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Lost in Daydream 7

 にやにや笑いだけを残した猫は果たしてそれ以外の全てを何処にやったのだろうか。
 シガロ・ゼムンは今までの人生に誇りなどない。名誉もない。愛情もない。名声もない。金などもってのほか。けれど、シガロはこれまで生きてきた中で一回たりとも、己を捨てようと思ったことはなった。異形でなければ、と思ったことはある。貧しくなければ、と思ったことはある。それでも、「シガロ・ゼムン以外の何か」になりたいと思ったことは一度もなかった。それはたとえ、あの監獄の中でさえ。
 シガロ・ゼムンはシガロ・ゼムンを存続させたかった。たとえ、卑屈だろうと、卑怯だろうと、愚かであろうと、弱者であろうと、敗者であろうと、生物としての価値がマイナス値だろうと、そんなことは関係なかった。たとえ耳が引き千切れ、尾が切り落とされ、六つの眼が潰されようとも。シガロ・ゼムンというこの名と心。それだけは、失くしたくないと思った。恐らく誰が必要としてくれる訳ではない。猫一匹が消えたところで、明日世界が滅ぶ訳でもなし。それでも、引き続けたい、この心と体。脈打つ心臓、六つの瞳、千切れた耳、切断された尾。どんなに無様であっても。

 シガロ・ゼムン。
 かつての伝説の死刑囚。
 二つ名は多数。
 《六ノ眼》と畏怖を込めて呼ばれた。
 《死謡》と恐怖を込めて呼ばれた。
 《首狩り》と子供から泣き叫ばれた。
 《長鳴き闇》と大の大人を震え上がらせた。
 凶器は金属製の熊手一対。
 闇を這いずり、影に寄り添い。
 殺して積んで殺して積んだ屍の上。
 刻んだ三日月は死神か。
 否。
 猫だ。

 なあお、と猫の声が聞こえた。薄闇の部屋の中、ドアの向こうから見慣れた猫が姿を見せる。紫苑色の猫。三角形の耳に小さな頭。長い尾に四本の足。全く普通の、平凡な猫。全身を薄い毛皮に包まれた彼はドアの隙間からするりと部屋の中へと入ってきた。小さな影が床に落ちる。猫はしばらく伺うように室内を見回していたが、やがて足音一つ立てず、真っ直ぐとシガロに近付いてきた。

 猫は紫色の瞳を揺らめかせ。
 尾をぴんと立てながらシガロに歩み寄る。
 けれど、その姿が「普通」を保っていたのは。
 猫の小さな歩幅にして僅か三歩まで。
 猫は、普通だった猫は、徐々にその姿を。
 異形へと変貌させる。

 耳は破れて、千切れて、元の形を失くした。二つの眼窩に納まっていた眼球は音をたてて潰れ、首の回りの皮膚を突き破り、爛々と底光りする瞳が六つ現れた。尾は一瞬でほぼ真っ二つに叩き切れ、残骸が床でびちびちと魚のように跳ねた。毛皮が破れ、解れ、引き裂いたような傷になる。柔らかく丸みを帯びていた足の爪は伸び、一瞬で人間の頚動脈を掻き切れるようなグロテスクなものに変わった。猫は来る。音も立てずに。シガロの傍に。そして、足を揃えて座ると、シガロを見上げて―にんまりと、笑った。

 行きたいところに、行き着くのさ

 猫は笑う。シガロも笑う。否、この猫こそがシガロなのか。幻は一瞬で消え去った。シガロは笑う。唇を三日月の形に刻んで。にやにや笑いだけを残した猫は、何てことはない。にやにや笑いを置き忘れてしまっただけだったようだ。こうやって、帰ってきた以上、取り戻した以上、もう迷うことなどなかった。猫はあくまで猫なのだ。愛しい姉は女神なのかもしれないが、その弟まで神かと言えばそうでもない。けれど、それを悲観する理由は全くなかった。シガロ・ゼムンはサキュレ・ゼムンの弟というだけの生き物ではない。シガロ・ゼムン。世界の理に反して殺戮を行う、ただの猫である。

