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カリギュラ 一寸の人の子に五分も魂あればよい

※花巻壱一の現実にまつわるお話※


 吹く風はどこか涼やかだが、日毎差し込む光が険しくなってきた皐月も下旬の頃。
 広大な敷地内にどっしりと構えられた古式ゆかしい屋敷の縁側に一人の女がいた。一つに括った黒髪に切れ長の瞳、白皙の肌は日差しすら反するように透き通り、長い睫毛の陰影は彼女の表情に艶然とした色香を落としていた。憂いを含むというよりかはどこかぼんやりした表情からはなんの感情も読み取れない。ただ紺色の甚平に緋色の羽織を肩に掛けたはすっぱな恰好は彼女のその整った顔立ちに似合わず、どこかアンバランスな雰囲気を生み出していた。
 手にした竹の釣り竿から垂れ下がる銀色の糸がふらふらと風で揺れる。その先は丁寧に掃き清められた庭の土の中にまるで魔法のように消えていたが、その不可思議を指摘する者はこの場にはいなかった。女は時折指先で竿の具合を確かめながらも本気で釣りをしているような気配はない。単に思考するための道具に過ぎないのだろうか。時折、吹く風が新緑の梢をささやかに揺らす以外は遠い小鳥の囀りしかしない。実に穏やかな昼下がりに思案する女は一人だ。
 どれほどの時間そうしていたのか。ふと、ドタドタと縁側の板張りを踏みしめる音が聞こえてきて女は顔を上げた。乱暴な足音には心当たりがあるのだ。
「大将!また庭で釣りなんかして!」
「よお、マリアンヌ」
 女は想像以上に砕けた物言いでへらりと片手を上げた。その視線の先では栗色の髪を華麗に巻いた長身の女がはあと肩でため息をつくところだった。大将と呼ばれた女とは違い、計算し尽くされた化粧にフリルシャツにタイトスカート、仄かに香る花の香り。彼女の名は神山マリアンヌ。無論本名ではないが、実際の性別を男性としながら、身も心も女性である彼女にとってはより相応しい名だった。
「また螻蛄が釣れたらどうするんですか…ただでさえお屋敷中にいるのに」
「いいだろ?」
「いいわけありません!この間も戸棚の中に一匹ひそんでいて吃驚した女中がひっくり返っちゃったんですから!」
「あっははは!それ、すっげー見たかった!」
「大将!」
 眉尻を吊り上げ怒鳴られてさすがの女も肩を竦める。これ以上彼女のご機嫌を損ねてもいいことなど何もない。おとなしく釣り針を引き揚げようとしたところで、再びかしましく床を鳴らす足音が響いた。今度はあまり聞き慣れない足並みだ。おやと思うも束の間、マリアンヌの後を追うように息を切らして縁側にやって来たのはスーツを着た壮年の男だった。
「た、大変です!大将!!」
「なんですか、騒々しい。大将の御前ですよ」
「まあまあ、いいって。どうしたよ?お前がそんなに慌ててるなんざ珍しいな」
 精密なピラミッドを描く階級の中で上から三番目の位置に属する男は訝しげなマリアンヌの言葉にぴっと全身を緊張させながらも、唾を飲み込みどうにか己を落ち着けようとしているようだった。二度三度深い呼吸を繰り返し、乱れた髪もそのままに深々とこうべを垂れる。
「御大将に申し上げます。花巻家で、に、人間蠱毒が見つかりました…!」
 瞬間、息を飲んだのは誰だったのか。沈黙が辺り一帯を支配する。頬を撫でた風がどこか生臭く感じたのは完全に心情の問題だろう。
 人間蠱毒。
 それは蠱毒を生業とする神山家の業にして秘中の技。この世に呪いと怨念しか生み出さぬことから近世以降無闇に行うことを禁じられてきた「壺中の儀」によって生み出される異形。それは正しく蠱毒の根源だった。小さな空間に数多の小動物を閉じ込め、互いに喰らわせて最後まで生き残ったものを呪詛とするまじないを他ならぬ人間で行うのだ。無論、常に望んだ結果となるわけではない。閉じ込められた人間がすべて死ぬ可能性の方が圧倒的に高く、多大な犠牲を払っても得られる益は不確定だ。それでも、成功の際には「術者」は余りある恩恵を得ることになる。人にして人にあらず、蟲にして蟲にあらず。なんでも食らう黒き悪食の蟲を従えた最高にして最悪の「生きる呪詛」、それが人間蠱毒。
「花巻っつーと分家か」
 いち早く衝撃から立ち直ったのは女だった。釣り糸を竿に巻き付けながら誰ともなく呟いた彼女にマリアンヌが小さく答える。
「はい。最近は本家とも疎遠ですが、七代前には婚姻の記録もあります」
「七代前ねえ…」
 それもう他人だよなという女の指摘に側近は困ったように表情を歪めた。そんなこと言われてもとその目が十二分に語っていたが、わかっている。ただの八つ当たりだ。
「幹部連中を召集してくれ。さすがにいきなり戦争にはならんだろうが、沙汰は言い渡さなくてはいかん」
「承知しました」
「大将、我々は如何いたしましょう」
「お前たちは別に動かす。準備しておけ、マリアンヌ」
 女の言葉に二人の部下は深々と頭を下げて、素早く目の前から姿を消した。女は厄介なことになったなと言わんばかりにがしがしと髪を掻くと、なあと背後に呼びかける。
 そこにはいつの間に現れたのか、やはり一人の女が立っていた。短く切り揃えた黒髪に切れ長の眼差しは女とよく似ていたが、能面を貼り付けたような鉄壁の無表情は二人の間に埋めきれない深い溝を渡しているようだった。
 全身を黒い衣装で包んだ彼女が口を開く。緋願(ひがん)、とそれは羽織の女の名だ。神山緋願。決して歴史の表舞台には上がらず、歴史の闇に身をひそめ、呪いをまとって生き長らえてきた神山一族の現当主の真実の名。それをいとも容易く口にして彼女は鉄を打つ声色で話す。
「どうするつもりだ」
「どうもこうも。まずは状況を整理しないとな」
「それはそうだが。相手は蠱毒だ。事と次第によっては」
 私が斬る、とそう彼女は腰の得物をするりと撫でると現れたときと同様音もなく姿を消した。緋願はやれやれと肩を竦めはしたけれど、彼女を慌てて追うような真似はしなかった。そんなことをしても無駄なことは知っていたし、口で言うほど彼女が浅慮でないことも理解していた。ただ、手にした釣り竿を手持ち無沙汰にぶんと振ると、どこかのんびりとした様子でもう一度厄介なことになったなあと呟いた。


2016/06/24

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