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愛する夜のブルーマルガリータ 3

 本日、八の第二周期、四日目。世界は事もなく、茹だるような、蒸しあがるような熱が続く街、《ヤツハカ》の片隅。獣商を営む一人の異形の青年―ネーヴェは長い髪を高く結い上げ、くぉんくぉんくぉん、と気の抜けた音を発するファンが、気だるそうに回転するキッチンで巨大な肉の塊を切り分けていた。開け放された小さな窓から吹き込む風さえ、暑い。今にも生肉がミディアムレアになってしまう、とは過言であるが、全くの冗談にはならないぐらいの熱気に包まれた部屋で、ネーヴェは汗一つかかずに無言で肉切り包丁を振り下ろす。水っぽい肉汁が滴る肉は牛肉であるが、正確には《牛肉》ではない。
 今更誰も気に留めないが、現在《肉》と呼ばれているものの全ては、工場生産の《擬似家畜》の肉ということになる。かつて、それはもう文献でしか認められないことだが、《家畜》という名の獣が現存していた時代には、それは本物の《肉》、であったのだろう。しかし、人間の手を加えることでしか生きられなくなった《家畜》は戦後の混乱期にそのほとんどが絶滅。残った《家畜》も九割以上が何らかの汚染を受け、とてもではないが食用に値するものではなくなってしまったらしい。それでは、と食肉を好む人間たちは他の獣たちに手をかけようとしたが、すでに時は新時代。知能を有し、言葉を解するようになった獣たちを《家畜》として扱うことは最悪に困難で、更に世界の秩序たる軍部からも、「隣人や害獣としてならば兎も角《食用》として獣を扱うのはどうか」といった議論が飛び出し、結局のところ、新世界暦345年の《世界食料サミット》において、家畜の全廃と高知能動物を食用として殺すことが禁じられた(《屠殺禁止法》WRO民間第八十六条)。それ以降、瞬く間に普及したのが《擬似家畜》―生産食肉というわけだ。
 ネーヴェは別段神でも仙人でもなく、普通に二十五年前にこの街に生まれ落ちた、普通の異形である。よって彼自身、肉と言えば《擬似家畜》の肉のことであり、それに別段疑問を感じたことさえもなかった。一体、何が原料なのか寡聞にしてネーヴェは知らないが、牛肉は牛肉で豚肉は豚肉で鶏肉は鶏肉だ。ネーヴェは《牛》という生き物を本の挿絵でしか見たことがなく、《豚》も《鶏》も同様に詳細な線画を見たに限られる。それが如何に滑稽なことなのかを思い知ったのは、最近見る見る内に知恵と知識を蓄えてきた二匹の大蛇の子らの、とある素朴な疑問によった。先に口を開いたのは夜叉で、それは「肉とは一体何なのか」という至極単純な質問だった。答えるのは容易い、「それは生き物の体の一部分だ」と(今更説明を企ててみるとそれは酷く生々しかった)。すると、夜叉の後を継ぐように夜牙が口を開き、「ならば自分たちが普段食べている《肉》は何の生き物なのか」と問うた。
 ネーヴェは返答に窮した。
 牛だ、というのは(その時も彼らが主に食していたのは《牛肉》だった)容易かったが、正確には牛は牛であって牛でない。真実を言うならば、それは「《牛肉》を模した《牛肉》という名の製品だ」ということになるだろうが、それでは知識を得ることに、非常に貪欲な子蛇らは納得はしてくれなかった。よって、ネーヴェは書庫の大量の本を引っくり返し、新しい世界の歴史から、《擬似家畜》が法律で定められるまでを一から十まで一日がかりで教える羽目になった。最終的に彼らが納得したのか、それは微妙なところだったが、とりあえず膨大な知識を詰め込み、更にネーヴェが一日付き添ってくれたことに満足したらしく、日が暮れる頃にはネーヴェにその長い身体を巻きつけながら、仲良く就寝していた。
 それはある晴天の日の話である。
