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UNCAGED BLUE DESIRE

 目の前で繰り広げられている光景が夢であるのならば楽で良いのだが、という夢想を抱いたアリスゼルは、一度その真紅の瞳を閉じてみた。一、二、三。真っ黒な視界から逃れる為に眼を開く。目の前の光景は、相変わらず。仕方なく、アリスゼルは髪を掻きあげてため息をついた。どうやら目の前の男は、訪問者があろうとなかろうと、《お楽しみ》をやめる気はないらしい。マナーももてなしの心得も、相変わらず全く持ち合わせのない男である。
 そう、即ち玉座とも呼べるような巨大で豪奢な椅子に座っているのは一人の巨大な男。背丈は二メートルを越えるだろうか。人と呼ぶには些か抵抗のある屈強な体躯を保持した彼は、案の定と言うか《人間》ではなく《異形》である。その身は蜥蜴の類と混じり合っているのか。オリーブ色の短い髪にタイガーアイのようなゴールドの瞳は、ぎらぎらと鋭利で、危険な光を放っている。太い首には刃を模した刺青が男の本来の人間の色をした皮膚を埋め尽くすように所狭しと刻まれ、そして刺青が刻まれていない場所―否、刻めぬ場所には正に爬虫類の緑、とも言うべき色をした鱗が覆っている。筋肉質な身体。背骨が終わる場所、即ち尾骨の位置には、本来人間は失くしたものが、もう一つの異形の証のように。太く逞しい爬虫類の尾が、びろん、と伸びていた。此処まで来たら、最早、「爬虫類」と呼ぶのもおこがましいのかもしれない。それは遠き古の伝説に語られたドラゴン―アリスゼルのよく言われるエルフと同じく幻想の獣なのかもしれなかった。
 そして、男のそんな片膝の上には、少年が一人。
 少年はほぼ全裸、だった。その薄い皮膚の上を革製のベルトのようなものが縦横無尽に締め付けている。瞳には目隠しを施され窺えず、髪は優しい杏色。普段は愛らしい血色をしているだろう唇には僅か青褪め、その口にはSMプレイに使われる穴の開いたボール付きの拘束具、所謂ギャグボールを嵌め込まれている為、漏れ出ずる声は何ら意味をなさない。とろりと零れ落ちる唾液。両腕を後ろ手に拘束されながらも、彼が身体を捩り、頬を上気させるのには、無論理由がある。その後孔。少年の柔い臀部の窄まりに埋まっているのは、鮮やかなショッキングピンクの色をした電動の玩具。まあ、俗な言い方をすればバイブレーターというヤツであり、それを、もう、何十分、何時間宛がわれているのか、アリスゼルは知らないが、知りたくもないが、兎に角、快感を与えられ続けてどろどろになった少年を、男は自分の膝の上に乗せて飄々としているのである。
 アリスゼルはもう一度ため息をついた。無論、アリスゼルだって娼館の生まれである。紛うことなく、《此処》の生まれだ。故に男の痴態も媚態も見慣れているとは言え、それにしたって目の前で悦楽に悶える少年を眺めて楽しむ趣味はない。しかも、よく見れば彼の性器はベルトで手首同様拘束されて、どうやら一度も射精には至っていないらしい。最早、プレイというよりは軽い拷問だな、とアリスゼルは耳の先を下げると、此方をじっと見つめるだけだった男―、男娼館《Spider》の主人、青蜘蛛に対して、一応の交渉を試みる。聞くとも思えぬが、流石に見るに耐えない。
「てめぇ、久々の客人が来てるってのに、その態度はねぇだろうがよ。お楽しみは後にして、《お人形》は離してやりな」
「ふ…何を言うかと思えば、まだコレでは十二時間ほどしか遊んでいないのだぞ…?早すぎるだろう?」
「じ、十二時間!?て、め、何考えてんだ!大事な商品、殺す気か!?」
