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刀剣乱舞 僕と赤眼モンスター

 まぶたを柔らかく刺す日の光にか、はたまた風が吹く度にひらりはらりと頬を撫でる落葉にか。
 いずれにせよ神山火焔はふと目を覚ました。一瞬、己がどこにいるのか把握できず、ぼんやりと視線を彷徨わせる。ぼやけた視界に映るのは黄や赤に色付いた梢に折り重なった常緑樹の緑。本丸御殿に隣接する森の中でも地面をみっしりと厚みのある苔に覆われ、辺りを楓やブナの木に囲まれたこの場所は火焔の密かな昼寝場所だった。
 そうだ。軍議が始まるまで時間があったから秋の野山でも散策しようかと思ったものの、歩き慣れた獣道を辿ってついここまで来てしまったのだ。紅葉の微かな葉擦れが重なり合って鳴り渡り、波の音のようにも聞こえるうちに眠くなってそれで。それから一体どれほどの時間が経ったのだろう。少なくとも火焔が眠りに落ちるとき、ほぼ頂点にあった太陽の光は大木の幹に遮られて顔面に直撃はしていなかったはずだ。ということは、つまり。意識は急速に覚醒し、頭の中心がさあっと冷える。
「遅刻だ!」
 勢いよく起き上がろうとした瞬間、強い力に押しとどめられて火焔は体勢を崩した。あ、と、と意味にならない声をあげて、どうにか肘で上半身を支えれば、視線の先には盛りの紅葉にも劣らぬ真っ赤な髪。後をつけてきたのか、たまたま森の中で火焔を見かけたのかはわからない。だが、大方懐の誘惑に勝てなかったことには違いなかった。
 信濃藤四郎。粟田口吉光の手による短刀であり、火焔が顕現させた付喪神の一振りは主の合わせ襟の辺りをしっかりと掴んで、どこまでも健やかに惰眠を貪っていた。
「信濃、起きろ。もしくは離せ」
 細い肩を揺すれども、黒い襟巻きに鼻先までうずめた少年はまったく目を覚ます予兆すらない。
 閉じられた大きな瞳に添えられた睫毛が刀剣男士たちに共通する整った顔立ちに淡い陰影を落としている。幼子の姿で顕現することの多い短刀たちの中でも彼はとりわけ少年と青年の狭間にあるような見目をしていた。人間であればあと数年で目も見張るような美丈夫になるであろうことが容易く予想できるものの、残念ながら器物の物の怪たる彼らに成長という概念はない。永遠に甘く、柔らかな魂を持って生きることを宿命付けられた付喪の神は無邪気に主人を敬愛し、兄弟同胞と笑い、刃を構えて戦場へと立つ。
 その小さな頭を撫でれば、指の間を通り抜けてゆく絹糸のような髪から温まった彼の体温が香った。乾いた色とりどりの落ち葉に朝露を湛えてみずみずしく輝く苔、晩秋に咲く山茶花、群れなして揺れるすすきの穂、渡り鳥の落とす風切り羽。そのどれにも似て、どれにも似ていない、けれども確かに好ましい匂い。
 穏やかな寝顔に眠りの国へと後ろ髪引かれる思いは尋常ではないが、かといってこれ以上留まってもいられない。日の傾き具合から見て約束の刻限はとうに過ぎていた。
 今日は火焔が統括する本丸の部隊長が雁首揃えて行う軍議の日だ。当然彼らの主である火焔がいなければ会議は進まず、刀剣男士たちを取りまとめる役目も持つ近侍の三日月宗近は痺れを切らして主の登場を待っているはずである。世に名高い天下五剣の中で最も美しいと称えられ、三条宗近によって打たれた太刀はその優美な外見通り、おっとりとした気質の持ち主ではあるが、何分礼儀作法には手厳しい。特に火焔が粗相をしでかした日に膝を揃えて座らされ、あの三日月の浮かんだ青い目でじっと見据えられたあとに「なあ、主よ」から始まる長々しいお説教を火焔は何よりも誰よりも苦手としていた。
 一分一秒でも早く軍議に向かわなくてはその分三日月のお小言が長くなる。かと言って自身に頑なにへばりついた信濃藤四郎を引きはがす術も見当たらない。火焔はしばらく考えた末、諦観のため息をついた。離れない以上、連れてゆくしかあるまい。小さな付喪神の背に手を回し、腹筋と背筋をフルに使って身を起こす。少しよろけつつも脚に力を入れて踏ん張りをきかせ、どうにか彼を抱えたまま起き上がった。
「重、い…!」
 同じ藤四郎の短刀である五虎退や前田藤四郎なら抱き上げたことはあるが、さすがに彼らとは桁違いの重量感だ。
 とはいえ、なんとかならないでもない。一歩、慎重に踏み出して苔を踏む。枯れ落ちた葉がさくりと音を立て、一歩一歩足元を選びながら火焔はゆっくりと山肌の緩い傾斜を降り始めた。このまま獣道を伝い歩いて戻ってもいいのだけれど、それでは時間がかかり過ぎだろう。さすがの火焔の腕も限界を迎えてしまうに違いない。
 それにしても主に抱きかかえられ、あまつさえ上下に揺られても、彼は目覚める気配もなかった。相変わらず指先はがっしりと火焔の衣服をつかみ、肩口に埋めた顔は伺えないがむずかる様子もない。短刀であるがゆえに人に運ばれ慣れているせいだろうか。
