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あゝ甘やか、砂糖菓子ついばむ鳥よ

 熱帯の外れに位置するこの都市は季節を問わない高温と湿気にいつだって苛まれている。日が落ちてから昇るまで、太陽が隠れるわずかな間こそ気を緩めることができるけれど、逆に言えば白く霞んだ空に直視できないほどの熱球が引っかかっている間、それは全力で稼働し続けているということだ。東の空から白く冴えた光が差し込んだが最後。気温は天井を知らぬように上昇し、夕暮れ時まで気の休まることはなかった。
 とはいえ、不快を極める屋外の事情など、この悪徳の館においては一切関係のない話だ。すべての建物が回廊で繋がれた館は空調完備。古代の文化を模したデコラティブな装飾のランプは永遠に消えぬ文明の炎を赤々と燃やし、一点の染みもない毛の長い絨毯は踏みしめる度に靴底が深く沈んだ。
 この廊下を行く薄着の男は例外なく男娼で、この廊下を行くそれなりに身なりの整った男は例外なくお客人。男が男に春をひさぐ男娼館Spider。その生業は夜明けとともに一旦の終わりを迎え、男娼たちは欠伸をつきつき自室へと引き揚げて行く。
 お客人の趣味嗜好が様々である以上、当然のように男娼たちもまた多彩な顔ぶれが揃っていた。美しい容姿をした者、女のように小柄で華奢な者、異形の外見を売りにする者、屈強な肉体を持つ者、話し上手に聞き上手、一芸でお客を喜ばせる者など。様々な男たちが客からの指名とそれに見合う対価を得るためにしのぎを削る。それがここでは当たり前の光景。それがここでの当たり前の生き方。
 無論、それは指名率第二位の実績を持つヴィオラも例外ではない。可憐な源氏名とは裏腹に軍隊仕上げの屈強な肉体美は未だ日々怠らぬ鍛錬の賜物。刈り上げた黒い髪に程よく日に焼けた肌。小ぶりな目も大きな口も決して美男子とは言えないが、その実直な振る舞いとベッドの上で乱れ恥じらう姿のギャップから固定客の心を大いにつかみ、今の地位を不動のものとしていた。
 男娼の居室は無論その人気に左右される。ヴィオラの自室は館の最奥にある宿舎の最上階、東から二番目にあった。金色のノブを回せば「Viola」と刻まれた金属製のプレートがからんと軽い音をたてる。
 昨夜部屋を出たときから何一つ変わっていない室内をつい癖で見渡すと、目に入ってくるのは扉をくぐってすぐ右手にある簡易キッチンだ。拡張された廊下のようなそこには銀色の冷蔵庫がはめ込まれ、コンロにかけられた鍋には暇つぶしで作った桃のコンポートが冷えきった状態で放置されている。甘い匂いが鼻先に強く主張してくるのを構わずに奥へと進めば、次に目を奪うのは異様な存在感を放つ絵画。白い翼を持つ子供が喇叭を吹き鳴らす姿はかつての宗教画なのだろうか。そこからなんらかの意味を読み取るだけの感性をヴィオラは持っていない。同じく備え付けの調度品である猫脚のキャビネットの上にはミルク色の花瓶。活けられた一輪の菫は花弁も瑞々しく、淡い芳香を放つ。いずれもまったくヴィオラの趣味とは異なる深い緑色をしたヴェルヴェット張りの二人がけソファ、水晶が繊細に光を反射するよう形作られたシャンデリア、ゴブラン織りのカーテン。それを留めるゴールドのタッセルは空調の吐き出す風で音もなくゆらゆらと揺れていた。
「おかえりー」
 あまりに見慣れた室内の様子にヴィオラが人知れず肩の力を抜いたタイミングを見計らっていたかのように声が聞こえたのは寝室からだった。
 驚くよりも先に口をついて出たため息は諦観を含む。足先をそちらへと向ければ案の定見知った顔がキングサイズのベッドの上で腹這いになり、ひらひらとこちらへと手を振っていた。
