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Lost in Daydream 2

 視線があった。何しろ此方は六つも眼があるのだから、圧倒的に不利である。
 射抜くような鋭いイエローゴールド。短く切り揃えられた髪は深いオリーブグリーン。その耳はやはりくすんだ濃緑の鱗に覆われ、そのまま首筋へと繋がっている。太い首、腕、脚、ついでに尾。着込んでいるのはカーキ色のシャツに履き古したジーンズ。開いた襟元からは所狭しと刻まれた刺青が覗いていた。屈強な身体が操ると圧倒的な存在感を持つ皮製の大きなワークブーツが砂利道を踏みしめ、雑踏を器用に縫って此方へと近付いてくる。近付いてくる?
 シガロ・ゼムンは反射的にくるりと方向転換して逃げ出したくなったが、しかし、すでに視線が合っている以上、向こうも此方を認識して歩いてきているのだろうし、それを解った上で立ち去るのは敵前逃亡のようで釈然としない。人混みの中に立ち尽くす黒マントの猫を大勢の人間や異形が迷惑そうに横目で見ては、避けていく。ざざざざと何十、何百という人々の足音が周囲を覆いつくし、夕焼けの熱気を舞い上げる。まるで川の真ん中で流れを堰き止める石になったような感覚を味わいながら、シガロは紫色の瞳を一つ瞬かせた。西日が滲むように眩しい。首の付け根とも言うべき場所にある視覚器官は睫毛を持たない為に、本来あるべき場所にあるそれよりも粉塵や日光の影響を受け易い。まあ、そうは言ってもそもそも六つ眼のシガロにとっては、一つの視界が消えたところで大した問題にもならないのだが。

「奇遇だ」

 ふと太陽の日差しが遮られ、シガロは影に飲み込まれた。視界を上にやれば見上げるほどの長躯、かなりの至近距離で爬虫類の瞳がシガロを見下ろしていた。彼の名は青蜘蛛。毎度のことながら、苛々する位置である。シガロは不機嫌を示すようにかしゃんと両手の金属を鳴らす。それで大抵シガロの名を知る者は目の前から姿を消すのだ。
 かつての伝説の死刑囚、シガロ・ゼムン。公式発表では病死したことになっているから、最初はこの男の存在を信じるものは少なかった。ただの騙り屋だというものさえいた。けれど、その両腕、その両脚、卓越したセンス―ただ、ただ、ただ、人という人を、物という物を、殺戮し、破壊し、蹂躙する為だけの能力、経歴、生き様。死を謡う猫の前には誰一人として立っていることなどできなかった。積まれて踏み潰された死体の上に立って、漸くシガロはかつての名を取り戻すことが出来た。シガロ・ゼムン。呪われた、殺戮狂。
 けれど、疎ましくも目の前の男はシガロの脅威を理解出来るような賢い爬虫類ではなかった。彼は何時ものように口元を歪めると、喉の奥から重厚な金属板を振動させているかのような低い低音で、情報がある、とだけ呟いた。
 その言葉にシガロの猫の耳は敏感に反応する。ぴくん、と破れかけながら尖がった耳の先が立ち上がり、尻尾はマントの下でゆうらりと揺れた。情報だ。今、シガロたちが、シガロが、最も欲しいもの。しかも彼の言う情報とは、最近懸賞金のかかった犯罪者の居所だとか麻薬の密売グループのアジトだとかそう言ったつまらないものでなく、恐らくは「WRO」とこの街《ヤツハカ》に関わる事。それは無論、シガロの一方的な思い込みでしかないのだが、しかし、こうした場面でどうでも良い情報をわざわざ見かけた猫に持ち込むほど、この蜥蜴も愚鈍ではあるまい。
 彼の言葉の真価を見定めるようにシガロは高い位置にある瞳を前方三つの瞳で覗き込む。気が狂いそうなゴールド。口元は相変わらず歪に笑っていて、雑踏はいよいよ忙しい時間帯に突っ立っている二人の男を邪険にするように、会話のボルテージを上げている。熱風が足元を絡まるように通り抜けた。何処かの露店から流れてくる甘い果実の匂いに思考を邪魔されながら、シガロは口を開く。

