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UNLOCKED HEART RED 8

 《ヤツハカ》で最も巨大で最も荘厳な建造物。それは街のほぼ中心に位置する世界復興機構第十七分団支部だと言える。白亜の石造りの外門を正面に、ひたすら白い壁の建物がまるで一個の小さな街のように広大な敷地に広がっており、周囲は外敵の侵入を防ぐ為に高いフェンスに覆われてはいたものの。そのある種の畏怖を与える強大な力を誇示するのに、《ヤツハカ》建設時より何ら遜色ない効果を持っている。基本的には此処が《ヤツハカ》における政治と司法の場であり、その権力に縋りたい者たちを中心に―そう《人間》を中心に数えるのも億劫なほどの人々が機関の歯車のように働いている。忙しなく動く防犯カメラに黒いボディアーマーとサブマシンガンで全身武装した兵士たちが鋭い目つきで睨みつける。「政治と司法は武力に脅かされてはならない」、という機構の忠実な教えを守る為に敷かれた鉄壁の警戒は、支部を《軍事要塞》とも《射撃場》とも言わしめるが、しかし、現に《軍部》と異名をとるような機関が世界の秩序となる昨今、それは至極当たり前のことなのかもしれなかった。きな臭い噂は腐るほどあり、それを裏付けするような実証もまた然り。《ヤツハカ》には《秩序》あれど《正義》なし、とはよく言ったもので。一見は軍部とギルドと二つの柱で、強力に統制されたように見える街も蓋を開けてみれば、何てことはない。そこは、犯罪と悪政の虫が蔓延る巣、である。
 そして、そんな世界復興機構第十七分団支部の最奥地。レベルAの情報規制が敷かれた唯一の建物は、通称《実験A棟》と呼ばれている。芝生の上に他の建物から動脈のようにパイプ状の通路を通され、実験A棟自体は、三階建ての極在り来たりな建物であるというのに、異様なまでの存在感を放っていた。それは、そうまるで心臓のように。街が薄闇に包まれる中、白々とスポットライトを注がれ、多くの黒服の兵士たちに守られた姿はまるで。たとえ、他のどんな臓器に似せて作ろうと最も重要であることをあまりにも解り易く示していた。
 だから、《彼》がその入り口で止められるのは当然のことだっただろう。関所のように、実験A棟に繋がる全ての入り口には、マシンガンで武装した兵士が立っており、人が出入りする都度、厳格なチェックを行っている。目元さえも暗視スコープで覆い、一つも皮膚の露出がない兵士は防犯カメラに監視された赤いラインの手前で、《彼》を止めた。別段、《彼》自身が、酷く怪しかったからではない。問題は《彼》が、がらごろがらごろと押してきた重たそうなカートだった。カート自体は実験棟でもよく使われている灰色のもの。ダンボール自体も褐色のよくある普通のものだ。だが、今日、そんな荷物が研究員の手で運ばれてくるという報告は一つも受けていない。実験棟、特にこのA棟に関する、搬入出は全て厳格に定められているから、そんなイレギュラーは本来ならば存在しない。職務に忠実な兵が、《彼》の進行を阻むと、そんなに重いたい荷物なのか、ひょろりとした眼鏡の研究員はカートを止め、手の甲で額の汗を拭った。
「名前と所属と階級を」
「はい。私はヤン・ゼーヴィス。グループ1でセカンドグレードリーダーを勤めさせて頂いております」
「搬入は?」
「申し訳ありませんが、研究長―ボルドー・カッツィア様、直下のご命令です。内容は極秘。無論、開封確認も厳禁。速やかにお通しい頂けるようお願い申し上げます」
