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UNLOCKED HEART RED 1

 紫煙が湿気を押しのけて、空へ昇る。街を少し離れ、深い密林に敷かれた街道を一人の青年がのんびりてくてく歩いている。
 褐色の肌は透き通るような不思議な色合いで何事にも例え難い。手足はすらりと長く、どちらかと言えば華奢、だろうか。着込んだカーキ色のノースリーブシャツにブラックのジーンズは裾が擦り切れて、ぼろぼろになっている。咥えた煙草の銘柄は解らないが、しかし相当きつい葉が詰まっているらしく、周囲に強い煙の匂いを漂わせていた。しかし、彼の外見的特長で特筆すべきは、決してそのようなことではない。彼―名をアリスゼル・ゼムンという彼を、一目見て飛び込んでくる印象は、即ち、赤。赤、という名の鋭利。人によっては緋色、火色、真紅、カーマイン、シグナルレッド、とでも言うだろうが、兎に角、ざっくばらんに切られた細い髪も赤で、射るような鋭い視線を保持する瞳も赤。彼の傍をふわふわと浮遊する機械妖精も赤ならば、実を言えばスニーカーも赤だった。まるで歩く警戒色みたいな彼は、てくてくと何とかぎりぎり舗装されていると言える様な道を、のんびり散歩でもするかのような暢気さで歩いている。耳はまるで古の小説に登場したエルフのように長く、時折、何らかの音を拾ってはぴくっと過敏に動いていた。それ以外ではまるで退屈そうに時折欠伸を交えながら。彼と、彼の機械妖精は、てくてくふわふわと歩いていく。辺りに人の気配はない。それどころか、鳥の声も、虫の声も、何一つ、ない。朝方に降った雨の名残が、道の端に、巨大な水溜りとして残っている道は、周囲一体焼き討ちにでもあったかのように、静まり返っていた。
 無論、それは異常な話だ。警戒すべき状況であることは、アリスゼルにも当然、解っているだろう。
 だが、敢えて彼はその全ての警告を無視して、進んでいる。何か考えがあるのか、それとも何も考えていないのか。アリスゼルはひたすら湿気を押しのけ、刃のような直射日光に打たれながら、前へと足を進めている。赤いスニーカーで前へ、前へ。街道は飽きることなく両脇に深いボトルグリーンの森を抱き、前へ前へ、続いている。そして、前へ進めば進むほど、小鳥や獣の気配は一層薄くなり、代わりにアリスゼルの性能の良い耳に異音が届く。異音。異常な音。密林には相応しくなく、また、きっとそれはコンクリートジャングルにおいても相応しくないだろう。たとえるならば、しゃあっと紙が高速で擦れ合うような音が、何十も重なって聞こえてくる。何十にも、何重にも。正確に聞き取ることはこの距離からはまだ難しいが、少なくとも五匹。《標的》としては申し分ない数に、アリスゼルは鬱蒼と僅かに微笑む。しかし、この音は《奴等》が警戒する時ではなく、敵に相対した時に発する威嚇音。ならば、今此処にいるアリスゼル以外の何かと対峙しているということだろうか。歩く足を止めることなく、アリスゼルは再び聴覚に全身系を集中させる。進む先、何があるか。耳を澄ませば、威嚇音に混じって聞こえる、獣の、唸り声。
 どうやら、先客がいるようだ。
 アリスゼルはしばし考えた後、あまりにも軽い動作でひょいとコンクリートの道を踏み切ると、昼尚暗い密林へと飛び込んだ。このまま街道沿いを行けば、数分も経たない内に件の異音に正面から激突するのだろうが、それは避ける。兎に角、自分が予想していたことと違う状況が予測できる場合は、まずは様子見、それから行動だ。一応、兵法の心得ぐらいはあるアリスゼルは、セオリー通りに密林の下草を音もなく踏みつけながら、先へと進んでいく。無論、そのすぐ後ろをふわふわと妖精もついてくる。音もなく、けれど着実に接近していることを、アリスゼルの耳が伝える。それは無意識の内にアリスゼルが足を速めているのもあるのだろうが、やがて、獣の唸りが、一際大きく聞こえた時。
 その姿は、見えた。
