ibaraboshi***

home > 小説 > > 浮世の弾みにララバイを

浮世の弾みにララバイを

「…以上が今回の任務の概要よ。理解できたかしら?」
 黒塗りの高級車が帝都の裏路地をテールランプを転がしながら疾走する。ハンドルを握るのはブロンドの髪にグリーンの瞳をした異国の女。ビルヂングの窓から漏れる灯り、対向車のヘッドライト、ミラーの反射と万華鏡のように照らされるその彫りの深い横顔を眺めながら、八塚ノボリは気のない声を出す。後部座席で膝を抱えたその様子はお世辞にもやる気があるようには見えないが、手触りの良いベルベットのシートに完全に横になって文庫本を読んでいる姉のカケルほどではないだろう。暗闇でもよく見える瞳は爛々と赤色に輝いて無心に明朝体を追っている。なんという能力の無駄遣いだ。
「要するにあれだろ。いつもの、だろ?」
 返事をする気もない姉に代わって妹が答えると、ブロンドの女は前を向いたままそうよと流暢な日本語で応対した。長らく鎖国の形を取っていたこの国では異国の人間は珍しい。だが、異国の異形のものはといえばその限りではなかった。彼女、オズ・クランチロットという名の魔女もまたそういったものの一人だ。深い森の色をした目に何を映してきたのか、詳しくは八塚姉妹も知らない。けれど、彼女の透き通った衰えを知らぬ美貌に底の知れぬ不気味さを感じるのは彼女らだけではないだろう。何を思い鬼である上司に従うのか。何を思い今ハンドルを握るのか。抑揚を全て排したなだらかなる声で歌うように告げるその内容が。
「生死問わず。とにかく龍脈を妨げるものは全て排除せよ。そういうオーダーだわ」
 いかに凄惨を極めようと。
 正直、単なる同僚であるノボリにはどうでもよかった。それは姉である八塚カケルも恐らく同様であろう。基本的にお互いにしか興味のない姉妹は揃って欠伸を噛み殺し、車は順調に景色を流して行く。目指すは茗荷谷。指定された地点はどうやら小学校になっているようだった。
 ふと赤信号でもないのに速度が落ちる。おやと思う間もなく車は街灯の下で完全に停止し、後部座席のドアが外から開けられた。空調を押しのけて入り込んでくる夜の湿度。そして、それらをまとって滑り込んでくるのは無為の笑み。凹凸のはっきりした肉体を包むのはペールブルーのサマーニットにワンウォッシュのスリムジーンズ。土気色の肌がむき出しとなった腕や首のあちこちにある縫合の跡は痛々しくもあるが、どこか修理された人形のようで現実味がない。赤茶けた髪、濁った眼球、乾いた唇に黄色の歯。年の頃二十前後。ただしその外見は彼女の年齢を推し量る上で何の参考にもならないだろう。
 彼女の時間は彼女が死んだそのときから止まっている。この国有史以来初の鉄道事故。鉄の塊に跳ね飛ばされた女は死してなお生きるゾンビになった。
「遅れました。轟木星子(とどろき しょうこ)、合流します」
 生前の名を今も変わらず名乗る屍に席を譲ってやると、彼女は軽い会釈をした。腐臭を流行りの香水で、顔色を流行りの化粧で隠した彼女は流行りのオフィスレディに見えなくもない。いや、やはり見えないか。
「お久しぶりです、八塚さん」
 ここ最近単独任務の多かった星子が律儀にそう言うのに片手で答える。カケルはといえばヨーソローと適当な返事をしただけである。それにしても適当だったが、ゾンビな彼女は気を悪くしたわけでもなく、少しだけ口角を上げるとぺこりと頭を下げた。彼女は姉妹を特別区別して呼ぶことはしない。
 エンジンの振動が尻から伝わり、滞りなく再び進んでいくのを感じる。目的地まであとどれぐらいだろうか。
「そういえばこの間言ってた新宿の占い師、どうでした?」
 沈黙を厭うように星子が雑談を投げかけた。問いかけは魔女に対してで、その相手は相変わらず前を見据えたまま、ああと呟く。
「偽物ね。多少心理学の心得がある程度でしょう」
「なんだー今度こそ本物だと思ったのに」
「だから占いなら私がやってあげるわ。ホロスコープでもタロットでも」
「そりゃオズさんなら本物も本物でしょうけど…!職場の同僚に本気の占い頼むなんで恥ずかし過ぎます!」
 よくわからない理屈だった。そもそも彼女が必死に本物の占い師とやらを探し続けている理由もノボリにとっては理解不能である。厳密に言えば彼女はすでに死んでいるのだ。明日を失った動く屍が明日を占ってなんとするというのか。
「八塚さんもどっか良いとこあったら教えてくださいよー」
「興味なし」
「良いラーメン屋なら知ってるけど」
「えーーー」
「着いたわよ」
 会話の流れを断ち切るように。もしくは和んだ空気をどこか張り詰めたそれに強制的に切り替えるように。
 軽い衝撃と共に車は停止し、ブレーキを引く音がする。星子は先程の雰囲気を瞬間的に封じ込め、ぴたりとお喋りをやめると後部座席のドアを開く。姉は文庫本から目を離し、ゆらりと爬虫類のように起き上がった。ノボリは姉の背に続くようにドアをくぐる。すぐにむわりとした熱気が顔中に押し寄せた。