 彼らは孵化後、一週間で生まれたての様相から一匹の個体としてそれらしく成長を始めた。漆黒に濡れていた鱗は乾き、金色の幾何学模様は遺伝子情報を元に、正確にまた複雑に現れ始め、更にキューイ、という甲高い鳴き声に混じって、覚束ないながらも言葉を操るようになったのが生後約一ヵ月後。彼らは驚異的なスピードで成長を遂げるようだった。それは無論、人の飼育下であるということも一つ要因なのだろうが、後発的な言語取得―つまり環境から言葉を学ぶ、人間(異形含む)に比べて、彼らは些か先天的な言語取得量が多い気がした。果たしてそんなことが可能であるのか、ネーヴェは専門家ではないから解らないが。けれど、獣が言語の第一段階として使用していた《声》が、先天的であることを考えれば、それもまた不可能とは言い切れないようにも思えた。更にネーヴェが学習要素として、古びたテレビを与えるよりも先に、彼らは教えたこともないような幾つかの言葉を知っていた。曰く、「木」「母」「獲物」「肉」「水」「眠る」「瞳」「影」「道」、などなど。簡単な単語ではあるが、無口なネーヴェが理由なく、これらの言葉を連発したとは考えづらく、それはやはりネーヴェの推測を僅かながら裏付けしているように思えてならなかった。
 ある程度肉切りを終え、ネーヴェは山のような塊の肉をステンレスのボウルに放り込む。肉汁で汚れた手を、冷たい水道水で洗い、それから、籠いっぱいに盛られた鶏卵(と言ってもこれもまた工場生産だが)を片手に引っ掛け、ネーヴェはボウルを両手で抱えた。彼らは食事を五日に一度程度しか必要としないが、その分、量は半端なく多い。しかし、まだ体長精々三メートル、脱皮回数は三回、身体の太さも脹脛の域を出ず、カニバリーパイソンとしては子供も子供。成体に至るまでには少なくとも倍は成長しなくてはならないだろう。その日までにどれほどの食料を消費するのかは、あまり考えたくない。だが、惜しむこともしたくはないので、ネーヴェは黙々と重たい肉と鶏卵を抱いて、地下への道を歩く。暗い廊下に平坦な階段。沈んだ色の重たい木製の扉は鍵が掛かっていないが、よく言い聞かせているので、彼らも積極的に悪戯をしようという以外は開けようとは思わないようだった。というかまだ身体が軽くて無理だろう。ネーヴェは空いた片手でドアノブを回し、身体全体を使って押し開ける。ぎぎぎ、という音と一緒に少しだけ冷たく、湿った地下特有の空気が噴き出した。そして鼻先をくすぐる苔の香り。鱗がしゃりりと擦れる音が響いて、律儀にネーヴェの登場を待っていた子蛇の声が―否、すでに少年の域を出ようとしている硬質な声が届く。
「ネーヴェ、」
 部屋の隅でとぐろを巻いていたのだろう。緩やかに鎌首をもたげ、金色の瞳にネーヴェを映し出すと、彼は静かに眼を細めた。三角形の頭は生まれた当初よりも鋭さを増し、鼻先にあった卵角は無論、すでに消え去っている。しゅるりと伸びる真っ赤な二股の舌が食事の気配を読み取って忙しなく動く。すでにどっしりとした大蛇の風格を現しつつも、密林で樹上を移動する彼らは思うよりも俊敏に全身の筋肉を動かすことが出来た。タイルと鱗の触れ合うしゃりりという音。橙色の照明に輝く鱗はまるで鉱石のようで、「密林のブラックダイヤモンド」というあだ名を決して裏切っていなかった。
「夜叉、」
 ボウルと籠を降ろし、ネーヴェが呼べば、知恵ある者は嬉しそうに寄り添ってくる。大きく育った頭を掌で撫でてやれば、余計に頭を押し付けてくる仕草がまるで子供だ。否、まだ本当に子供なのだけれど。夜叉は夜牙よりも俄然、大人びた口調で話すようになってきたので、最近、ネーヴェは錯覚を催すようになってきていた。彼らを養っているのは、勿論ネーヴェなのであり、彼らはまだ世界を知らぬ子供たちだ。だが、時折、彼らが見せる何というか、成長した感情の、片鱗、とでも言うのか、落とされる言葉の真理や瞳の強さはネーヴェを感動させるには十分だった。自分で言うのも何だが、随分と器量良く、賢く育っているとは思う。《子育て》など最も程遠い言葉だと思っていたし、全ては戸惑うことばかりではあるが、こうして彼らが素直にネーヴェに向けてくれる愛情は何処か心地良かった。
「おはよう、ネーヴェ」
「おはよう。夜牙は?」
「知らねぇ。まだ寝てるんじゃないか?」
 暑い夏はほぼ夜行性となる彼らにとって、昼間から惰眠を貪っているなんてよくあることだ。漆黒の鱗を煌かせた夜叉は、恐らくネーヴェがやってくる時刻を予想して起き出しただけだろう。それか真綿の部屋が暑苦しくなったのか。テレビが点いていないところを見ると、別段知識の吸収に躍起になっていたわけではなさそうだった。しかし、夜牙はいない。二匹の子蛇は常に行動を共にしているというわけでは流石になくなってきたので、不思議なことでもないが。恐らくドーム型の部屋の中、夜叉の言う通り眠っているのだろう。夜叉に比べて、彼は心配になるくらい、よく眠る。