 街道の中でも、何の要因か少しだけ広くなった場所で。緑色の、蜥蜴のような、人のような生き物が暴れている。それは俗にリザードマンと呼ばれる獣で、その名の通り、蜥蜴の頭を持ちながらも、二足で歩き、前足を両手のように使う。更にその大きさは小さい個体でニメートル。最大で四メートルに達するという。複数で群れを成し、密林に住まい、小型の動物を捕らえて食らう。だけならまだ良いが、幸か不幸か、彼らはとんでもなく知能が高い。只でさえ、獣も当たり前のように言語を操る昨今だが、その中でもチームプレイと悪行をさせれば、リザードマンは随一と言われるほど。奴等は遠慮なく、卒がなく、強欲だ。街道沿いに身を潜め、そこを行く商人の車を襲って、荷を奪い、男は殺し、女は犯す。よって密林の嫌われ者。人に害成す獣は狩られるのが、何時の世だって常であり、巨木の陰に身を隠しながら様子を伺うアリスゼルこそが、正にその《狩り師》という訳だ。依頼や懸賞金で人も獣も狩る人々。本日の依頼は些か変則的ではあったが、「リザードマン退治」という、如何にも《狩り師》らしい仕事であって、それに何の問題もイレギュラーもないはず、であった。
 だが。どうやら事はアリスゼルが思っていたよりも、ほんの少し可笑しなことになっているようだ。街道の真ん中、
 リザードマンの群れがいる。それは良い。良い、のだが、その更に真ん中、ちらちらと眼を覆いたくなる緑に混ざって、銀が。灰銀、であるのが汚れなのかどうかは解らないが、とりあえずリザードマンとは全く異なる質感と色を持った生き物が、一匹で飛び跳ねていた。否、それはアリスゼルが言うように簡単な台詞で表現されるようなことではなく。《あれ》は本気で戦っているのだろう。喉の奥から響き渡るような唸り声。大きく開いた口にずらりと並んだ牙を果敢に剥いて。鋭い瞳は蒼く、一直線に敵を睨みつけ、体勢を低くして攻撃の機会を伺っている。巨躯は―獣の、犬、にしては、巨大な身体は、最早泥と血で汚れて見る影もないが、しかし、その瞳と爪には大いなる闘志が宿っていた。そして、それを嘲笑うかのように五匹のリザードマンが犬を取り囲み、縦横無尽に攻撃を繰り返す。牙や爪や尾で。まるで遊んでいるかのような(実際遊んでいるのだろう)攻撃は、恐らく限りない時間休むことなく続いている。リザードマンの爪で傷つけられたのか、多少の血が滲んだ身体を翻し、犬は牙を剥き、リザードマンは爪を伸ばす。ナイフの切っ先のような爪は犬の身体を貫こうと迫るが、その巨躯に似合わず身軽な犬は颯爽と凶器を避ける。しかし、リザードマンは一匹ではない。回避した犬に次に迫る二の手、三の手。五匹分の爪の攻撃を、それでも今はまだ、犬は致命傷を負うことなく避けているようだった。しかし、あくまで防戦一方。何時、凶悪な爪で突き殺されて可笑しくない状況だ。
 咥え煙草の火をそれとなく消しながら、アリスゼルは舌打ちした。こういう事態は唸り声が聞こえた時点で、想定していなかった訳ではないのだが。しかし、いざ眼前にすると多少迷う。犬とリザードマンが戦っている。理由は不明だ。リザードマンは明らかに敵である。しかし、犬は不明だ。敵の敵が敵とは限らない。このまま飛び出していって、リザードマンを倒している間に背後から犬の攻撃、というのははっきり言って面倒臭い事態だろう。万が一、犬が優勢であるのならば、このまま傍観していても良いのだが、どう見ても鱗よりも、毛皮の方が劣勢だ。
 どうしたもんか。
 面倒臭ぇなあ、という呟きを何とか飲み込んで、アリスゼルは肩越しに相棒を振り返る。相棒。赤い機械妖精は。その身に迫る危機を警告するかのように、かちかちっと激しく明滅していた。一瞬で、思考が駆け抜ける。ざざざっと草を踏む音。複数の殺気。奥からか、左からか、右からか。否―――上だ。
 ずしんっ。
