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老舗のカフェー「北の七ツ星」

 針葉樹の森に囲まれ、美しい紺碧の湖を抱く街トゥルータンにその老舗のカフェーはある。石畳の敷かれた坂の上、黒い看板には「北の七ツ星」と文字通り七つの星が金色に踊る。数百年の時を刻む大時計、古い樹を切り出した傷だらけのカウンターにテーブル、スエードの椅子、ゆっくりと天井で回転するファン。店内には人々の密やかな会話と食器が触れ合う音、ケトルの吐き出す湯気だけが静かに渦巻いている。
 アレクセイは窓際の席に腰を下ろし、ぼんやりと鈍色の空を眺めていた。重く垂れ込めた雲は湿気を含んでいる。雪が降るのかもしれない。北の街には果ての世界のどこよりも早く白い妖精が舞い降りる。
 ティーカップになみなみと注がれた紅茶を口に含んだ。吸血鬼になって以降、血液以外に対する味覚は鈍った。けれど、香り高い茶葉は口に入れた瞬間に良いものだと理解することができる。
 春の野原と森の香りに浸っていると、突然コンコンと硬質な音が響いた。驚いて音のする方を見やれば、店名を大きく記したレタリングの隙間から青い瞳が覗いている。彼女は颯爽と踵を返し、迷うことなく店のベルを鳴らした。近づいてくるヒールの音。頭には円柱形の毛皮の帽子を被り、紺色のコートを羽織っている。格好から察するに任務についていたわけではないらしい。
「マスター…こんなところで何を?」
 アレクセイの目の前に特に断りなく勝手に座ったセラフィータはポケットから何かを取り出すとテーブルの上に転がした。それは松ぼっくりのようにアレクセイには見える。
「松ぼっくり…ですか?」
「そうだよ。ペリドットがどうしてもこの森のやつがたくさん欲しいって言うから、みんなで拾ってた」
「はあ…それはまた」
 ポケットに両手を突っ込んで首を竦める主人は微かに震えている。寒空の下、長時間森の中をうろついていたせいだろう。普段は悪態ばかりついてはいるものの、世界に四人しかいない魔女は存外付き合いが良かった。否、四人、だからこそか。
「そういうお前は?」
 主人の問いにアレクセイは荷を探る。蝋紙で包まれた塊を見せると彼女は美しい眉根を寄せた。
「雪鹿の肉です。燻製を作ろうかと」
「またお前は…物好きな」
「恐れ入ります」
 褒めてねえよと続ける声にウェイトレスの指先がかぶる。運ばれてきたのは湯気の立つ赤も鮮やかなホットワインだった。差し込まれたシナモンが温まり、豊かな香りを辺りに広げる。彼女は小さなカップを掲げると実に美味そうに口をつける。白い喉元が嚥下に伴って軟体動物のように蠢く。
「…降ってきやがったか」
 主人の言葉にアレクセイも外に視線を移す。曇天からはちらほらと綿雪がこぼれ、街並みに落ちては消えていった。やがて街に森に白く積み重なっていくであろうそれは、長く暗い冬の訪れを意味していた。
 二人の住む屋敷はここよりも南に位置しているから焦ることはないが、間近に迫った冬の気配にアレクセイは一人背筋を伸ばす。暖炉の準備を急がなくてはならない。薪も充分に積み上げ、厚い敷物を用意し、食料庫の点検をする。外に干していた茸を仕舞い、最後の林檎をもいでジャムにする。
 一方、主人はといえば気怠げに熱いワインを啜り、白い息を吐いた。放たれた呼気は一瞬でその形を立派な角を持つ鹿に変え、テーブルの上を七歩駆けると、すぐにかき消える。胡乱な瞳が旋回し、アレクセイを斜め下からひたと見据えた。
「なあ、アーク。その肉、ステーキにしちまわねえ?」
 言うと思った。だから内緒で買いに来たのに。
 そう思いつつも、アレクセイは目元を緩める。雪鹿の肉はまた買えば良いのだ。それよりも主人の舌を満足させることを最優先とした下僕は、いつもの大仰な仕草で実に仰々しい笑みを浮かべ、仰せのままにと宣った。


2014.12.27

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