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UNLOCKED HEART RED 7

 眼が覚める。
 むくりと起き上がって時計を確認するとすでに昼過ぎ。相変わらず真紅の髪をがしがしと掻き回しながら、何時も通りアリスゼルはベッドヘッドの煙草を手に取る。ジッポーで火を点けて、まずは一服。ゆるりと舞い上がる紫煙。天井へ昇っていく煙をぼんやりと見上げながら、今日一日の予定を何となく思う。冷蔵庫の中身は確かほぼ空っぽ。しかし、腹が減った。飯でも食いに行くか。ゆらりとベッドから素足を下ろす。物で溢れた室内を器用に歩き、ベッドルームの部屋から出ようと、したところで。
「いてっ」
 後頭部に衝撃。何事かと振り返れば、まあ犯人は案の定一匹(?)しかおらず、ちかちかと激しく明滅する赤い妖精。一体何が気に入らないのか、彼女は今まで見たこともないぐらいに憤慨しているようだった。人間で言えば、「そっぽを向く」とでも言うのか、ベッドの上でちかちかちかちかしながら軽く飛び跳ねている。いや、意味解らんし。宥める為にその手を伸ばしても、ひらりと逃げられる。肩を竦めて、仕方なくアリスゼルは彼女を放っておくことにした。
 シャワーを浴びて、適当に服を着替える。脱衣所にちょっと不器用に畳まれていた、明らかにサイズ違いの服には、眼を留めないようにしながら、アリスゼルは冷蔵庫を一応覗き込む。見事に何もない。妖精を呼んだ。彼女は、アリスゼルを主人とする鉄刀妖精《ドルチェヴィータ》は、幾ら不機嫌であろうとも、その命令には逆らえない。見るからに渋々、と言った感じにへろへろ飛んできた妖精を従えて、履き古したスニーカーに足を突っ込んだ。
 ドアを開ければ相変わらず蒸し暑い《ヤツハカ》の空気が身を包んだ。照りつける太陽に大量の湿気を含んだ空気。むあ、と全身を包み込む熱。手で庇を作り、再度煙草に火を点けながら、アリスゼルは日向へと足を踏み出した。じりじりと立ち昇るような地熱にうんざりしながら、舗装されていない道へと降りる。中華屋はまだ準備中らしく、あの目立つ赤い暖簾は下りていなかった。ならば。行く場所はもう一つしかない、か。奥へのびた道に足を向けると、すぐ近くを単車がばばばばば、と喧しい音をたてて通り過ぎ、アリスゼルをちょっと行き過ぎたところで急停止した。眼球に蜂を彫り込んだ男がヘルメットを外し、あっれー旦那一人っすかー?と問いかけてきたが、軽く無視しておく。 細い路地裏へと入り込む。張り紙だらけの古いバーの裏庭を越え、日陰でぐてーっと伸びている猫を横目に、ドラム缶を足場にし錆びて今にも崩れ落ちそうな非常階段を潜る。傍ではもう髪の毛なんだか髭なんだか解らないものに、顔を覆い尽くされた老体がゴミ箱に下半身を突っ込んだまま眠っていた。いや、それとも死んでいるのだろうか?廃墟ビルと空き地の合間をすり抜けて、細い路地を抜ければ、真正面には見慣れた煉瓦造りの古めかしい建物。下がった看板には素っ気無くシルクハットのマークと《DEATH MARCH》という店名が刻まれていた。営業中なのか休業中なのか、外見からは判別し辛かったが、しかし、窓硝子は全て綺麗に修復されているようだ。アリスゼルは金色のくすんだドアノブへと手を掛ける。鍵が掛かっておらず、蝶番も壊れていないドアはすんなり開いた。
