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八脚狂言挿話

「あれ、園山は?」
 その日、曲がりなりにも班長として自身が統率をとる警視庁第三特殊犯捜査特殊能力対策係西加班の事務所へと戻ってきた班長こと西加仁子が目にしたのはいつも通りの乱雑とした室内と花札に興じる二人の男だった。
 西加班の事務所は通常のオフィスとは趣きが異なり個々人のデスクというものは存在しない。会議室か食堂にでもありそうな大きな長机に椅子が六脚。各自が使いたいスペースを使いたいだけ占領した机の上は混沌を極め、捜査資料、みかん、ペーパーナイフ、土鈴、猫用おもちゃ、万年筆、外れたボタン、ハンドクリーム、ラーメン屋満願の替え玉無料券などが自由気侭に散乱していた。その奥。本来ならば上長席などが置かれて然るべき場所にはなぜか四畳の畳が敷かれ、前述した男たちが向かい合わせに胡座をかいて揃って仁子を見つめている。
「班長、おかえりー」
 手元の札から顔を上げ人好きのする笑みを浮かべてみせたのは菩提やまめ。人心を聴覚で取得することのできる妖怪さとりの能力を持つ男は孤児院育ちで天涯孤独の身の上ながら底抜けに明るく必要以上によく喋った。西加班では専ら聞き込みなどの情報収集を担当し、その誤魔化しようのない真実は捜査の進展に一役も二役も買っている。
「園山さんならさっき係長に呼ばれて出て行ったよ」
 そう仁子の質問に答えたのは穏やかな微笑をたたえた青年。薄い白金の長い髪を一つにまとめ、金糸がみっしりと生え揃った睫毛は飴色の瞳に深い陰影を落とす。通った鼻梁と薄い唇はどこか無害な草食の獣を思わせる、という印象を仁子が抱くのは彼の本性を知るからだろうか。
 彼の便宜上の名は都築秋(つづき あき)。大陸よりこの国へと渡って来た神獣、麒麟を正体とする彼は仁子と同じく生粋の人外として組織に長く所属する古株だった。麒麟は雄である麒と雌である麟の姿を任意で切り替えることが可能であり、前者のときは千里眼の能力を、後者のときは治癒の能力を持つ。秋もその例に漏れず臨機応変に二つの力をいかんなく発揮し、特殊能力対策係のもう一つの班、半人半鬼の金城三輪が率いる金城班の班員として活躍していた。
 所属が異なる割に彼が西加班の事務所に入り浸っているのに特段深い意味はない。あえて言うのであれば神獣という圧倒的高位の存在であるがゆえにさとりの能力を受け付けない秋を菩提が殊更慕ってカードゲームなどに頻繁に誘うからだ。
「係長に?なんで?」
「それは俺も知らないよ」
 そう困ったような顔をする秋は今日は男性の姿をしていた。しかし元来中性的な人間の容姿を持つ彼はどちらの姿であろうと受ける印象は然程変わらない。物腰は柔らかく穏やか。誰もが心優しい好人物と評する彼が怒髪天を突いたとき、彼らの上司たる斎木銀色並みの怒りを振りまくことを知る者は少ない。いや、知らない方がいい。
「別に変なことは考えてない感じだったぜ?」
「菩提ぃ、お前はまた勝手に上司の心を聞くんじゃない」
「だって、あんな開けっぴろげにされちゃ聞きたくなくても聞こえちゃいますよ…それに係長は本当に隠したいことはちゃんと隠してるでしょ」
 そう唇を尖らせる菩提に悪びれた様子はない。確かに本来力ある妖怪である上司は雑な言い方をしてしまえば「さとりごとき」に心を聞かれるようなことはないはずだった。ゆえに菩提の主張は正しいのだろう。菩提はさとりの存在意義だと言わんばかりにそのよく動く口から真実しか喋らない。
 書類が山積みになった自分のスペースへと腰掛け、仁子は深い吐息をついた。いつの間にか彼と出会ってから数百年余りの年月が流れ、街は変わり、政も変わり、人も変わり、妖怪たちも変わった。濁流の如く変化する世界の中で仁子はといえば一人中州に取り残されたかのように相変わらずで、未だに先を見据え続ける男の考えの一片であろうとも推測することはできない。むしろ一生わかる日など来る気がしない。あちらは人間の永遠の好敵手にして最強の妖怪。こちらは深い海の底で薄らぼんやりと過ごし続けてきたただの化け蟹。正に雲泥の差、月とすっぽん。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。上司の考えなど部下に一生わかるはずもないのだ。
「なあに。また斎木さんに無茶なこと言われたの」
「まあね…」
「それって…人事のことってやつですか?」
「…まあね」
「あ、違いますよ!聞いてないですよ!?」
「仙谷さんのこと、残念だったね」
 一人慌てる菩提にしんみりと秋が続ける。彼が口にした少女、仙谷絹(せんごく きぬ)は一週間前まで確かにこの輪に加わっていた西加班の一員だった。四国を出身とする彼女は人間の父と化け狸の母を両親に持つ半妖で西国狸の名に相応しい変化の達人だった。そんな彼女の母が突然の交通事故で腰の骨を折る重傷を負ったのが二週間前。まだ幼い五人の弟妹と働きに出ている父を助けるため泣く泣く彼女が実家に帰る決意をしたのはほんの十日前のこと。
