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カルーセルは飛んでゆく

 店には大きな煉瓦造りの古風な竈があるが、現在それを使用することは技術的にも物理的にも不可能だった。実際、このような《超古典的》用具を扱える人間は今や世界に酷く限られている。余程なマニアか余程な長生きか。少なくとも後者の場合、数千年以上の寿命を必要とするので、実際には存在していないと言って良い。専ら前者が、古き良き時代とやらを惜しんで、これらの用具を後生大事に骨董店で扱っていたりする程度。この《DEATHE MARCH》にある竈も恐らく何度も倒壊の危機にあいながらも、何らかの要因で受け継がれてきたものだろう。残念ながら店主である帽子屋ことアゲート・ジェサイアにはマニアな趣味はないので、ひたすら宝の持ち腐れであるが。物には何の未練も持たないタチの彼にしてみれば、喉から手が出るほど物を欲するという感覚自体、さっぱり解らない。出来得ることならこの竈だって、特に利用価値もないのだから、欲しいという人に売り払っても良いのだが、如何せん竈は店と完璧に一体化していて、正に運命共同体。一蓮托生。釜が消える日は店も、アゲートも消える日だろう。
 そういう訳で今日も甚だしく強烈な存在感を放つ竈を横目に、アゲートは緑色のオーブンでラザニアを焼く。《火》の魔道を使用した機械は正確な温度と正確な時間と共に香ばしい匂いを漂わせ始める。チーズが焦げる直前。何時も通りの仕立ての良いスーツとシルクハットを被った帽子屋はミトンを嵌めて、白い皿に納まったラザニアを取り出す。トマトソースとホワイトソース、そして卵色をしたラザニア生地を何層にも重ね、仕上げにチェダーとパルメザンの、二種のチーズを振りかけて焼き上げた一品。ぷつぷつと焦げるチーズの香りも芳しく、帽子の上のカメレオンも眼を覚ます。ぱちりと開いた黄色の瞳が目敏くラザニアを見咎めて、彼はゆったりとシルクハットから移動を開始する。開店前の僅かな午後。それが二人にとって貴重な食事と寛ぎの時間である。街は正に茹だるような暑さの中、多くの人々が活動している時間帯。未だ「CLOSED」の札の掛かった店の中には人の影はなく、ただ天井のファンの音と、とろけたチーズが炎天下のイタチのようなラザニアの匂いだけが静かに満ちていた。
 調理台の隅においてある緑色のベルベット張りの椅子を引っ張り出す。ついでに引き出しから銀色のスプーンを掴み、腰を下ろした。アゲートは右利きなので、カメレオンは必ず左腕に留まる。鱗に覆われた尾をぴしりぴしりとやりながら、ラザニアを見つめている彼の期待に応える為、柄の長いスプーンで小さくラザニアの生地を切り、トマトソースとホワイトソースを絡める。熱い湯気をあげるそれに息を吹きかけ、適温にするべく努めるのはアゲートの役目。何時からか、と問われれば最初から、としか言いようがない。極当然に定まっているカメレオンと帽子屋の距離だ。
 「冷めた」というよりは「冷えた」ラザニアを口へと運んでやると、素直に彼は巨大な口を開けた。爬虫類にあるまじき悪食はすでに彼の特異体質として定着してしまっているのだから仕方がない。本来ならばカメレオン、無論、白と黒のピエバルドカメレオンも小さな昆虫類を長い舌で捕食する。だが、チェスという名を持つ彼はその《自然》を最初から無視しており、人が食べるような食物を雑多に好む。その中でも特に「ラザニア」を好むのは、恐らくアゲートとチェスの奇跡のような《不自然》が関係しているのだろうが、それを事細かに今、語る時間はないだろう。何しろ、正にアゲートが自分の分の、熱いままなラザニアを口に運ぼうとした時、無遠慮にも店のドアが開いたのだ。全く、史粋といい、《彼女》といい。看板なんてあってないようなものだ。
