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UNLOCKED HEART RED 3

 容赦ない弾丸の嵐によって最早板切れと化したテーブルが、ぎぎぎ、と楽しくない音をたてて崩れ落ちた。見渡す限りにテーブルというテーブルは穴が空き、椅子という椅子は引っくり返り、一部は見事に木っ端微塵。おまけにカウンターの向こう側。棚に素晴らしい緻密さで並べられていたスパイスやリキュールの瓶など、言うまでもなく甚だしく無残な姿。逸早く弾丸の当たらない物陰に身を隠したのだろう。長いシルクハットを珍しく外し、象牙色の髪を顕わにした帽子屋は嗚呼、とまるで舞台俳優のように優雅な仕草で胸に手を遣った。肩にはいっそ空しいぐらいに何時も通りの爬虫類が欠伸。
「私の…私の店が……」
 鉄面皮の癖に一応自分の持ち物に愛着ぐらいはあったのか。悲壮な色を浮かべた孔雀緑の瞳を閉じる帽子屋を横目に、アリスゼルはジーンズのポケットを探ると煙草を取り出す。きつい匂いの漂う葉に火を点けて、深く一服。禁煙だの何だの何時もは煩く言う帽子屋も今日ばかりはアリスゼルの行為に構っている暇はないらしい。ふーっと高く煙を吐き出し、何気なく揺らめく白い筋を追いかける。天井へとくるくる昇る儚い白へ、唐突に混じるのは、赤。見れば、何時の間にかアリスゼルの懐から飛び出したドルチェヴィータが欲求不満を訴えるように、ちかちかと光りながら舞い上がるところだった。そして、そのまま、こてんとアリスゼルの頭の上に着地。我が妖精ながら相変わらず人の頭の上が好きな奴だ。別に大した重さは感じないから、構わないのだけれど。
 そして、ふと、上へと遣っていた視線を戻す。見渡してみれば無残な店の惨状が広がるばかりではあるが、その中でとことこと動いている生き物。それは無論、ここ数時間ほどで随分見慣れた気がする、酷く汚れた毛皮の犬で、彼は長い脚と大きな足を使ってとことこと軽やかな動きで、容赦ない弾丸と倒れた椅子の下敷きになって、潰れたというのもおこがましい、それは最早蹂躙されたと言って良い程、ぐちゃぐちゃになったオムライスの前にやってくると。
 すげぇうなだれていた。
 何だか。何だかよく解らない。先程の氷の技―「魔法」という存在はファンタジー小説の世界の中のみの話なので、恐らくは魔機の一種なのだろうが、どうしてそんなものを単なる獣が持ち得ているのか。それに、先程の敵襲。間違いなく、彼らは一定以上の訓練を受けたプロだった。単なる物盗りでも、騒動好きのテロリストでもない。戦闘に関する統率力を持ったプロフェッショナルはこの街では軍に属するものしか考えられない。異形の街であるが故に、ある種の統一性を持った組織は軍部以外にはほとんど存在しないのだ。だが、そうだとしても疑問は残る。どうして、犬が、そう端から見れば単なる汚れた犬にしか過ぎない彼が(たとえ魔機を宿していたとは言え)、軍部などという大層な機関に追われ、狙われ、襲撃されるのか。全ては謎だ。彼が口を噤む限り。最初はただ無口なだけかと思っていたが、此処まで来るとそろそろ真剣に、言葉が不自由な線を考えなくてはならない。言語障害か、それか耳が聞こえないのか。どちらにしろ、意思疎通を図るのは難しそうだった。うーむ。
「…アリスゼル………?」
 咥え煙草のまま首を捻ったところで、まるで地獄の底から這い上がって来たかのような低い声が聞こえて、思わずアリスゼルはびくうっと肩を跳ね上げた。恐る恐る振り返ってみれば、案の定、そこには恐怖の具現化が。翡翠の角の折れ具合もこの時ばかりは恐ろしい。底光りする孔雀の羽の色をした瞳が、すいとアリスゼルを見る。
「さて、店の弁償代だがね…?」
「いや、俺のせいじゃねぇし。俺、今回何も壊してねぇし」