 そんなことを思案しながら、足を踏み出したせいだろう。濡れた落ち葉の塊に気付かず、ずるりと足裏がすべったかと思えば火焔は簡単に重心を失った。反転する視界。まずいと思った次の瞬間にはもう何かが背中で火焔の体重を支えていた。バランスを失った四肢はすぐに制御下へと戻り、火焔はほっと肩の力を抜く。「何」がこの身を助けてくれたのか、すでに火焔にはわかっていた。なぜならそれは彼女の半身。神山の蟲毒師が代名詞のように引き連れる護りの蟲。中でも呪いを受けた彼女の蟲は特別だった。
 ゆらりと闇色をした長躯が宙を踊る。艶やかな皮膚は甲虫に似て、それよりもしなやかに動き、退化した無数の脚は鎧のような背の下で音もなく蠢く。丸みを帯びた三角形の頭にはざっくりと上下に開く巨大な口があり、開かれたその口内には無数の歯が所狭しと並んでいた。ぬらぬらと底光りする瞳は真紅。燃えるような六つの瞳が感情を映す術すら持たず、じっとりと火焔を見下ろした。
「ついでにもう少し頼む」
 「彼」との意思疎通に本来言語は必要ない。だから言わばこれは火焔の独り言なのだけれど、まるでそれに答えるかのように黒き蟲はなめらかに関節を動かした。足から背筋へ。ほとんど黒い影のような姿が這い上がるのと同時にその身は半身たる人間蠱毒と同化する。めきっと皮膚の下で硬質な何かがうねる。その動きに逆らうことなく、全身の力を抜けばあっという間に人と蟲の融合は完了した。傍目にはほとんど変化は見られない。けれど蟲から移り来た冷ややかに燃える赤色の瞳だけが、爛々と彼女の異質を語っていた。腕の中にある幼子の重さも最早ほとんど感じられない。筋力は補強され、全身から揺らめき立つ黒い影は彼女のどんな動きにも忠実に従い、あらゆる動作をサポートする。
 息を吸って、吐く。立ち並ぶ木立の列を静かに見回し、ルートを定める。とん、と跳ねれば想像の三倍は踵が浮き上がった。連携良好、準備万端。
「降りる」
 軽やかに音もなく、つま先は地面を蹴った。風は頬を撫で、鼓膜には空気を裂く音がダイレクトに伝わった。絶え間なく降り注ぐ落葉の隙間を縫うように、熊笹の茂みをかいくぐり、青白く咲く竜胆の群生を飛び越え、驚いて飛び立つ鶫たちを意に介せず、山肌を疾駆する様はまるで天狗か山犬か。
 人ならざる身軽さであっという間に斜面を下る火焔は木立の切れ目を目に留めて、跳躍の準備をする。あの踏み均されて粘土質の土がむき出しになっているのが数多くある森への出入り口の一つだ。
 かくして火焔は目論見通り走り出してからものの数分で鍛錬場の裏手へと見事着地した。足裏が人口的に敷かれた玉砂利を踏み鳴らし、甲高い音を立てる。ここまで来ればもう軍議が開かれる本丸御殿までは目と鼻の先だ。
「主!」
 己を呼ぶ声に顔を上げれば、浅葱色の髪をした刀剣男士が安堵を滲ませた顔で駆け寄ってくるところだった。温和な物腰を絵に描いたような好青年は時間になっても現れぬ火焔を探していたのだろう。頬を緩ませ、お探ししておりましたと言うべきはずの台詞が途中で途切れる。その表情はピシリと凍り付いたように硬直しているが、おそらくそれは火焔の腕に抱きかかえられている「モノ」を己の弟だと認識したからに違いない。
「お前の弟はよくくっつくな」
「も、申し訳ありません…!」
 哀れなほど狼狽した彼の名は一期一振。粟田口吉光が打った唯一の太刀にして数多いる藤四郎兄弟の長兄にあたる。
 兄は素早く一礼をすると、弟の腰の辺りを引っつかみ、力任せに引き剥がした。すると思いのほか簡単に幼子は離れ、火焔は目を見開いた。小脇に弟を抱え必死で非礼を詫びる一期一振を横目にまじまじと信濃の顔を覗き込む。寝たふりをしたつもりだったのだろうが、赤い髪の向こうからちらりと見えた翡翠色の輝きに火焔はわざと口の端を大袈裟に歪めてみせた。
「狸寝入りとはなかなかやるな」
「……大将、さっきの」
「内緒だぞ」
 小さな声で交わす言葉に小さな刀がはっと息を呑むのがわかった。内緒と繰り返した言葉はたぶん唇の動きだけ。火焔は一度だけ大きく目を見開くと、しなやかに身を起こす。
「気にするな、一期一振。信濃のおかげで風邪をひかずに済んだ」
「しかし…!」
「後ほど私が三日月に説教されているときに早めに助けに来てくれると助かる」
 そう言って兄弟の元を離れようとすればたいしょーと間延びした声が後ろから追いかけてきた。振り返れば相変わらず兄に抱えられた弟が大きな瞳をきらきらと輝かせ、最高の笑顔で笑うところだった。
「さっきの!すっごくかっこよかった!」
 火焔がそれに応えるよりも早く。一期一振が寝たふりの弟を叱る声が辺り一帯盛大に轟いた。


2016.11.30

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