 店の中は案外綺麗に片付いていた。椅子が全て逆様に上げられたテーブルは以前の定位置に付き、穴だらけになったカウンターは所々継ぎ接ぎがされていたが、スツールは概ね元の数だけ揃えられているようだ。そして、カウンターの向こう側にも。以前と同じようにすらりと高い帽子と一緒に。象牙色の髪を見せて、帽子屋が、座っていた。孔雀緑の瞳がアリスゼルに気付いて剣呑に光ったように思える。アリスゼルは、なるべく軽い感じに片手を上げてみせた。
「よう、帽子屋。随分綺麗になったじゃねぇか。こっちの方が流行るぜ、店」
「………アリスゼル、」
「…解ってるっての。悪かった」
 笑みの一つも刻まず、低い這うような声を出されてはアリスゼルも素直に謝るしかない。ポケットを探り、黒革の随分、年季の入った財布を取り出すと、彼に向かって放り投げた。反射的に受け取った帽子屋は、その重みが意外だったのか、長いシルクハットを微かに揺らして見せる。相変わらず、ツバの上では微かな寝息をたてて危なげなく爬虫類が寝ており、時折寝息に混じってお気楽な寝言が聞こえた。巨乳はもう良いぜェ、とか何とか。カメレオンの巨乳とは、一体。
「一体どうしたんだアリスゼル…君が素直に弁償代を寄越すとは…。そうか、天変地異が起こるんだな?何だ?津波か?地震か?洪水か?」
「てめぇ…この俺の、常識と善意溢れる金ぐらい、素直に受け取れねぇのか?」
「………君の非常識と悪意溢れる金、だったら理解出来るんだが…」
「じゃ、返せ」
 ぱっと手を伸ばしたアリスゼルの指先をぱっと帽子屋が避ける。謹んで頂いておく、などと厳かに言ったところでわざとらしい。アリスゼルはとっくに短くなっていた煙草をカウンターの灰皿の上で揉み消すと、スツールに腰掛けた。オムライス、と一つ声をかけると、恐らく相場より俄然多いだろう弁償代を受け取って機嫌がよくなった帽子屋は、二つ返事で引き受ける。全く現金な奴だ。ポケットを探り再び煙草に火を点けた。ひょっとしたら今日は、本数が多いような気もするが。まあ、良いか。じり、と燃える葉の匂いを深く肺の底まで吸い込んでいると、再び後頭部に鈍い衝撃が走る。こつんっ、と。見れば、やはりというか、赤い妖精が点滅しながらカウンターの上で、今度はぐるぐると回っているところだった。本当にどうしたというのか。ドルチェヴィータがこんなに反抗的なのは初めてだ。
「んだよ、ドルチェ…機嫌悪ぃな」
 機嫌を取るようにそう言っても彼女は聞く耳持たない。ただ、主人に反するように、怒っているかのように、その意に背く。ドルチェヴィータは普通の機械妖精とは少し違う。その感情表現は無機物のそれにしては驚くべきほど豊かだし、それは他の機械妖精には見られない特異な姿である。だからこそ。だからこそ、彼女のしている事には意味がある、はずなのだが。さっぱりアリスゼルには意味が解らない。彼女が何に怒っているのか。アリスゼルの、何が気に入らないのか。紫煙を吐き出しながら考えても、解らない。くるりくるりと昇る煙の向こう側に赤い光を見ながら、真紅が必死で考えても。
 バターの匂いが鼻腔をくすぐる。
 手際良く作られた帽子屋絶品のオムライスが、お待たせ様、と何時も通りの言葉と一緒に出てくる。銀色のスプーンと一緒に。一端、煙草を灰皿で揉み消し、アリスゼルは良い匂いを漂わせるご馳走へと向き直った。相変わらずケチャップでどどんと「ALICEZEL」と描かれてはいたものの。今回はそれも許せるぐらい、腹が減っていた。
「それより、アリスゼル、」
 一口目を口にして。
「あの犬はどうしたんだ?一緒ではないのか?」
 飲み込んで。なるべく、平静を装う。
「ああ…帰った」
「帰った?何処に?」
「…俺が知るか」