 極秘。開封確認厳禁。それは実験A棟では珍しくない言葉だった。表立って扱えないような《事象》が完全密閉の、この施設にはよく流れ込んでくる。流れ込み、そして二度と、戻っては来ない。その上、支部の最高責任者であり、全ての実験施設の研究長でもあるボルドー・カッツィア直下の命令と来たか。彼女こそは最も忠実に従うべき上司であり、彼女の言葉は軍部の全てを規律的に統制している。兵は上から下まで目の前の男を眺めた。白衣に眼鏡。研究員としては極一般的。階級も低くない。ネームプレートの名前もIDも顔写真も嘘は言っていない。通行許可を与えるのに、
 理由は十二分、か。
「通行を許可する」
「有難う御座います」
 道は開かれ、研究員は再び重たそうにカートを押しながら三重のセキュリティロックのかかった関所を難なく通り抜けた。後は蛍光灯が白く照らす細い狭い廊下が無音のまま続き、《彼》はそのまま幾つかのドアをIDキーで通り抜ける。カツンカツンと足音だけが響く細い動脈はやがて太い動脈へ繋がり。何時しか天井が見上げるほどに高く、幅はそれこそ軍用車の一台ぐらいは余裕で通れるほどに広くなった頃、《彼》はカートを押したまま、近くのトイレへと入った。白いタイル張りで洗面所も整えられた男性用トイレに、人影がないことを確認し、《彼》はそっと合図を出す。
 即ち、自分が押してきたダンボールに向けて。
 こつんこつんと二つ合図。
「っあー狭ぇ!よー、しかし、巧くいったじゃねぇか、役者になれんぜ、ミスターゼーヴィス?」
「は、ははははは…どうも…」
 べりべりとダンボールの合わせ目を破って、中から登場したのは何と言うか、予想通りというか、期待を裏切らずというか、案の定、真紅の髪と真紅の瞳と褐色の肌を保持する、歩く警戒色、我らがアリスゼル・ゼムンだった。思えば、人一人入るぐらいは訳のない感じのダンボール箱。大男なら兎も角、アリスゼル程度の骨格であれば、数十分の間、息をつめて潜んでいるくらいは問題なかった。こきこきと凝り固まった首を鳴らしながら、柔軟体操をするアリスゼルの横で痩せ眼鏡で白衣の研究員が、あのー、と遠慮がちに声を出す。《彼》―ヤン・ゼーヴィス(世界復興機構第十七分団支部研究室グループ1所属、セカンドグレードリーダー、27歳、妻子なし、ついでに近視)は、運悪く出勤途中に赤い悪魔に鉄刀を突きつけられ、突入作戦に付き合わされることになったのだ。彼はアリスゼルが、鋭い視線を向けると、ひくと口元を引き攣らせる。明らかに腰が引けていたが、何とか震える手でIDキーを差し出した。
「これ、で最下層まで降りられます。階段は此処を出て左、の突き当たりです」
「おー何から何まで世話んなるな。約束通り、てめぇは殺さないでおいてやる。よくやった」
「…ど、どうも、有難う御座います…」
「いやいや、礼なんていらねぇよ。俺はイヴリースみてぇな殺人狂じゃないんでな。なるべくなら刃傷沙汰は避けたい、平和主義の男なんだ」
「イヴリース…?…ああ、あの不徳の都に住むという、《世界で最も美しい殺人狂》、ですか…。はは、ひょっとして、お、お知り合い、なんですか?」
 この場を和ませようと思ったのか、ヤン・ゼーヴィスが引き攣る笑みと共に言った冗談に。
「そうだけど?」
 自分で凍りつくヤン・ゼーヴィス。
 どうやら思っていたより遥かに遥かに遥かに物騒な相手と関わってしまったらしい。しかし、足が震え始めるよりも前に、彼の意識は一瞬で途絶えたことだろう。何しろ、IDを検分していたアリスゼルが、何の前触れもなく、何の予備動作も、少なくとも眼に捉えられるような仕草はなく、彼の急所を突いたのだから。無論、約束通り、殺す為ではない。くたり、と意識をなくし、脱力した男の体から白衣を剥ぎ取って、トイレの個室へと押し込む。少し考えて彼の顔から、眼鏡も毟り取ったが、ちょっとかけてみて、すぐにぐらりとした視界に断念。どんな厚底眼鏡なんだ。それに人間用の眼鏡は、アリスゼルのような耳を持った異形には少々合わない。潔く薬品臭い白衣だけを着込んで、アリスゼルは颯爽と、あくまで何事もなかったように、インテリの研究員を気取ってトイレから出た。