 リィィン リィィン

 また、唐突に電話のベルが鳴った。一晩に二回もコールとは。今夜という日はもう二度と来ないだろうな、と当たり前のことを思いながら、シガロは次こそ素早く受話器を取る。けれど、シガロが声を発する前に向こう側から、艶っぽい、けれど明らかに機嫌が良くない女性の声が聞こえた。

『《六ノ眼》…アンタ、中にいるんだろ…玄関開けろ』
『ちょっと辰紗、それでは押し入り強盗ですわ』
『良いんだよ。時は金なりっていうだろう?』
『その通りよ。気が合うわね、蛇女さん』
『…アタシはアンタとはやっぱり気が合わないと思うんだけどねエ』

 蜥蜴と蛇じゃ似て非なるもんだよ、とそこまで聞いてとりあえずシガロは電話を切った。これ以上聞いていても恐らく不毛だろうし、シガロがとっとと玄関を開けに行けばどうやら問題は解決しそうである。辰紗に山茶花にボルドー。電話越しから聞こえた女性三人から推測するにしても、恐らく彼女たちも本部についての情報を得たのだろう。その結果、どのような結論に達したのか、それともまだ達する以前の状態なのか、それは解らぬがボルドーが再び共にいる以上、何らかの進展はあったようだ。
 シガロは細く入り組んだ廊下を足音一つ立てず移動し、裏口とは反対方向、ギルドの看板が掲げてある店舗の方へと向かう。ギルド館主の控え室を右手に、行き詰った場所のドアを開く。外から入り込む光でぼうっと幽霊屋敷のように浮かび上がる部屋。今にも壊れそうなスイッチを跳ね上げると部屋にはおぼろげな明かりが灯り、半円のカウンターと安い酒ばかりが詰まった棚が見え、幾つも突き出した壁と引っくり返ったテーブルに椅子でぐにゃぐにゃと歪んでいるような印象を受けるバーともレストランとも増してやギルドの斡旋所とはとても思えない室内が顕わになった。
 シガロはナイフや空き瓶が突き刺さり、荒れ放題となった室内を慣れた足取りですり抜ける。一際大きな入り口の扉。普段は常に開いている状態なのだが、そういえば此処数日は鍵を開けた憶えもなかった。古典的な引っ掛け式の金属錠をがしゃんと音を立てて外す。ずずと重たい扉を開いてみれば、玄関先の外灯に照らされて立つ、何時も通り紅白の巫女服に黒髪を水引で結い上げた鬼と黒の生地に鳳凰が刺繍されたデザインのアオザイを着込み高いヒールの靴を履いた二枚舌の蛇と今日はどういう訳かシフォンのミニスカートにむき出しの脚を晒しシャツを着崩した蜥蜴女。シガロが言うのも何だが異様な面子だった。明らかに目立っている。というか、こんな三人組が街中を闊歩した折には絶対騒ぎなるだろう。実際にもうなっているのかもしれないが。

「遅い」
「…喧しい。何の騒ぎだ」
「作戦会議ですわ」
「作戦会議?」
「とりあえず中に入れて頂戴な。外は暑くて…中も暑いわね」

 それは空調は先程入れたばかりなのだから、変わらないと思うが。勝手な事を良いながらがやがやと文字通り姦しい女三人組が汚いだの暑いだの文句を言いながら、ギルド内のテーブルやら椅子やらに各々腰を据える。ドアが閉まり、結局壁に寄りかかった辰紗が一息ついたように紫煙を吹かした。それで、とくるくると上昇していく白い煙を見つめながら、やはりこの女が最初に口を開く。

