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FGO 陽だまりのある幸福

 人理の崩壊と人類史の焼却という未曾有の災害における最後の砦、人理継続保障機関カルデアには通常考えられない数の英霊が一人のマスターのもとに集っている。
 聖杯戦争における不文律もこの非常事態に一時休止状態だ。英霊たちは真名を明かし、本来マスターから受け取るはずの魔力をカルデアから補い、他ならぬこの「場所」を一時的な座として受肉する。ゆえに英霊にはカルデア内でのある程度の自由と日常が保障されていた。自室を与えられ、食堂で温かい食事を摂ることを推奨され、図書室で書物をめくることも屋内庭園で昼寝することも許されている。マスターが長期のレイシフトをしている最中はいつ呼び出しがかかるともわからないので施設全体がひっそりとすることもあるが、そうでないときは数多の英霊たちによる賑やかな日常の光景が常に繰り広げられていた。
 何しろ人類最期のマスターとも称される彼女、シャルル=アンリ・サンソンのマスターでもある少女は英霊の主としての力を着々と伸ばし、カルデアの人口密度は高まるばかりだ。
 三つの特異点を解決し、人理を修復すべく奔走する彼女の呼び声に応えたいと、応じたいと考える古今東西の英霊がそれだけ多いということなのだろう。かつてはいつか飽和状態になってしまうのではないかと勝手な心配もしていたが、どうやら雪と氷に閉ざされた高山に構えた魔術師の砦はまだまだ空間の余裕を持っているし、霊基維持のためのエネルギーもどうにか遣り繰り出来ているらしい。一英霊に過ぎないサンソンは白衣を着たカルデアの魔術師とスタッフたちの話をたまたま立ち聞きしたに過ぎないけれど、その雰囲気から逼迫した様子は伺えず、人知れず胸を撫で下ろしていた。
 そんな変化めまぐるしいカルデアにおいてサンソンは比較的初期に呼ばれた英霊だ。特筆すべきことがなければ実体化し、ときに新参の英霊の案内をしたり、ときに万年人手不足の医療セクションの手伝いをしたりする。そんなことをしているうちにカルデアの隅々まで歩き回ってしまい、いつの間にか人間のスタッフの知り合いも増え、気軽に頼まれごとをすることも増えた。かくいう今も「メディカルチェックの時間に現れないんだよぉ」と心底弱り切った顔で肩を落とす医師の姿を哀れに思い、人探しの真っ最中だ。
 その探し人は他でもない。カルデア唯一の、否、間違いなく今世界中でたった一人のマスター、藤間朱花。
 当然サンソンのマスターでもある彼女は基本的に品行方正で無断で約束を破るような人間ではないのだけれど、たまにこうしてふらりと姿を消してしまうことがあった。緊急事態ではない、熾烈な戦いと戦いの合間にある緩衝地帯のような隙間。そこにとぷりと身を落とすように彼女はなりをひそめてしまう。そして、そんなときの彼女の「避難場所」に幸か不幸かサンソンは心当たりがあるのだ。
 魔術師の名家がその威信にかけて集めた数えきれないほどの蔵書。それが重厚で頑丈な木材で作られた本棚に整然と並んだ様が圧巻であるがゆえ、書物を愛する英霊に限らず、常に誰かが出入りするのはカルデアが誇る知識の蔵、大図書館。
 カルデアの一般的な内装と異なり、木製の床やカウンター、格子の嵌ったフェイクの飾り窓や本傷めないための柔らかな照明など、単に雰囲気が好きだからと訪れる者もいれば、魔術師の書物を興味本位で紐解く者、勉学に励む者、教育の場としてここを選ぶ者もいる。だが、そのいずれとも一線を画し、言わばここを「住処」としている者もまたいることをサンソンは知っていた。
 他の棟との接続通路がある所謂一階から螺旋階段を二回回ったその先。少々マニアックな歴史書や真偽不明の魔術書の類が並ぶ一角はどこか黴臭く、当然訪れる人もひどく少ない。おそらくそれを見越してだろう。本棚の合間にぼんやりと浮かぶ洋燈の明かり。美しい彫刻が施された重そうな机は元々図書室の備品だったはずだが、今や書き損じの原稿とインクと羽ペンが縦横無尽に埋め尽くし、その優雅な意匠は見る影もない。ベルベット張りの大きな椅子にはクッションがうず高く積まれ、その背には引っかかっているのはなぜか白衣。そして何を隠そう中央に鎮座するその人こそがこの図書館の「巣」の主、ハンス・クリスチャン・アンデルセン。
「作家殿」
 サンソンの礼を失さぬ物言いにペンの手を止めて彼が振り返る。童話作家として名を馳せた彼はなぜか鮮やかな青色の髪をした少年姿の英霊として現界した。その理由をサンソンは知らない。きっと知らなくていいことなのだろう。ただ妙にガラス玉じみた眼鏡の奥の瞳を見開いた少年は大袈裟に肩を竦め、これはこれはお医者先生といつも通りの慇懃無礼にも取れる低音の声を響かせるだけだ。
「こんな黴臭い作家の巣へようこそ」
「…マスターを、探しに来ました。今日はメディカルチェックの日だったようです」
「ほう。珍しいこともあるものだ。我らがマスターとあろう者が約束を忘れて爆睡だと?」
 彼の視線がちらりと泳ぐ。その軌跡を追うまでもなく、机の周囲にうず高く積まれた本の山脈、その一つを枕にするように抱えて寝こけている一人の少女。その姿は最初からずっと目に入っていた。暖かく燃え盛る暖炉の火のような赤毛、白い肌に華奢な肩。すらりと健康的に伸びた肢体は健康そのものだが、今はぐったりと紙とインクの海に沈んでいるように見えてしまっていた。