 白線の残る砂漠のような運動場に降り立つのは、魔女と二匹の大蛇とゾンビ。見上げれば霧で霞んだ濃緑の夜空には赤い月が怪しい光を放っていた。怪物どもに相応しい夜を背景に白亜の校舎は聳え立ち、壁時計の巨大な秒針は午後十時七分二十秒辺りを指したままゆらゆらと横揺れしていた。
「…おかしいわね。先に到着してるはずだけれど…」
 オズが言い淀む間に星子があ、と声を上げた。姉妹もつられてその視線の先を見る。そして続けざまに深く嘆息するのはノボリばかりでその他三名の女子はうんともすんとも感想を漏らさず、ただそちらに向かって歩を進め始めた。
 校舎の入り口、常なら風の子のような子供達が多数行き来するであろうその場所に薄っすらとした人影が二人分。正確に言えばそれは屹立する一人の男となにか帯のようなもので空中に逆さ吊りになった男。さながらハングドマンの如く、鬱血した顔に朦朧とした表情の男は近寄ってくる足音に気付いたのか薄っすらと目を開く。その瞳はどこか焦点を持たない水銀色で、唇がだらしなく歪んだかと思えば、出来損ないの笑みのようなものを辛うじて作った。
 長身だが、平均的な顔立ちと平均的な体躯を持つあくまで特徴のない男の名は九尾乱雨(くお らんう)。かつて後鳥羽上皇に取り入った希代の大妖怪九尾狐を封じた呪われの殺生石の欠片を無理矢理埋め込まれた人間は、極めて自尊心の低い、卑屈な半妖としてその生を浪費する羽目となった。
 一方、この暑さの中で一分の隙もなく着こなしたダークグレイのスーツ。手には黒の革手袋をはめ、切り揃えた前髪を揺らして、もう一人の男が綺麗に整った顔を上げる。名は神山何時人(かみやま いつと)。自身も人間蠱毒でありながら、数多の蠱毒を操る彼は正に今乱雨を吊り下げていた百足状の蟲をさっと引っ込めた。それは腕を伝って従順な影のように彼自身の中へとあっという間に吸い込まれ、当然吊るされた男は重力に従って地面に向かって自由落下する。
 ぐぎゃっと嫌な音が聞こえても何時人は顔色一つ変えない。冷徹な嗜虐者は女たちに向かってお決まりの鉄面皮で遅かったですねとだけ宣った。
「神山ァ、お前暇潰しに九尾のことイジメんじゃねえっつったじゃねえか」
「何の話ですか。虐めてなどいません」
「い…良いんです、ノボリさん…俺がどうせ何時人を怒らせたんですから」
 ねえ何時人?と今まで宙吊りにされていたとは思えない笑みを浮かべて乱雨は言う。地べたを這いずるようなその笑顔を一瞥し、人間蠱毒は吐き捨てる。
「黙れ」
「うぐう!」
 鞭のように唸る百足の尾がどこからともなく現れたかと思えば、乱雨の鳩尾に見事に直撃した。
 神山!と彼を諌めるノボリの怒声もどこ吹く風。無視を決め込む何時人の顔に表情はなく、咳き込む乱雨は男への謝罪に加えて世界に対する憂いと懺悔を織り交ぜながら、ひたすら一人身体を折る。混沌であった。ここに秩序はない。今までもなかった。そしてこれからも永久に訪れることはない。終末のラッパは鳴り響く電子音。
「はい。現場に到着しました」
 姉が諦めろとでも言いたげに肩を叩く。星子は横を向いて睫毛の具合を確認し、オズはいつも通り任務をこなす。
 歪んでいようが、狂っていようが、壊れていようが、この瞬間この場所で彼らはチームだった。一人の上司の元、一つの目的に沿って行動を共にする組織であった。だからこそ、怒る肩を下ろし、ノボリはゆっくりと息を吐く。ただただ、吐く。
「ええ、わかっていますわ。いつも通りに。ええ、ええ」
 オズの声が暗闇の校庭に響く。何時人は黙して校舎を見上げ、その背にはゆらりと陽炎のように何匹かの蟲が泳ぐ。青い狐火はよろよろと立ちあがった乱雨の周囲を舞い、辺りを妖しく照らし出す。星子は準備運動するかのように手首と足首を回し、眼球の位置を直した。言うまでもなく緊張感が高まる。ここにいる誰もが、人ではない皆が感じていた。待ち構える捕食者の網に触れたことを。予断なくその瞬間を待っていた何かがゆっくりと、しかし確実にこちらへと迫りつつあるということを。そしてそれこそが自分たちのターゲットだということを。
「…蛇ではなさそうだな」
「虫…か…?」
「あっ、ネイル…保護してくれば良かったー」
「お、俺、俺…」
「無論ですわ。我々は軍人です。勝利の意味は問われないが、敗北の理由は求められる」
 魔女が電話の向こう側に対して淡々と答える。ノボリの手の内には一瞬の間に槍の柄が握られ、それは姉も同様だった。
 空間が軋む。赤ん坊の泣き声のような悲鳴が微かに聞こえ、部隊は黙して刃を研ぐ。
「イエスサー。金色隊、出撃するわ」
 魔女の号令を合図に。地を蹴った各々の姿はあっという間に暗闇に霧散した。空にはただ月が一つ。獣の大口のような真紅を滴らせ、舌舐めずりしてそのときを待つ。


2015.03.10

新しい記事
古い記事

return to page top