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夜鳥の巣

 暗闇は二羽にとってなんの障害にもならなかった。 音もなく翻る翼は立ち並ぶ木立の隙間を危なげなく縫い、月が照らしあげる夜を鋭く柔く裂いて行く。耳元で鳴る風は若葉の匂いを含み、金色の瞳には静かに滑る影しか映らない。まるで先程の戦いなどなかったことであったかのように。時折聞こえてくるのは獣の足音、梢を揺らす気配、二羽と同様に夜を行く鳥たちの声、あとは静寂。ただそれだけ。
「彩矍」
 妹木菟が姉木菟に語りかける。なに?と答えた姉の声は妹の声と瓜二つでそれが単なる鳴き声に聞こえる人間にはとても見分けがつかないだろう。
「見て」
 変わらず素っ気ない言葉に疑問符を浮かべたまま、妹が先導する方を見やれば、木立の向こうにちらちらと橙色の灯りが瞬いているのが見える。気がつけばもう随分来た道を戻り、目をつむっても飛び回れるような見慣れた森の中にいた。なれば、あの辺りはきっと大門だ。獣も人も妖も神仙でさえも主の許可なくして通ることのできない聖域の入り口。その境目に夜風に揺らめく篝火が焚かれている。それにほんの少しだけ漏れ出す仄かな灯りは周囲を紙で囲った提灯だろう。手にしているのは他でもない。
「紫香様。紫香様だわ、彩矍」
「わかっているわ、瑞矍」
 妹木菟が驚いたように鳴くのを窘めるように言い添えておきながら、姉もまた緊張感を高めながら考えこむ。何かあったのだろうか。恐れ多くも主の妻君に出迎えられるような用向きなど余程のことでない限りは思いつかない。
 心持ち速度を速めて二羽は飛ぶ。迷うことなく、その光の方角へと向けて。
「彩矍!瑞矍!」
 僅かな羽ばたきの音を拾ったのかそれともすべり込んでくる影を認めたのか、青年が空を見上げて声を張り上げる。灯りに照らし出された表情は悩ましげに眉が顰められ、やはり何かあったのかと二羽が着地と同時に人の姿へと変化した瞬間。
「良かった…!無事か?怪我はないか?」
 その対象は他ならぬ自分たちと知る。きょとんと顔を見合わせた二羽に、人の形しか持たぬ妻君は心底ほっとしたように息を吐いて頭を垂れた。
「お前たちが妖討伐に出かけたって聞いて…陸峯は大丈夫だからって言うんだけど、心配で」
 ここで待っていた、と照れたように笑う彼に彼女らは丸々と目を見開いて思う。
 彼女らの主、それに彼のつがいである黄金の鹿は龍神から一山一洞を与えられたれっきとした神仙だが、神格の低さ故に未だ妖が闇に潜む辺境の地しかその聖域とすることを許されなかった。だが、本性を豊穣の牡鹿に持つ主は基本的に戦いには不向きで、だから木菟を本性に持つ二羽が彼の従属として選ばれた。金色の夜目が効く瞳も鋭い嘴も尖った爪も主は持たぬから。優しい黒目がちな目と堅実な蹄に代わって、その刃を奮うのは二羽にとって当然なことだ。だって主がいなければ、彩矍も瑞矍もここには存在していないのだから。その恩に全霊をもって応えるのは自然の道理で、それに見返りは不要なのだから。
 目の前にいる人の子はそういった事情を知らないにしても、やはり優し過ぎるだろう。主の言うとおり心配など不要だ。主には主としての役目があり、二羽には主の従属としての役目がある。ただそれだけだ。
 嗚呼、けれど。
 このじわりじわりとやって来る胸の温かさはなんだろうか。おそらく瑞矍も同じことを感じていたのだろう。不思議そうに瞳を瞬かせている妹の横顔を見遣りながら、彩矍はふっと口角を緩ませる。きっとこの人の子は主を二羽を、そして山を変えるだろう。変革の予感はまるで春の芽吹きのように。夜明けの黄金色の光のように。緩やかに眩く温かに。
「紫香様、」
 呼びかける声に青年がん?と首を傾げる。紫色を含んだ瞳は見開かれるとぐっと幼さを増して好ましい。
「彩矍、ただいま戻りました」
「あっ、ずるいわ。わたくしも、瑞矍もただいま戻りました」
 競い合うように言い連ねた姉妹に彼はゆるりと目を細めると、相好を崩して答えてくれる。まるで小さな野の花が綻ぶように。
「おかえり」


2015.03.15

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