「本部の出方が決まったようだよ、《六ノ眼》」
「新分団長は、ルートヴィッヒ・ベアトリス、か?」
「おや、アンタにしては珍しく耳が早いねエ」

 大袈裟に眼を見開いてみせた辰紗は続きを促すようにボルドーへと顎をやる。蜥蜴女はテーブルの上で優雅に足を組んで座りながら、相変わらず余裕と自信たっぷりに喋りだした。

「ルートヴィッヒ・ベアトリス―名門ベアトリス家の長男。僅か十七歳で士官学校を首席で卒業後、開発研究局、同局総責任者、経済復興局を経て、再生復興都市本部局に就任。父親は世界復興評議会の議長を務めたこともあるアンドレシア・ベアトリス。代々、急進派の幹部として知られ、この度のルートヴィッヒの第十七分団への赴任については、『適切な機構機能から逸脱した都市を是正する為』というのが正式発表」
「実際に裏も取れてますわ」
「ふん、蜥蜴の姑娘おじょうちゃんの代わりにしては、随分ご大層な身分じゃあないか」

 椅子に腰掛けた山茶花がにこりと言えば、辰紗が至極つまらなさそうに紫煙を吐き出す。底辺の中の底辺からギルドの館主という地位まで上り詰めた彼女にしてみれば、生まれた瞬間から高い地位が約束されているような軍人など最も気に入らないものの一つなのだろう。実に不愉快そうに、煙管に溜まった灰を床にコンコンと落とす。此処はシガロのギルドである。

「でも、この男は実際に頭も切れるわ。急進派というのも嘘じゃない。三頭六翼の再生神の下に全てを集め、結束させ、WROの地位を不動のものにしよう―という呆れたスローガンを平気で掲げるような連中よ」
「腐ってるねエ…」
「不味そうですわねぇ」
「私にとっては大先輩でもあるけれど…」
「じゃあ、アンタ、このまま城を明け渡す気かい?」
「いいえ、ちっとも」
「この人…此処に来る前に隕石当たって死んじゃったりしないかしら…」
「………しないと思うが」

 というか何の会話だ。ひょっとしてずっとこの調子なのか。これでは話が進まない。シガロは何時も通り静観しているつもりでいたのだが、どうもこの女三人に任せておくと夜が明けてしまいそうな勢いである。ぺらぺらとどうでも良い事からどうでも良くないことまでよく喋る。これだからシガロは姉以外の女という生き物は苦手なのだ。仕方なく全身に倦怠感を滲ませながらも、シガロは口を開く。景気つけるように尾で自分の脚を叩いた。ぱし、と思いのほか高い音が鳴る。まずは情報の整理から始めよう。

「新分団長はルートヴィッヒ・ベアトリス。これは決定なのだな?」

 珍しいシガロの発言にとりあえず三人は口を閉じた。問いに、誰ともなく頷く。

「この男は急進派で政策としては、ギルドの権力削減が予想される、か」
「予想されるというよりは、どうもギルドを潰すつもりらしいんだよねエ。実際、アタシらはチョウカイメンショクのようだし」
「そうなのか?」
「アタシと山茶花のとこの蝙蝠が掴んだ情報さ。確かなもんだ」
「そうね。恐らくはあの男ならそうするでしょうね。そもそも貴方たち、目立ち過ぎるし印象強すぎるし」
「失敬だねエ」
「では、両名はこのままギルドの長を辞することになっても良いと?」

 シガロの言葉に辰紗と山茶花が動きを止めた。朱色の瞳と漆黒の瞳がシガロを見つめ、お互いを見つめ、そしてニヤっと。獲物を口に含んだ肉食獣のように笑った。正直、子供には見せられない表情だった。きっと泣かれる。

