ibaraboshi***

home > 小説 > , , > UNCAGED RED DESIRE -r

UNCAGED RED DESIRE -r

 アリスゼルが青蜘蛛の元を訪ねたのは、あの騒動から五日後。今日から遡って七日前の話である。
 恋人ができる。キスをする。抱きしめ合う。そして、その後の展開と言えば、昨今道端の野良猫に訊いても、間髪入れずに正しい答えが返ってくるほど、有り触れた事象。純粋で純情且つ純愛な人の心理として、《それ》に向けて心構えするのは当然であり、そして無論、アリスゼル・ゼムンは十分過ぎる位の心構えにプラスして、準備まで万端だというのに。
「………………………」
 何故、自分がおあずけを食らったみたいな気分を味わわなければいけないのだろうか。本来ならば、ここで悶々とするのは、伴侶であり、恋人であるギムレットのはずである。しかし、当の本人(本犬)はと言えば、アリスゼルの家で最も高価な、家電の前に前足を揃えて座り、先程から熱心に四角い箱に視線を注いでいる。即ち部屋の隅の真っ赤なテレビ。《ヤツハカ》の電波事情は非常に悪く、アリスゼルの自宅では、元々少ない放送局の中でも一局しか映らない。しかも、その一局というのが、何でも昔の東方の島国で流行ったとかいう「時代劇」なる番組とあとはニュースのみという、最高につまらないラインナップを揃えているのだから、最悪だ。そのせいで、滅多に電源を入れることもなかったのだが、どういう訳かギムレットが「時代劇」を気に入ってしまい、今や夕食後はほとんどテレビの時間と化している。
 そもそも、テレビ自体見たことがなかった彼は、小さな箱の中で小さな人やら景色が鮮明に動き回る様に、カルチャーショックを受けたようで、最初は電源を入れると警戒するように遠巻きに見ていたのだが、その様子が面白くてテレビをつけっぱなしにしていたのがいけなかった。文明の利器への警戒心が溶ける頃には、彼はすっかり「時代劇」の虜となっていたのだ。繰り返される然して変わり映えしないストーリー。何が面白いのか、アリスゼルにはさっぱり解らないが、犬の尻尾は先程から大きく機嫌良さそうに揺れている。
 ダイニングの椅子に逆に跨りながら、アリスゼルは咥え煙草のまま首を捻る。画面の中では可憐な町娘が泣いて訴える。「おとっさんは病気なんです…!」それに答えること借金取り。「そんなことは知るか!証文の期限は今日までだ!」どう考えても借金取りの方が正論を言っているように聞こえるのだが、恐らく彼らは番組後半、成敗される運命だろう。解らない。何が面白いのだろうか。番組を見ていても全く眠くなる一方なので、アリスゼルは紫煙を吐き出しながら、眠くなるどころか真剣にテレビに集中しているギムレットの背中を眺めることにする。
 動物事典を引っくり返してみたところ、大戦以前の狼―即ち、食肉目裂脚亜目イヌ科の生物はそれほど巨躯にならない、精々、大型の犬程度の大きさだったようだ。だが、大戦以後、様々な生き物がその生態を大きく変えたように、また狼も言語を操る能力に加え、その身体を巨大化させていったらしい。ギムレットは巨狼と言うに相応しい大きさを備え、銀色の美しい毛皮に蒼色の瞳を持っている。蛍光灯の光を反射してきらきらと輝く毛皮は、まるで雪原か月明かりか。人工的な灯の下であっても、何ら遜色ない艶やかな色合いはまるで金属の糸を織り上げたかのように美しい。その色は、恐らく保護色。《ヤツハカ》が存在する大陸(と言っても世界に大陸は一つしかないのだが)において、白銀が保護色となる場所と言えば、それは最北端、雪と氷に覆われた大地―北方特別保護地区《ニヴルヘイム》だけだ。
 遠い、なんてものではない。《ヤツハカ》の気候が亜熱帯であることを考えれば想像は容易だろうが、どんな交通手段でも日数単位で時間を要する距離である。果たして如何なる因果か、彼はその距離を超越し、《ヤツハカ》へとやって―否、正確には連れて来られたのだろう。腐った果実の匂いに満ち、犯罪と欲望と享楽を愛し、アリスゼルが生まれ、アリスゼルが育ち、アリスゼルが住む、この街へ。それをロマンチックで運命的な出会いだと、手放しで喜ぶような乙女の思考回路をアリスゼルは流石に持っていないけれど。それでも、何処か、感慨深い。今、何の嘘でも冗談でもなく、彼がこの場所に居る。アリスゼルが、確かに、愛しいと、愛している、と思う《男》が。それは、何たる奇跡で、何たる幸運で、何たる飽和だろう。とんでもない偶然で今まで生きてきたアリスゼルは、今度はとんでもない偶然で彼に出会い、こうして共にある。手を伸ばせば触れ合える位置に、彼は居て、
