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愛する夜のブルーマルガリータ 1

 漸く氷の礫のような雨が止んだ、早春だった。
 気温は日ごとにぐんぐん上昇し、乾ききった冬の季節を経て、ちょうど良い具合に水分も得た大地は活力を取り戻し、そう、ブラックマーケットの舗装されていない僅か十センチ程度の店と店の間という大地と呼ぶにも恥ずかしいような場所でも、確かな春の息吹を主張するかのように咲く黄色い花。まるで毛玉みたいな黄色の花が「蒲公英」という名前であることを、他ならぬ店の主人であるネーヴェは知っていた。青い髪に青い瞳。補色効果をまるで無視した色彩は、街の極彩色の中でも、とてもよく目立つ。彼がその身を紛れさせてしまえる場所は、広く遠い「海」(若しくは空)でしかないだろうが、残念ながら、この街《ヤツハカ》は海岸線より程遠い内陸に位置していた。それに何よりネーヴェ自身は水の属性を持つ者では決してない。高く結い上げたアクアマリンの髪が背中につうと流され、その間から覗く小さな奇形の翼。彼が異形であることの証は、時折静かな羽音を雑踏に混ぜ込む以外には、大人しいものだった。柔らかそうな羽毛は鳥の正にそれ。だが、彼の長身痩躯に似つかわしくない小さな形からも、それが飛行に適したものではないということが解るだろう。翼持つ異形は時に《有翼種》とも囁かれるが、その本質は《有翼》であるということ以外の特徴など何一つなかった。翼持つ者でありながら、飛べぬ。皮肉な矛盾と欠落は、彼らが歪んだ者=異形の象徴であるに相応しく思える。異形はその定義を身体的に《人間》と大きく異なる特徴があることとする。それは即ち、異色の皮膚、異様な身体パーツ、異常の瞳、異貌の身体能力。人間より生まれながら、人間ではない。新人類、とその名を呼ばれたこともあったが、その当時、まだ圧倒的だった人間たちの反発にあい、何時しか新しい単語はその姿を消した。
 最も、今となってはその言葉も次第にセンセーショナル性を失って、また言葉の意味自体も失って、存在するのだけれど。
 新人類。人と獣を混ぜ合わせたかのような異形は今や世界人口の三割を占めると言われている。人間に代わって、世界を覆おうとしているのは、正に異形だ。人間より長寿で、人間より優れた身体を持ち、人間と同等の知能と才能と、そして何より生殖機能を持つ。それだけで、十分だろう。むしろ、かつての大戦で全ての希望を摘まれた人間にとって、最早凌駕されるのは慣れたものなのかもしれない。廃墟の街にしがみ付き、仮初の神に祈り、鮮やかな復興を望む。その姿は端で見ていて滑稽でありながら、理解出来なくなくもなかった。無論、「出来なくもない」話であって、積極的にそれを受け入れようとは思わないけれど。しかし、ネーヴェは、《苦楽商店街》の端っこに細々と獣臭い店を構える、異形の青年は考える。自分が五体満足の真っ当な(というのも可笑しな単語だが)人間として生まれていたのならば、果たして神に祈っただろうか、と。職業を得、妻を娶り、子供を成し、平凡ながら幸福な人生を送っただろうか、と。
「………………………」
 答えは常にブランクのままだ。ネーヴェの貧弱な想像力は、異形でなかった己を明確に脳裏に描いてはくれない。ただ、露骨な現実だけが目の前にある。年季の入った七色のパラソルの下に、座り心地の悪い椅子を置いて本を広げる。店先には鉄製のケージが幾つも積まれて並んでいた。中身は物静かな兎に神経質な鼬、それから饒舌な蜥蜴、などなど。雑踏がまるで不協和音のように響く、マーケットの通り。しかし、一向にそれらのノイズを介すことなく、日の良く当たる場所で、彼らは心地良さそうに眼を細めている。獣とは言え、騒がしいものを好まぬネーヴェは、彼らとの会話を望まない。元より無口なのもあるが、ネーヴェは《雑踏の静寂》をこよなく愛していた。まるで世界にありながら、世界でないような。行き交う人々は確かに全て生きている《実在》の人間であるはずなのに、何処か非現実感を漂わせ足早に店の前を通り過ぎてゆく。その茫洋とした感覚が心地良い。明確な《置き去り》を感じながら、それでいて《独り》ではない。サファイアブルーの瞳をゆっくりと落とした。黄ばんだ古い本の活字を追う。