 数時間とは彼を舐めた憶測だった。そうだ、忘れてた。男娼館《Spider》の主人、青蜘蛛の底なしの精力を。またの名を絶倫を。男娼で絶倫とは羨ましい限りかと思われるかもしれないがそうでもない。まだ、彼が《Spider》の《蜘蛛》となって間もない頃、客が半分冗談で告げた「二十四時間ヤリっぱなし」という注文を忠実に受け、実際二十四時間ヤリ続けようとしたのは、紛うことなく青蜘蛛その人なのである。当然のことながら、客の方は十八時間を超えた頃に意識を飛ばし(ただでさえ、青蜘蛛のセックスはその当時から荒かった)、病院に救急搬送、ということに相成った。死ぬほどの快楽を求めて、実際死んでは堪らない、と一時、男の人気が落ちた時期もあったのだが、やはり尽きることない精力とその実技の腕前、要するに大層セックスの巧い青蜘蛛は一定の人気を保ち、またその頭の良さも披露して、男娼館の主人となるまでは、早々時間はかからなかった。
 そして、現在では青蜘蛛の《お遊び》の相手は専ら娼館の高級男娼たちである。男娼の見た目にも技術にも、言ってしまえば自分が嬲ること以外、あまり考えていない青蜘蛛は節操なく彼らを抱く。抱く、ぐらいならまだ良いのだが、時折、その《お人形遊び》が度を越して、病院沙汰になることもしばしばなので、問題だった。大体、今の現状を見ても解る通り、限度というものを知らぬのだ。十二時間って何だよ。普通の人間なら確実に死ぬ。死んでいる。それでもこの少年が、まだひくひくと快楽に身を捩じらせていられるのは一重に慣れのせいもあるだろう。青蜘蛛との、楽しいとは言い難く、気持ち良いとは言い難く、けれど、彼を心酔する少年たちからしてみれば、途方もなく名誉で光栄で歓喜に満ち溢れた時間に。
 ………どうしてこんな男がもてるのだろうか。
「商品、とはまた冷たい言い方だな…サキュレの息子。コレを忘れたのか?」
 男が低い低い声で笑う。爬虫類の喉から発せられたような滑らかだけれどざらついた声音に眉を寄せながらも、アリスゼルは男の言葉に、よくよく少年の顔立ちを見る。整った顔立ちだ。無論、目隠しはされているし、ギャグボールも嵌められているが、杏色の髪に白皙の肌。上気した頬に、細い首筋。抱きしめたら折れそうな体のラインに、戒められた手首は瞬間的に力を入れたら粉砕してしまいそうだ。そして、その両手の小指。それが、まるで、カナリアのような、オレンジ色の羽の一部に、そこだけが、変わっていて、それ故に、彼は人気のある男娼で―。
「こ、胡鳥?」
「漸く…思い出したか」
 思わずアリスゼルが大声をあげたのも無理はない。全くどうして今まで気付かなかったのか。その方が不思議である。少年は、つい半年程前に入館したばかりの男娼だ。此処に来るまでは孤児をしていたという彼は、兎に角、綺麗な服と、綺麗なベッドと温かい食事が食べられるのが嬉しくて仕方がないらしく、その上、適度に淫蕩で娼館での生活に、慣れるのも早かった。そして、その当時、大きな仕事がなく、ふらふらしていたアリスゼルは偶然久々に訪れた此処で、彼に出会い、何度か《遊んでやったのだ》。無論、その時は恋人がいる訳でもなかったし、ましてやその後、ギムレットに出遭うなんて、思いも寄らなかったからにして、いや、何で言い訳してるんだ、俺。
 苦虫を噛み潰したような顔になっているアリスゼルに、男がくゆりくゆりと嗤う。
 嫌な笑い方だ。唇に手を当て、喉の奥で押し殺すように、彼は笑う。彼は解っているのだ。アリスゼルが、この後、どういう行動に出るのかを。そこは、それ。流石に数年来の付き合いだけあって、彼は解りきっている。だから、下手な取引は無駄で、下手な虚勢は、全くの無意味。アリスゼルはやはりもう一度吐息をつき、髪を揺らすと、彼の前へと歩み出た。間近に、巨大な男が椅子に腰掛けたまま、アリスゼルを見ている。座っていても此方と同じ目線だというのが大変憎らしい。
