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空を征く盾

 王都北西に位置する崖上の平原、通称飛翔広場は緊迫した空気に包まれていた。
 生え揃ったばかりの柔らかい若草を踏み締めるのは鉄の靴底を備えた揃いのブーツ。これまた揃いの深緑色の衣装は柔らかく軽く、けれど獣の爪でも容易に切り裂けないよう特殊な生地で作られていた。重厚な鎧をまとう近衛兵とは異なり、その装備は胸当てに手甲と最小限。手にするのは一本一本宮廷魔術師たちが特別な術を施した矢が入った矢筒と各々が弛まぬ日々の鍛錬で使い込んだ弓だ。掲げられた紋章はこの世界唯一の王であり、永遠の守護の象徴である女王を示す一つ星。そして雄々しく翼を広げ、空に向かって咆哮するワイバーン。
 そう、彼らこそが王立騎士団において最も猛々しく、最も素早く、最も果敢だと称えられる竜騎士団。またの名をワイバーン隊。
 その名の通り彼らは馬ではなく竜、すなわち竜種の中でも前脚を退化させ、両翼のみを残し、飛翔へと特化させたワイバーンへと騎乗する。高温のブレスにも耐える轡を噛ませ、人竜一体となって大空を駆け、王都へと迫る危機にいち早く対処する。危機とは言わずもがな世界を喰らうモノどもの来訪であり、彼らに拮抗しうるのは本来であれば魔女だけのはずだ。だが、敵はこちらの事情を慮ってはくれない。四人の魔女が世界を救うべく王都を留守にしている際に敵襲を受ける可能性は常に存在しているのだ。
 そして正に今も。脅威は王都へと迫りつつあった。
 竜騎士団団長、アマリリス・ファウベルトは自身が率いる第六部隊の先頭に愛竜エルフェワーズ号とともに立ち、じっと海の向こう側を見つめていた。見事なブロンドの髪を短く切り揃えたのは空中戦において視界を遮られるのは生死を分かつに値することだったから。母親譲りの大きな緑色の瞳がエルフのようだと指摘されても何も答えないのは三代前の祖先に本当に彼らの血が混じっているから。船乗りだった父親譲りの長身は嫋やかな上流階級の女たちとは一線を画し、豊満な肉体を装備の下に隠すのはもう手慣れたものだった。
 欲を言えばもっと体重を落とせれば相棒の負担も減らせるのだけれど。そう考えながらワイバーンの中でも極めてありふれた緑色の鱗を持つエルフェワーズ号をちらりと見上げれば、金色の瞳を大きく見開いた彼女はぐっと喉の奥で一つ鳴き、大きな鉤爪のついた脚を交互に動かしてみせた。飛翔するために必要最低限の骨格と被膜の付いた巨大な翼。野生では決して人に従うことはないが、竜騎士団のワイバーンたちは何代にも渡って人の手によって繁殖し、訓練されている。言わば戦士が騎乗する竜としての精鋭だった。
「伝令ー!斥候部隊より伝令!西南の海上にて敵影を確認!時速五十キロ相当で王都へ接近中! 」
 突如響き渡ったその声に広場がにわかに活気づく。飛翔のときを今か今かと待っているワイバーンたちが翼を振るい、風を起こし、あちらこちらで旋風が踊る。騎士たちは興奮する相棒を宥めつつ、けれどその時が来たことを確かに知った。アマリリスも手綱を無意識に握りしめながら、竜の羽音にも負けぬ声を出そうと腹に力を込める。
「これより出撃を開始する!第二部隊、騎乗!第三、第四部隊はそれに続け!陣形を崩すなよ!」
 団長の号令に地響きのような声が返り、騎乗!という掛け声が次々にあがった。鬨の声はワイバーンたちの嘶きと混ざり合い、戦いの前特有の興奮に満ちた空気を作り上げる。鐙が堅強な鱗にぶつかる音、矢筒の中で触れ合う矢尻、手綱を握る手の汗、飛翔する竜たちが若草を引き千切らんばかりの風圧を起こし、騎士たちは声を掛け合って空中で隊列を組む。速やかにけれど正確に。いつやって来るかわからない「今」のために不断の努力を重ねられる者こそが騎士と呼ばれるに相応しく、そしてこの騎士団にはそんな勇士が多数揃っていた。
「第六部隊、騎乗!」
