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四色は世界に宿る

Ⅰ 夜は優しい夢を見る~草原のメフィストフェレス~

 広大な草原にぽつりと落ちた白い点のような天幕が砂漠から吹く風を受けてはためく。南十字星の真下、草木で染め抜いた布を大地に広げ、その上に仰向けに転がったメフィストフェレスはぼんやりと空を見上げていた。燻る薪も今はもう白くくすんだ灰の色を残すばかり。その色によく似た髪は解けた絹糸のように遊び、水銀のように虹彩をちらつかせる瞳は何を見るでもなくただただ虚空を眺めていた。正に今地平線が夕日を飲み込んだばかりの藍色の空は見渡す限りの天球に薄く光り始めた星の瞬きを散らばし、あえかな白い爪がのった彼の指先は気まぐれにコインでも弄ぶように一際明るく輝く一等星をぴんと弾く。
「こおら、星の位置を勝手に変えるなよ」
 また黒蜥蜴に怒られるぞと続いた声は空と彼の間に割り込んできた青色から発せられた。青い髪、青い瞳、青い帽子。天空、海原、真夜中の月、サファイア、人魚の鱗、矢車菊。ありとあらゆる青の根源とも代弁者とも思しき青の魔女は白の魔女を覗き込みながら青い言葉を吐く。
「こんなとこで何やってんだ?」
「僕はサーカスだからさ。旅するのが仕事なの」
「旅ねえ…」
 白の魔女の詭弁にそう呟いて折り畳んでいた上半身を起こした青の魔女は不釣り合いなほど大きい三角帽子を手に取った。放たれた青い髪が風に遊ぶ。やって来たばかりの夜に響き渡るのはあおられた天幕が泣く声ばかりだ。
「今夜は何が悲しくなったんだ」
「…別になにも」
「嘘つけ」
「嘘じゃないよ」
「なら、俺はもう帰るぞ」
「………やだ」
 白旗は早々に大地へと突き刺さり、青の魔女の手によって容易に翻る。彼女は唇を歪めて笑みのようなものを作り、彼女は瞼を擦ってつんと沁みる鼻の奥の痛みを誤魔化した。やがて伸びてくる掌の温かさを甘んじて受けながら思う。この目眩をおぼえるほどの世界の広さに、そしていつだって白の悪夢に飲み込まれてしまったかのように目の前から消えて行った人たちを想い、魔女は意味など知らない、知る必要のない涙をこぼすのだ。



Ⅱ 千夜一夜の海へと帰らぬ~海辺の黒蜥蜴~

 風のない夜は海をしじまのそれへと変える。寄せては返すさざ波は規則的な往復運動を繰り返し、東の空から頂天付近まで昇った丸い月は一筋の光明を細かく揺らぐ水面へと落とした。
 砂を食むような足音で波打ち際を一人歩くのは黒の魔女。暗闇を溶かし込んで紡いだ黒い髪、感情を映さぬ黒曜石の瞳、冷ややかな月にも似た白皙の肌に鴉の濡れ羽をそのまま織り込んだような漆黒の衣装を身にまとう。手には煙道の長い変わった形のパイプを持ち、絶え間ない紫煙が彼女の姿をより一層闇夜へとくらませた。ときに酷薄ともいえる微笑を浮かべる薄い唇が美味そうに煙を吸う。吐き出した白煙は木々となり林となり森となり束の間の幻影を作り上げては消えていく。
「遅かったな」
 抑揚の少ない声が落ちる。それに応えるように静かだった水面にゆらゆらと波が起こる。やがて青い青い色が波間から垣間見えた。
 かつて黒の魔女が存在していた世界において青は限りない繁栄の色だった。成長、変革、栄光。かの魔女はその色に相応しい能力でその身を自在に作り変えることができる。精悍な顔つきの若人から鮮やかな美貌の魔女へ、そして今は大海を揺蕩う妖しくも美しきマーメイドへ。
 鱗の生えた耳を振るい、水かきのついた掌を砂地へと下ろし、上半身を陸上へと引き揚げた人魚のミルク色をした乳房が月明かりに照らされて艶かしく光った。
「南の港から泳いで来たんだぞ?いくら人魚だって月も昇る」
「海底はどうだった?」
「一直線。食い荒らしながらここまで来てやがる」
「魔女の目をかいくぐり、陛下の膝元たる王都へと侵入せしめるか…侮れんな」
「どうする?」
「どうもこうもない。速やかに仕留める」
 そう言って黒の魔女は一際大きく紫煙を吸い込んだ。彼女の魔法は音もなく準備され、また音もなく完成する。彼女の全身から立ち昇る細い煙は無数の糸のようになって空へと吸い込まれ、すぐに四散して肉眼では見えなくなった。
「索敵を開始した。またお前の力が必要になるやもしれん」
 言えば人魚は当然と言わんばかりに無言で肩を竦め、ふとたった今何かに気付いたように青い瞳を巡らせて夜空を見渡した。つられて黒の魔女も頭上を見上げる。そこには見慣れた満天の星空があった。人魚の声が魔女の名を呼ぶ。歌うようになめらかに。彼女らは声で船乗りを惑わす魔性の生き物であるゆえにその声は耳元で泡が弾けるように心地よい。
「この世界は美しいなあ」
「…ああ、そうだな」
 吐き出した紫煙によって視界が白く滲む。けれども、いやだからこそ、この世界は変わらずに美しい。果ての果ての果ての果て。世界を破壊した罪深き魔女たちが流れ着き、受け入れられた世界。たとえそれが贖罪と引き換えであろうとも。彼女らにはこの世界を「美しい」と感じる以外の心など許されようはずもないのだ。



