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カリギュラ ハナミズキが芽吹くまで

「嫌われてるわけじゃないと思うんだよね」
 その唐突な呟きに案の定目の前にいた小さなバーチャドールはわかりやすくなんのコト?という顔をしてみせた。
 駅前のコーヒーチェーン店のテラス席で、舌を噛みそうな商品名が付けられたシェイクを啜るのは歌姫μと対をなすもう一人のバーチャドール、アリア。ポニーテールに結いあげた鮮やかな赤毛の髪は元気よく揺れ、褐色の大きな瞳は絶え間なく豊かな感情を映し出す。くるくると忙しなく変わる表情と陽気な性格は帰宅部に必要不可欠なムードメーカーと言っても過言ではなく、 μの力が強大すぎるゆえに妖精のようなサイズでしかその身を保てなくなってはいるが、μと同じく自我を得た情報の集合体である彼女は帰宅部を現実に帰すために協力してくれる心強い味方だった。
 そんな彼女は帰宅部の部長であり、彼女が最初にカタルシスエフェクトと呼ばれる心の力を引き出した花巻壱一のポケットを定位置としている。とはいえ、活動的な彼女がじっと息をひそめておとなしくしているわけもなく、自由気ままな妖精のようにふらりといなくなってしまったかと思えば、いつの間にか戻ってきて当然のように顔を覗かせていたりもする。特に帰宅部の活動がない放課後はあっという間に飛び出して行ってしまうことも多いのだけれど、今日は珍しく甘くて冷たいものの気分!と高らかに叫んで壱一を引っ張ってここまでやって来たのだ。
 彼女が満足そうに味わうシェイクの代金は当然壱一が払い、なんとなく自分のために買ってしまったアイスコーヒーは半分ほど溶けた氷が浮かんだまま決まり悪そうに鎮座していた。
「いや、維弦のことなんだけど」
「い、維弦ー!?誰のことかと思ったら維弦!?部長が維弦に嫌われる!?ないない、絶対ない!」
 OK!?と指までさされ、思わずその勢いに負けて頷きかけたが、なんとか堪えて壱一はでもと言い募る。
 アリアの断言はもちろん嬉しい言葉ではあるのだけれど、できればこちらの言い分も聞いて欲しい。そう丁寧に頼むと小さな歌姫は渋々といった感じで腕を組んだ。じゅうと雫の浮いたストローから適度に溶けたシェイクを吸い込むと鷹揚に頷いてみせる。
「部長が何やら悩んじゃってるのはわかったけど、なんでよりにもよって維弦なのさ。他にもわかりづらーい子、たくさんいるでしょ」
「そうなんだけど」
「維弦は顔に出にくいけど、どちらかってーとわかりやすい方じゃない?」
「あ、やっぱり?」
「まあ、部長はあの子の好意を一身に受けてる側だからなかなか実感できないかもしれないけどさ」
「…好意、かあ…」
 一つ噛み締めるように呟いて黙ってしまった壱一にアリアもいよいよ何事かと思ったのか、神妙に眉をひそめる。彼女なりの心配の仕方なのだろう。ふわりと中空に浮き上がったかと思えば、壱一の目と鼻の先で囁くように尋ねてくる。
「維弦となんかあったの?」
「そういうわけじゃなくて」
「なら、どうしちゃったのよ。部長らしくない物言いしちゃって」
 周囲に行き交う人々のざわめきが絶えることはないが、どう見てもこの世の生き物ではないアリアにも、それに向かって話している壱一にも不審な目を向ける人間は一人もいない。街路樹として均等に植えつけられたハナミズキが可憐な花を空に向かって幾つも咲かせている。それを揺らす風も、花に集まる蜜蜂も、そして花自体も、すべてが紛い物。仮想現実、理想の世界、すべての人の望みで構成される世界メビウス。果たしてこの世界で起きた幾つのことが現実で、幾つのことが虚構なのだろう。美味しい食事は、楽しい会話は、嬉しい気持ちは、悲しい出来事は、怒りの感情は、どこまでが本当で、どこからが嘘なのか。壱一にはわからない。わからないことが多すぎて、わかることは少なすぎる。それがよいことなのか、悪いことなのか壱一はずっと考えているが結論が出た試しはなかった。夢を見るためだけに作られたこの世界で、浮ついた白昼の夢に似たこの世界で、善悪や正誤に一体なんの意味があるというのか。