 ぶんぶんと首と手を振っても、唇に恐ろしい笑みを貼り付けた帽子屋は無論、納得するはずもない。トレードマークのシルクハットを片手で胸に当てたまま、にこやかに微笑んでいる様子は一見奇術師にも見えただろうが、此処は《ヤツハカ》。彼は帽子屋。極一部の巷では《電撃竜》の異名を持つ彼の操る雷は天空から降り注ぐそれに、無論勝るとも劣らない。そして、そういうなんか物理的でない、よく解らんものによる攻撃に対しては。徹底的にアリスゼルは、無力である。銃弾ぐらいなら断ち切るぐらいわけないのだが。いや、電気、とかどうしろってんだよ。
「君の連れてきやがった犬の、せいだろう?どうしてくれるんだ、この惨状を…!大体、何時も何時も君は面倒ごとに首根っこを掴まれて、引き摺られて、その上周りを巻き込んで、その度に一体私がどれだけの被害を被っているものか…!!一ヶ月前の《バビロン》の件だって、」
「あ、俺、用事思い出した。すげぇ重要な用事だ。じゃ、またな、帽子屋」
 段々と説教に移行しそうな会話の雰囲気を素早く感じ取り、棒読みでそう告げるとアリスゼルは、さっさと店からの脱出を試みた。背中からは、待ちなさい!話は終わっていないアリスゼル!、という、珍しく感情を顕わにした帽子屋の声が追いかけてきたが、無論それで立ち止まるような真似はしない。捕まれば、店の弁償代に加えて説教のおまけまで付いてくるのだ。それも今まで散々聴いたような有難い類の奴が。全く大概帽子屋も人のことをお人好しだ、世話焼きだ、言うけれども、自分だって人のことを言えない。大体、歳だって早々違わない癖に何だってこう…いや、年齢の話はやめておこう。
 レストランを後にして、裏路地へと飛び出せば、より一層湿気を含んだ空気がアリスゼルを迎えた。太陽は随分傾いて、その上、空の多くを曇天が覆うようになってきているので、気温は徐々に下がってきてはいるのだが。代わりに遠くの商店街では人々の熱気が増している。夕暮れ前の時間帯。それもスコールもやって来そうな天気模様に、皆躍起になって買出しに追われているのだろう。その雰囲気だけを聴覚で感じ取りながら、アリスゼルは、人の気配の希薄な裏路地を目指して足を進める。まるで野良猫のように、赤は己の好きなところを好きなように道にする。帽子屋の店から真っ直ぐ伸びる細い路地を抜け、すぐに右に折れると、廃墟ビルと空き地の合間を通り抜け、ドラム缶を足場にしていかがわしいビルの非常階段を潜り、張り紙だらけの古いバーの裏庭を越え、枯れた植木を飛び越えても。
「…何で、ついてくんだよ…!!」
 そう。
 当然のように。当たり前だと言わんばかりに、アリスゼルの後ろには案の定、灰色の毛皮の塊がてってってとついてくる。アリスゼルと同じように、細い路地を抜け、廃墟ビルと空き地の合間を通り抜け、ドラム缶を足場にして非常階段を潜り、張り紙だらけの古いバーの裏庭を越え、枯れた植木を飛び越えて。此処まできたら、もう意地だった。アリスゼルはフィルターを強く噛み締めると前だけを向く。スニーカーの底を踏みしめると、強くアスファルトを蹴った。まるで跳躍するかのように。歩く。スピードを上げる。速く。歩く。スピードを上げて、歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く…!

 しかし、何と言っても相手は四本足、此方は二本足。

 ぜいぜいと精神的な疲労感も相まって息を荒げたアリスゼルは、どういう訳か馬鹿正直に自宅前、即ち中華屋《点々》の前まで辿り着いていた。ぶわああと砂埃を巻き上げて通り過ぎる単車にすら馬鹿にされながらも、当然、アリスゼルの目の前には灰色に汚れた犬が。きっちりと当座の当然と言わんばかりに腰を下ろして座っていた。アリスゼルは最早、限界だった。精神力とかの。忍耐力とかの。もう幾ら何でも苛々が蓄積しすぎた。この一匹の犬によって。汚れた毛布みたいな毛の塊によって、平穏で平凡で平素な日常と精神が崩されていく。それが疎ましい。それが腹立たしい。アリスゼル・ゼムン。腐っても鉄刀妖精《ドルチェヴィータ》の遣い手にして、この街においては《真紅の破壊》、《灼熱》、《ゼロ・オン・ザ・ステージ》、《戦場の赤》と謳われて、一目置かれる存在。掲げた矜持はそれなりに高く、貫いた生き様はそれなりに強靭。それなのに。それなのに、何なんだ何なんだ、一体―!
