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ネクロマンティック劇場、閉幕

 師匠も走る師走の年の瀬、一年の終わりと一年の始まりというこれ以上ないハレの日を目前に控えた時節にスッと差し込まれた異国の聖人の生誕祭は思いの外素早くこの国に馴染んだ。その理由の一端は街を彩る浮ついた雰囲気を後押しする都合のいい口実、だったのかもしれない。深緑のクリスマスツリー、蔓延るプレゼントの山、手を繋いで歩く恋人たち、柔らかなキャンドルの光に生クリームの雪をかぶった真っ白なケーキ。大通りは最早今日という日の本当の意味合いさえ忘れた人々であふれかえり、交される笑顔と賑わいはおそらく夜が更けるまで静まることはないだろう。
 そんな喧噪からは一歩外れて。いや自ら二歩も三歩も退いた路地裏にその小劇場はあった。
 通りに立つ街灯はちかちかと不安げにまたたき、板塀の傍で蹲る猫は寒さのためか飢えのためかすでに息も絶え絶えだった。掲げられた看板には洒落たレタリングで「銀星劇場」とささやかに記されている。入り口の脇に設けられたチケット売り場に売り子の姿はなく、演目を示すプレートもない。聖なる夜は休演なのかと思いきや、磨りガラスのドアの向こう、括られたカーテンの隙間からは煌々とした明かりが漏れ出していた。
 重たいドアは全体重をかけることによってようやく開く。触れたドアノブの冷ややかな感触に反して劇場の中は程よい空調が効いていた。一切の足音を吸い込んでしまう毛の長い絨毯は天井から下がった重厚なシャンデリアのオレンジ色さえ貪欲に飲み込む。アラベスク模様の壁紙には今までこの小劇場で披露されてきた公演のポスターがまるで劇場の歴史のように額装されて並んでいた。ハムレット、夏の夜の夢、リア王、椿姫、アイーダ、蝶々夫人。古典劇からオペラまで思っていた以上に多彩な演目はけれどもう、そのどれ一つをとったとしてこの劇場で公演されることはないだろう。
 舞台へと通じるドアは入り口以上の重厚さで観客を迎える。押し開けばおよそ百席ほどの観客席に客はたったの一人。ちょうどど真ん中付近の赤いベルベットに腰を下ろしているのは女だった。癖のない真っ直ぐとした黒髪を腰まで垂らし、黒いシャツに黒いネクタイ、黒いスラックス。八センチにもなる高いヒールとロングヘアだけが彼女の性をしめやかに際立たせ、それ以外のなにもかもが彼女の厳格さだけを物語っていた。引き締められた口元からは何の感情も伺えない。 細い眉は鋭く引かれ、アーモンド型のまなこは前だけを見つめている。
 舞台にはスポットライト。強い光に何もかもを暴き出されて、演者はまるで脅迫でもされているかのように台詞を吐き出す。その声は濁っていた。耳を澄ませていればどうにか聞き取れることもないという音声は無論この晴れやかな舞台に相応しくない。
 けれども、それは致し方ないことだった。
 幾つかの大道具が入れ替わる。舞台の上は城から森へ。逃げる男女に追いかける兵士。演者に顔色はなく表情もない。壊れた蓄音機のように雑音混じりの台詞だけがただ流れ続ける演目を女はただ黙して見続ける。やがて物語は悲劇的な結末を迎え、舞台の幕はあっけなく降りた。拍手はない。観客は女一人しかいないのだから、彼女がスタンディングオーベーションでもしない限り沈黙が場内を支配するのは道理だった。
 やがて頼まれてもいないのに再び幕が開く。そこに立っていたのは演者ではなく、劇場の支配人にして監督にして演出家にして脚本家であるところの男だった。まるで喜劇の主人公のような黒いシルクハットに三つ揃い、よく磨かれた革の靴をきゅっと鳴らし、客席に向かって恭しく礼をする。その顔には白い仮面。表情を伺うまでもなく、伺う術さえ拒絶する彼はさも当たり前のように客席の女に向かって語りかけた。
「いかがでしたか、我が劇場の公演は」
「醜悪で劣悪で退屈だ。大いに時間を無駄にした」
「これは手厳しい」
「よくもまあ、あれだけ大根役者を集めたことだ」
 女の声はよく通るアルトの音域で彼女の方がよほど舞台役者に相応しいように思えた。長い脚が組み替えられる。黒い爪先が宙を薙ぐ。仮面の男は語らない。ただその場の空気が変わったことだけを男も女もすでに察していた。了承していた。これまではただの茶番劇。果たして本番はこれからだ。
