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Lost in Daydream 10

 結論から言うと、ボルドー・カッツィアは見事に「私の城」に返り咲いた。

 あの日の出来事は「表向き」過激派テロリストによる反機構活動とされた。公式発表によれば、殉職者三十六名を出しながらも、WROの隊列は奮戦し、テロリストを殲滅。特に隊列を率いていたルートヴィッヒ・ベアトリス中佐は市民街へのテロリストの侵入を防ぐ為に一人勇猛果敢に戦った末、殉死。二階級昇進して少将となり、本部へと物言わぬ帰還を果たした。機構からは今後テロリズムの撲滅に全力を注ぐといった力強い声明が発表され、本物のテロリストたちにとっては寝耳に水だろうが、まさか反機構組織が表立って反論する訳にもいかず、また多くの人々が納得した事により「事実」は定着した。もしも、あの日、あの時間に目撃者がいたとすれば、勿論、テロリストと機構の戦闘という公式発表は虚構に成り得たのかもしれないのだが、「幸運にも」そんな人間は存在していなかったようである。機構は挙って勇敢な殉死者を称え、テロリズムへの深い憎しみを述べると、事件を終了させた。
 本部は改めて第十七分団への新しい分団長の赴任を決めたが、その新しい分団長とやらの名前をすでにシガロは忘れてしまっていた。ボルドーによれば、無能で無能で反吐が出るくらい無能なの、と言ったようなことだったので、シガロはすでに無能な男というレッテルしか記憶にない。要するにこの男はお飾りなのである。《ヤツハカ》の顔として立つただのハリボテ。本部は事実上ボルドー・カッツィアを引き続き、《ヤツハカ》の主とすることを「非公式」に決定していた。しかし、一度責任を取って罷免させた人物を表立って再び復帰させるにはあまりに体裁が悪い。よって、「表向き」には新しい分団長を派遣し、しかし実権のほとんどをボルドーに握らせる事で両者の合意がついたようだった。
 本部とあの女の間でどんな取引が行われたのか、シガロは詳しく知る由もない。ただ、本部もあんなとんでもない女(何しろ彼女は曲がりなりにも本部から派遣されてきた軍隊を返り討ちにしたことになるのだ)を野放しにしておくよりは手元に置いておく方がまだマシだと思ったのかもしれないし、再び《バビロン》のような悲劇を繰り返すよりは「表向き」自分たちに従っている都市を存続させた方がまだ良いと思ったのかもしれなかった。たとえ、反乱を起こしていようと利権を与えられている以上、ボルドー・カッツィアはまだ世界復興機構の「下」にあるのである。無論、あの女がこのまま黙って大人しくしているという保証はないが、とりあえずは今の状態を持続させた方が何かと賢明と本部が判断を下した、というのはシガロの勝手な予想である。
 ボルドーはあの後、シガロたちの前に再び姿を見せ(しかも幹部らしい部下を連れてきていた)、相変わらず自信満々の笑みを湛えてこう言った。とっても良い戦争だったわね、と。彼女にしてみれば机上のパズルが見事に合わさったかのような爽快さだったのだろう。辰紗は紫煙を吹かして呆れてみせ、山茶花は困ったように笑い、シガロは興味なさそうに眼を閉じた。そう、ボルドーが引き続き《ヤツハカ》の実権を握る以上、ギルドもまた以前と同じように続いている。ギルド北館は残念ならが空白となってしまったが、その部分は辰紗と山茶花が分割してカバーしているようだ。もしかしたらこのまま《ヤツハカ》はギルド東、西、南館のみという非常に納まりの悪い状態となってしまうかもしれないが、それも致し方ないことだろう。何しろ北館の前任者が引継ぎを全く行っていかなかったせいで、後任者は誰という可能性すらないのだ。これではギルドの伝統と権力が引き継げない。辰紗と山茶花が忙しい中、頭を振り絞っているようだが、しかし、それもシガロには最早関係のない話だった。

