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FGO 砦に咲く

 完璧に空調が管理されたカルデアは標高六千メートルの高山に位置しているとは思えぬほど、快適な温度と湿度を二十四時間三百六十五日保っている。昼夜の気温差はわずか二度。採光のための窓は三重もの強化ガラスによって外気を遮り、その開口部さえも必要最小限に留められている。かつては魔術の叡智を守るための要塞として、そして今は人類最後の砦として、必要なことだと理解はしている。しかし、頬撫でる風に、降りしきる雨の匂いに、四季の移ろいを感じ、寄り添うように暮らしてきた朱夏にとって、それは些か無機質で薄ら寒いもののように思えた。靴底を通しても伝わる冷たいリノリウムの感触。つるりとした質感の壁に浮かびあがる紋章。冴え冴えとした青を放つそれを好きとも嫌いとも言えるだけの知識と感情を生憎と朱花は持ち合わせてはいなかった。
 「あの日」の魔女の予言通り、世界は滅びた。
 歴史は改変され、焼け落ち、歪み、すべては抹消されようとしている。今まさにこの場所を除いて。人類最期のマスター、藤間朱花(とうま しゅか)。わずかに残ったカルデアのスタッフ、そして朱花に従うサーヴァントたち。それですべて。それがこの世界の行く末を決める。何もかもなかったことになるか、何もかも元通りになるか。すべては朱花の両肩にかかっていると言ってもよかった。
 正直重い、と思う。朱花はそんな大層な人間ではない。魔女の弟子のくせに魔術一つ扱えず、カルデアのマスター候補にも出自を隠し、一般公募の枠に運よく滑り込めたくらいだ。殊更勇気があるわけでも、賢いわけでもない。平凡だと思う。凡庸だと思う。けれど、もう世界には朱花しかいない。朱花の最初のサーヴァントであるマシュ・キリエライトは朱花を先輩と呼んで慕ってくれる。マスターと呼んで信頼してくれる。ドクターもダヴィンチちゃんも皆、朱花の名を呼び、気遣い、期待してくれている。だから、朱花はなんとか立っていられるのだ。無機質なカルデアの床に、変容した時代の燃え盛る街に、竜が飛び交う丘陵に、怒号と雄叫び轟く戦場に。
 気が付けばカルデアの端の方まで歩いてきていた。思案の際にうろうろと歩き回るのは朱花の悪い癖だ。幼い頃から広大な庭を周回しているところを兄弟弟子に見られては気安く笑われたものだった。コマドリみたいな妹ちゃん!こっちに来てお茶にしましょう!快活な三番目の姉弟子の声が脳裏に蘇り、思いがけず鼻の奥がつんと湿ったのを慌てて誤魔化した。
 相変わらず変化のない壁には「図書室」と素っ気なく書かれたプレートが取り付けられている。確認するまでもなくここは図書室だった。朱花も幾度となく訪れている。何しろ朱花には知らないことが多かった。魔術のこと、カルデアのこと、サーヴァントのこと、英霊のこと。何かにつけて疑問が沸き起こると朱花は書物に助けを求めた。ときに万能の才人たるレオナルド・ダ・ヴィンチの力も借りて(まったく彼女は教師としても万能だった)、学ぶことは戦うことと同義だと朱花は考えている。
 そういえば探していた本があったのだ。ちょうどいいと朱花は図書室の扉を開いた。書物を保護するため薄明るい照明に満たされた巨大な空間には紙とインクの匂いが満ちている。蔵書数およそ三千万冊。国立図書館に匹敵する膨大な量の書物のほとんどが魔術に関することであるというだけでも驚かされるのに、それらが未だ良好な状態で残存していることに朱花は大いに驚いた。これもカルデアの権力の賜物かなとドクターは困ったように笑っていたけど、その恩恵に預かれる身としては願ったり叶ったりだ。何しろ朱花の抱く疑問の数々は大抵ここに来れば解消する。
 手入れの行き届いた森のように整然と立ち並ぶ本棚は朱花の背丈よりも随分高い。どちらかというと無機質なもので構成されたカルデアの中でここだけは木製の本棚、木製の床で設えられているのも朱花が図書室を好む理由の一端かもしれなかった。打ち付けられた金属製の分類番号を頼りに目当ての書棚を探す。F-15、16、17。
「ええい、くそっ」
 無人と思われた書棚の向こうから思いがけず声が聞こえ、朱花は足を止めた。一瞬、反射的に身構えたものの本の隙間から覗く薄青色にほっと胸を撫でおろす。大きな書棚をぐるりと回りこめば案の定、踏み台の上で一生懸命に手を伸ばすのは一人の少年だ。
「アンデルセン」
 キャスター、ハンス・クリスチャン・アンデルセン。後世に数々の名著を残すことになった童話作家の英霊は大きな黒縁の眼鏡をかけた少年の姿で現界した。水色の蝶ネクタイにストライプのシャツ、青色のベストにお揃いの半ズボンと、まるで童話の主人公のような彼はしかしてその外見に似合わぬ低音で己のマスターをギロリと射抜く。どうやら機嫌がよろしくないらしい。