 男の指がパチンと妙に乾いた音を出す。途端、舞台上にずらりと演者たちが降りてくる。降ってきたと言い換えてもいいだろう。どすんと重たい肉が落ちる音とともに操り人形ならぬ操り死体が動き出す。命を奪われ、魂を奪われ、人格を奪われ、単なる肉の塊と化したアンデッドの群れが今正に命じられるままに客席の女に向かって飛びかかろうとした、そのときだった。
 爆発、轟音、風圧、肉の焦げる匂い。
 そんなものがいっぺんに襲いかかってこようとも、やはり女は眉一つ動かさなかった。逆に仮面で感情を殺しているはずの男の方があからさまに狼狽を露わにする。舞台から無様な格好で飛び降りた男は観客席の影に身を隠し、何が起きたのか寸時に理解できないようだった。
 舞台の奥ではもうもうと白い煙が渦を巻く。片腕を吹っ飛ばされた死体が痙攣し、目玉を失った死体が右往左往し、前面が焼け焦げた死体はゆっくりとひっくり返り、目の前にある何かにとにかく縋ろうとした死体はブーツに蹴り飛ばされた。
「ラヴェンナ姉さん、やり過ぎ…」
「なによう。アンタだって火使ったでしょ」
 一人の女が手にした杖の象徴は蛇と知恵の果実。禁欲的な修道女の姿に瑞々しい身体と色欲にまみれた鱗を隠し、憂いを含んだ表情は美しくあどけないが、それ以上に笑みを刻む唇は蠱惑的。
 一人の女が手にした杖の象徴は車輪と牙を剥く怪物。ぴったりとしたジーンズに真冬にも関わらず腕を剥きだしにしたタンクトップ。短く刈り込んだ髪、右肩に大きく刻まれたガーゴイルのタトゥー。自信に満ちた表情に悲哀はない。
「こちらの演者の紹介がまだだったな」
 女は立ち上がる。その手にはすでに一振りの杖が握られていた。魔力の証、魔術師の象徴。彼女のそれはぎょろりと辺りをねめつける巨大な目玉を中心に据え、その周囲を精巧な茨が絡みつく形を成していた。
「こちらが下の妹弟子、雪水家の三賢者が一人、ウロボロスのマーヤ」
 修道女姿の魔術師を右手で指して女は言う。妹は慈愛の笑みを崩さぬまま優雅に礼をした。
「こちらが上の妹弟子、雪水家の三賢者が一人、 ガーゴイルのラヴェンナ」
 豪放磊落な魔術師を左手で指して女は言う。妹は不適な笑みを浮かべて好戦的に杖を振る。
「そして、わたくし」
 涼やかな目元はじっと男を捕らえて離さない。片や男もまるで蛇にでも睨まれたように動けない。女の唇を真っ赤な舌が一瞬舐めとり、すぐに引っ込んでいくのを口を開けて見ていることしかできない。
「妹らと並んで三賢者の一席を務めるはバジリスクのトードリア」
 最早男の冷や汗は留まることを知らなかった。反抗するなどとんでもない。雪水に、あの悪名高い西洋魔術の一門にほんの少しでも関わったことがある者なら誰でもその名を知っていた。現在の雪水家の当主を同じ師と仰ぎ、義姉妹の契りを結んだ三人の魔法使いは当主に次ぐ地位をもってして「三賢者」とも呼ばれている。長姉は「最愛の秩序」、トードリア。次姉は「最強の番人」、ラヴェンナ。末妹は「最悪の信仰」、マーヤ。その名を聞いて震え上がらない魔術師など存在しない。「沈黙の魔女」の名を、力を、名声を、受け継ぐ彼女らの残忍さと奔放さを知らぬ魔術師はこの国において魔術師ではない。
「前置きとやらは終わった?早く殺そうぜ、姉貴」
「このような下賤の輩、長く生かしておく理由もありませんね」
 本能は逃げろと囁き続け、けれどもそれは敵わない。前門の虎後門の狼ならぬ、前門の姉に後門の妹。彼女らは決して男を逃がしはしない。なぜならそれが雪水という家の絶対の掟であるから。裏切り者を、逸脱者を逃すべからず、生かすべからず。雪水の秩序を守る番人たちは不動の信仰をもってどこまでも不届き者を追跡する。その心臓を間違いなく刺し貫いてしまうまで。
「ふむ。すまんな、どうも堪え性のない妹たちで」
 それは醜悪で劣悪で退屈な演目を強制的に終わらせるための有無を言わさぬ最終宣告。
「閉幕だ。どうぞ、次回の人生にご期待ください」


2015.12.25

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