 無論、無理はある。
 隠そうともダンボール、カート、それに人間一人分の荷物はいずれ見つかるだろうし、明らかに見て解る異形のアリスゼルが、白衣を着込んで平然と歩いていては目立つも何もない。一応、胸元から写真入りのネームプレートは外しておくが、しかし。もって十分、良くて二十分、というところだろう。ただ広い廊下をスニーカーで蹴りながら、足早に歩いていく。焦る必要はないが、急ぐ必要はある。大体の情報は件のヤン・ゼーヴィスから聞きつけているが(彼の階級が意外にも、結構高かったのが幸いした)それにしたって、正確な位置までは把握出来ていないのだ。それに、この場所は、アリスゼルにとって未知の領域。攻めるにしても、鉄鋼の床、壁、天井が相手では。少々、《ドルチェヴィータ》にも荷が重い。
 まあ、それでも此処で戦う分には広さは十分なんだがな、と紫煙に火を点け、天井を見上げながら思う。白く煙る視界。何処までも続くかのような無機質で、均一性のある廊下。どんな音も許さないように、全くの無音。否、アリスゼルの耳には壁を隔てた向こうからほんの僅かな機械音が聞こえてこないでもないのだが、それも酷く神経を、集中させなければ聞き取ることは出来ない。代わりに強い薬品の匂いと機械油の異臭が鼻を突く。あまり、気分が良くない場所だった。焦るな、と言われても、僅かな焦燥は、アリスゼルにだって、あるのだ。白い偽善。黒い悪意。渦巻いている。気味が悪いくらい、正確な規律をもって。右と言えば右を向き、左と言えば左を向く。そんな正確。そんな成立。《知りたい》という大義名分あれば、何を侵しても構わぬという《絶対の正義》。そして、それらを愛してやまぬ《誰か》がこの場所を支配している。物理的にだけでなく、意識で、もってしても。
 アリスゼルは、立ち止まる。
 白い廊下の向こう側には女が一人立っていた。洗い上げたばかりのような漆黒の髪を緩やかに纏め上げ、深く底を図りがたくも美しいアザレア色の瞳。細い眉にゆっくりと半円を刻む唇の紅色が官能的に彩を添えて、酷くセックスアピールに長けた身体を包むのはダークグリーンの、軍服。金糸の皮手袋。金釦に紋章。刻まれたモチーフは。誰が何を言おうと。何が何を言おうと。三頭六翼の神―再生神ユグドラシル・EA・ケルヴィム。その神を掲げるのは世界で唯一の秩序、世界復興機構、通称WRO。彼女はその意匠を纏い、優雅に、毒牙に立っていた。細い肩の辺りをひゅるりと紫苑の輝きが舞い遊ぶ。球の発光体。それは、この世でたった一つ、機械妖精の存在を意味する。
「此処は禁煙よ、赤いネズミさん」
「そいつは失敬。何処にも張り紙が見えなかったんでな」
「ふふ。まさか馬鹿正直に真正面から入ってくるなんて…あの門番は駄目ね、挿げ替えないと。私はちゃんと言ったのよ?《許可なきものは決して通すべからず》ってね…」
 そう言って、笑う女に。本能的な殺意を感じた瞬間、先程までポケットの中で大人しくしていたドルチェヴィータが、急に凄い勢いで飛び出してくる。赤い光を警戒信号のように激しく点滅させ、ひゅひゅひゅ、と鋭角を刻んで飛ぶ。そして、それにまるで反応したかのように女の周囲を舞っていた紫苑の妖精も、ゆるやかに動きを変える。まるで、蛇のように。ゆうらりと揺らめいて。気持ち悪いぐらい、艶かしい曲線の動きに合わせて、女が微笑む。
「うふふ。妖精さんたちはもう、臨戦態勢みたい、ね」
「てめぇが殺気ばら撒くからだろう。俺のドルチェは普段はもっと慎み深い子だぜ?」
