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菩提やまめの問心票〜A村骨抜き殺人事件〜

 こうべを垂れる稲穂は黄金色に輝き、間もなく迎えようとしている収穫の季節には似つかわしくない色がその農機具小屋の一面にはまぶされていた。赤。赤、赤、赤、赤、赤。寸分の乱れも許さぬ赤という赤が小さな小屋の隅々まで塗りつけたように染め上げている。その色を成しているのは疑いようもない。最早人の形を成していない、人だったもの。脳髄、眼球、細切れになった皮膚、心臓、肝臓、胃、大腸、生殖器、筋肉、脂肪。人体の内部に詰まっていたありとあらゆるものが解体され、ぶちまけられた室内には生臭さを超越した壮絶な匂いが漂っていた。
「…柴田、」
「…ふぁい…」
「吐くなら外でやれ。現場保持」
「ふぁいっ…」
 スーツの袖を捲り上げた中年の刑事、渡久地の声に部下は口元を押さえたまま急いで回れ右すると全速力で走り去った。外から聞こえてくる嘔吐音にいつものことながら眉間を揉みつつさてどうしたものかと思案する。
 帝都郊外に位置するA村。全部で五十世帯にも満たないこじんまりとした平和な農村で起きてしまったのは牧歌的な雰囲気には些か不釣り合いな所謂猟奇殺人。第一発見者である農夫の爺さんは農機具を取り出そうと戸を開けた瞬間に気を失って病院に運ばれ、慌てて駆け付けた派出所の若い巡査は好奇心と使命感から小屋の中を覗いてやはりぶっ倒れた。まあそれもやむなしだろう。これほどまでに残忍かつ怪奇な事件、なかなか帝都でもお目にかかれない。だからこそ渡久地たち警視庁の人間が呼ばれたのだ。捜査は初動が命。いち早く被害者の身元を特定し、被疑者を割り出さなくてはならない。
 しかし。しかし、渡久地には嫌な予感があった。身元不明のバラバラを通り越して木っ端微塵とも言える遺体、猟奇的な殺人の手法、見当もつかない犯人像、これらから予想される長期的捜査。並べたてられた条件は奴の現れる前兆に他ならない。
「やほーい!豆柴、相変わらずゲロ吐いてんな!」
「柴田だっていつも言ってるじゃないですかああ、うおえ」
「うわきたね!」
 やっぱり。聞こえてきた声にうんざりと身を起こす。見遣った先、規制線をくぐってやってくる男はティシャツにジーンズというラフな格好の上に残暑厳しいこの季節にも関わらず白いトレンチコートを羽織っていた。肩も腰も脚もみな細く長い首の上には小さな頭が乗っている。適当な長さで揃えた薄い色の髪、首から提げたごついデザインのヘッドフォン。にこりと人懐こい笑みを浮かべるその表情から彼の感情を読み取ることはできないが、彼はこちらの感情の一切が手に取るようにわかっている。
 特殊捜査官、菩提(ぼだい)やまめ。特殊技能は「さとり」。
 即ち人間の心を「自動的」に読み取る能力。何の因果か人間にしてその力を持って生まれた男は相変わらず人をなめきった態度を悪びれることなく披露し、ポケットに入れた手を出すこともせず、軽快に渡久地へと手を振った。
「やほーとぐっさん。僕が来るのが嫌だなんてあんまりにもつれないじゃない」
「…勝手に人の心を読むな」
「いやいやこんなの聞くまでもなくない?しかも人をなめきったって?そんなつもりないんだけどなーそれにポケットから手を出せって…やだなー僕はとぐっさんの部下じゃないんだよ?僕の上司は西加仁子班長!おお我が麗しき女上司…!」
「菩提、」
「はいはい閉じます閉じますって。うるさい口は閉じますよーそこが現場だね?」
 よく喋る男はすでにわかっているだろうことをわざわざ口に出して確認すると渡久地の脇をすり抜け不遠慮に農機具小屋の中を覗いた。凄惨な現場を見ても顔色一つ変えないその横顔をじっと見る。こうしていても彼の耳は周囲にいる人間の心の声を勝手に聞いているはずだ。そこに彼の意志は介在しない。すべては受動的に行われる。人間が眠っている間も嗅覚や聴覚を完全にシャットダウンすることができないように。彼は身内だろうが同僚だろうが他人だろうかすべての人間の心を聞いてきた。
 その半生を推し量ることはできない。一体どんな気持ちなのだろう。聞きたくもない人の心の声を聞き続けるというのは。何度想像を巡らせようとも渡久地にはわからない。わかるはずもなかった。
「可哀想にねえ。無念だったろうに」
 男の口からそんな当たり前の言葉が漏れ、思わず刑事は目を見開く。その「声」には気付かぬ振りをすると決めたのか彼は小屋から目を離すと鑑識は?と短く訊いた。
「まだだ。到着が遅れている」
「追い越して来ちゃったかあ。まあいいや、とにかくこの遺体ちゃんと調べてもらってよ。大事なものがなくなってる。ひょっとして犯人はこれが目的だったのかな?」
「大事なもの…?」
 言われて渡久地も慌てて小屋の内部を見回す。そうだ。見渡す限りの臓物の色に気を取られてすっかり忘れていた。これは、この遺体には圧倒的に足りないものがある。
「骨だ…」
「人間一人分の骨なんてどうするつもりだろうね?出汁でもとるのかな」
「不謹慎だぞ、菩提!」
「うひゃあ!とぐっさんのカミナリ!」
 おどけてくるりと回る男のコートの裾が真白く翻る。抜けるような青空、実りの満ちた黄金の田畑を背に人の心を読む妖怪が酷薄に唇を歪め、実にこの場に不似合いな清々しい深呼吸をしてみせる。男の長い指が芝居がかって宙を泳ぎ、ピタリと止まる。それは合図だ。しいっと唇に手を当てて静かにとするジェスチャーは心を聴覚として捉えることのできる彼の仕事の始まりを示す。
「さあ、問心のはじまりだよ」
 これが、のちに「A村骨抜き殺人事件」としてファイルの背に少し歪んだ活版によって印字される長い事件の始まりだった。



道場家の美しき三姉妹。
立てば芍薬、長女の竜子。
座れば牡丹、次女の次子。
歩く姿は百合の花、三女の花子。
けれども村の皆が知っている。
美しき三姉妹は後妻の子。
真実、道場家は四姉妹。
妹たちには似ても似つかぬ醜女の「長姉」。
心優しい彼女の心はどこへ行く。
どこへも往けず彷徨うばかり。
それを救うは一体、だあれ?


2015.11.05

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