 王都の防衛を主とする竜騎士たちにとって殿こそが部隊の要。よって代々の長は最後の部隊、第六部隊の隊長を兼ねると決められている。
 アマリリスは軽やかに愛竜の背に飛び乗り、手綱を引いた。すぐにその意図を察した相棒は大地を蹴り、空気を打ちつける音も高らかに力強く宙へと舞い上がる。
 重力から解き放たれるその瞬間がアマリリスは一番好きだ。戦いのことも騎士団のことも王都のことも忘れ、ただ初めて竜に乗った日のとろんとした甘い思い出だけが胸を占める。手綱ごしに伝わるワイバーンの呼吸、触れた鱗の硬さ、力強く脈打つ血流。頬撫でる風は上昇するにつれて温度を下げ、冷たく強くなる。その身を切るような、人間を拒絶するかのような酸素の少ない空気がいつだって束の間の感傷からアマリリスの身を現実へと引き戻す。
「第六部隊、出撃する!!」
 号令に従い最後の部隊が陣を組んで飛び立つ。道も障害物もない空の上で巨大なワイバーンの前進を阻むものは何もない。規律正しい陣形は一分の乱れも許さぬまま適正な高さまで上昇すると、速やかに進軍を開始する。翼の一打ちで数メートル。空気を穿つような羽音が一定のリズムを刻む度、景色はぐんぐん変わっていく。ドーナツ状の海の上に浮かぶ白色の王都はすでに遙か後方の彼方。代わって目に入る色は海の碧と空の青のみだ。風に巻き上げられて立つ白波が潮の匂いを上空まで運ぶ。アマリリスにとって、否、竜騎士にとって海上とは戦場と同意義だった。世界の果てから現れる怨敵は本能のままに女王を狙う。常に玉座に鎮座する彼女を食らうにはこの海を渡る他ない。大抵の敵は魔女の手によって海へと至る前に始末される。しかし、ほんの一握り魔女の居ぬ間に滑り込んでくるモノもいる。それらを討つのが騎士の役目。そう魔女が女王の剣ならば、騎士は女王の盾なのだ。
「前方に敵影発見!第二部隊、第三部隊、交戦中!隊長!」
「弓をつがえ!はやって味方に当てるなよ!」
 それは黒い靄のように見えた。だが、よくよく目をこらせば靄には目があり、牙があり、爪がある。それらが縦横無尽に矢を放ち、魔術を放ち、ときにブレスを吐きつけるワイバーンたちを自由自在に迎え撃つ。まるで空中を移動する獣の群れだ。無数の個体がどろどろに混ざり合い、蠢き、ただ欲望の奴隷と化して何もかもを食らう。攻撃は効いているのかいないのか。焼け落ちる巨大な牙は歯の一本なのか、それとも一個体分ほどの重みがあるのか。誰にもわからない。誰もがわからない恐怖と戦い、打ち勝ち、震える膝を必死で押さえながら前線に立つ。騎士団の中で最も危険で最も勇敢で最も誉れ高く、ゆえに最も多くの犠牲者を出す。竜の紋様が持つ矜持だけを胸に今日も騎士たちは異形の敵が待つ戦地へ。
「よーす」
 いざ自身も戦線に参加すべくアマリリスが短く息を吸ったそのときだった。あまりにも場違いに呑気な声が空から落ちてきたかと思えば、あまりにも見当違いな青色が目の前、正確にはアマリリス・ファウベルトの愛竜エルフェワーズ号の頭頂部へと着陸する。尋常ならざるヒール、どの地方にもない衣装、眩いほどの青い瞳に青い髪、そして何よりその身分を端的に表す大きなウィッチハット。
「遅い!!」
「声でけぇよ、リリィ」
「その愛称で呼ぶなと何度言ったら聞き分ける!それにエルフェワーズの頭に乗るんじゃない!」
「エルがこれくらいでへそ曲げるオンナかよ。なあ、エル?」
 魔女に名を呼ばれた牝竜はまるで同意でもするかのように、ぐあっと機嫌よく鳴いてみせた。哀れアマリリスは二の句を失い、そのグリーンの瞳で魔女を睨みつけることしかできない。
 どこまでも青い彼女、青の魔女セラフィータ・セフィラムは空中でホバリングする竜の頭に危なげなく立ち、腰に手を当てるとふむと前方の黒い靄を見つめた。そして、思案顔のまま思ったより早かったな、と独り言つ。その言葉を拾い上げた瞬間、耳に流れ込んできたのは滅びの詠唱。黒く、冷たく、地を這って、けれども素早く確実に獲物の喉元を捉えるそんな人智を超えた魔の数式。
「そ、」