「そう…人手不足なんだ」
 つい先日西加班に加わったばかりの園山葉月は人魚と人間の混血であり、そのポテンシャルは計り知れないが如何せんまだ十八歳の少女であって世の理も妖怪としての生き方もままならない。そんな彼女を即時戦力として使っていくのはさすがに組織としても無理があり、彼女は今のところ見習いという立場で現場や会議など仁子の後ろを愚直についてきては学ぶことを主な仕事としている。幸い葉月は真面目一辺倒といった感じで素直でよく働いたが、やはり経験不足というのはそうすぐに解決できる課題でもない。しばらくは半人前の彼女をサポートしつつじっくり教育していけばいいかと思っていた仁子の目論見は思いがけずはずれた。それが仙谷絹の離脱であり、もう一つが。
「なら新しい人が来るの、仁子?」
「え、ほんとですか!?妖怪ですか!?神獣ですか!?」
「やまめ…野良猫じゃないんだから、妖怪も神獣もそう簡単に配属されたりしないよ」
「え!?だって秋ちゃんは神獣でしょ?」
「俺は特別」
「…おがみ…」
 ぼそっと呟いた仁子の言葉を拾いきれず、二人は同時にえ?と聞き返した。仁子は書類の山から転がり落ちてきた脚の生えた折り鶴をぺこぺこ開いたり閉じたりしながらもう一度言い直す。というかこの変な折り紙作った奴は誰だ。
「おがみのやつが来るんだと」
「おがみって…尾上?」
「ああ、犬神の?」
「それならいいじゃない。確かに憑き物だけど術者の家系なら即戦力だよ」
「いや、犬神の方じゃなくて」
 仁子は再び肺の中の息を吐き出す。無性にニコチンを摂取したくなったが、生憎とこういうときに限って切らしていた。菩提も秋も喫煙者ではない。
「尾神が来るんだ。白狼神の末裔様が」
 さすがの二人も事態を悟って絶句した。
 尾神はかつての威光と現在の悪行によってその名を轟かす言わばアンタッチャブルな存在だった。獣神の血をひく一族は妖怪にも一部の人間にも名を知られながら一族以外を徹底的に排除し、潔癖なほどにその血を守ることで生き長らえてきた。だが人々の居住地が山から村へ、村から都市へと移った今やその信仰は風前の灯火。消えかかった炎を消すまいと奮戦するも孤立を栄光と守ってきた一族が頼る他者などどこにもいない。結果として鬼遣らいなどを生業としながら細々とした生計を立てている有様なのだが、未だ祀られる神々としてのプライドばかり高いのか事あるごとに問題ごとを引き起こしていた。
「あー!もうやだ!本当やだ!新人教育なんてやりたくない!大体あたし蟹なんだけど!化け蟹なんだけど!?陸上の都合とか知らないしわからないし尾神って狼でしょ!?四つ脚でしょ!肺呼吸でしょ!?あたしの脚八本あるんですけどね!ついでにエラ呼吸なんですけど!どうやってわかりあえっての!?」
 短い髪をぐしゃっとかき乱して叫べば、菩提と秋がまあまあと適当に慰めてくる。
 二人は知っているのだ。そうは言っても仁子が新たにやって来る尾神を西加班で受け入れることをすでに承諾していることを。嫌だの無理だの言いながらも結局のところ人間のように四苦八苦して新入りの教育にも取り組むのだということを。
 お人好しとも違う。人から期待をかけられることに喜びを見いだすタイプとも違う。けれども仁子は上司の期待を裏切らない。仕事を断らない。辛くないのかと尋ねられてもきょとんとして、喉元を過ぎればまるで何事もなかったかのように平然としている。それが甲殻類ゆえの鈍さから来るのか、結局のところ誰も知らない。否、ひょっとしたら彼女の上司だけは知っているのかもしれないけれど。
「班長、班長、今日は定時であがってラーメン食べ行きましょ」
「俺の奢りだよ。仁子、チャーシュー麺好きでしょ?」
 スタイルだけはモデル並の男と慈愛の微笑を浮かべる美丈夫にそれぞれ肩を叩かれて仁子は突っ伏していた顔を上げる。ときめかない。化け蟹である仁子にとって鱗もエラもない二人はまったくと言っていいほど心ときめかない相手だったが、ラーメンの誘惑は抗いがたかった。行きつけのラーメン屋の肉厚チャーシューの脂身はもっともっと抗いがたい。嗚呼、素晴らしきかな人間の作り出ししラーメンという文化。
 脱げかけたヒールを足で探り指先を突っ込みながら哀れ王子様に恋したわけでもないくせに二足歩行に成り果てて、慣れぬ地上で慣れぬ中間管理職に泡を吹く化け蟹は不条理と叫ぶ声すら持たぬまま、手に入れた掌で景気を付けるように机を打つと力強く言い放った。
「行く」


2015.11.05

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