「…解ったよ…おら、抱っこちゃんなら、俺が代わってやる」
 そう言うと、笑った男はいとも簡単に自分の片膝に乗せていた少年を、ぽん、と前に押し出した。まるで、もういらない、と玩具を投げ捨てる子供のように。そうして、自由落下のままに落ちようとした小さな鳥の身体を、アリスゼルは片腕で抱きとめた。異変を感じ取って不安そうにする少年の目隠しとギャグボールを外してやる。顕わになる飴色の瞳。くるりと大きい眼が涙に濡れたまま、ゆっくりと瞬きをして、アリスゼルを認識した。
「………あれ、アリスゼル、様………?」
「ああ、久しぶりじゃねぇか、胡鳥」
「…はい…え、どうして?遊びに、きてくれたの?」
「違ぇよ、てめぇの今日のノルマは、吐き出して、寝る。そんだけ」
 腕の枷を外し、バイブのスイッチを切りながらそう言うと、彼はあからさまにがっかりしたようだった。…先程の適度に淫蕩、というのを訂正。少年はかなり、淫蕩、だ。青蜘蛛が手にしたベルをちりんっと鳴らすと、ドアの向こうで控えていた燕尾服の男―通称、《執事》という役職を受け持つ無表情の男が、
つかつかと淀みない動きでやって来る。青蜘蛛が彼に二言三言指示する言葉に訂正を入れる部分がないのを確認し、抱き上げた少年を執事に手渡す。胡鳥はまだ震える身体を持て余し気味にしていたが、アリスゼルが彼の羽毛の小指を、ちゅ、と吸い上げて、またな、と言うと漸く気が済んだのか、弱々しい笑みを浮かべて、手を振った。
 抱え上げられたまま部屋を出て行く少年を見送っていると、目の前で大男が腕を広げて、さあ!と言わんばかりの、笑みを浮かべている。どうにもこうにも腹立たしいが、約束してしまった以上は仕方がない。出来うる限りの嫌そうな顔で、アリスゼルは彼の片膝の上によっこらせと乗り上げた。さも当然のように腰に伸びてきた腕は、ビシィっと早業で叩き落とす。誰もお触りまで許してねぇよ、という眼でギロリと睨みあげると、男は肩を竦めたようだった。
「それで。わざわざ俺の元まで訪ねてくるということは、何か頼みでもあるのだろう?」
 ともすれば恋人同士の睦み合いのようにも見える超至近距離から、ガンを飛ばし続けるアリスゼルに、青蜘蛛が呆れたように声を発する。アリスゼルは彼が娼館にやって来た時以来の付き合いである。しかしだからと言って、館に属する男娼という訳ではないし、しかも女娼館《Butterfly》の女主人、紅揚羽の息子という不滅の地位を持っている。その上、見た目通りの怪力を誇る青蜘蛛と差しで向かい合っても、一歩も引かぬ実力を持つアリスゼルは。どうも彼の中で位置づけが難しい人物となっているらしい。素直に友人だ、とでも言っておけば良いのに、生まれてこの方友人などいた試しがないこの男は(どうやらマジだ)、そう言うのも憚られるようだ。全く難儀なことこの上ない。
「ああ、用意して貰いたいもんが」
「用意…だと?」
「あーと、潤滑剤、ローションタイプのヤツとジェルタイプのヤツ。それにバイブは…はまあ何でも良い。使わねぇかもしれねぇし。ゴムは特大サイズがあれば」
「…とうとう、俺に調教される決心がついたか…」
「つくかよ、この野郎」
 真顔で言いやがった男の眉間を正確に正拳突きで狙うと、ひらりと軽くかわされた。くつりと喉の奥で笑う男の、こういうところが嫌だから、出来ればここには来たくなかったのだが。背に腹は変えられぬ、というやつだ。何しろ街のアダルトショップで売っているような薬品には何が入っているのか解ったものではない。中にはドラッグ紛いのものもあるだろうし、変なものに引っ掛かったら最後。己の身と恋人の身が危うい。