 女が軍服の袖を引いて、微笑む。紅色の唇の向こう側の白い歯、赤い、舌。開いて、言葉を紡ぐ。それは、恐らく妖精の名なのだろう。アリスゼルもひらひらと面倒臭い白衣を脱ぎ捨てると、ゆるやかに手を伸ばして名を呼ぶ。機械妖精。それは大戦後の技術が可能にした、生きる兵器。魔機という新しい叡智の可能性と威力を十分過ぎるほど秘め、主人の意志を汲み取って、如何様にでも成長する半永久的な攻撃器官。妖精と、人と。これらは同一にして、異質。
「《キュクロプス》―!」
「―《ドルチェヴィータ》!」
 力の奔流。そして、破裂。
 一瞬の後、打ち合っていたのは一本の鉄刀と一本の鎌槍だった。無駄な装飾など一切ない。鋭利な穂先は鈍く輝き、その形は十文字状になっている。対になるように飛び出た枝刃と穂先、そして柄。そのどれもが鋼色に煌き、中心には紫苑の瞳―否、まるでぎょろりと此方を睨みつけるようなアメジストの宝玉が埋め込まれていた。異様、だ。これも、機械妖精として存在する武器としては異質なタイプなのだろう。直感的に何かがアリスゼルに囁きかける。《キュクロプス》。古の神話における一ツ目の巨人に恥じぬ何か、をこれも持っている。ぎちぎちと、女の腕でアリスゼルと、対等に鍔迫り合いを行う程の怪力も、恐らくはこの刃の作用だ。そうでなくては。この女。
「…鉄刀…可愛い名前なのに変わってるわね」
「そっちも木偶の坊みてぇな名前の割りに、速い、じゃねぇの」
 キンと甲高い音を響かせて、ドルチェヴィータを引っ掛けておいた枝刃を振り払う。槍の基本の攻撃は「突き」だ。リーチの長さを利用して、確実に急所を狙い、一撃で仕留める。彼女がたとえどんな猛者だろうと、セオリーに間違いはない。ならば、間合いが至近距離のアリスゼルの方が、今は不利。どうにか距離を開けずに、懐に飛び込まねば。届かぬ標的には勝つも何もない。それ相応に面倒臭い相手に、アリスゼルが咥え煙草のまま、ふうっと息をついたところで。
 唐突に、それは来た。
 即ち特攻。即ち突撃。優雅に地を蹴った女が素晴らしいスピードで《真っ直ぐに此方に突っ込んでくる》。まずは間合いを確保すると思っていたアリスゼルの予感は面白いぐらい外れた。舌打ちすれど、反応は正確に。刀を構え、待ち受ける。女は一直線に走りながらも、その穂先を真正面に構えることはしない。それは、少し、下を。刃を煌かせた槍の穂先は、しゅるりと蛇のように下から上へ、這い上がるように、昇ってくる。まさか。
 曲がる―!?
 素晴らしい動体視力と運動神経が幸いして、間一髪、それを避ける。確かに頚動脈を狙ってきていた刃は僅かに逸れて、ピッとアリスゼルの真紅の髪を代わりに数本攫っていっただけだった。だが、攻撃はそれでは終わらない。鎌槍《キュクロプス》、否、それは最早、伸縮自在、屈折自在の《鞭槍》とでも呼ぼうか。攻撃の後、無防備になるはずであるというのに、一分の隙もなく、一瞬の間もなく、次の攻撃に移る。穂先は、首を。狙う。
「っの!!」
 間一髪、延髄反射の速度で右手に構えていたドルチェヴィータで薙ぐ。キィィと鋭い刃同士が悲鳴をあげ、僅かな火花が散った。そのまま力に任せて振り切って、何とか穂先を逸らせるものの、無論。無論、そんなことで攻撃が止む様な特攻ではなく。だからこそ、彼女は全てのリクスを、否、全てのリスクを払拭し、圧倒的に勝利できるという確信があってこそ、真っ直ぐに突っ込んできたのだ。逸らされた刃が、弧を描いて戻り、ぐるりと彼女の周囲を一周する。ぐうるり、と。キュクロプスの一ツ目が、アリスゼルを見据える。ゆうらり。遠心力をたっぷりと溜め込んで。女が、跳ぶ。地を蹴って。
 真っ直ぐ、真っ直ぐ、真っ直ぐ、真っ直ぐ―避けられない―止める―!