―今や世界は均衡を失おうとしているのだ。
―世界は全てを失うことを《希望》した。
―それは《本能》に背く行為でありながら―嗚呼、しかし考えてみれば一体どれほどの《背き》を人間は行っただろう。

 ……、…、新世界暦3006年発行。『背徳に背いて』。心理学者トワース・ビート・ワース著。どうもセンスが悪い。ネーヴェの読書は惰性のようなものだったから、明確な利益を求めているわけではないけれど、それでも、どうも、この著者は読んでいて気分が悪い。当然の言葉を当然のように並べ立て、さも非現実を謳っている。それは彼の信仰にも基づいているのだろうけれど、それにしても。「世界は不必要である。しかし不必要は必要だ」、なんて幼児でも書ける文章だ。百六十九ページまで読んだところで、ネーヴェは本を閉じる決意をした。殊更そのページが区切りよかった訳ではない。百六十九ページという特筆すべきでもない紙の最後は、「黄色の月が青になることがないように、」という部分で途切れていた。続きは別に、気にならない。
「相変わらずだな、お前さんは」
 決別した本の表紙を何となく指先でなぞっていたネーヴェは聞き覚えのある声に顔を上げた。見れば何時の間にか無骨な老兵のような、否、正に《老兵》と呼ぶに相応しい男が巨大なトランクを提げて、ゆっくりとした歩調でやって来るところだった。刻まれた皺に混じって、一生消えることのない傷が幾つか見える。焼けた肌はすでに黒ずんで、その年月の重さを物語る。《落札場》でも何度か会ったことのある、老《ハンター》。彼らは有害な獣を駆除し、同時にその貴重な物資を持ち帰ることを生業にしている。薄汚れた作業服も以前と同じ。しかし、肩から何時も提げていた猟銃の姿は今日はなく、更に彼のその右腕。すでに老体に域に達しながらも、筋骨隆々としていた右腕の姿が、今はなかった。それがあるべきはずの場所には、ただ中身のない衣服の袖が、ぷらんと垂れ下がり、露出した肩の皮膚はどす黒く変色している。医療の心得もあるネーヴェにはすぐに解った。
 細胞が、壊死しているのだ。
「…、堂氏(ドウシ)」
「ああ、今日はお前さんに見せたいもんがあってな」
 堂氏、と呼ばれた老人は右腕(―利き腕だ)がないせいでバランスが取り辛いのか、少々不恰好にネーヴェの前に、どっかりと腰を下ろした。地面の上に直接座り込んだ彼は、胡坐を組んだ脚の上にトランクケースを乗せると、片手でぱちんと留め具を外す。ジェラルミンだろうか、強固な金属で出来ているらしいトランクの中身は、此方からは伺えない。首を傾げたネーヴェの前に、彼は自分の方に向けていたトランクの中身を引っくり返して見せた。外側とは打って変わって、綿の入った布で衝撃を和らげる作りになっている内側。その柔らかな布に埋もれるように、護られるように、卵―そう何処からどう見ても卵が二つ。一つではない、二つだ。それもそこら辺で見られるような白や黄色や褐色ではなく、その色はまるで、鉱石のように煌く漆黒。艶やかに光を反射する黒の卵は、しかも半端ではない巨大さだった。鶏卵などとは比較にならない。かつて世界に存在していたという飛べない巨大な鳥の卵―それがちょうどこんな感じだろうか。獣商人を営むネーヴェでさえも見たことないような巨大な卵は、卵ゆえに沈黙を保って、静かにトランクケースに納まっていた。珍しく僅かながらも驚きの表情を披露したネーヴェに老人がにやりと笑う。その顔は、正に歴戦の獅子の名に相応しい。
「密林のブラックダイヤモンド、憎き黒蛇の糞餓鬼だ」
「まさか、」
「わしの言葉を疑うか?この腕が何よりの証拠だろうて」
