい人、愛しい国、愛しい世界。今もまだ続く今日と、輝かしい明日のために。


2017.06.04

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