 素晴らしい跳躍力を披露したアリスゼルはその勢いで、見事に日の当たる街道にまで押し出されることになってしまった。当然、そこにはリザードマンと、そして犬。両者揃って、予期しなかった闖入者に動きを止めたが、アリスゼルはそれどころではない。完全に油断していた。馬鹿か、全く。上の気配に気付かないなんて、素人か、てめぇは。そう自分を罵りながら密林の奥、即ち今まで自分の存在していた方向を睨みつける。がさりと深い緑の葉が揺れて、一際、巨大なリザードマンが現れる。刻まれた傷の数は、彼が多くの修羅場を駆け抜けてきた証だろう。緑というよりは泥沼のような色の鱗がちろりと妖しく光り、黄色の瞳が強く射抜き、ずらりと並んだ牙が陽光を受けて輝く。そして、爬虫類は口を開いた。低く威厳さえ感じるような声で、見るも明らかな群れの《頭領》は言葉を発する。
「ほお、流石はコソ泥風情…逃げ足は速いな…」
「蜥蜴風情に言われたかねぇな。おい、てめぇがアタマだな?」
「だったらどうした?」
「一応確認だ。最近、街道通る商人襲ってるのはてめぇらの群れか?」
「…成る程、《狩り師》、か」
 蜥蜴の呟きに確信する。確かにビンゴだ。だったら話は早い。漸く仕事に移れる。こうなったらもう犬も蜥蜴も関係ないだろう。いい加減、密林を歩き回るのにも、こっそり様子を伺うのにも、飽き飽きしていたアリスゼルは、大きく伸びをしてから、相棒の名を呼ぶ。傍を飛ぶ機械妖精、属性は鉄刀。その銘は愛らしくも恐ろしく、《ドルチェヴィータ》。名を呼ばれた妖精は、その力を主人の為だけに振るう兵器へと変貌する。赤い光は一瞬の内に輝きを広げ、そして、瞬きの内にアリスゼルの手の内に収まっていた。赤い鞘と黒い柄の、打刀。緩やかなカーブを描いた刀身が、鞘の中にあっても静かな殺気を放って、震えたようだった。かちゃ、と流れるような、構え。リザードマンは、怯まない。
「刀遣い、か」
「こっちも仕事なんでな。とっとと終わらせて貰うぜ」
「ふん。男の肉は美味くないんだがな」
「蜥蜴の肉も美味くないってな」
「………餓鬼が。図に乗るなよ」
「てめぇこそ、調子乗んじゃねぇぜ?」
 会話の途切れが、スタートの合図だった。
 リザードマンの雄叫びよりも、アリスゼルの跳躍の方が一瞬、早い。中空を踏むように跳んだアリスゼルの手の内、鞘から抜かれた鋼の煌き。黄色の視線を五つ分受け、そして、蒼い視線も一つ受けながら、赤は、刀身を引き抜く。灼熱の劫火で焼かれても、決してその強度を失わない不屈の鋼。最高温度は一千度とも言われ、じゅっ、と空気すら焼いて。死を与える赤が翻る。不敵に無敵に、不滅に。ニィと刻まれた笑みは、開戦に震える狂戦士の、歓喜。
「―斬―」
 一閃。そこに一閃以上の意味も威力もなく、だが、確かに一閃で、五つの緑の首が悪夢のように、晴天を飛び交う。ぐ、じゅうううう、とまるで断末魔の悲鳴の代わりのように、リザードマンの首の断面を熱された鋼が焼く。肉の焼ける生臭い匂いと死の気配をまとって、アリスゼルは鮮やかな跳躍から、鮮やかな着地を決める。道の上。背後から迫るのは怒号。仲間を殺されたリザードマンの頭領の、気が狂いそうな殺気が背後から襲ってくる。だから、アリスゼルは事の他ゆっくりと振り返った。抜き身の刀身を、緩やかに静かに操って。まるで、音もなく踊る亡霊のような、何の殺気も殺意も熱意も篭っていない、動き。殺気の塊のようなリザードマンの牙は、そんな紙切れのようなアリスゼルを、上滑り、する。羽根が強風にあおられるように、軽やかに回避したアリスゼルは、即座に右手に構えた鉄刀を強く握り締める。弱から、強へ。急激な変化に、混乱するのは人も獣も例外では、ない。
「《焔舞》」
 上半身を中空で捻る。右手に構えられた鋼は自動的に遠心力を受け取り、何もかもを切り裂く刃は、ほぼすれ違いざまの、リザードマンの首を正確に。まさしくただしく、正確無慈悲に、切り落とす。あまりにも簡単に、ごろん、と落ちた緑色の首は、水溜りへと派手な水音をたてて転がり落ちた。一瞬で、肉塊と化した黄色の瞳が白眼を剥いて、虚空を見上げる。そして、数秒遅れて巨大な身体の方が道の上へと倒れ込んだ。焼けた切断面は酷い匂いがするだけで、出血はほとんどない。ただ、しゅううっと未だ燻るような煙をたてたまま、リザードマンの頭領は絶命していた。否、頭領に限らず、全てのリザードマンが、数週間に渡って街道を通る商人を恐怖に陥れた全ての脅威が、今やただの肉の塊になって、道へと惨状を晒していた。終了終結、任務完了。実に、呆気ない。