「…アリスゼル?」
 ギムレットが振り返って、ゆっくりと声を発す。アリスゼルの視線が余程気になったのか、蒼色の瞳を此方に向けながらも、しかし、ちらちらとテレビの方に視線が目移りしている。番組は最も盛り上がる、所謂「見せ場」を迎え、彼としてはそちらが気になって仕方がないのだろう。何でもない、とアリスゼルが手を振ると、彼は速攻、首を戻した。
 ………何となく気に入らない。
 深く吸い込んだ紫煙を大きく吐き出し、残り僅かな煙草を灰皿で揉み消す。ぎいっと音を立てて椅子から立ち上がっても、彼は見向きもしなかった。それはそうだろう。テレビの中では、町人に扮していた将軍様が本領発揮で大立ち回り。正に悪人成敗と言わんばかりに、腰から抜いた日本刀でばったばったと悪を斬る。アリスゼルの予想通り、先程の借金取りが実はあくどく金を儲けていた罪だか何だかで、悲鳴をあげながら、袈裟懸けに一刀両断されていた。
 そして、それを熱心に見入っているギムレットの横に、本物の鉄刀遣いはどっかりと座り。普段は刀の柄と鞘を握る両手でがしっと彼の顔を掴むと、馬鹿力で無理矢理此方に向け。驚いて蒼い瞳を見開く彼に、意地悪くニィと笑ってみせた後。そのまま、ぺろりと濡れた犬の鼻の頭を舐めた。
「な、!?」
 驚愕が度を越すと声にならないのは、どうやら獣も人も同じらしく、ギムレットがぱくぱくと口を開くのを良いことに、アリスゼルは真っ赤な舌をゆらりと再び伸ばす。けれども、行き先は今度は鼻先ではなく、ずらりと並んだ牙の、先。獣の口内に、何躊躇うことなく、舌を差し出す。他人から見れば、狂気の沙汰。少なくとも正常ではない、と、罵倒されるような行為も、けれど、アリスゼルは構わないと思っている。たとえ獣と人の身と言えど、アリスゼルは彼を愛しているし、彼もアリスゼルを愛してくれていると思う。ならば、それが普通には歪と異常と蔑まれようと、受け入れるのは不可能ではない。嫌では、ない。むしろ、望んで、嗚呼、そうだ、当然のようにアリスゼルは《それ》を、望んでいるというのに。
 何故か。それは、叶わない。
 瞬間、思い切り顔を後ろに引いて、口を閉じたギムレットのせいで、アリスゼルの舌は何となく宙吊りのまま、その場に一時停止する。満ちる沈黙。テレビからは番組のエンディングテーマが、物悲しく流れてくるところだった。ギムレットは、半眼になったアリスゼルから視線を逸らせるように、うろうろと無駄に天井の辺りを見回すと、やがてわざとらしく、風呂に入らなくてはな、とぎくしゃくした言葉遣いで言った。巨躯を持ち上げ、アリスゼルに背を向けて、するりと銀色の毛皮が手の中から抜け出す。眼前を大きく揺れた尾が通り過ぎる。大きくて太い毛皮の塊を、アリスゼルは深い深い深い深い深い深い深い深い、ため息と共に、むんずと掴んだ。
「お前さぁ…」
 低い声で漏らしたアリスゼルにあからさまに身体を跳ね上げたギムレットは、恐る恐ると言った感じで此方を向く。耳は後ろに下がり、ひげは垂れ、何となく情けない表情の彼だが、より一層情けないのはきっとアリスゼルだろう。何ていうか、ここまでくると、もう、惨めというより他ないではないか。どう考えても、何処をどう見ても、彼はアリスゼルと、セックスをしたくないのである。アリスゼルはしたいのに、である。一方通行だ。片思いだ。これを惨めと言わずして何と言う。
「そんなに俺とセックスしたくねぇの?」
「せっくす?」
「交尾」
「は、!?」
「そりゃ、俺は男だし、雌狼でもねぇし?可愛いとは言い難いし、綺麗だとも言い難ぇが…」
 そう、今更ではあるが、考えてみると彼が自分と同じ考えを有しているのだと真剣に考えいたのが、まるで馬鹿らしい。考えれば考えるほど、彼がアリスゼルとセックスする理由はない。獣は生殖本能に忠実であり、それは即ち、遺伝子を後に残すことに積極的なのであって、その相手は当然ながら雌に限定される。アリスゼルでは、幾ら励もうとも、子供の一人も生める訳が、ない。その上、成人した男性であるアリスゼルは少女や女性のように見えるという訳でもないし、かと言って欲情をそそるような外見をしている訳でもない。ないない尽くしの正に三重苦。最低ラインの更にまた下。その上、アリスゼルは極度のヘヴィスモーカーであり、大抵の非喫煙者は喫煙者とのキスが大嫌いだ。