「邪魔するわ」
 妖艶な響きを持った声を響かせて、店の中に入り込んできたのは二人の女性と一匹の犬だった。一人の女はまるで鴉の濡れ羽根色とでも言うべき漆黒の髪を、高く結い上げ、数本の後れ毛を頬へと垂らしていた。気が強そうなアザレア色の瞳。細い眉に付け睫毛が見事な曲線を描いて据え付けられている。その豊満な身を包むのは、ダークグリーンの、そう正に軍服。身体にぴったりとしたデザインは彼女特有のものなのか、細いウェストがありありと解る。だが、それが猥雑な街によくあるコスチュームプレイの類ではないことは、胸にある紋章から露骨に明らかだった。三頭に六対の翼の神。再生神ユグドラシル・EA・ケルヴィムを掲げるのは世界で唯一の秩序、世界復興機構。通称、WRO。彼女の紋章は軍隊と宗教を一体化した組織において、地方最高の地位を現す。即ち、《ヤツハカ》の正式名称としての、第十七番再生復興都市におけるWRO第十七分団分団長、ボルドー・カッツィア。不幸なことに、帽子屋はその名を知る。
 そして、もう一人。毛の一本も残さず剃りあげた頭に能面のような表情。女にあるまじき長身を誇り、ボルドーの背後に、常に影のように控えている女性。スーツに包んだ四肢は屈強で恐らく胸すらすでに鋼の如き筋肉なのであろう。女の腕一つで強大な軍部を取り仕切るボルドーの忠実な懐刀。魔機を装備して繰り出す拳は地面すら割り砕く、と専らの噂。鋼鉄の女、イルイップ。彼女の体温を感じさせないブルーの瞳が帽子屋を値踏みするように一瞥した。更に二人にぴったりと寄り添って離れない犬は一匹のドーベルマンだ。寡黙なのか、それとも任務に真面目なのか。金属製の首輪をした雄犬は軍用犬として名高いかの犬種に特有の存在感あるしなやかな身体を落ち着かせて、大人しく二人の軍人に従っている。しかし、その鋭利な視線だけは帽子屋に向けられて離れない。平静さを装いつつも、チェスが只ならぬ緊張感を感じ取ってアゲートの腕から帽子の上へと移動した。
 アゲートは敢えて何かリアクションを取ることを放棄して肩を竦める。全く、最高の午後に最低の客人だ。呼んでもいないってのに。
「御機嫌よう。お久しぶりね、ドクター・ジェサイア」
「………聞き覚え名の無い名だ。お嬢さん、その若さで痴呆かな?お気の毒に」
「御託も嫌味も結構。聞き飽きたのよ、いい加減」
 言葉とは裏腹に少しも苛立った様子なく、彼女はルージュを引いた唇で弧を描いてみせる。それは彼女が何時も見せる余裕の意志表示でアゲートも少しだけ笑ってみせた。成る程、本日はどうやら「勝負」をしに、やって来たわけではないらしい。だとしたら、何の用だというのか。世界を、知識を、全てを捨てた末路の帽子屋に。異形の証である角と孔雀石のきらめきを宿す瞳を閃かせ、帽子屋は椅子を鳴らす。
「ならば何用かな?ああ、一夜の共をお探しなら他を当たってくれ。生憎と、此方は可愛くない爬虫類で手一杯だからな」
「口が過ぎるわね、ドクター。相変わらず紳士に下品で素敵よ」
「お褒めに預かり光栄だ。光栄ついでにとっとと出て行ってくれれば嬉しいがね」
 見ての通り食事中だ、と言えば、彼女は一瞬わざとらしく眼を見開いてから、口元を手で覆った。上等の黒の皮手袋。それは彼女がエナメルの塗った指先で容赦なく銃火器を扱うことを如実に示している。美意識が天より高い彼女のポリシー。幾つかあるそれらは、一つもアゲートに理解出来ることなんてない。
「まあ、私よりそんな生ゴミみたいな食事の方が大事だっていうの?」
「高貴な軍人様と違って一般庶民には生ゴミだって豪勢な食事だよ」