 アリスゼルは、ふうっと息を吐いて刀を鞘へと収める。すると、すぐさま刀は赤い発光体と化し、赤い髪の上に此方も、一仕事終えたと言わんばかりに、こてんと転がった。ジーンズのポケットから煙草のパッケージとジッポーを取り出し、銀色の手に心地良い金属で葉へと火を点ける。ぼっと灯った炎から吐き出される煙を、深く深く吸い込んだ。本日の仕事の終了を祝うような美味い紫煙に、アリスゼルが一人で満たされていると、僅かな音がその鼓膜を刺激した。ふと、視線を遣れば、そう言えばすっかり忘れていたが、途中から眼中にもなかったが、銀色の、否、それは銀色と言うのも、おこがましい、汚れた灰色のぼさぼさの毛皮を纏ったぼろきれのような犬が、ほとんど隠れた蒼い瞳を、此方へ向けていた。じっと。犬がよくやるお座りの姿勢で、一定の距離をアリスゼルと取ったまま、そこに、無言で存在している。
「………あ?」
 半眼の視線に怯む様子もなく、犬はやはり、微動だにせず、アリスゼルの目の前に、いた。何ら言葉を発することなく、汚れた毛布みたいな生き物はじっとアリスゼルだけを見つめている。リザードマンと戦っていた時に見せた殺気や表情など見る影もなく。口を噤み、時折大きな三角形の耳だけをぴくりと動かし、しかし、それ以上の動作は決して行わず、かと言って何処かに行く気配もなく、アリスゼルと一定の距離を保ったまま。まるで置物のように動かない。そこにいる。無言で見つめてくる。蒼い瞳の周りは泥なのか目脂なのか、黒く汚れ、ぼさぼさの尾はほとんど泥と血で固まったモップと言った方が正しい。あまりにも汚れていた。こんなに汚れた犬に、アリスゼルはこれまで出会った事がない。街にいる野良犬でさえ、もうちょっと小奇麗だった気がするのだが。
 しかし、若干の薄気味悪さはあるが、向こうから仕掛けてこない以上、此方も下手に関わらない方が良い。とりあえず、ボロ毛布からは視線を外して、ジーンズの後ろポケットから、アリスゼルは携帯電話を取り出した。慣れた仕草でボタンをプッシュし、耳へと当てる。僅かニコールで回線は繋がった。
「俺だ。完了した。確認と回収に来い。あ?ああ、そうだ、首が六つ、胴体が六つ!ああ?そりゃ知らねぇよ、てめぇの問題だろうが…兎に角、早く来い。暑くてしょうがねぇ。…………ったりめぇだろうが、フルスロットルだフルスロットル」
 短い一方的な通話を終え、ぱくんと銀色の携帯電話を閉じる。アリスゼルは息を吐いた。暑い。時刻は最低の午後二時過ぎ。熱されたアスファルトと熱された空気とじりじりと燻るような太陽のコンボが容赦なく地上の生物を焼き尽くそうと迫ってくる。少しでも直射日光を避けるべく木陰へ潜んでも、それも半分以上無駄足だ。何しろ暑いのは太陽のせいだけでなく、この湿気のせいでもあるのだから。多量の水分を含んだ空気は、熱を持ち、身体に纏わりついて離れない。むあっと蒸し焼きにされているかのような錯覚に、流石のアリスゼルも、暑い、と最高に無駄な独り言を零した。その頭の上では気温を感じる器官など一つもない機械妖精が涼しい感じでころころと転がっていた。何となく腹立たしい。だが、腹立たしいと言えばもう一つ。否、もう一匹。アリスゼルの横で此方もやっぱり涼しい顔をしている一匹の、犬。彼は口を開かない。黒い鼻とひげを動かすことはあっても、言葉を発することがない。全くの無言。まさか喋れないということはないだろうに、愛想がないにも程がある。しかし、攻撃はしてこない。立ち去る気配もない。
 何なんだ。本当に何なんだ。
 思わず更に巨大なため息をつきたくなったアリスゼルの耳に、エンジン音が届いたのはその時だった。