「…どういうつもりだ、てめぇ…そっんなに俺にたたっ切られたいのか?」
「………………………………」
「軍に追われてる。氷の魔機は扱う。喋らない上に愛想はねぇ…!」
「………………………………」
 そう言うとしばらく思案したように首を傾げた挙句。犬は、そっと、尻尾を振った。
「そういうことじゃねぇ!!」
 絶叫したアリスゼルはそのままうがー!!と叫ぶと、ぶんぶん頭を振る。当然のように頭の上に乗っていた妖精が落っこちて、盛大に抗議したが、そんなことはもう知ったことではない。嗚呼、全くもう、全てが。全てが苛々するのだ。関わっていること自体が不幸なのだ。対峙していること自体が不毛なのだ。圧し掛かるような疲労感は何ものにも変え難く。アリスゼルは大声で一通り発散すると、大きく肩を落とし、特大級のため息をつく。そして、ふらと亡霊のように顔を上げ、殺気を含めて犬を睨みつけた。ぞわ、と並みの生き物ならば総毛立つような《本物の気配》を、獣の本能か、彼は感じたのだろう。僅か、動揺を含んだ動きで巨躯が揺れる。後退りを必死で耐えるような、仕草。
「もう、良い。俺は帰って寝る。てめぇもとっとと自分のおうちに帰んな。………そのムカつく四本足で追いかけてきたら殺すぞ」
 そう厳かに告げると、くるりとアリスゼルは踵を返した。今日はもう、これで終わりだ。日は落ちていないが、今日という最低な日は今正に終わったのだ。これで良い。起きて、寝て、また明日は、素晴らしいとは言い難いが、今日よりは大分マシな日になるだろう。まだ見ぬ明日にささやかな期待を込めて。アリスゼルが、欠伸を噛み殺した、瞬間に。
「―アリスゼル、」
 甘ったるい、心底甘ったるいバリトンが名前を呼び、
「行くな―」
 逞しい両腕に後ろから緩やかに拘束されたかと思うと、
「な、にすんだ、コラァ!!!」
 思いっきり、延髄反射でアリスゼルはその《誰か》に肘鉄をぶち込んでいた。
「…あれ?」
 しかし、振り返ってみればそこには変質者などおらず、ただ一匹。ひくひく、と何かの激痛に耐えるが如く、痙攣する一匹の犬がいる限り。野生動物の矜持など見る影もなく、尻尾を丸めて耳を伏せている犬は筆舌にしがたい、哀れな感じではあったが、いや、しかし、それどころではなく。意味が解らない、のだ。確かに、今、此処には人がいた。アリスゼルを背後から事もあろうに拘束する、という天下の馬鹿野郎が此処にはいたはずなのに。
 いない。
 否、いるけれども、いない。それは、《有り得ない話なのだ》。そもそも異形とは獣と人の交じり合った姿と言われるが、しかしその本質はどう歪もうと、人、だ。それはまた、獣も同じで、たとえ言語を解するようになったとしても、その本質が獣であることに変わりない。だから、人と獣、その両方を自在に行き来するなどということは本来ならば有り得ない。絶対的に。圧倒的に。《自然の存在として、成立しない》。それが真理だ。揺ぎ無き、事実。しかし。
「………何なんだ、てめぇ…」
 思わず出た呟きのように、そう問いかけたアリスゼルに、犬は漸く痛みから立ち直ったのか、ふらりと身を起こす。その湖水の氷のような透き通った瞳が、真っ直ぐにアリスゼルを射抜き、鮮やかな閃光を宿す。それは、まるで意志の、ような。強く、輝かしく、そして強い、そんな憧憬すら憶えるような色の中に、アリスゼルが映しこまれ。彼は、口を開く。
「私、は…ギムレット、だ。それしか、私には貴方に答える言葉がない」
 甘いバリトン。獣の口から漏れているとは思えぬほどの理性的な音が、正確な言語を構築して発せられる。それはこの街では見慣れた光景であるはずなのに、何故か神聖な響きを伴っているように思えて仕方がなかった。言語を、扱う獣。言葉を発する獣とは、こんなにも異様で異例で奇異なる存在だったのだろうか。否、これは彼に関してのみ、稀有なのだ。何しろ、アリスゼルは今正に初めて彼の声を。―そう、初めて。