 猫は欠伸を噛み殺す。

 ふわふわした眠気が体中を包んでいた。吊り下げられたシャンデリアから儚い光が零れる。広い部屋にはゴブラン張りのソファに樫のローテーブル。床は厚い絨毯が覆い、踏めばふかふかと柔らかい。だが、今猫がくるりと体を丸めているのは、大きな椅子の上だった。巨木を刳り貫いて作られたその椅子は見事な彫りこみの装飾に加え、貴金属で飾り立てられ、まるで玉座のような輝きを放っている。贅沢な椅子は大人二人は軽く座れそうなほどに大きいが、猫は敢えて隙間に身を押し込めるように丸くなり、男の膝を枕にしてまどろみの中を彷徨っていた。
 紫苑色の食い破られたような耳。辛うじて三角形のそれは猫のものとどうにか知れる。耳と同色の髪は相変わらずぱさぱさと額にかかり、両目を覆う皮製のアイパッチは相変わらず黒い。すっと通った鼻梁。にやにや笑いを刻むのを得意としていた唇は最近は欠伸ぐらいしかしていない。首の根元には六つの紫色の瞳。ぱちぱちと一つずつ瞬きを繰り返せば、視界が一つずつ明滅し、やがて一周ぐるりと回って、見上げたオリーブグリーンの髪と鱗が目に入った。
 男はシガロの視線に気がついたのか書類の束から顔を上げた。金色の気が狂いそうな瞳、が、甘ったるく緩んで、シガロに手を伸ばす。大きな掌がわしゃわしゃとシガロの髪を撫でる。別に撫でて欲しいとは言っていない、という意を込めて、軽くその手に爪をたてるが、彼には一切通用していないようだった。仕方なくシガロは眼を細め、軽く喉を鳴らしてみせる。
 一層体を丸めれば、男の体の背後に納まっていたはずの、太く逞しい尾が腰に巻きついてきた。冷たい鱗の温度。ひんやりとした体温がシガロはあまり好きではないのだが、機嫌の良さそうな男の気配がそのまま伝わってきて、やはり諦観を込めてシガロは眼を閉じた。眠いのか、と低い声が問う。猫は再び、欠伸を噛み殺す。

「猫にその問いは愚問であろう…カルーア、」
「確かに」

 カルーアと呼ばれた男は気配だけで笑ってみせた。シガロが此処にやって来てから男は始終こんな調子である。常に不愉快だと思っていた笑いは何時しかシガロにとって心地良いものに変わった。何が以前と違うのか問われても明確には答えられない。ただ、シガロはこの男の膝の上で眠る時が一番安心できたし、一番心地良かった。以前は自分の矮小さを強調されているようで気に食わなかった太い尾も屈強な体躯も、今やほとんど気にならない。ただ、大きな掌で包み込まれるように撫でられるのが好きだった。髪の一本一本を手に取るようにするのではなく、少々乱暴なくらいにわしゃわしゃとされるとシガロはつい喉を鳴らしてしまう。
 ―随分と可笑しなことになったものである。散々《六ノ眼》だの《死謡》だの呼ばれて恐れられてきたというのに、今やシガロはその辺の猫と大して変わらない。どうやら気違い猫も元を正せばただの猫だったらしい。暢気に欠伸を繰り返し、呆れるくらい惰眠を貪る。昼も夜も毎日毎日同じ日々の繰り返し。何処か穏やかで退屈な日々。しかし、それが辛いということはなかった。猫が猫らしくするのも悪くない。好きな時に眠り、好きな時に食べ、好きな時に甘え、好きな時にまた眠る。猫の生活。シガロは欠伸を噛み殺す。

「シガロ、」

 男に名前を呼ばれる。返事をするのが面倒で、尾を軽く振った。髪を撫でる大きな掌が殊更優しくなる。嫌いじゃない感触だった。眠りが静かに訪れる。何に怯えることも、何に恐れることもなかった。ただ、温かな優しさに満ちた白い空間が近付いてくる。シガロがそれを受け入れれば、またそれも優しく両手を広げて迎え入れてくれる。
 完全に六つの瞳を閉じた。男の掌の感触が遠くなる代わりに、鼓動がまるで耳を直接触れているかのようにはっきりと聞こえた。優しい音。波間のような。シガロはとろとろと眠りに引き込まれる。無意識に体に寄せる尾に、もう一本の尾がそっと寄り添った。冷たい体温。確かな存在感を知らせる温度にシガロは無意識の中に埋没しながら、眼を細めた。
 猫は眠る。この温度と、この音の傍で、もう一度。恐れることなど何もない。眼が覚めても、きっと、世界は変わりなどしないから。

Not change the world in your dream.
Good night , Cat...


08/02/29

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