 ボウルの中の肉を取り出し、夜叉の鼻先に持ち上げながら、ネーヴェは夜牙、と呼ぶ。部屋の中に声が反響しただけで、返事はない。食事に眼を輝かせ、巨大な口を開いた蛇に何の遠慮もなく肉の塊を手で入れながらもう一度呼んだが、しかし返事はなかった。夜叉はくくく、という音をさせながらあっという間に肉を飲み込むと、次を催促する。彼らにとって一口とは本当に一口であって、食事の前菜に過ぎない。もっと、という甘えた声と共に開かれる口に、並んだ牙が見える。ちょうど口先に当たる部分に歯はなく、その両脇に長い牙が二本。だが、それらは毒を含まず、獲物の動きを単純に止める為にある。カニバリーパイソンの最終兵器とも言うべき毒牙は最奥。潜んだ奥歯に仕舞われていた。だから、理屈を捏ねるのならば、カニバリーパイソンにちょっと齧られたぐらいでは確実に死ぬことはない、ということになるが、しかしあのアイスピックみたいな牙に一刺しされたら、「ちょっと齧られた」程度では済まないだろう。それに本能として、巨大な獲物を捕らえた時、彼らには身体を捻って絡みつく、という習性がある。恐らく、人間ぐらいならばそれで肋骨から何から、全てがばきばきに折れ曲がり、内臓を突き刺すか何かして即死だろう。―人食い、と恐れられるのも納得だ。
 けれど、ネーヴェは恐れるべくもない。ただの作業の繰り返しで、ボウルから肉を拾うと彼の口に押し込んでやる。やはり彼が肉を飲み込む。夜叉の牙は決してネーヴェに突き立てられることはない。それこそが、ネーヴェが彼らを養うにあたり、最も心配された事象だったのだが、杞憂は無意味だったようで、彼らはネーヴェを完全に養い親と思ってくれているようだった。何を疑問に思うことなく、ネーヴェが来るのを心待ちにし、ネーヴェの手から餌を喰らう。時に寄り添って昼寝をするぐらいに、そう、ネーヴェという獣商人としては考えられぬほどに、大蛇の子との距離は近かった。やはり、卵から育てたのが、大きな要因だったのだろう。全く人を人として警戒せず、威嚇しない彼らは、商品としても申し分なく、またネーヴェのポリシーには反するが、愛情を惜しみなく注ぐにも申し分ないぐらいに素晴らしく成長していた。
「夜牙を起床させる」
「…俺の飯は」
「一人では?」
「できるけど…」
 何故か少しだけ面白くなさそうな夜叉は、しかし、そう言うと自らボウルに頭を突っ込んで器用に肉を飲み込み始めた。ネーヴェが不思議に思うのは、夜叉も夜牙もそうやって自分で餌を摂ることができるにも関わらず、ネーヴェの手からの給仕を望むことだった。野生の獣にとって自分で餌を摂れるようになることは何よりの誇りだと思う訳だが。ひょっとしてまだ子供だから甘えているのだろうか。それとも、ネーヴェが変な癖をつけてしまったとか。本来ならば彼らと同じカニバリーパイソンの母親が当たり前のように行っていることを、ネーヴェが無知からしてやれないのは、酷く不憫なことをしていると思うのだが、しかしこればかりはネーヴェにはどうしようもなかった。ネーヴェが持つのは、ある程度の知識と二本の腕と二本の脚とそして脆弱な翼。
 その中でも二本の脚を繰り、ネーヴェはドーム型の部屋に赴く。小さな出入り口は短いトンネルのようになっており、屈んで約三歩。真綿と水苔の敷かれた部屋は元々、彼らの孵化用に作ったのだが、その後も二匹の《巣》として、大いに役立っていた。ふわりと足が沈むくらいに綿が敷き詰められた部屋は仄暗い灯りしかなく、奥を伺うのが難しい。干草のような綿の匂いが充満した部屋でネーヴェは大蛇の名を呼ぶ。夜牙、と。静かな声は狭い部屋に響いて、そして。
「ネーヴェ!」
 晴れやかな声がぱっと響いて、ネーヴェは腹の辺りにぐいーと押し付けられる鼻先の温度を感じた。見下ろせば、眼を細めた夜牙がぐりぐりと頭をすり寄せてきている。一体今まで何処に潜んで眠っていたというのか。突如現れた漆黒の子蛇は、その頭にネーヴェの指先を受けて、満足そうに身体を揺らした。そして、暗闇でも輝く、金色を丸くしてもう飯か!とのたまう。素早く嗅覚が肉の匂いを捉えたのだろう。嗅覚、視覚共に優れた大蛇らしいが、しかしそれで夜牙がネーヴェを差し置いて飛び出していくということはなく、彼は鱗を揺らめかせてネーヴェの身体に、無遠慮に巻きつきながら昇っていく。全身を使い、器用に、十分重たい子蛇はネーヴェの右肩から首筋を撫で、左肩に頭を据えると、早く、と言いたげにネーヴェを見た。まあ、別に良いのだけれど。