 そう、知らない、何も。
 何も知らないのだ。アリスゼルは。
 彼に関することなんて。
 彼が何を考えているかなんて。
 解るか。そんなこと。
 知らない。勝手に押しかけて、勝手に出て行った。
 「傍にいたい」なんて言っておいて。
 結局、傍から消えてしまった。

 何で。
 何で。
 何で。
 何で。

 そんなこと、知るものか。

「そうか…。しかし、君は付き纏われて苛々していたようだったから、清々したんじゃないか?」
「…まあな」
「確かに、彼は君のことを必死で守っていたから、手放してしまうには少し惜しいような気もするが…。君が嫌ならば仕方がない。不快だというならば、それも仕方がない結末だろう」
「………………は?」
 帽子屋の言葉に思わずアリスゼルは手の動きを止めて、聞き返した。《守っていた》?誰が、何を?彼が―ギムレットが、アリスゼルを?何を―何を言ってるんだ?アレはただの犬で。たとえ魔機を備えていようとも、実力で言えばアリスゼルの足元にも及ばないような、正しく犬で。初めて出会った時もリザードマンに囲まれて。もしも、アリスゼルが通り掛らなかったら、もしも、リザードマンがアリスゼルの依頼の標的でなければ。あの場で、彼は死んでいた、はずで。それは、それで、《ぞっとしない状況》ではあるけれど。だから、だから、何だって?
「おや、君ともあろう者がもう忘れたのかい?此処で軍部の襲撃を受けた時、逸早く察して君を助けたのは誰だい?君を背にしながら、相手の銃器を封じたのは誰だい?はっきり言って、私は蚊帳の外だったさ。全く何をしてそんなに懐かれたのかは知らないけれど、優秀な番犬がいて羨ましい限りだったじゃないか」
 此処で。リザードマンと対峙しても、氷の魔機を使うことのなかった彼が、初めてその力を奮い起こした。氷の―鋼の足環のような魔機は銘を《フェンリル》と言うのだと、彼は何時だったか、教えてくれたことがある。《フェンリル》。古の時代の北欧の神話に登場する、神々を食い殺す巨狼。とんでもなく似合わないな、と笑ったことを、アリスゼルは、憶えている。彼も、私もそう思う、と笑ったことを、憶えている。嗚呼、憶えているんだ、全てを。
 その瞳の色を(信じられないぐらい、綺麗な蒼で)
 その毛皮の色を(太陽にも月にも輝く、銀色で)
 その声を(柔らかく、心臓に届く甘ったるいバリトンで)
 その体温を(寄り添えば、眠りを誘いそうなほどに心地良くて)
 憶えている。注がれた視線。真摯な声。何一つ嘘のない言葉の、全て。柔らかく触れるようで、それでいて少し離れて。彼は、いた。確かにそこに。名を持って。姿を持って。アリスゼルの傍に。いた、じゃないか。傍にいて、取り留めのない会話を幾つか交わし、豪勢でもない食事を何度か共に作り、色々なことを、教えて。彼はその度に目を輝かせて。嬉しそうに。楽しそうに。アリスゼルの名前を、呼んで。眼が合えば。彼は、必ず。

 ―アリスゼル、

 呼んで。名前を。愛しそうに、慈しむように。低く震える。それは、心臓。恋をする、器官。初めて、言われた。否、恐らくあんなに真摯に、心を込めて唱えられたのは、初めてだった。それに伴う行為と一緒に、言われたのは、初めてだった。

 ―愛しているよ、

 声を。
 熱い、
 心臓が、煩い、
 そうだ、
 アリスゼルは、
 どくり、と、
 心臓が高鳴ったのを、確かに、
 言葉に、
 行為に、
 こころに、
 ギムレット、

 嗚呼。

 ―《約束》しよう。貴方のことを傷つけない。何の心配もいらない。

 何が。
 全部、解っちまったじゃねぇか。
 この。

「―馬、鹿野郎が………!!!!」
 スツールを蹴り上げる勢いで立ち上がる。ドルチェヴィータ!!と呼びかければ、妖精は先程の不機嫌は何処へやったのか、主人の声を待ち望んでた従者のように一際激しく輝いてみせた。食べかけのオムライスも捨て置いて、アリスゼルは走り出す。向かう場所は一つしかなかった。向かう先は、一つだけだった。他の何処でもない。蒼い色が、視線の先でちらりちらりと輝いている。アリスゼルが決して持たぬ色。持たぬから、求めてしまうのかもしれない、色。まず再会したら、とりあえずぶん殴ろう、と心に決めて拳をぎゅ、と握り締めたところで、アリスゼル!と背後から声が掛かった。見遣れば、帽子屋がその唇に笑みを刻み、ひらりともう一方の片手を振るところだった。
「ツケにしておく」
「…セコイな、帽子屋」
 それでも、笑って。
 アリスゼルは走り出す。
 向かう場所は一つしかない。
 やるべきことも、一つだけ。

 そう、走って。

 一秒でも早く、貴方の、元へ。


06/11/17

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