「あのマーケットを手放すのは惜しいんだよねエ…まだ金の毟り甲斐があるし…」

 紫煙を吐き、虚空で金勘定をしながら辰紗が言う。

「私、無職の弟がいますので、今仕事を失う訳には」

 にこにこと相変わらずの笑顔で山茶花が言う。そして、視線は自然とシガロに集まり。

「我輩は、」

 俺は、

「我輩は、ギルドなどどうでも良い。利権も金も名声もお主たちの好きにすれば良い。
 ただ、ルートヴィッヒ・ベアトリス…あの男だけは、我輩が殺す」

 その言葉に。三人は些か驚いたようだったが、しかし、深く問いただすことはしなかった。むしろ、誰があの厄介な男を排除するかという口論をしなくて済んで手間が省けたとも言いたげだ。辰紗が深く煙を吐き出す。朱色の瞳が先程とは違った剣呑さで光を含み、射抜くように鋭くなった。爬虫類特有の剣が瞳の中心に現れる。どうやら最初に電話で寄越した口調から感じた印象に違いなく、彼女の機嫌は頗る悪いようだ。ふつ、と沸騰するような殺気に似た怒りがシガロの元にまで届く。

「じゃあ、アタシたちは白兎ちゃんの方を殺ろうかね…」
「…やはり裏切ったか」
「ご存知でしたの?」
「ああ」
「ふふ、うちの精鋭を二人ぶっ殺していきやがったよ…あの兎!アタシがあの部下に幾らつぎ込んだと思ってんだ!」

 金のことになると熱くなり易い辰紗は頭の中を帳面が走り去ったのか、ぎりぎりとヒールで床に圧力を加えながら煙管を噛み締める。それにしてもやはり裏切ったか。兄にして父というのはどうやら本当のことのようである。そうなると、クロック・タイムが《ヤツハカ》のギルド北館の主として就任したのも、巨大な伏線のように思えなくもない。ルートヴィッヒは元々この街に赴任するつもりだったのか?その為に弟を民間人と偽ってギルドに潜入させた?
 真相は闇の中だが、少なくともクロックにとって兄ルートヴィッヒが無二の存在だというのは確実なようである。最早、彼はギルドの同僚ではなく、シガロが倒すべき敵だ。何の躊躇いもいらぬだろう。恐らく、向こうも躊躇いなど持ち得ない。

「姑娘…兎と不能野郎ベアトリス兄弟はアタシたちが何とかする。その他の手筈と勝算はちゃんと整ってるんだろうねエ?」

 二枚舌をちらつかせた辰紗の言葉にボルドー・カッツィアは何時も以上に豊かに微笑んだ。アザレア色の瞳が危険と欲と自信を含んで光る。ちろりと唇を舐める舌。獲物を待ち望んで久しい、飢えた獣の表情だった。

「任せなさいな…プレイで女王様を気取ってる訳じゃないわ。
 あの城は"私"の城なの。それを、思い知らせてあげることぐらい簡単よ」

 ボルドーは一体今まで何処に持っていたのか、くるくると丸めた紙を背後から取り出すと、テーブルの上にバン!と広げた。《ヤツハカ》の詳細な地図。裏通りや抜け道まで描かれた限りなく現実に近い地図に幾つも赤い線や丸や黒いバツが描かれているのは、恐らく本部からの隊列が通過するルートや人員の配置なのだろう。よく見れば第十七分団は黒い大きな丸がされた上に「BASE POINT」と記され、多数の兵士と武器と思しき文字が書き込まれていた。ひょっとして、この女、すでに分団は自分の部下で掌握しているのか?
 単なる夢想家の小娘かと思いきや、侮りがたい。恐らく、その事実があって、その実力があって、辰紗も山茶花も彼女の側につくことを決めたのだろう。勝算のない勝負に乗るほど、否、負けるレートが高いギャンブルに乗るほど、この二人は軽率ではない。若き女将軍―もとい若き人工異形の女王、ボルドー・カッツィアは大きく胸を張り、漆黒の髪をかきあげると、威風堂々こう高らかに宣言した。

「さあ、もうすでに戦争は始まってるわ!」

 そう。これはたぶん。
 とっくの昔に滅んだはずの、戦争だった。


08/02/27

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