「値は?」
「安い」
「幾らだ」

 短い質問には答えず逞しい尾を翻して男は、動作だけでシガロに付いて来いと促した。腹立たしいほど広い背中が遠ざかっていくのをシガロは無言で見送りたい気持ちで一杯だったが、そういう訳にもいくまい。苦虫を飲み下す覚悟でシガロは硬い皮膚となっている足の裏で砂利を踏んだ。日が傾き、夜が深まる時間帯、雑踏の中で青蜘蛛を追うのは然程苦労を要する事ではない。何しろあの長躯にあの鱗にあの尾である。目立つ要素がありすぎるのだ。そもそも何人の人々に囲まれても頭一つ分ほど抜きん出ている彼を見失うことは零に近しい確率だった。
 一方、そういう遺伝なのか割と華奢で小柄なシガロは猫背なのと黒いマントも災いして、雑踏に紛れればあっという間に姿を消してしまう。というよりかシガロはどちらかといえば群衆に紛れるのを得意としていた。猫のように足音も立てず、密やかに潜み伏せ機会を伺う。猫が殺気を顕わにするのは獲物を捕らえる寸前の、ほんの僅かな時間で良いのだ。かつて地上を我が物顔で闊歩したというティラノサウルス・レックスのような男と一緒にして欲しくはない。

 やがて雑踏の密度は薄くなっていた。ブラックマーケットの端の端。何処に行こうというのか、歩く速度を緩めることもなく青蜘蛛は歩き続けている。最初はある程度距離をとって後ろからついていっていたシガロも、最早彼のほぼ真後ろ一メートルくらいのところを歩いていた。人が少なくなって歩き易くなったというのもあるが、警戒心が強くなったというのもある。彼の真意が掴めない。ひょっとしたら何らかの理由により、彼(もしくはそれに順ずる複数)が攻撃してくる可能性もない訳ではない。そうなった場合、シガロは対象の至近距離にいる必要があった。何しろシガロの持つ獣の爪のような凶器は、超近接距離でなくては相手に傷一つ与えることは出来ないのだから。届かなくては凶器もただ身体にぶら下がっただけの金属だ。無論、そのような無様な事態に陥ることのないように、シガロはそれなりの経験と技術を積んでいるのだけれど。

「此処だ」

 シガロの警戒を他所に、やがて青蜘蛛は低い声と共にその歩みを止めた。その肩の向こう側を見遣ればコンクリートを打ち直して設えたようなヤツハカには珍しいこじんまりした建物があった。入り口らしき木製の扉の周囲には何やら南国の花らしきピンク色の花が咲き乱れ、ノブは金色で看板も金色。けれど、それには成金趣味のような嫌らしい感じはなく、むしろ何処か洒落た異国の情緒を漂わせていた。しかし、この風情は明らかにシガロ・ゼムンという男に似合ってはいない。更に言えば目の前にいる爬虫類の尾を持った男にも似合っていない気がする。というか此処が何だというのだ。此処だから何なのだ。全ての疑問符を叩きつけるように後頭部を睨みつけているシガロに気付いているのかいないのか、青蜘蛛はそのまま真っ直ぐにドアへと近付いていった。三段のアプローチをたったの一歩で越え、そして、何の躊躇いもなくドアを開く。
 シガロが唖然とする間もなく、中からはぴっしりと正装した品の良いギャルソンが登場し、恭しく青蜘蛛に向かって一礼するという、更に唖然とする事態が起こり、六つの眼を忙しなく交互に瞬きさせていた猫を大きな手が来い来いと手招く。今更後退したまま逃げ出すという訳にも行かず、シガロは不自然な足取りでレストラン(だろう恐らく)のドアをくぐる。途端に耳に届く心地良いジャズの音色。床は磨き上げられた木板で、よく調節された空調が身を包んだ。透き通った硝子に生けられているのは薄いピンクの可愛らしい薔薇で僅かな芳香がシガロにも届いた。
 青蜘蛛は何事かギャルソンに言いつけ、すると背筋の正しい出迎え役は二人を案内するように、先立って歩き出し、仕方なくシガロもそれに従った。てっきり外から少し見えていた硝子張りのホールに通されるのかと思いきや、ほんの少し長い廊下を抜け、何故か個室に通された。否、恐らくこれから交わされる会話は一般人に聞かれてはまずいものになるだろうから、個室の方が何かと都合が良いのだが、しかし偶然会った男を偶然連れてきたレストランで個室に通せるものなのだろうか。シガロはその辺の「一般」の事情はよく解らないが、しかし、辰紗が定例会の為にレストランやら何やらを手配する時は金と時間がかかるだの何だのぼやいていたような。
 個室はホールと同じく品の良い感じの調度品と白いテーブルクロスのかかったテーブルが静かに鎮座しており、ギャルソンは二人の為に丁寧に椅子を引いてくれる。ステンドグラスの嵌った窓から差し込むのは遠いネオンの光と遠い雑踏。もう夜の帳が下りているにも関わらず、この街は相変わらず騒がしく、貧相なのだ。しかし、それらの空気をこの部屋は一切遮断していた。心地良い音楽、心地良い気温、心地良い香り。何もかもがパーフェクトに整えられ、正直、シガロは居心地が悪い。部屋の隅でマントを引き寄せて丸くなりたい衝動を必死で抑えながら、シガロはギャルソンが足の細いグラスに注いでくれたワインを無心で眺めた。葡萄の良い香りが漂う。いや、そうではない。