 その音は恐らく獣にも聞こえたのだろう。ぴくっと大きな耳を動かした犬を横目に、アリスゼルは眼を眇めて遠くを見遣る。やってくるのは、広い荷台を持ったジープというかトラックか。幌もない質素な作りのそれは、半分傾きながらも、素晴らしいスピードでがたがたの道を走ってくる。どうやらアリスゼルの言った「フルスロットル」を忠実に守っているらしい。片方割れたヘッドライトにビニールテープが張られたジープは大きく手を振ったアリスゼルにどうやら気がついたようで、徐々にスピードを落としながらも、きいっと甲高い音をたてて、道の真ん中で止まった。ハンドルを握っていた青年は、眼鏡を直しながら、ひょろりと背の高い身体を持て余すように運転席から降りてくる。オレンジ色の髪に、全身を覆う鱗。顔の一部分を除き、そのほとんどを魚に酷似した鱗に覆われた異形の彼は、アリスゼルを認めると愛想良く笑った。
「お疲れ様です、アリスゼルさん!わー今回も相変わらず凄まじい手際!流石です!」
「解ったから、早く確認しろ」
「了解です!」
 びしっと形ばかりの敬礼をして、首と胴体がばらばらになったリザードマンの確認を始める青年を横目で見ながら、アリスゼルはふうっと紫煙を吐く。ゆら、ゆら、ゆら、と天頂に昇っていく煙は、暑さで歪んで見えた。横では相変わらずじっと動かない犬が。アリスゼルを見つめている。飽きることなく、その瞳に知性を宿して。そう、恐らくその視線が気に入らないのは、そこに知性があるからでもあるだろう。意味がない、訳ではないのだ。獣は、何らかの意志を持って、アリスゼルを見つめている。殺意でも脅威でもない、それ以外の何かをもって。「アリスゼルさーん!恐らく確認された六体で間違いないです!これで今日からまた街道が使えます!有難う御座いますー!」
 晴れやかな声でそう告げられて、アリスゼルはひらひらと気だるげに肩越しに手を振った。確認が終わったのならば、もうこの場に用はない。リザードマンの死体は彼らが好きなようにするだろうし、それはアリスゼルには関係のないことだった。いい加減、暑いのと視線とでうんざりしていたアリスゼルは、さっさと踵を返し、街の方へと向かって歩き始める。午後の日差しはまだまだ暑いが、じっとしているよりは歩いている方が、まだ気が紛れる気がした。これで仕事も終わりだ。気味の悪い野良犬ともおさらばだ。後は飯を食って、シャワーを浴びて、今日の仕事もさっぱり忘れて寝るに限る。そう考えながら、アリスゼルが約八歩ほど歩を進めた辺りである。
 てこてこてこてこ、と妙な気配を感じたのだ。
 嫌な予感がして、恐る恐る振り返る。遠くでは巨大なリザードマンの頭を手に、四苦八苦している青年がいたが、そんなことは最早問題ではない。そう、問題なのは。先程と変わらず、一定の距離を保って、アリスゼルを見ている、犬、だ。確かに、確かにアリスゼルは歩いてきた。木陰から移動し、確かに犬からは遠ざかったはずだった。一時は。
「………………………」
 とりあえず、見なかったふりをすることにする。何の解決にもなっていないが、万が一、億が一、見間違いということもあるだろう。そう、アリスゼルの気のせいだ。ひょっとしたら犬は、何らかの理由で何となくアリスゼルについてきているような格好に、なっただけなのかもしれない。否、きっとそうだ。そうに違いない。大体、ついてこられる意味が解らない、理由がない。
 そう無理矢理己を納得させて、アリスゼルは歩き始める。なるべく、頭の中で他の事を考えるようにしながら。他の事、他の事、そうだ、とりあえず飯を食おう。アリスゼルは無論、独り者の嗜みとして料理ぐらいはできるが、しかし、今日は帽子屋の店で飯を食おう。バー何だかレストラン何だかよく解らない店を経営している彼の料理は、決して悪くない。悪くないどころか、相当美味い。ただ、あのよく解らない看板が災いしていまいち流行っていないのだが、それ故にアリスゼルのような常連は落ち着いて食事ができるという利点もあった。頭の中で件の店《DEATH MARCH》の、メニューを上から下へと検索する。適度に運動した空きっ腹に果たして何を入れようか。熟考しながら、歩くことした。

 背後の気配は、出来うる限り思考に入れないように、しながら。
 歩く。





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06/11/10

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