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食欲性恋愛衝動 2

 端的に言うと、メルキュリアは非常に優秀な男爵のつがいとなった。
 彼は男爵との交尾を拒むことは一切なかった。舌同様二股に別れた生殖器を二つの穴で咥え込む様は淫靡で妖しく、また男娼としてあるまじきことに演技というものを知らない彼の「本物」の喘ぎ声は観客を否応無しに興奮させた。一人と一匹のセックスショーはかつてない人気を博し、男娼館の地下は毎夜異様な熱気に包まれた。熱心ともいえる態度で男爵を受け入れ、それどころか「本物」のつがいのように振る舞うメルキュリアに徐々に絆された形の男爵も無論満更ではない。
 ただ順風満帆にも思える二人の仲にも問題はあった。最も敢えて問題として取り上げるなら、という前提に立って初めて浮き彫りになるような些細なことではあったのだが。

「青蜘蛛様、」
 メルキュリアの猫撫で声が閉ざされた檻の中に転がり落ちる。たった今まで夢中で遊んでいた賑やかなサーカス団の公演を描き出す五百ピースのジグソーパズルをいとも簡単に放り出し、軽やかな仕草で立ち上がる背には突起のように小さな翼。身に着ける衣装は何もない。肩口で揺れる銀糸はゆるりと波打ち、仄かな石鹸の香りだけをまとっている。男娼、と誰よりも何よりもその職に相応しい容姿と性質を持つ彼は冷たい格子を諸共せず、その剥き出しの真白な腕を外に向かって差し伸べてみせる。
「青蜘蛛様、青蜘蛛様、」
「メルキュリア…息災か?」
「はい、青蜘蛛様。メルーは元気、です!」
 格子の隙間に頭蓋を押し込まんばかりの勢いに、やって来た男は苦笑する。青蜘蛛と呼ばれるこの男は屈強な身体に鰐の尾と鱗を持つこの娼館の主人だ。天才的な経営の手腕とその見目に似合わぬ細やかな気配りと持ち合わせた逸物によって男娼たちの甘ったるい視線を一身に集めている。最も当の本人はいつも眠ってばかりの「愛猫」にご執心で、彼らの相手はあくまで仕事と割り切っていることは公然の事実であるのだが。そんなことは数多の男娼を始め、無論メルキュリアにも理解できるはずもない。それとも誰もがすべてを理解した上で、上手に見ないふりを、気付かないふりをしているだけなのだろうか。男爵にはわからぬ人間の機微というやつだ。
「辛くはないか?寒くはないか?」
「いいえ、青蜘蛛様。メルーは辛くないし、寒くもないですよ」
 男はそうかと一言素っ気なく呟いたかと思えば、その大きな掌をおもむろに伸ばし、格子越しに男娼の小さな頭を少し乱暴に撫でる。メルキュリアはうっとりと目を細めてそれを甘受し、数秒も経たないうちに離れていくそれを物欲しそうに眺めながらも、実に幸福に満ち足りた笑みを浮かべる。
 打算などできるはずもなく、邪気など感じられるはずもなく、ときに清廉ささえ匂わせる笑顔のようなものをメルキュリアは相手を選ばず誰にでも見せる。
 青蜘蛛にも無論男爵にも何なら食事を運んでくる下働きの男にも。彼のそれは生存本能だ。そうしていれば少なくとも痛めつけられたり、食いっぱぐれたりする確率が下がると、彼は拙い経験則から知っているのだ。だから、その柔らかな唇の端を吊り上げ、目を細め、頬をわずかに紅潮させる美しくも愛らしい笑顔には何の意味もないとわかっている。わかっているのだが。
「良い子でな、メルキュリア…男爵に迷惑をかけないように」
「はいっ!」
「…男爵も頼んだぞ」
 金色の瞳の一瞥をくれると蜘蛛の称号を背負う男はゆっくりとした歩幅で地下から去って行った。
 その背中を名残惜しそうに見送っていたメルキュリアはその靴音さえも聞こえなくなってようやく鉄の格子から離れると、男爵の元へ戻って来る。いつも通り硬い鱗の並んだ大蜥蜴の腹を背もたれの代わりにして、散らばったピースを集める作業を黙々と再開する。積み上がった背骨の一つ一つまで何の気負いもなく男爵に預けてくるその姿は青蜘蛛が来る前の様子と大差ないが、その背の皮膜は止まることなく小刻みに揺り動かされていた。それが彼が嬉しいときの感情表現の一つであることを男爵は知っている。
「……メルーはああいう男が好みなのか」
 気が付けばついそう問いかけていた。案の定、くるりと振り返ったメルキュリアはこのみ?と不思議そうに尋ねてくる。今更吐き出した言葉を後悔しても取り返すことなどできるはずもなく、男爵は仕方なく声を連ねる。
「…好きなのか、ということだ」
「好き?青蜘蛛様は優しいしかっこいいから好き、ですよ?」
 間髪入れない返答に露骨にがっかりする自分がいた。わかっている。これは単なる嫉妬だ。知っている。自分は人間の感情に適応し過ぎた、と。
 ただの獣の身であれば、ここまで誰かの言葉というものに一喜一憂されることはなかっただろう。数多の生き物が人間同様、先天的に言葉を操るようになって早数百年。それでも日常の営みに人間のように複雑な感情と言語を伴って暮らすものは少ない。自然の厳しい環境下においては今も生存と種の存続が最優先されている。感情に振り回されている暇などはない。だからこうして言語を巧みに扱い、簡単に感情に翻弄されるのは人間に近しいところにいる獣の証拠だった。
 そう、男爵は外の世界を知らない。
 生まれる前から男爵の世界は人間によって作られた檻の中で、生まれたあともずっとそうだった。知ったかぶりを散々言っておきながら男爵が知る世界とは、あくまで閉ざされたケージ一つのみに限られていた。風も雨も寒さも知らない。餌は人間の手によって定時に与えられ、役目としての擬似的な交尾を諾々と繰り返す。ただそれだけの生涯。なんてことはない、男爵も境遇はほとんどメルキュリアと同じだ。
「バロン様?どうされたの?」
 今までその事実に疑問さえ持たなかった。生きる理由も必要なかった。ただ、生きていることが重要だったから。
 けれど、彼に出会ってしまった。
 美しい水銀色の髪と菫の瞳。知識を蓄える術を持たぬゆえに無邪気な心。男爵の異形を恐れずすり寄ってくる初めての温もりを心より愛しいと思ってしまった。
 そう、たぶん。男爵は間違えた。
 その感情を一時の気の迷いと封印してしまうべきだった。これまで彼に充てがわれた男娼たちと同様に壊れるまでその怒張で突き上げて、ときが来るまで無心でいればよかった。けれど、メルキュリアの魅力はそれを許さなかった。甘い、甘い香りを放つ花がその身に毒を潜ませているように、けれどまたその毒すらも甘いように。
「なあ、メルー」
「はい。なんですか、バロン様?」
 感情は欲望と合致して、乱暴に錯乱する。美しい何かを捕らえて、閉じ込めて、自分だけのものにしたい。これは正しく人間の毒だ。

2015.04.09

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