Ⅲ 深き森は魔女の揺籃となりて~森林のペリドット~

 緑の魔女ペリドット・ルースは戦いを好まない。けれども彼女が魔女である以上闘争は義務であり、避けて通ることのできぬ責務だった。
 夜露で濡れた下草を踏み分け森の径を行く。足音はリズムとなり、生い茂った広葉樹の葉の隙間から漏れ出ずる青白い月明かりが足元をちらちらと惑わせた。土の匂いが鼻先を掠める。その奥からわずかに感じることのできるのは腐臭を漂わせた暴食の大罪。
 数多の罠が張り巡らされた森を慎重な足取りで這い回る何かがいる。けれどもその存在は幾ら隠そうとしたところで隠し切れるものではない。それが触れた梢は腐り落ち、濃密な混沌の名残を随所に残す。ただならぬ気配を感じた妖精たちはお喋りをやめて逃げ出し、夜に生きる獣たちは寝ぐらへと隠れひそんで悪夢が通り過ぎるのを待っている。
 ペリドットは足を止め、与えられた名に相応しい双眸をわずかに細めた。不自然に静まり返った夜の森に佇む魔女は神経を研ぎ澄まし、柔らかな言の葉をもって理を導く。
「全なるものの父よ、始まりの地となりし我らが唯一無二の大地よ」
 掲げた両手に微細な振動で地が応え、静かに豊かに森がざわめく。
「全なるものの母よ、安らかなる揺籃となりし我らが安住の森よ」
 神経を辿る魔力の迸りは的確に感覚を刺激し、見えないものを見せ、聞こえないものを聞こえさせ、感じられないものを感じさせる。
「我が目となりて、我が耳となりて、我が心となりて、芽吹け、意のままに」
 瞬間、大地を突き破って芽を出した蔓草はあっという間に木立の合間を隈なく網羅し、頭を垂らした白百合を揺らして小鳥の巣をかすめ、こぞって月明かりを浴びるがごとく森の上で絡み合う。鞭のようにしなる草木が探すのは、追い詰めようとしているのは、ただ一つ。魔女の怨敵だけ。
「見つけ…ッ!?」
 微細な銀の繊毛が触れた、と思うのとほぼ同時に聞こえたのは鼓膜を貫くような咆哮。距離はごく近い。頭上に差した影は大きく暗く、辺りに立ち込める血なまぐさい臭いにペリドットはなるべく大きく目を見開いてやってくる衝撃と現実を受け止めようとした。
 だが結果的に緑の魔女が暴食の餌食となることはなかった。
 空気が凍りつく音とともに闇夜を貫いたのは氷の槍。白い冷気をまとって放たれたそれをまともに横腹と思しき部分に食らい、敵は苦悶で身をくねらせつつも落下することな素早く緑の魔女から遠のいていく。
「セラフィータ!」
 そのあとを恐ろしい速度で追いかけていった紫電のきらめきに思わず声をかけずにはいられなかった。しかし彼女なら追いつくはずだ。否、追いつかないはずがない。ブルースウィーパー、疾風迅雷、青の千貌。数多の二つ名を持つ彼女こそが四人の魔女たちの中で随一の速度と熾烈な魔法を持つ魔女の中の魔女なのだから。