「ご冗談を。ドクター…かつて世界最高峰の魔道の研究者と謳われたドクター・ジェサイア!いい加減に眼を覚ましたら如何?このような場所で腐っていたら優秀な頭脳も宝の持ち腐れだわ」
「…だから君の野望に加担しろと?御免被るね」
「野望?私の可愛い望みを野望だなんて、怖い方」
「怖いのは君だろう。………一体、今度は何を作った?《その犬は、何だ?》」
 冷たい声で告げる。すでにアゲートは気がついていた。ひっそりと控える犬のまるで、押し殺したかのような殺気。否、実際に押し殺されている殺気に。優秀な軍用犬とはよく言ったものだ。あれは、明らかに、違う。そうではない。《アレ》は犬の皮を被った得体の知れない、何か。アゲートの孔雀石の視線を受けて、犬が、低く、唸る。威嚇の姿勢と唸り声は、徐々に大きく、徐々に痺れにも似た緊張感を運び、理知的だった犬の瞳が、変貌する。
 ぐりん、と。
 白目を剥いた犬はガァッと化け物のような雄叫びを上げると、牙がずらりと並んだ口から泡を吐いた。まるで、狂犬。何がスイッチだったのか。完全に理性を失った犬は爪を床板に引っ掛けると、力強く地を蹴った。気違った犬の眼の先、あるは勿論、一人の帽子屋と一匹のカメレオン。しかし、確実に狂った犬の牙と爪を受けると解っていながら、帽子屋は姿勢一つ崩さなかった。ただ、小さく白と黒の爬虫類の名を呼ぶ。チェス、とアゲートが、彼自身が、付けた名を。
 やはりそれは一瞬の出来事のように思えた。黄色の瞳を一度大きく見開いたカメレオンは主人に応えるかのように、その身を一筋の雷撃へと変貌させた。鮮やかな雷鳴。全身を分子にまで分解し、高速で衝突を繰り返させ、電気を発生させる原理は雷と同様。正に天空から降り注ぐ小さな雷の如き剣が、瞬きの間に、犬の身体を貫いた。じゅ、と肉が焦げる音。僅か遅れてどさっと意識を失った犬が痙攣しながら床に落ちる音が聞こえた。チェスはと言えば。すでに自分のカメレオンとしての身体を取り戻し、何事もなかったかのように帽子屋のシルクハットのツバの上で、尾を振っていた。その表情は感情が読み辛いと言えど、明らかに嘲笑の意味を含んで、鼻で笑っている。
 しかし、自分の愛犬を殺されたというのに、軍服の女は素晴らしいわ!と眼を輝かせて、手を打ち鳴らした。彼女のアザレア色の瞳は歓喜と感動を含んで帽子屋へと向けられる。その眼には、アゲートにも見覚えがあった。技術と力と才能と可能性に、溺れている者の眼だ。それしか見えず、他を省みれず、堕落していくものの瞳。この手の人物に高尚な説教をしてやったところで無駄なことは重々解っていた。何しろ、それは過去の自分を見ているようで。全ては解りきった自体。自分は道を踏み外れ、道を失くし、彼女はこれからそれを失くすところなのだ。
「やはり、機械妖精の上を行く存在…《生物魔機》の開発にドクターは欠かせぬ人物と、再認識しましたわ」
「………ナンセンス」
「本日は失礼致します。ですが、次は…必ず首を縦に振って頂くわ。―イルイップ!犬を回収なさい。研究室に検体として送るのよ」
 それでは、と艶美な笑みと共に会釈をした女の後ろを、無言のまま犬を抱え上げたイルイップが忠実に付いてゆく。ぱたりと閉まったドアの先を見つめながら、アゲートは大きく息を吐いた。何だか、酷く疲れた。ラザニアはすっかり冷め切ってしまって、最早熱の余韻すらない。散々だ。午後の貴重な時間が。これを完全破壊されたダメージは相当大きい。今日はもう店を開けずに臨時休業にしてしまおうか。そして、安物のワインを片手にピクルスでも抓むのだ。そうだ。それが良い。同意を求める為に、帽子の上を伺うと、パンダカメレオンの相棒は未だドアの方向を見つめたまま、じっと黙っていた。彼は恐らく最初から気付いていたのだろう。《同胞》とも言える、あの犬に。否、彼が同胞だというなら、それは自分もか。チェス、と呼べば、彼がああ、と返す。