 構えたドルチェヴィータの刀身にスコープで狙いを定めた緻密さでキュクロプスが激突する。そこは確かに心臓の位置。とてもではないが、両手で受け止めて、相殺できるような威力ではなかった。腕が痺れる。足がふらつく。跳ぶか、否、跳ばされる、か。呆気なく重力に逆わされ、足が地を離れると同時に、アリスゼルは槍に押されるまま宙を飛ぶ。莫大なエネルギーを刀で受け止めるのに手一杯で。気がつけば、金属製の壁に打ち付けられ、背中全体に鋭い痛みが走る。しかし、それでも穂先は止まらず、強い力を受けた壁はべこっと嫌な音をたてて凹み、挙句の果てにはまるで、紙か何かのように捲れあがった。アリスゼルはその鋭い切っ先であちこち切り裂かれながらも、渾身の力を込めて、穂先を逸らす。ギギン、とまだ力を放ち続けていた一ツ目は漸く刀身から離れ、金属の壁を鋭い煌きで貫いた。
 流石は一点集中型凶器。
 あるポイントにだけかかる力を測量すれば、アリスゼルの持つ刀の比ではない。その穂先は細く、鋭く、それ故深い。肩で息をしながら、アリスゼルはぼろぼろに崩れた壁へと寄りかかる。恐らく、捲れた金属の壁で傷ついたのだろう。腹の辺りには結構深い傷が刻まれて、ぼたぼたと鉄臭い匂いを発していた。あーやべ、面倒臭ぇ。おまけに思い切り打ち付けた背中は痛いし、頭は軽い脳震盪でも起こしたのか、ふらふらする。面倒だ。全く面倒だ。この女、結構厄介、と何時のまにか何処かへ行ってしまった煙草の代わりに火を点けながら、前を見遣る。そこにまだ、傷一つ負わずに立っている、美しい女を、見る。彼女は、酷く艶然と、酷く残忍に、微笑んでいるようだった。
「あー…」
 ドルチェヴィータの柄を右手で握りながらも、だらりと垂らし、アリスゼルはつまらないことを思いついたように呻く。赤い髪を振るえば、ぽたりと赤い血が落ち、どうやら頭の何処かも傷ついてるようだった。
「わぁかった。てめぇがボルドー・カッツィアだな?」
「あら、どうしてそう思うの?」
「こんだけ騒いでるのに兵士が一人も来ねぇ。バレねぇはずもねぇのに、この静けさってことは誰かが指示してる。指示してるのは権力持ってる人間だ。んで、権力持ってる人間てのは特権階級で妖精を連れてても可笑しくない。その上、てめぇの着てるその軍服…恥ずかしいぜ、自分の地位見せびらかしてるみたいで」
「あら、私はある程度の権力は誇示して良いものだと思っているわ。それにしても………見かけによらず、中々に賢いじゃない」
「見かけによらず、は余計だ」
 紫煙を吐き出し、ゆらりとアリスゼルは立ち上がる。腹の傷はそこそこ痛いが、致命傷にまでは至っていない。たぶん。静かな、静かな音を立てて《加熱》していくドルチェヴィータを握り締めながら、真紅の瞳でじっくりと《標的》を見定める。敵ではない。ただ、仕留めることを、考える。長いリーチ。鋭い攻撃。変則的で素早い動き。なるほど、確かに、彼女とその武器《キュクロプス》は全てが最強クラスの兵器だろう。全てが優れた、反則的なまでの強さだろう。だが。
「私も貴方について疑問があるのよ?」
「あ?」
「本来、機械妖精は世界復興機構関係者の特権兵器…おまけにその身体能力に攻撃センス。貴方の動きは正に戦闘兵そのものだわ。勿論、軍隊落ちの野蛮人が無断で妖精を持ち出すこともあるから、私、調べたの。あらゆるデータベースを探って、あらゆる資料を洗ったけれど………でも、貴方のデータは何処にも、なかった」