Ⅳ 群青色の夜を駆る~大空のセラフィータ~

 月の明るい夜だった。耳元を風が吹き荒ぶ。重力から逃れ、摩擦を軽減し、軽やかに空を飛ぶ魔女の魔法。極めれば光より速く進むことのできるその術を青の魔女セラフィータ・セフィラムは殊更愛していた。
 青い眼差しはひたりと前方を見据え、打ちつける空気の壁を諸共せずに前へ前へと突き進む。その先を手負いながらも凄まじいスピードで進むのは世界の敵。まんまと果ての中央たる王都へ侵入せしめたかと思いきや黒の魔女によって居場所を突き止められ、緑の魔女によってその正体をあらわにされ、青の魔女によって穿たれた一撃によって今や逃走を図るのが精一杯の様子。だがそれを彼女が、彼女らがよもや許すはずもない。
 追撃の手を緩めるつもりのない意志を示すように青きウィッチハットのつばを直す。滑るように飛ぶ箒はたとえその先に断崖絶壁が見えようとも少しも怯まない。古いオークの樹から削り出された木目の美しい柄にヒールの踵を乗せた魔女は美しいバランスを保持したまま迸る魔力の高まりを隠そうともせず詠唱を開始する。
「綾なす風よ、旋風よ、青き風魔の天つ乙女よ」
 朗々と渡る魔女の声が強く唸る風を引き寄せる。姿形は見えずとも美しき乙女の目は開かれ、甲高い笑い声が辺り一面風にのって広がっていく。
「我が身に纏いて盾となり、我が身より走りて剣となれ」
 青の魔女に集う精霊はやがて巨大な一団となり魔女と一体になって中空を走った。敵は崖へ到達する寸前直角に曲がって上空へと逃れようとするが彼女らも何ら惑うことなく追跡を続行する。一定の距離を保ってしばらく続いた追いかけっこはまもなく終わりを迎えるのだ。
「瞬きの間で我が怨敵を尽く切り裂け!逃がすなシルフ!」
 魔女の声に高らかに答え姿なき乙女たちが疾走する。風魔が攻撃の際に発する音は相手の動きを制限し、素早く放たれる風は刃となりて黒き敵を切り刻む。
 絶叫に次ぐ絶叫。
 闇の血潮は空気の渦の中でばら撒かれ、魔女は徐々に推進力を殺しながら器用にそれらを避けた。鼻を突く生臭い匂いに顔をしかめれば崩れ落ちる眼球が恨めしそうにこちらを睨みつける。だがそれも生かされる罰と死にゆく罪の一瞬の邂逅であるにすぎない。やがてそれらはすべて平等に果てのない闇夜へと霧散していった。
 役目を終えた精霊たちは相変わらず楽しげな笑い声をこぼし、透明のベールを翻しては消えていく。魔女はゆっくりと上昇を続け、そのうち月明かりを受けて銀色に輝く王城の尖塔へと到達した。群青色のインクを流し込んだような夜空にぽっかりと浮かぶ月。巨大な蜜色のキャンバスに染みのように見えた点が一羽の蝙蝠だと気付いたとき初めて彼女はその両肩から力を抜いた。
「ご苦労様でした」
 蝙蝠は主人の目の前でその姿を執事のそれへと変化させる。地上にいるのと変わらぬ仕草で腰を折る姿はすでに見慣れたものだ。
「女王陛下へご報告を」
「ああ、お前は先に屋敷に戻れ」
「かしこまりました。何か準備なさいますか?」
「そうだな…熱いミルクティーとあとプティングがあったろう?」
「スティッキートフィーですね。承知いたしました」
 白い手袋が翻る。赤い瞳が絶対の忠誠を示して青の魔女を見る。この世にたった一人の吸血鬼の使い魔、セラフィータに服従を誓うたった一人の男は口の端を上げると実に従者らしくお行儀良く微笑んでみせた。
「お帰りをお待ちしております、マイマスター」


2015.09.02

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