 そう言って、老人はない腕を揺らした。密林のブラックダイヤモンド、とはその鱗の輝きから付けられた彼らのあだ名だ。学名はカニバリーパイソン。人知及ばぬ密林の奥に潜み、その体長たるや最大で七メートルとも十メートルとも言われ、漆黒の鱗に金色の幾何学模様。それに鋭利な剣の宿ったやはり金色の瞳という優雅な外見を持つが、性格は攻撃的で獰猛。その名の通り、人さえも平気で喰らい、更に地上最強と言われる毒素を放出する牙を持つ。軍部の定めた危険動物ランクはAAA。だが、その皮は欲深い人々の欲深の象徴として高値で取引される為、彼らが狩りの対象となる頻度は高かった。無論、蛇とは言え、獣も知能を持ち、言語を持つ、この世界の住人の一人。反対にハンターたちが欺かれ、一週間後に運転手のいないカーゴが密林で発見されるなんてことも、頻繁に起きている。
 現に老人の示した腕。壊死の進み具合から見て、すでに肩から下は腐り落ちてしまった後なのだろう。だが、腕を切り落としたとしてもカニバリーパイソンの毒素は強い。瞬く間に身体を駆け巡り、確実に腐らせ、死に貶める。無論、生態すら明らかでない毒蛇の血清などあるはずもなく、堂氏が助かる道はまずないと言っていい、だろう。精々、死期を遅らせることができるくらいか。無論、危険を承知でハンターたちは毒蛇を狩る。こうなることは、予測の範囲で、覚悟の範囲で、それは良い。それは単なる日常に過ぎない。問題は、何故彼がネーヴェの元に《これ》を持ち込んだか、だ。
「何故、」
 短い問いに老人は身体を揺らして笑う。鋭利な瞳はまるで孫を見る祖父のように細くなって、ネーヴェを捉えた。濁った褐色の瞳は彼が極東の小さな島国の血を受け継いでいることを意味する。大戦前にはそんな国があったのだ、と、何かの書物で読んだことがある。人間である彼の、人間の色彩。
「まあ、研究所に売るという手もあったが、どうもそんな気にはなれん。わしは軍人が嫌いだしな」
「……私へ、」
「お前さんが適当かと思った。カニバリーパイソンを育てあげた例はない。ひょっとしたら生まれた子蛇にぱっくりやられて、ぽっくりかもしれん。それでも良ければ、」
「買おう」
「…即決、か。そういうところが嫌ではないの」
 やはり笑い声を零して、老人はトランクの金具を元通り留め直した。ぱちん、と金属音。彼は素っ気無くそれをネーヴェに差し出す。呆気ないくらい簡単に、トランクケースに納まった二個の貴重なカニバリーパイソンの卵はネーヴェの手に渡った。冷たい金属の外装を両手で抱きながら、よっこらせ、と立ち上がった隻腕の老兵を、ネーヴェは青い瞳で見つめる。最早用はないと言いたげな彼の背に、値は?と問えば、老人は年輪の厚み故に掠れた声で適当で良い、と言った。それから何時もの口座にな、と付け加えて、彼は不器用に身体を揺らしながら、歩き出す。その背中は広く、そして小さい。
 老人は三歩だけ地面と足を接触させながら歩くと、緩やかにその歩みを止めた。しかし、此方を振り返るまでもなく、まるで独り言のように、母親がな、と言う。母親。唐突な単語ではあるが、察するにこの卵の母親のことだろうか。
「脳天から血を流しながら叫んでおった。《誇り高く生きよ、我が子》、とな」
「………………」
「馬鹿だよ。卵の中に声なんぞ届くはずもない。生まれた子は母親の声なんて覚えてもいないだろう。それどころかわしがこっそり持ち帰らなけりゃ、あのまま密林で他の獣に食われてたさ」
「…善悪は、無意味」
「ああ、わかっとるよ。…下らん話をした」
 ではな、と今度こそ本当に老兵はネーヴェに構うことなく去って行った。一度も、振り返らなかった。
 恐らく今日見るのが最後であろうその背中がやけに小さいことをぼんやりと考えながら、ネーヴェはトランクに視線を落とした。この中では確かに小さな、二匹の息づく命が眠っている。密林のブラックダイヤモンド。恐れられる毒蛇。人食いの大蛇。空虚な興味と僅かな高揚。死に行く魂と生まれ落ちる魂をぼんやりと想像しながら、ネーヴェはくすんだパラソルの向こう側、晴れた空を仰ぐ。雲は千切れるようにしか残っておらず、鮮やかさに欠ける春の空はネーヴェの翼の色に少し似ていた。
 後日、彼が残り短い余生を苦せずして暮らせるだけの金を、口座には振り込んだ。


06/08/18

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