「て、っめ、喋れんじゃねぇか!!」
「いや、私は、ぐ」
「要するに…この俺の度重なる台詞にシカトこいてたって訳か…良い度胸じゃねぇか…なあ?」
 常人では有り得ない腕力でぐわしと犬の長い鼻面を上からホールドしたアリスゼルは、不気味な笑みを浮かべて呟く。無論、上から岩盤すら割り砕くような馬鹿力で押さえつけられては、流石の犬もじたばたする余裕もない。その上、アリスゼルの言う通り、無視、とまではいかなくとも、誠実さに欠ける対応をしていた自覚はあるのか、三角形の耳を倒して、何とも情けない表情になってしまう。無論、それで仏陀の如く広い心で、彼に慈愛を与えるようでは、天下無双《真紅の破壊》アリスゼル・ゼムン様の名が泣く。頭の中で今まで募らされた苛々に対する報復として、とても言葉では書き表されないようなおぞましいことを、ざっと三十以上は列挙していたアリスゼルは、真紅の瞳をいっそ此方の方が余程肉食獣らしく細めると、くく、と喉の奥で笑ってみせた。言うなれば舌なめずりの代わりの笑みとでも言おうか。本能的な恐怖心から、重たい尻尾を持ち上げた犬に構うことなく、通った後には死すらマシと思える地獄しか残さない、とまで謳われる赤は、さあて、と剣呑に瞳を戻した。もうとっくに呑まれて、逃げ腰の犬の汚い毛皮を見つめて、まず第一番目のお仕置き(と称された拷問)を実行しようと、片手を伸ばしたところで、気がついた。汚れに汚れたみすぼらしい毛布のような犬から。
 ぴよーん、と。
 何か、が、跳ねるのを。正確には何か、何てものではなく、それは赤銅色の半透明の身体と足が、なんか足が付属しており、ついでになんだか酷く跳ねる上に、見てるだけで、全身に痒みを催す、そう、そんな生き物が。ぴよーん、ぴよーん、ぴよーん、ぴよーん、と。見渡す限りに跳ね回る、蚤が。毛皮に。瞬時に全身、鳥肌。
「おま、お前、そんなんくっ付けてよく平気…な、…!」
「?アリスゼル?」
 急に拘束を解き素晴らしい速さでバックステップを披露したアリスゼルに、首を傾げて犬が近寄ってくる。今正に食われようとしていた悪魔に自ら飛び込んでくるとは、とんだ生ぬるい脳味噌だな、と思考の間もなく。
「だか、ら、近寄るんじゃねぇぇええええ!!自分が今どんな状態なのか解ってんのか!?解ってるか!?てめぇの身体丸ごと一大コロニーにされてんだぞ!?一族郎党の大いなる母体だ!宇宙戦争だ!地球侵略だ!」
「………アリスゼルの言葉は酷く難しいな…」
「難しくない…難しくねぇよ…!!」
 嗚呼、だから頼む、お願いだから、それ以上近寄らないでくれ、と最早懇願する勢いでアリスゼルが天を仰いだ。まるでアリスゼルの心情を表すかのような厚い雲が西の空からやってくる。強く空気に含まれた湿気に、遠く雷鳴の音。今日も今日とて《ヤツハカ》名物の強烈なスコールがやって来る気配に、それどころでもないアリスゼルも、無意識の内に、重たい低気圧の気配にぴくんと耳を動かせば。ぴよーん、と。嗚呼、赤い髪の中を跳ねる、無数の足の付いた、アレが。痒みが。鳥肌が。毛皮と羽毛と一大コロニーと一族郎党が。
「…!!………!!!!」
 声にならないアリスゼルの悲鳴に、一つ遠くの雷鳴が重なった。





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06/11/13

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