 じゃれ付く子蛇を担いで巣の外へと出る。見れば、肉を半分残し(恐らくこういう配慮もネーヴェの教育の賜物だろう)夜叉は鶏卵を一つずつ丸呑みしているところだった。金色の刃を潜めた瞳が、ネーヴェに乗っかった夜牙に向けられ、途端に尾の先がぴしりとタイルを叩く。それは彼らの不機嫌の表現の最たるもの。しかし、何故今その行為が行われたのか、解らぬネーヴェは首を傾げたが、夜叉は鋭さを増した瞳と共に威嚇するような勢いで低い声を喉の奥から出す。
「ネーヴェの上から退け」
「んで、お前にそんなこと言われなくちゃいけねぇんだよ」
「当たり前だろうが。お前こそ自分の重量解ってんのか」
「ネーヴェは平気だって言ったぜ」
 言ってない。
「関係あるか。ネーヴェと俺たちは違うんだよ。退け」
「嫌だっつってんだろうが。大体、一々俺のすることに口出しすんじゃねぇ」
「…あ?」
 それで空気が変わった。別に夜叉は凶悪な性格をしているわけではない。それは夜牙も同じで、多少の過激な悪戯や振る舞いはあるものの、基本的には物凄く破壊衝動的であるとかそういうことはない。だが、二匹の兄弟喧嘩は、ある意味、最高にアグレッシブだった。それは何時も何てことはない言葉が発端になり、ネーヴェが二匹の遣り取りを聞いているうちに、あっという間にリングが整えられていく。そして、気がつけば、何時もゴングがなる直前で、何時も二匹は剣呑に鋭い瞳を見開き、威嚇の証拠に口を開け放しつつ、相手に飛び掛る瞬間を計っているのだ。だから、何時もネーヴェは慌てて言うことになる。レフェリーストップワード。
「喧嘩、禁止」
「「喧嘩じゃねぇし、…」」
「禁止」
 常に穏やかなネーヴェが殊更強い口調で二度もそう言えば、二匹は漸く殺気を収めて、その場は白けた。しんと静まり返った部屋でしばらく二匹は居心地悪そうにしていたが、それも僅か数十秒としかもたず、夜牙が口を開けば、夜叉もまた何時も通り静かな声を出し、或いは何時も通りの食事風景が続いていく。
 兄弟のいないネーヴェには解らぬことであるが、兄弟喧嘩というのは得てしてこういうものなのかもしれない。即ちそれはスキンシップの一部で、何らかのコミュニケーションの一種なのか、と。小難しいことを言えば、二匹は首を傾げるかもしれないが、幾ら喧嘩をしようとも、今まで致命的な怪我などが起きていないことを思えば、それは正しい推論のように思えた。夜叉の傍に座り込み、肉を掴むと夜牙に差し出す。彼は嬉しそうにそれを飲み込み、その様子をじっと見ていた夜牙にも卵を差し出してやった。実は鶏卵を殊更好むのは夜叉なので、恐らく今日も、クリーム色の卵のほとんどを夜叉が飲み込むことになるだろう。そして、存分に食らった二匹はその内、ネーヴェの周りで、しゃりりりと鱗を鳴らし、他愛もない話に興じるに違いない。何時もと同じように。繰り返される彼らとの日々。
 二匹の成長は順調だった。それは商人としても、またネーヴェ個人としても嬉しい事実。日増しに立派に育っていく彼らは、貴重なカニバリーパイソンの人工飼育下での個体となるだろう。人を恐れず、人を食らわず、市場で持て囃され、恐らく高値がつくに違いない。一商人であり、売人であるネーヴェに言えた義理でもないが、しかし、良い買い主が現れれば良いと本心としてネーヴェはそう、考えていた。
「ネーヴェ、この間テレビで見たんだが、広くて青くて、とんでもなくでっかい水溜り、あれ、何だ?」
「ん、そうそう、あれな!ネーヴェの眼の色みてぇで凄ぇ綺麗だった!」
「…食ってから喋れよ、夜牙」
「水溜り……海…?」
「「海ってなんだ?」」
 そう、考えていたのだ。本当に。心から。





牛肉(食肉工場六号社生産) 五キログラム
鶏卵(鶏卵形成工場二号社生産) 三十個
夜叉、夜牙共にほぼ半量を完食。吐き戻しなし。生育順調。

―紺色の手帳 八の第二周期四日より抜粋―


06/08/20

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