 絶望的な結論に、アリスゼルは彼の尻尾を掴む力も失くした。思えば、恋人同士と言えど、必ずセックスしなければならぬ、道理など何処にもない。特に同性ではセックスレスのカップルもたくさんいるし、それはそれで間違いではない。だから、ギムレットがアリスゼルとセックスしたくないと言えば、それはそれで彼の意見なのであるし、別にしなくたって二人は恋人同士なのであるし、いや、なんか自分に言い訳しているようで、余計に空しくなってきた。どんよりとした暗雲を背負ってアリスゼルは息を吐く。自然と耳も下がって、情けなさは百倍だろう。自分だってギムレットの耳や尻尾のことは言えない。どうも獣に似た器官は持ち主の意思に反して雄弁で困る。
「悪ぃ。忘れろ」
「…ち、違う!違うんだ、アリスゼル!私は、アリスゼルは可愛らしいし、それに綺麗だと思っている…!」
 普段とは違うアリスゼルの態度に慌てたのか、ギムレットにしては珍しく大きめのボリュームでの唐突な自己主張に、思わず俯いていた顔を上げた。見れば、彼は冗談ではない色をその瞳に宿して、真摯に此方を見つめている。蒼い蒼い湖水の色。まるでその色に飲み込まれてしまいそうな錯覚を受けるほどに、彼の瞳は蒼く美しく澄んでいる。
「確かにアリスゼルは私と同性だし、狼でもないけれど…け、けれど、貴方はとても、魅力的、だし、美しいし、それに私は、貴方のことがとても、好き、だし…、」
「じゃあ、何で逃げんだよ」
「そ、それは、」
 意味が解らない。そこまで言う以上、彼もアリスゼルと同じ気持ちだったということだろう。ならば、何故、わざわざ、わざわざ、アリスゼルから仕掛けた誘いを断るのだ。意味が解らないではないか。今度はふつりと怒りにも似たオーラを纏い、半眼で睨みつけるアリスゼルに、彼はしばらく照れるように―否、実際照れて小さく銀色の尻尾の先を振った後、視線を足元の方に外してから、低い美声で彼らしくなく、ぼそぼそと言い訳のように呟いた。
「その、私はきっと人の姿では、巧く…こ、交尾が出来ないだろうし、かと言って獣の姿でアリスゼルと、ま、ぐわう、訳にはいかないし、それ、で………」
 後はぼそぼそぼそぼそと言葉にもならないような呟きになって、彼の喉の奥でしぼんで消えた。一方、アリスゼルは。それを聴かされた当のギムレットこと銀狼の恋人である、アリスゼルは、まるで活火山のようにそれはもうあっさりと。あっさりと怒りのボルテージが限界点を突破し、ゆらりと燃える瞳のまま、一瞬、にっこりと全力で微笑んで見せた。無論、口は笑っていても、眼はちっとも笑っていない。嵐の前の静けさ。本能的に戦慄したギムレットの予想通り、仏の笑みは一瞬で般若へと変わり、握り締めた鋼鉄の拳が上から下へ。期待に応えてギムレットの頭蓋を勢い良く揺らした。
「てめぇは、何かと思えばそんなことか、この野、郎ーーー!!返せ!俺の麗しい苦悩の時間をそっくり丸ごと利子付けて返しやがれ!!」
「あ、アリスゼル…お、怒ってはいない、のか…?」
 視線を覚束なくさせながらも問うギムレットに、アリスゼルは更に剣呑に眼を細めると、当たり前だ!!と怒鳴る。足元さえふらつかせつつも、彼は首を傾げる。心底、アリスゼルの言葉が不思議でたまらないといった風に。不思議で堪らないのは此方の方であるが、仕方なく。仕方なく鈍い恋人の為に、アリスゼルは良いか、と口を開く。人差し指を立てて彼の鼻先に突きつけながら、獣の癖に理性的すぎる思考を持つ彼の為に一字一句丁寧に言ってやる。
「俺は、お前のことが好きだ、愛してる。それは解るな、ギィ」
「あ、ああ…」
「んで、俺はその辺の生娘とは違う。普通に野郎だし、抜かなきゃ辛ぇし、好きな奴とならセックスもしてぇ。俺の好きな奴はお前だ。お前は確かに獣だが、そんなことは然したる問題じゃねぇ。俺はお前が獣だろうと人だろうとかまやしねぇよ。どっちだろうと、俺はセックスしたい―繋がりたい」
 最初、何を言われているのか解らなかったらしいギムレットは眼を見開いて沈黙していたが、やがて漸く理解したのか。ふるりと一つ身体を震わせた彼は、遠く眼を細め、抑えきれない喜びをどうして良いか解らぬように、大きく尾を振ってみせた。構わないのか、とその瞳が告げている。そして、その蒼色の奥に、燻っていた劣情がふわりと熱を帯びるのがわかる。とんでもない自制心を持った獣だと、今更感心しながら、アリスゼルは小さく笑った。無論、構わないとも。望んでいるのだ、それを。アリスゼルは、彼と、そういう形でも、一緒に、なりたいのだ。きっとそれは、途轍もなく、幸福な熱を運んできてくれるだろうから。
「アリスゼル…アリスゼル、私は貴方を愛しているよ。本当に、心から」
 囁く獣の声にうっとりと聞き惚れながら、アリスゼルは彼に唇を寄せた。


06/12/03






新しい記事
古い記事

return to page top