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皆殺しイヴリースと俺ととても簡単な譲渡契約について

 どうしてこんなことになったのか。考えても悩んでもわからなかった。
 揺れるジープの荷台。手首には手錠、足首には足輪。苦痛と空腹と眠気。すべてがない交ぜになって、男の表情をゆがませていた。黒い髪に黒い瞳、遠視のため手放せない眼鏡。特筆すべき点がなに一つないほどに凡庸な異形の男。名は、鵺(ぬえ)。
 異形とはいえ、普通の人間である両親の間に生まれ、普通であれと育てられてきた彼は極めて人間的だった。両親の強い希望により普通の学校に通い、案の定普通の人間の同級生に手酷く虐められ、自尊心は木っ端微塵になったまま多感な幼少期を過ごした。殴る、蹴るは当たり前だったから、打たれ強くはなった。ただ、それだけだった。
 ハイスクールに入学すると、今度は徹底的に無視された。理由は安易かつ単純だ。それはロースクールまでは目立たなかった異形としての証が目に見えて肥大化したから。医師によって成長期に必要な過程と診断され、様子見という名の放置という処置がとられた。そのため、鵺は一層多感な十代の後半をゼリー状の己の皮膜に包まれたまま過ごした。
 ぼんやりと霞んだ視界は現実味がなく、全てが夢のようだった。けれど、やがて卒業のタイミングに合わせるようにその膜がすっかり消え去ると、残ったのは厳しい現実だけだ。
 就職活動は悉く失敗に終わり、鵺を雇ってくれたのはヤツハカという遠い街の、ペンギンがオーナーを務める焼肉屋だけだった。両親は大いに嘆き、戻ってこい、まともな職に就けと言ったが、鵺は頑として受け付けなかった。両親の思い描く"夢"を叶えられないことは、自分が一番よくわかっていたからだ。
 振り返ってみても、ろくな人生ではない。それは嫌というほど思い知っている。しかし、だからといってこんな目にあうのはさすがに想定外だし、不条理だ。
 数時間足場の悪い道を揺られた末、到着したのは石造りの牢屋のような地下室。乱暴に投げ込まれた部屋の床は冷たく、数日ぶりに拘束を外されたあとも手足は痺れて動かない。鼻を突く饐えた匂い、鉄錆、汗、消毒薬、きつい体臭。薄暗い照明の中、どうにか視線を動かせば、目つきの悪い男たちがじろりと鵺を睨めつける。
 街の名は再生復興都市No.6《トードホール》。場所の名はコロッセウム。
 太古の闘技場の名を冠したここは正に死闘の地。金持ちの道楽のためだけに、人も異形も獣も関係なく戦いを強いられる。勝敗は賭けの対象となり、多額の現金が一晩でやり取りされる。その金はもちろん"戦士"たちにも報酬として与えられる。だから、腕におぼえのある者は自主的にここへ集う。しかし、大多数は鵺のように仕方なく、または事故でここへ送られてきてしまう者たちだ。
 よろよろと身体を起こした。全身が油の切れた機械のように軋んで痛い。頬に手をやれば、異形の証であるゼリー状の皮膚に触れる。鵺の人と異なる部分。それは身体中のあらゆる部分がクラゲのように再生能力の非常に高い半透明の細胞でできているということ。異形化は一部の内臓にも及ぶため、鵺は酷く打たれ強く、またしぶとい。特に左脇腹はほとんどがゼリー状だから、理論上は丸ごと失っても数日で再生するはずだ。無論、打たれ強いのと痛みに強いというのはまた別の話であるが。
「ねえ。君、大丈夫?」
 声が自分に向けられていると気づいて、鵺は心底驚いた。どこか澄んだ声音もそうだが、先程こっそり見回した限り新入りに友好的な人種はここには皆無のように見えたからだ。ずれた眼鏡を直し、視界をはっきりさせてから声の主を見遣る。
 目の前にいたのは神話の中で天上の楽園に住むという天使だった。
 純白の翼。柔らかい羽毛に覆われた一対のそれは彼の呼吸にあわせて、ゆっくりと上下する。金色の髪、澄んだブルーの瞳。整った鼻筋、美しい放物線を描く眉、慎ましい唇。白皙の肌には傷跡一つなく、まとったボロ切れも彼を敬虔な神の使徒のように見せていた。
 鵺は口を開けた。口を開けることしかできなかった。こんな美しい生き物を見たのは生まれて初めてだった。