「なんていうか…その、俺の方が変に意識しちゃってるというか…」
「……ん?」
「俺、現実ではあんまり仲のいい友達とかいたことなくて。距離感とかよくわかんないし、でも別に嫌ってわけではないんだけど」
「んんん?」
「アリアはどう思…」
 思わず言葉を途切れさせたのは何もその先の台詞を失ったわけではない。いや、ある意味では失ったのだけれど、それは目の前で金色に発光しながら浮遊する妖精の顔が大層にやついていたからで、断じて壱一の都合ではない。彼女はほほう?と笑みを崩さぬまましたり顔で言う。そして、部長と呼びかけたかと思えば、わざわざいや壱一くん!とやけに歯切れよく言い直した。
「春ね!」
「え?」
 確かにメビウスでは桜はずっと散ることなく咲いているし、暑くもなければ寒くもないちょうどよい陽気が毎日毎日続いているけども。その事実が今この質問とどういう関係があるのだろうか。疑問符をたくさん浮かべたままの壱一を置き去りにして一人アリアは納得したようにご機嫌に顔の周りを周回すると、軽やかにストローの前まで戻った。更に溶けたシェイクを勢いよく啜り、ふはっと息をついてから、なんにせよと続けた声は思っていたよりも柔らかくどこか慈愛めいたものにも満ちている。
「仲良くやってるならよかったわよ。アタシは君のことも維弦のことも大好きだからね」
 二人が仲良しならもっと嬉しいでしょ、と言ったアリアの言葉に嘘はなかった。天真爛漫な笑顔に壱一もつられて笑みを返す。だから、それ以上の言葉は誰にも聞かれることなくそっと彼の奥底に押し込められることになった。
 果たしてこの場に存在する花巻壱一は本当の花巻壱一なのだろうか。彼が好意を寄せてくれるという、アリアが皆が部長と呼んでくれる自分は本当に「花巻壱一」なのだろうか。
 現実に花巻壱一は勿論いる。それは確かに壱一であって、けれど同時に壱一ではない。壱一はメビウスに来る際に記憶の多くを欠落していた。人間は生まれて物心ついてから現在までの記憶を積み重ねて人格を成すという。ならば、それを失った人間はそれを持ち得た人間と同一とはいえないのではないのだろうか。まるで抜け落ちたパズルのように、パラパラとおぼろげな記憶のピースの色さえ思い出せない。けれど、確かにそこにあったことだけはわかるのだ。だから、だからこそ、壱一は現実に戻りたい。失ってしまった地獄を再びこの手に取り戻すために。
 ふとポケットの中のスマートフォンが振動した。薄っぺらい精密機器を取り出してみれば、WIREの通知アイコンが明滅している。
「維弦からだ」
「おっ、噂をすればじゃん!なんだって?」
「"いまどこにいる?"って」
 相変わらず平仮名ばかりの文面はスマホに慣れない彼が一文字ずつ打ち込んだものだろう。少しずつ皆のように使いこなそうと頑張ってはいるようなのだが、やはり元々慣れぬものを使いこなすのはなかなか難しいようだった。アリアと駅前のカフェにいるよ、と素早く入力して返信すれば、たっぷり時間をおいて彼からの返答が手元へと届く。
「"ぼくもいっていいか"だって」
「…ほんと」
 もちろんと返事を打とうとしたところにアリアの声が聞こえてきて、つい手を止める。見遣れば小さな歌姫はにやついた顔を隠そうともせず、けれども滲み出る嬉しさを隠し切れない様子でいつもの晴れやかな声を高々と放った。
「部長の今の顔、鏡で見せてあげたいってば!」
 慌てて自らの頬にぱっと手を当てれば、弾けるような笑い声が人目を憚る必要もなく響き渡る。


2016/07/25

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