 彼女は言う。まるで、それだけが。自分の力及ばなかった、その事実だけが口惜しいとでも言いたげに。ふわりとアザレア色の瞳を細め、得物を目の前にした蛇のように、剣呑な殺気を含んで、彼女は、言う。
「貴方、何者なの」
 アリスゼルは。
 問われた男はすうっと紫煙を深く吸い込んだ。真紅の髪に真紅の瞳、褐色の肌に、長い耳を揺らして。その唇に刻むのは笑み。俺は、という言葉と一緒に煙を吐き出して、彼は言う。血色の瞳をすうっと女に向けて。《アリスゼル・ゼムン、それにドルチェヴィータ・ゼムンは楽しそうに、嬉しそうに、笑って見せた》。

「王子様を助けに来た、勇気あるお姫様、さ」

 は?と露骨に感情を表した女の顔を深く伺うまでもない。くく、と喉の奥で妖しく笑ったアリスゼルは掛け声と共に地を蹴る。跳躍ではない。特攻。最初に彼女が仕掛けた時のように、真っ直ぐに、真っ直ぐ、突っ込む。確かに彼女は速い。だが、それが何だというのだ。確かに彼女は強い。だが、それが何だというのだ。《アリスゼルの方が彼女より、何倍も速くて強い》。その事実だけが、事実だ。他の事象は、何ら意味がない。凡そ三歩。辿りつくまで数秒もない。驚愕に眼を見開いた彼女が防御の姿勢をとる。それも良い。それも、別に構わない。ドルチェヴィータを抜き身のまま構え、灼熱の脅威を伴った刃を静かに起こす。赤き刀身。名は恐ろしいほど、甘く。それ故、強い。真紅の瞳に映るのは対象のみ。他は要らない。何も、ない。ただ、切る。それだけの―それだけの、技だ。
「―《閻焔螺》―」
 一撃目は、槍の穂先を。
 二撃目は、槍の柄を。
 三撃目は、女の腕を。
 切り落とし、砕き割り、煙をあげ、鈍い音をたてて、落ちる手首から先。迸る悲鳴。半狂乱の女にけれども止めを刺さず、アリスゼルはその柄を思いっきり腹部に叩き込んだ。ばきばきっと肋骨が折れる音が聞こえ、一瞬大きく痙攣した女は、それっきりぴくりとも動かず、そのまま床へと崩れ落ちた。もうすでに、意識はない。戦士として戦えるかも不明だ。手首を落とすまではなかったかもしれないが、いや、しかし油断は禁物だ。何しろ、この女―どうも嫌な感じなのだ。言うなれば、尻尾を切って逃げる蜥蜴のような、なんかそんな感じ。殺すのはそれはそれで面倒そうなので、やめておくが。しかし、恐らくきっとこの選択も後々後悔しそうな予感が強烈にした。全く、やれやれだ。
 紫煙を吐き出しながら、アリスゼルは踵を返す。アタマが倒れたことで、統制は総崩れになるだろうが、それでもあちらは圧倒的に数で勝る。より一層時間はなくなった。お姫様の時間は十二時までなのだから、こうなったらとっとと済ませてとっとと帰ろう。まあ、お姫様と言っても、当方ドレスもなければ硝子の靴もなく、あるのは汚れたタンクトップにジーンズ、それから赤いスニーカーに、辛うじて物騒な赤い妖精。けれども、それでも。
「それが良い、っつったのはお前なんだからなあ?ギィ」
 責任はとって、頂かなくては。


06/11/18

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