 目も覚めるエメラルドグリーンの長い髪には所々青い房が混じり、ぱっちり見開いた瞳は生きたサファイア。長い睫毛に白皙の肌は天上の神殿で歌い暮らす青年神のようだった。生まれ持った美貌。しかし、彼の美しさの要因はそれだけではない。肩甲骨の辺りから皮膚を覆う鱗状の羽毛、そしてゆったりと広げられた翼の色彩はなんと表現したらいいのだろう。正に極彩色。緑、青は深いインディゴからアクアマリンまでグラデーションを描き、やがてバイオレットにまで至る。そして羽先を彩る薄紅色ときたら。思わずうっとりと見惚れてしまうほど柔らかな色味を持っていた。
 男娼館Spiderにおいて自他ともに認める最高位の男娼。虹色の翼を持つ孔雀の異形、カメリア。
 彼は接客中とはまったく異なる自堕落な姿を隠そうともせず、のんびりとヴィオラに笑いかけた。
「遅かったねえ」
 勝手に借りてるよ、との言葉通り気怠げに寝そべる彼の周囲にはヴィオラの数少ない私物である本が大量に散らばっていた。どれも自分で読破したものだから間違いない。古典から近代まで多様なフィクションの物語を描く所謂小説は娯楽の少ない現代にとって貴重なものだった。
「君、意外とこういうロマンチックなの好きだよねえ」
 彼が手元に開いているのは恋愛小説だ。『愛こそすべて』というベタなタイトル通りのベタな内容だが、その奇をてらわない展開にどこか落ち着くのもあってヴィオラは好んで愛読していた。
「放っておけ」
「君の好みは僕の趣味と一切合致しないから助かるよ。ときには新しい世界に触れることも大切だからね」
 そう聞いているのかいないのか、自分の言いたいことだけ言ってカメリアはまた本をめくり始める。彼の部屋の書棚には到底自分には理解できそうもない難解な学術書ばかり並んでいるのを当然ヴィオラは知っていた。賢さと美しさを兼ね備えた男娼カメリア。以前、どうして学者にならなかったのかと問うたことがある。彼はその言葉に心底驚いたように目を見開いたあと、ひとしきり爆笑し、やがてぽかんと口を開けたヴィオラにまなじりの涙を拭いつつ言ったものだった。
「強い異形はハンターになる。賢い異形は商人になる。そして、美しい異形は娼婦になる」
 それはこの世界の歪みを端的に表していた。人間が作り上げた世界に突如闖入した人ならざる人。獣の特徴を持ち、長命で頑丈で、何より強い。そんな彼らを人間は人間と認めずただ恐れた。否、今も恐れ続けている。
 活字に没頭するカメリアの隣に腰を下ろす。スプリングはわずかに軋み、宝石の瞳が真っ直ぐにこちらを見た。怯まず見つめ返せば可愛くないなぁと苦笑が漏れる。可愛い男がお望みかと言えば、いやいやと否定された。本が閉じられる。ぱたんという音が寝室の空気を押しのけ、ひどく整ったら顔が間近に迫る。爪の先まで美しい異形。その極彩色は雄しか持たない。彼は指の腹でそっとヴィオラの唇を撫でる。なんでもない仕草にぞわりと背骨の辺りが粟立つのを自覚すれば、それを見抜かれたように彼が深く笑ったようだった。
「僕は、僕の手で可愛くない子を可愛くするのが好きなの」
 それはただ美しいだけの小鳥ではない。強く、賢く、そして美しい。そんな化け物に囚われた非力な人間は彼の手によって、彼の気が済むまで、甘美な時間をここで過ごすしか道は残されていないのだ。悪徳の館の一室には今日も「外」とは違う濃密な空気が満ち満ちている。


2017.02.20

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