「どういうつもりだ、青蜘蛛」
「どういうつもり…とは?」

 思いのほか優雅な仕草でグラスを傾ける青蜘蛛は機嫌が良さそうに笑ってみせる。彼の機嫌が良かろうが悪かろうが此方の知ったことではないが、シガロの機嫌は目下急下降中である。苛々を示すように尾が忙しなく揺れている。シガロは別段この男と優雅に会食がしたい訳ではないのだ。ついでに言えば腹が減っている訳でもない。何故、ここまでほいほいと正直に付いてきてしまったのか、十数分前の自分を呪いたい気分だった。大層な口をきいた時点で引き摺り倒してでも何ででも無理矢理聞き出せば良かったのに。

「早く本題に入れ」
「そう…焦るな。此処の料理は美味い」
「我輩は腹が減っている訳ではない」

 そう言えば何時も通りの腹立たしい嘲笑のようなものが返ってきて、シガロは全く持って今この場でこの両手でこの男を切り裂いてやろうかと思ったのだが、ちょうど悪いタイミングでギャルソンがドアをノックして入ってきたので思い止まらざるを得なかった。白い皿の上に更に硝子の皿が載った何やらよく解らない野菜の葉と魚の料理。名前などシガロが知る由もない。ただ、皿の触れ合う音一つ立てずに給仕をして部屋を後にするギャルソンに若干感心しながら、再びシガロは目の前の男を睨み付ける。ドアが閉まった音を長い耳で拾ったのを確認した後、男は観念したとでも言いたいのか、肩を竦めると料理に手を付けることなく両脚を組み、椅子を軋ませてその背もたれに寄りかかった。

「情報というのは他でもない…WRO;17の新分団長についてだ…」
「確かなものか」
「無論…ソースの出所は教えることが出来ないが、信憑性はほぼ十割…。
 勿論、俺がお前に嘘をつくことで発生する利益は一銭たりともない…」

 そう男は前置く。確かに青蜘蛛がシガロに虚偽の情報を流す事で得られる利益は全くない。彼の背後に何らかの組織が関わっているという可能性も否定は出来ないが、しかし、青蜘蛛は「それら」を最も嫌う人種なのだ。かつての男娼館Spiderと女娼館Butterflyは、機構の関係者と経済力を持ちえた僅かな人間によって牛耳られていた。金と権力から彼らの言いなりになるしかなかった悪徳の館を、真実「マスター」と「マダム」の手に取り戻したのは何を隠そう、この男なのである。

「では、本部は決定を下しているのだな?」
「そのようだ…」
「新しい分団長は誰だ」

 問いに、男は答える。

「名は―――ルートヴィッヒ・ベアトリス」

 その音、その名、発音、響き、一つ一つまで、理解した、瞬間

 世界が崩れた
 ぐらりと揺れる視界
 ごうごうと耳元を強風が吹き荒れ
 雷鳴が心臓を打つ

 その名は、
 名は、
 名は、
 もう二度と、
 耳に入れるはずはない、
 彼自らが、
 否、自身が、

 世界が回る
 白昼夢が逆回転を始める
 ちりちりと思考が焼け
 塞いだはずの記憶が眼を覚ます

 その名、その音、響き、甘美、恐怖、嫌悪、自由、拘束

 ―お前には、姉がいるだろう―?

 止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ!
 どうしてどうしてどうしてどうして!
 あの人を!あの人を!「俺」を!

 シガロの記憶はそこでぶつりと引き千切られるようにして、消えた。





路地裏の人気店 Vol.34 ビストロ《Bleu Dores》

かつての南イタリアを意識したちょっとお洒落で手頃なレストラン。
外装も内装も可愛らしく、女性やカップルに大変な人気を誇っている。
値段は手頃だが、提供される料理はかつてNo.1ワールドのホテルで、
腕を振るっていたというシェフが心意気で作る本格イタリア料理で味は勿論保証付だ。
更に店舗独自に数百本のワインを貯蔵できるワインセラーを備えており、
味や香り、値段を相談して店にお勧めを選んで貰うこともできる。
こんな隠れ家的な路地裏のレストランをデートコースのクライマックスに加えてみては如何だろうか。

『ヤツハカココアルキガイド ~ちょっぴり危険な街へようこそ~』
3051年夏号より抜粋


08/02/24

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