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君と僕の記念すべきなんでもない夏だから

 夏休みを一週間後に控えた放課後の教室は浮ついた空気に満ちていた。
 期末テストが終わった今、あとは補講と球技大会ぐらいしかこなすべきイベントはなく、それが終われば全校生徒が待ちに待ったと言っても過言ではない夏休みの到来だ。すぐそこまで迫った休暇にクラスの仲良しグループがあちこちで集まっては賑やかに夏の予定の相談をしている。海、キャンプ、短期のバイト、テーマパーク、親の実家への帰省。
 しかしそんな和気藹々とした雰囲気の中、一人俯いて黙々と帰宅の準備をしているのは小型の猫獣人、エルリスだった。
 この国が獣人の世界と国交を結んでから早五十年。次々に世界の架け橋を渡った同族獣人の中でも最も平凡な茶トラの毛並みに、ぴんと伸びたヒゲ、三角形の大きな耳にビー玉のようなグリーンの瞳、特注のスラックスからひょろりと飛び出た長い尻尾。エルリスの種族は小型と称しているだけあって、二足歩行で直立しても人間でいう小学校低学年ほどの身長にしかならない。エルリスもすでに立派な雄の成体ながら頭は常に同級生の腰の位置だった。おかげで机と椅子は特注で(ただし獣人が在席する学校は国から支援金が降りるためこれらの備品もそれで賄われていると思われる)席は出席番号に関係なくいつも最前列だ。
 たとえ獣人が珍しくない世の中になったとはいえ、獣人と人間の間には対等な関係が成立しているとはいえ、獣人であるがゆえの気苦労は絶えない。そう、少なくともエルリスは思っている。特に勇ましくも心優しい狼でもなく、繊細で商売に長けた狐でもなく、個性的でミステリアスな虎でもない、ごくごく平凡な猫にとって。
 世界はかくも憂鬱だ。
「エル」
 物思いに沈んでいたエルリスを我に返らせたのは聞き慣れた声だった。声のした方へ耳を向ければ確認するまでもなく、短く切り揃えた黒髪に端麗な顔立ちをした相模透真(さがみ とうま)、その人がそこにいた。部活動に所属していない彼は健康的にほどよく日に焼けた肌を惜しげなくさらし、均整のとれた長身に着込んだ既定の白い半袖シャツさえも眩しい。どこか気怠げに鞄を引っ掛けた姿は教室の空気からは更に一つ浮いたように見え、その斜に構えた格好から素っ気ない声が投げかけられる。
「帰るぞ」
「あ、うん!」
 慌てて鞄に筆箱を突っ込み彼の元へと駆け寄った。彼はすでに廊下を歩き出していてその背中をいつものように追いかける。
 二階の真ん中の教室から昇降口へ。
二人は同学年だがクラスは三つ離れているため一旦彼は下駄箱の向こう側へと消え、出口で合流する。靴に足を入れて一歩外へ踏み出すとむあっとした夏の空気が身を包み、強い日差しが目を焼いた。全身の毛並みの一本一本に湿気がまとわりつく不愉快さを振り払うようにヒゲを膨らませると隣を歩く透真も物憂げにあちぃと独りごちた。
 透真はエルリスが国の制度を利用して養子となった相模家の長男だ。
 かつて獣人たちの世界が枯枝病という難病に侵されたときからの慣習はその病が駆逐された今でも綿々と続いている。エルリスは両親を不慮の事故で亡くし天涯孤独の身となったとき、この世界へと来ることを決めた。いや実際にはエルリスには選択権などなかったのかもしれないけれど。けれど、エルリスは幸運だった。養父母は勉強熱心で獣人にも理解があり、実の息子と変わらぬ愛情をエルリスにも注いでくれた。だからこそエルリスは透真と実の兄弟のように育つことができたし、今もこうして同じように同じ高校に通うことができているのだから。
「…期末、どうだったんだ?」
 降りしきる蝉の大合唱の中でも彼の声を拾えないなんてことはない。ぽつりと問われた言葉に見上げれば、鋭利な眼差しは相変わらず真っ直ぐに前を見ていた。
「全部平均点は超えてたよ」
「すげーじゃん」
「へへ…透真は?」
「フツー」
「普通って…」
 透真は頭がいい。学年でもトップクラスの成績で帰宅部なのにスポーツも得意でその上目元涼やかな好青年とくれば女子生徒が黙っているわけはない。しかし当の本人はきゃあきゃあと騒ぎ立てる彼女らを尻目に今日もわざわざ「弟」を教室まで迎えに来てはさっさと家路に着いてしまう。
「つーか、じゃあなんでさっきあんなしょぼくれた顔してたんだよ」
「さっき?」
「教室で。ため息ついてただろ?」
 そこでようやく彼の瞳がこちらを見た。この国に住むほとんどの人間が持つ漆黒の色が濡れて艶やかに光る。それは夜の色。何もかもを見抜く柔らかな暗闇にまるで飲み込まれそうになる。この目に見つめられたらとてもではないけれど隠し事などできない。それはエルリスにとって今も昔も変わらぬ真理だ。
「……ええと…あのね、明日調理実習があって…」
「調理実習?お前得意だろ?」
「うん、料理は得意なんだけど…そうなんだけど…」