「ひょっとしてお腹空いてる?あ、パン、食べる?」
 そう言って彼が懐から取り出したパンはカチカチに固くなっていたが、飲まず食わずの鵺にとっては何はなくとも食べ物だった。美しく可憐な右手が差し出した食料を受け取ると、まるで信者にでもなったような気分だ。口にすればガリと石を食べているような食感。しかし、食べられなくはない。もそもそと乾いたパンを咀嚼する鵺を美しい少年はニコニコと見ている。その笑顔を正面から見ることができず、鵺は目をそらせた。
「君、名前は?僕はイヴリース」
「………鵺」
「…ぬえ!あのね、僕、異形の子が入ってくるの待ってたんだよ」
 何しろ今ここにいる異形って僕だけだからさ、と続けたので驚いた。噂では賭博闘技場の戦士はほとんどが異形だと聞いていたのに。首を傾げる鵺になおも笑顔のまま、少年は続ける。
「異形は異形どうしで戦わせられることが多いんだ。で、そうするとほら、僕が殺しちゃうでしょう?」
 そう、なんでもないように彼が言う。
 途端に鵺の心臓は早鐘を打った。手足の感覚がさあっと冷えたようになくなったのは「その名」を思い出したから。ギルドが隆盛を誇るヤツハカで幾度となく聞かれた伝説。
 白い翼の天の使い。
 金ぴかの髪に青い空の瞳の美少年。
 世界で最も美しい殺人狂。
 この世でただ一人、空を飛ぶことのできる有翼異形。
 笑う白刃。
 純白の殺戮者。
 そして、最たるは。
「…皆殺し、イヴリース…」
「僕のこと知ってるの?わーい、嬉しいなっと」
 そう言って、彼は本当に嬉しそうに笑った。実に楽しそうに、愉快そうに。そしてその表情のまま、彼は殺す。この世のすべてを一掃しかねないスピードで、リズムで、ただただ殺す。それが己の存在意義だと言わんばかりに。それが、殺人狂だと、言わんばかりに。
 震えを押し殺して、鵺は手を強く握る。思えば彼が目の前に現れた瞬間から、辺りの人の気配は消えていた。みな彼を恐れている。無理もない。いや、だからこそ、鵺は彼を利用する。ここから、出たいのだ。クソみたいな人生の続きをやることになるとわかっていても、こんなところで金持ちの道楽にされ、無残に殺されるのは本望ではない。生きたいのだ。理由もなく、生きたくて、何が悪い。
「……俺も殺すのか?」
「舞台で会えばね」
「俺はここから出たいし、お前に殺されたくもない」
 そのとき、初めてイヴリースは笑顔以外の表情を顔に浮かべた。鵺の言葉に心底驚いたように。その吸い込まれそうなほど美しく深い青に、畳み掛けるように鵺は言質を連ねる。
「俺と組まないか?」
「君と?それって僕になんの得があるの?」
「俺は焼肉屋で働いてるんだが…ここから無事出れたら"本物の肉"をたらふく奢ってやる」
 それはたぶん、馬鹿げた取引だった。
 けれど、鵺は何も持っていないのだ。生き残るために差し出せるような大事なものは何一つ。本当に何もない。けれど、死ぬのは嫌だった。殺されるのは嫌だった。足掻いて足掻いて、ズタボロになっても構わないから生き残る。ただ、それだけのために必死で殺人狂に食い下がる。
 そんな哀れな男の人生を慮ったわけではないだろう。少年は真っ赤な舌で唇を舐め、妖艶に笑った。嘲笑、侮蔑。鵺が見慣れたどんな笑みとも違う。イヴリースは実に楽しそうに、限りなく慈愛に似た笑みを口の端にのせて、言った。
「いいよ。でもそれだけじゃ足りない」
「………他になにを?」
「君を頂戴。一目見たときから思ってたんだ。君ってとっても」
 その笑みは、決して天使なんかじゃなかった。止まらない震えを全力で押さえつけて、鵺は息を飲む。
「美味しそう」

 これが世界一美しい殺人狂と、とある平凡かつ卑屈な異形の実に凡庸な最初の出会いである。背中に冷や汗をびっしょりとかいた男はまだ知らない。この出会いが世界の存亡云々などという大それた話へと発展していくことを。
 そして、実に数百年ぶりの終末が、一度は終わった世界に再び訪れようとしていることを。


2014.12.14

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