「おっ、察しがいいなあ。さすがリリィ」
「総員上空退避ー!!全速力で上昇しろ!魔女の魔法だ!」
 呑気に笑う魔女を空中に放り出し、鼻先を翻したワイバーンたちは一斉に空を駆ける。部隊の退避を待っていたわけでは決してなかろうが、やがて漏れ聞こえる音は意味をなし、一分の隙もなく織り上げられ、発動する。自然の理をねじ曲げ、操り、放つ。それこそが魔法。星食らう敵に対抗する唯一の手段。
「闇夜より出でて夜明けに彷徨う、牙剥き目を剥く強靭の爪よ、今こそ王たる我が命に従いて、我が敵へと喰らいつけ。獣砲百式、一斉掃射」
 撃てぃ!と最後通牒の声が轟いた次の瞬間。鳴り響く爆音とともに黒い靄はその不定形の身体に無数の風穴を開けることとなった。痛みを感じるのかどうかは知らないが、少なからずダメージを受けたことはなんとなく察せられる。恨みの咆吼が辺りに響き渡り、それは決して攻撃というわけではないだろうに、耳をふさぎたくなるような強烈な効果を伴っていた。言わば本能に訴えかける恐怖、不快感、憐憫。戦闘意欲を根こそぎ奪うような不協和音の渦の中、ただ一人魔女の高笑いだけが蒼天を呵々と揺るがせる。
「いいねぇ。派手にやりやがった」
 青の魔女はその手に槍を持っていた。否、正確には青白い焔をまとうだけの何の変哲もない鉄の棒を携えていた。彼女は何の気負いもなしにそれを構える。片手で振りかぶり、片手で振り下ろす。そのなんでもない仕草の末、彼女の手から鉄棒は放たれ、そして呆気なく敵の中心部を貫いてみせる。
「射殺すは必中の槍、神々の剣戟」
 槍からあふれた炎は黒い靄をまるで燃料にでもするかのように燃え盛り、辺りには耳をつんざく絶叫が轟く。靄は散り散りとなり、あるものは形を保てずに霧散し、あるものは生存本能に従って逃走を図る。
 一瞬、炎に見とれていたアマリリスも我に返った。少なくともかの敵においては間違いなく逃走すらも許してはいけない。一つの禍根すら残さず、絶やさず、完璧に滅するのがただ一つの正しい対処法であり、それを成し遂げることこそが騎士たる我らの役目だった。
「今だ、叩け!破片であろうと完全に消滅させろ!」
 団長の掛け声にすべての騎士が応答する。止まっていた時間が動き出す。皆それぞれ武器を手に最早虫の息と思しき敵へと向かっていくのを最後方で見つめながら、アマリリスは息を吐いた。自分でまだ戦いは終わっていないと号令しておきながら、それが誤りであることを彼女は理解していた。
 戦いは終わっている。魔女が終わらせた。
 見上げれば純粋な青色が中空で変わらず仁王立ちをしていた。そこにするすると白煙が一筋まとわりついたかと思うとすぐさま消える。魔女たちのやり取りは儀式めいて人間には理解できない。いや、最初から理解の及ぶものと考えることこそが誤っていた。
 魔女は女王以外に決して膝を屈せず、また誰からも屈せられることはない。
 皆が暗黙のうちに理解している不文律。彼女らは人間ではなく、兵器であると。誰もが理解し、また理解せざるを得なかった。あの圧倒的力を見て戦かぬ者はいない。生物として、生命として、確実に与えられる圧倒的死と消滅の予感からは誰も。
「じゃあ、あとよろしくな」
 けれどもアマリリスは思うのだ。こうして対面し、言葉を交わす魔女たちは決して兵器ではあり得ない、と。たとえ何百年という時を生きようと、空間も時間も超越する魔法を使おうと、彼女らは魔女であって、ただそれだけだ。そう、自分たちが単なる女王の盾であるのと同じように、彼女らもまた単なる女王の剣に過ぎない。
「お前たちは無茶苦茶だ」
「そりゃ魔女だからな」
「ゆえに頼もしい」
 そう続けると彼女は珍しくちょっと驚いたように目を見開き、やがて唇の端をニッと歪めると、見ようによっては実に親愛に満ちた表情で愉快そうに笑ってみせた。


2017.05.02

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