「なに」
 いつの間にか二人の歩みが止まっていた。いよいよ本格的に見つめられエルリスは口ごもる。これは言うまで解放されないパターンだ。こうなってしまったらもうエルリスには胸中を吐露してしまう以外に頑固な「兄」から逃れる術はない。
「……あの、クラスの子が、獣人と一緒の実習は、その、やだねって言ってて…その…」
 ぼそぼそと告げると彼は正に苦虫でも噛み潰したかのように顔を歪めた。それは怒りなのか呆れなのかその両方だろうか。
 獣人への理解が進んだ社会とはいえ、そこには少なからず程度の差がある。特に若い世代にはその差異が顕著に表れることがあった。未だ学び舎という狭い世界から出たことない青少年たちだ。これまでの人生で一度も獣人と心を交わしたことがない人ももちろんいるだろう。そういう人々はやはり獣人の姿に少なからず拒否感をおぼえるものらしい。特に全身を毛に覆われた姿、それは無論手や足にも及ぶのだけれど、その形だけは人とよく似た手や足にみっしりと毛が生えている様を嫌悪する人たちが一定数いるのも確かだ。
 だから仕方がないとは思うんだけど、と言い連ねるエルリスにますます透真の機嫌は急降下する。
「だから黙って溜息ついてたって?」
「え?だ、だって、」
「だってじゃねえよ。言い返せよ。料理する前には念入りにブラッシングして、マスクして、エプロンして、プラスチック手袋までして、それでなんか文句あんのかよ」
「みんな知らないから…」
「だぁかぁらぁ………あーもー…」
 そこまで言いかけて、結局途中で口を噤んだ透真はがしがしと後頭部を掻いた。それが彼の苛立ちとか照れを隠す仕草だと知っているエルリスは思わず瞬きを繰り返す。
 透真とはエルリスがまだ申し訳程度の目鼻しか持たない仔猫だった頃から遊ぶのも食べるのも眠るのもときには喧嘩するのも共にしてきた。とはいえ小型の猫獣人の寿命は人より短く、だからこそ透真より早く「大人」になったエルリスは彼が所謂思春期の難しい年頃だということはよく理解しているつもりだ。けれどもそれだけでない、彼はここ最近時折ではあるが実に難解な表情を見せるようになっていた。子供の頃とは違う。エルリスにはそれが彼のどんな感情を表しているのかどうしてもわからない。
 やはり表情による表現を知らぬ獣人にはその機微がつかめないのかと歯痒い思いでエルリスが尾をぱしぱし振るえば、透真がちらりとこちらを見下ろした。
「…お前さ」
「え?」
「考え込むとそれやる癖、やめない?」
「あ、ごめん…」
「かわいいから、ずるい、それ」
「ごめ………へ?」
 エルリスが思わず間抜けな声を出したのと日差しが遮られたのはほぼ同時だった。黒い髪が瞳の先を横切り、ほんの近くに彼の整った顔立ちがある。あれいつの間にしゃがんだんだろうとぼんやり思ったのは一瞬で、次にはもう鼻先に触れる柔らかい何かがあった。
 それが、彼の唇と。
 気付いたのはやはりほんの少しあとで。
「!!???」
「あー…やっぱかわいい」
「ととと、とと、とうま!?」
「お前のその顔、反則」
「ちち、ちが、なななななにやっ…!!」
 思わず鞄を抱きしめたまま固まったエルリスを余所に透真は素知らぬ顔で立ち上がると空を仰ぎ、うーんと伸びをした。そうして向けられる鮮やかな笑みにエルリスは思わず今しがたのことなど忘れてぽかんと見入ってしまう。青い空と白い入道雲を背景に彼は笑う。あまりにも清々しく、伸びやかに、それはエルリスが何度も何度も見てきた彼の本当の顔。
「アイス、買ってこうぜ」
「………う、うん」
「なに食う?金ある?」
「…ガジガジくんのソーダ…お金はある」
「じゃあ俺スイカボーね。おごって」
「なんで!?お小遣いは!?」
「本買ったらなくなった」
「また…またなの…母さんに叱られるよ…」
「もう読み終わったから貸してやるよ。エルも好きだろ、推理小説」
「……好きだけど」
 先程のは幻だったのだろうかと思えるほど、普段の兄弟の会話の続きが始まって行く。なんでもないように装いながら、エルリスはとりあえずすべての思考を停止することに決めた。何もかもがきっと暑さのせいで、きっと夏のせいだろう。だって太陽の光はこんなにも眩しくて、見上げた空はこんなにも青い。だから。
「エル、」
 さっきからうるさくてしょうがないこの心臓もきっときっとこの夏のせいなのだ。





相模 透真 さがみ とうま
男子高校生。成績優秀だが、寡黙。社交的ではない。感情があまり表に出ない。

エルリス・ローディア
愛称はエリィ。男子高校生。小型の猫獣人。身長131cm。ごく一般的な茶トラ柄。成体。両親を枯枝病で失い、国の制度を利用して相模家に居候している。小型獣人の寿命は50年程度。


2015.08.02

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