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刀剣乱舞 応報の炎

 目を開けばそこは草木も眠る丑三つ時の闇がめいっぱいに広がっていた。風はなく梢の擦れる音もなければ、虫の音が鼓膜を震わすこともない。耳に痛いほどの無音の世界の中でゆっくりと布団から身を起こした火焔は神経を研ぎ澄ませる。爪の先にほんの少し何かが触れたような感覚は決して気のせいなどではない。この本丸中に張り巡らせた見えない蜘蛛の糸を、気付かず無遠慮に切った者がいる。一人、二人、三人。重なる気配は無法な闖入者。間違いなく彼らの標的であろう女は怯える代わりに深々とため息をついた。
「信濃。信濃、起きろ」
 枕元の黒いシャツをたぐり寄せながら傍らの白い布の塊を揺り起こす。布は意味を持たない呻き声をあげ、しばらくもぞとぞと蠢いていたが、やがて端からひょこりと赤い髪を覗かせた。まだ瞼が重いのか、半眼になった瞳がぼんやりと一点を見つめている。信濃、と今一度声をかければ、胡乱な視線が中空を漂った末にようやく火焔とかち合った。暗闇の中、大きな宝玉にも似た瞳は夜明けの空と海原のような不可思議な色合いを放つ。少年の姿をした刀剣の付喪神は二度瞬きをすると大口を開けて盛大に欠伸をした。まなじりに滲んだ涙を手の甲で乱暴に拭う仕草を稚気と感じるか、アンバランスな魅力と取るかは人それぞれだろう。眠りに落ちてから数刻も経っていないのだから当たり前かもしれないが、まだまだ眠りたい肉体を無理矢理叩き起こして彼は自らの主に問う。
「大将なに…敵襲?」
「残念ながらその通りだ」
「心当たりは?」
「ありすぎてわからない」
 きっぱりとした答えに信濃は一瞬不意を突かれたように押し黙ると、すぐさま愉快そうにけらけらと笑った。それ以上はなんの疑問を口にするでもない。敵はどこの誰なのか、討つのか討たぬのか、討つのであればどう討つか、相手は人か、あるいは物の怪か。すべての答えを手の内にあらかじめ持っているかのように彼は一切を問いかけない。彼は理解しているのだ。真夜中に不作法に人の寝込みを襲うような輩を己の主が決して許しはしないことを。必ずや彼らの首を掻き切って、地へと落とし、そして夜明けよりも早く何事もなかったかのように始末してしまうことを。
 布団から完全に這い出た彼は乱れた夜着を手早く脱ぎ捨てる。本丸内で身にまとう藤四郎兄弟揃いの衣装に着替え、そして枕元にあった短刀をあまりにも当たり前に手に取った。
 信濃藤四郎。
 短刀の名手粟田口吉光の手による一振り、信濃守の愛刀、藤四郎兄弟一の秘蔵っ子。そして、審神者にして蠱毒師にして政府御用達の始末屋でもある神山火焔の扱う暗器が一つ。
「外寒いから。これ貸すね」
 小さな手が伸びてきて火焔の首に自身の紋が入った襟巻きを巻いてくれる。ほんの小さな指の背が火焔の頬を偶然を装って撫で、ささやかな違和感は喉元でわだかまる。猫の爪が甘えたように喉を鳴らし、しんと冷えた部屋にぬるい呼気が吐き出される。黒いまなこを開いた女の目には紅葉よりも鮮やかな赤。目に映る二色の焔は艶やかに明滅する。
 大将、と鳴く猫はあたかもそうであることが自然なように、するりとその額を頬を女の胸元にすり寄せる。柔らかな髪からは石鹸の匂いが香り立ち、これが今から返り血によって血生臭く染まるのかと思うと思わず女の腹の底はぞくりと疼いた。じくじくと燃える熱は同時に氷のように冷ややかで、身動き一つ取れぬ間に布団へとついた左手へそっと金色の刃が触れてくる。
 晩秋の夜気によって凍えるほど冷たくなった金属は女に心臓を直接触れられているかのような錯覚を与えた。年端もいかない見目を持ち、無邪気な魂で遊んでも、夜にはかつての御霊の本性が顔を出す。磨き抜かれた眩い刃の、血と脂で濡れてぎらついた鋼の、切っ先が喉元へと迫り、火焔は惚れ惚れと感嘆のため息をつく。それでこそ我が刀剣、我が凶器。
「何人いるのかな」
「三人まで確認した」
「もっといるかも?」
「いるかもな」
「俺を使ってよ。何人来ても切ってあげる」
「言われずとも」
「大将、俺いい刀でしょ」
 答える代わりにその髪を撫でる。白刃の殺気は炎のように色めき立ち、女の腕の中で赤々と燃える。寄り添う四肢は温かく、障子に映る影はこんなにも人の形に見えるのに、そこにいるのは悲しいほどに一匹の蟲と一振りの刀だった。
 異形の二人はその歪を互いに埋め合うようにしばらくそうしていたが、やがてふっと身体を離す。敵の気配は色濃く、ぴりぴりとした緊張感が闇の帳の奥に満ちていた。閃く刃を、迸る殺意を、耐えがたき飢餓を、血湧き肉踊る昂ぶりを、暗闇の中に押し隠し、足音を殺して暗夜を往く。どちらともなく立ち上がり、踏んだ畳の軋みさえなお凍る。けれど、その視線に迷いはなかった。握りしめた掌に信じた温度がある以上、恐れさえも歓喜となる。決して日の当たらぬ夜の深いところを行くのだと決めたその日から火焔の傍にはただ黒い影があり、それはこの身尽きるまで永久であるはずだった。しかし、なんの因果か火焔の隣には今鮮やかな赤がある。ひどく慣れ親しんだ焔の気配さえ宿した刀は黒い虹彩が己を見下ろしているのに気が付くとふわっと綺麗に笑ってみせた。
 行こうと囁く声の先を照らす光明は一筋すらありはしない。けれどどこか仄暗い明かりが常にその身にまとわりつくように感じるのはきっと驕りでも幻でもない。
「信濃藤四郎」
 喉の奥から絞り出された細い音に白刃のきらめきが返る。女は幼い指を握る手に力を込め、やがてゆるゆると抜いた。
「私の、刃」
 これを応報と呼ぶのなら。仏も神も随分と人ならざるモノにお優しいとそんな戯言が頭をよぎった。


2016.11.11

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