「お前か」
「本を探しに来たんだ」
「それは図書室だからな。当然だろう」
「アンデルセンは…」
「見てわかるだろう。本を取ろうとしている」
 書棚の一番上の段は相当な高さとなり、当然ながら子供の姿の彼には台に乗っても辛うじて指先が届くか届かないか。つま先立ちになって頑張っていたようだが、朱花の姿を認めると彼はするすると梯子から降り、今しがたまで自分がいた場所をくいと顎で指し示した。横暴のように見えるが小さな作家先生の態度にすっかり慣れてしまった朱花は二つ返事で代わりに台へと昇る。上から二番目の踏み板に足をかけると、随分下の方からアンデルセンの紺色に銀箔の背表紙だ、という声が飛んでくる。目線を滑らせれば彼の言う通りのそれがあった。辞書のような厚みのある本に両脇を挟まれた一冊の本はぎっちりと本棚に詰まってしまっている。少し引いてもびくともせず、かといって指を差し込む隙間があるわけでもない。仕方なく背表紙のてっぺんに指を引っ掛けて力をこめた。おい、と次に投げかけられた声が少し焦ったように聞こえたのは朱花の気のせいだろうか。
「あまり力をかけるな。本が傷む」
 しかし、次の台詞はいつも通りの彼でふと朱花の気が緩んだのがいけなかったのだろう。急に指先に込めていた力が行き場をなくす。抜けた!と思ったのも束の間、自重は傾ぎ、重力がダイレクトに降り注ぐのと同時に浮遊感が全身を包む。自由落下、転落、事故。マスター!と響いた声の大きさに事の重大さを知れど、朱花にはもうどうしようもない。目をつむり、衝撃に備える。大丈夫。そんなに高くない。大丈夫ー。
 けれど、待てども覚悟した痛みはやって来なかった。それどころか何か温かくて力強いものに包まれている?
「無事か、マスター」
 目を開くとそこには深緑色の気遣わしげな瞳があった。銀色から錆色へと不可思議に色味を変える長い髪。浅黒く焼けた肌に刻まれた竜殺しの象徴。セイバー、ジークフリート。邪竜を打倒したことにより戦士として最も名誉ある称号を得た彼は難なく抱きとめた少女がこくこくと頷くのを見て安堵の息を吐いた。
「こっの馬鹿が!己より本を大事にするやつがいるか!」
 床にそっと降ろされた瞬間、アンデルセンの怒号が飛ぶ。ごめんなさい、と謝って後生大事に抱えていた本を手渡せば彼はふんと鼻を鳴らした。助かった!礼を言う!と吐き捨てるような台詞が彼の照れだと知っているから朱花は何も言わない。ずかずかと足音高らかに去っていく少年の後ろ姿を見送ると、ようやく横で佇むサーヴァントへと向き直った。朱花と同じくアンデルセンを目で追っていた彼の視線が下へと落ちてくる。少年とは違い、前線で剣を振るう彼は随分と背も高い。
「ありがとう、ジークフリート。助かったよ」
「マスターに怪我がなくて何よりだ」
「よく私が落ちそうなのわかったね?」
「ああ、俺も本を探していてな。歩き回っていたら彼の声が聞こえて」
 間に合ってよかった。そう、なんでもないように言って彼は頬を緩めた。彼が言っているのはおそらくアンデルセンの叫び声のことで、どれほどの距離のところにいたのかはわからないが、それでも朱花が落ちる前に駆け付けるなんて人間業ではない。いや、彼らは英霊。彼らはサーヴァント。マスターの手によって呼び出される使い魔。名を残し、逸話を語られ、形作られる英雄の概念。ゆえに彼らは人の姿をしていても人ではない。マスターは唯一この世で、未来へと生きる人間として彼らを従える権利を持つ。彼らに守られる義務を持つ。だから、駄目だ。こんなことで劣等感など抱えるべきではない。申し訳なさを感じるぐらいなら胸を張った方がいい。強く、強く、強くあることはマスターの必須条件だ。それは身体のそれでも魔術のそれでもない。力ではなく、心。彼らに戴かれるに相応しい王であれ。
「ジーク」
「うん」
「本当にありがとう。次からは気を付ける」
「マスターは充分に用心深い。ただ、次からは遠慮なく誰かの手を借りるといいだろう」
「うん。…それは、あなたでもいい?」
「うん?」
「何か、助けて欲しいことがあったら、あなたの名前を呼んでもいい?」
「当然だろう。俺はあなたのサーヴァントだ」
 存分に使ってくれ。その声を心地よく聞くと同時に身と心を引き締める。彼らの存在が、存続が、朱花の手にかかっている。こうして寄せてくれる気持ちに報うだけの何かを。これから先もずっと続いていく歴史の先に。必ずや取り戻すのだ。大丈夫、きっと朱花にはできる。だって、彼らは確かにここに温度を持って、柔らかな魂を携えて、立っているのだから。


2017.03.14

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