「よく寝ている。健康診断など明日にしてやれ」
「ええ。ドクターにはそう伝えましょう」
「ついでにソレも持って帰ってくれ。執筆の邪魔だ」
 健やかな寝息のみをたて、昏々と眠る彼女はとても彼の邪魔になっているとは思えなかったけれど、指摘するのも野暮とサンソンは黙って頷いた。
 数歩近寄って彼女の顔を覗き込めばしっかりと閉じられた瞼の下には薄っすらと隈が浮いている。連戦に次ぐ連戦、それも少女が当たり前のように生きていた当たり前の世界であれば考えられないほど殺伐とした命のやり取りが伴っている。疲労は知らず蓄積し、彼女の健全な精神を蝕んでいる。それを医師として憂慮する自分と彼女のサーヴァントとして冷静に分析する自分をシャルル=アンリ・サンソンは自覚していた。しかし、自覚しているからといって次に起こすアクションがなんら変わるわけでもない。知ろうとも知らずとも、自分のなすべきことは変わらない。彼女の意志が歪みなく曇りないものである限り、サンソンは「処刑人」として彼女の刃であるだけだ。
 コートを脱いでかけてやれば、少女の身体は黒い布地にすっぽりと覆われてしまった。脇の下と膝裏に腕を差し込んで持ち上げると思っていた以上に軽い。決して羽のようとは言わないが、このか細い身体に世界の命運がかかっているという事実に今更ながら鬱屈たる感情が沸き起こる。それは憐憫でも失望でもない。ただ、最早人一人の願いや思いなどなんの希望にもならない現実への大いなる不条理が澱んでいるだけだ。
「それでは失礼いたします、作家殿」
「ああ。次に来るときはブランケットを持参しろと伝えておいてくれ」
 かくして英霊は少女に対してどうしても甘くなりがちである。
 曖昧に答えを返し、少女を抱えたまま螺旋階段を慎重に降りて、一路居住棟へと向かう。図書館の靴音を吸い取る床から金属めいた不思議な質感の廊下と眩いばかりの蛍光灯の下へと出ても、少女は眠り続けていた。道中、何名かのスタッフとすれ違う。彼らは黒い物体を抱えた処刑人の姿に一瞬ぎょっとはするものの、腕の中のものが寝こけている少女だと気付くと皆微笑ましそうに相好を崩して道を空けた。
 結局、他のサーヴァントと鉢合わせすることもなく、マスターを抱えたサンソンは彼女の自室まで辿り着いた。内側からしか施錠の機能のない部屋へと難なく滑り込む。与えられた個室はサーヴァントもマスターもまったく同タイプのものだ。清潔感だけはある室内には整えられたベッドに本が数冊置かれたサイドテーブル。彼女の常日頃の言動に反して、思いの外殺風景な景色にサンソンは少し薄ら寒いものを感じていた。
 糊の効いたシーツの上へと彼女を下ろす。コートを回収すれば、ようやくそこでわずかに意識が覚醒したのか、彼女が軽く身じろぎをした。
「マスター、休まれるならちゃんと身支度してください。体が休まりませんよ」
 駄目元で声をかけるとうううと意味をなさない呻き声が返ってくる。どうやら熟睡状態からは復旧したらしい少女はごそごそとシーツを引き寄せ、再度眠りの縁に落ちようとする。それを引き留めようとマスター、と声をあげれば今度はどこか虚ろながらも明瞭な言葉が彼女から発せられた。
「わかってるよぉ、兄さん…あと五分…」
 それは、終ぞ聞いたことのないような甘ったれた声だった。年頃の少女がその年頃に相応しく身内に甘える声だった。
 だから、サンソンが一瞬言葉を失ったのも道理で、更にその一瞬ののち、完全に眠気の吹っ飛んだらしい彼女が間違えた!!と大声をあげて飛び起きるのもまた必然だった。黄金色の瞳を白黒させた少女は目の前の人物が兄ではなく、紛うことなき己のサーヴァントであることを視認し、自覚し、羞恥のあまり頬を染め、血の気の失せた表情で絶望した。そして、実に多彩な百面相を繰り広げた挙句、違うの!とぶんぶん頭を振り回しながら叫ぶ。
「間違えた!違う!サンソン違うんだよあのね本当に兄さんと間違えたわけじゃなくて……なんで笑ってるの!?」
 常に穏やかで心優しく、数多のサーヴァントを引き連れ、歴史の特異点を正し、人類悪と日夜戦いを繰り広げる救世主。そのイメージ像は今目の前で必死に弁明する少女には決して当てはまらない。そのギャップがサンソンとしては可笑しくてしょうがないわけだが、当の本人は失態を笑われていると思ったのだろう。うううと歯軋りするように呻くと、観念したように目を閉じ、皆には内緒にしてください、とか細い声で呟いた。
「ええ、ええ、お約束しましょう」
「…本当?」
「不肖シャルル=アンリ・サンソン、マスターに嘘はつきませんとも」
 今までもこれからも。そう付け加えれば彼女はようやく安堵したように小さく笑い、頷いた。
 それはまるで春の野に咲く花のように。
 この華奢な双肩に何よりも重たい人類史の未来を背負っているとは誰も想像だにしないだろう。ただカルデアだけがそれを知る。ただ彼女のサーヴァントだけがそれを知る。ただ、人類史に名を刻んだ英霊だけがそれを知る。それがこの戦いの真理と知っていてもなお、サンソンは願わずにはいられない。失われた未来が戻るその暁にはどうかこの少女にも当たり前の幸福があらんことを。


2017.05.14

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