「ふむ………では、とうとう恋人とやらが出来たということか…。お前では特大サイズは合わないだろうからな。相手は男か」
「………失礼極まるな、てめぇ…」
「真実を述べているだけだ」
「羨ましいか、この野郎」
 そう、《叶わぬ恋に焦がれ続けている》男に問うたのは、ちょっとした意趣返しのようなものだった。意地の悪い笑みを唇に刻んだアリスゼルの顔を、男はちょっとだけ見開いた眼で見返すと。
「ああ、羨ましくて殺したくなる」
 ぞっとするような声で、嗤った。
「羨ましくて羨ましくて羨ましくて堪らない。どうしてお前に叶えられて俺には叶えられないのだ。俺はそんなに魅力に乏しいか?どうして、あいつは決して俺の方を振り向こうとしない?何が駄目だ?何がいけない?もう何年も何年も俺はあいつだけしか見ていないのに。どうしてどうしてどうして、あいつは、」
 無表情で紡がれ続ける言葉はまるで呪詛のようで、恐ろしい負の迫力があったが、アリスゼルは黙して聞いてやった。それは、言わば子供の我侭のようなもので、子供の癇癪のようなもので、吐き出すことに、意味があるのだから。言葉自体に意味はない。意味など、とうに失くしてしまっている。男の言葉通り、彼は何年も実らぬ恋に身を焦がしている。アリスゼルがそれに気付いたのは、恐らく彼の中でほんの小さな心臓の形をした種子が芽生えたばかりの頃であり、それから恐らく一時も休まず成長したその芽は、今や彼の心臓は愚か、身体中を支配している。焦がれているのだ。恋をしている。この男は。年甲斐もなく、否、だからこそ、叶わぬと解りきっている恋に、焼かれている。手を伸ばしても振り払われ、心を伸ばしても拒絶される。《相手》の壁は強硬で偏屈。あの手この手で攻めようとも、崩れることは決してなく、そんな時間がもう、何ヶ月といわず、何年も続いているのだ。
 普通の男ならば諦めよう。普通の恋ならば諦めよう。
 だが、彼は青蜘蛛であり、この恋は一生に一度の恋だった。たとえ、何度拒絶されても、向かわなければ死んでしまう恋。だから、青蜘蛛はまだ、焦がれている。無駄だと解っている恋に、今もまだ必死で食らいついている。食らいついていなければ、死んでしまうと言わんばかりに。否、実際に死んでしまうかもしれない。歪んだ男の歪んだ恋。もし、これで彼の恋の相手が白い花が似合うお嬢さんだ、というのならば、アリスゼルは必死で止めただろうが。しかし、幸か不幸か、彼が焦がれる相手も、歪んだ男の歪んだ恋に相応しい、歪んだ相手であるが故。アリスゼルは、彼を止める気にもなれず、まあだからと言って積極的にサポートする気にもなれないが、それでもたまにこうして愚痴というにはあまりにも濁りすぎた叫びを聞くぐらいは、寛容してやっている。
 だって、可愛いだろう。こんな巨大な男が、恋する相手の一挙一動に震える様は。滑稽で、悲哀に満ちて、それでいて幸福と不幸に彩られた、その心を。
今ならば、アリスゼルだって、手に取るように、解るから。だから、手を伸ばす。その指先で、彼の頭を、よしよし、と撫でてやる。
「俺は《叔父貴》には全く似てねぇが…まあ、慰めるぐらいはしてやる」
 そう尊大に言い放つアリスゼルに、青蜘蛛は二度三度瞬きをしたが、やがて。すうと眼を細めてみせた。そのゴールドの、鋭い瞳を日溜りの獣のように。ゆうらりと鱗に覆われた尾が波打つ。まあ、猛獣に懐かれたようで悪い気はせず、アリスゼルは調子に乗ってその頭をぽんぽんと撫でながら、ついでにわざとらしく媚びてみた。
「じゃあ、モノの代金はてめぇの心付けってこ、」
「却下」
 舌打ち、一発。


06/11/24

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