「気にしなくて良い」
「…てめェもなァ」
「私は気にしていないとも」
「へ、どーだか。まァた、ぐすぐす泣いたって、今度は慰めてやらねェゼェ?」
「………何年前の話だよ…」
「ずーゥッと、昔。アゲートが糞餓鬼だった頃の話ィ」
 今だって糞餓鬼だけどな、とげらげら笑う爬虫類にアゲートは苦笑する。ああ、そうだ。ずっと、ずっと、前から。一緒だった。彼だけが、チェスという名の彼だけが、アゲートに与えられた全てだった。名も、姿も、全てが。曖昧になった時も彼のことだけは、現実だった。確かなものだった。白と黒と黄色。鮮やかな色彩はアゲートを正気に戻した。狂える世界から、腐っても真っ直ぐな世界へ。一本、引かれた一つの道、一つの命。それを、彼と、生きる、と。
「まァ、あんま心配すんじゃねェ。いざってェ時は、この俺様が一緒にいてやっからヨォ」
「それは甚だ不安だな」
「ンだと、てめェよりはよっぽど頼り甲斐があるってェの!」
 憤慨した《相棒》に冷めたラザニアを一口掬って差し出せば、彼は思わず黙り込んで、それを咥えた。一瞬の沈黙。顔を見合わせた一人と一匹は、やがて喉の奥から込み上げる笑いを耐えられなくなった。嗚呼、全く何年経っても、否、何年も経ったからこその、この緩やかな時。ほんの少しだけ、永遠を願ってしまうような。過去の罪も、これからの罰も何もかもが忘れえるような。そんな。そんな静かで小さな時間が続けば良いのに、と。肩を震わせながらも僅かに感傷的な気分に陥った帽子屋は、けれど次に再びドアをぶち破る勢いの闖入者で我に返る。
「帽子屋ー!!聴いてくれよ!今、そこですっげークルマ見てさぁ!すっげーっての、あんなの初めて見た!軍用車かなーやっぱ良いなあークルマは良いよなー!パーツ代嵩むし、赤字んなるけど作ってみっかなぁ…火の魔機の中古とか、どっかにいいのあるといいんだけどなあー!」
 黒い短い髪に瞳も黒。だが、その左目の黒目部分に黄色で蜜蜂を彫り込んだ義眼を仕込んだ長躯の男が、マシンガントークをかましながら入ってくる。屈強な身体を薄汚れたツナギで覆い、油と金属の強い匂いが鼻を突いた。異貌の左目の周囲を覆う黒の甲殻が、彼を異形であらしめる存在だと伝えている。それも俗に《寄生虫》と言われる、後発型の異形。人間だった生を剥ぎ取られた、物悲しい存在でありながら、彼にその悲壮はない。単純に、そんなことを、深く考える脳味噌が足りていないのかもしれないが。勢いで捲し立てる男―蜜蜂の声を、右から左に聞き流しながら、帽子屋はこっそりと、しかし重苦しい呟きを落とす。
「………当店のお客様は文字が読めない方々ばかりなのか…?」
「日頃の行いってヤツだろうがヨォ」
 欠伸をしたチェスの呟きが殊更憂鬱に帽子の上に転がって、アゲートは今度こそ本当に巨大なため息をついた。





ドーベルマン (Doberman)
大戦前に存在していた国、「ドイツ」で一人の収税人によって繁殖に成功した犬種。中型で短毛。筋肉質の逞しい身体を持ち、理想的な流線型のボディラインを持つ。精悍で警戒心が強く、狩猟犬の他、軍用犬としても以前から重宝されてきた。結果として、戦後の混乱期による雑種化をほぼ免れ、今でも軍部の忠実な《犬》として、多数のドーベルマンが活躍している。生真面目で機械的、評価や報酬を求めず、労力を苦としない性格の個体が多い為、《軍犬》としては正に最適。

出現頻度:B 害獣認定ランク:D 危険度:C


06/08/08

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