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6 馴染み(後)

ud24 本作品は性描写を含みます ud24


 宵の喧騒、すれ違う人々は憔悴しきった現世の男を怪訝な目で見ながらも声をかけることはしない。あの世もこの世もおんなじだ。皆、己の安寧を害してまで人と関わろうなんざしやしない。「この世」に楽土などありはしない。あるのは生身の人が生きる生身の世界だけ。裏吉原中に鳴り渡る三味線を全身で受けながら静牙はぼんやりと考える。赤い提灯は眼球の奥で眩いほどに発光し、茶屋に禿を引き連れて趣く女郎のまとった香の匂いは鼻が曲がるほど強かった。見渡した町並みは妙に暗く、また妙にけばけばしい。一朝一夕で街の雰囲気が変わるわけもなく、それは明らかに静牙の精神がそう感じさせていたのだろうけれど、そこまで気を回す余裕は今の静牙にはなかった。
 その足がどこに向かっているのか、改めて自覚せずともわかっていた。会いたかった。ただそれだけの安っぽい決意で静牙は江戸町二丁目を目指す。
 三度目の来訪ゆえか時折人波に巻き込まれそうになりながらも特に迷うことなく静牙は件の妓楼に辿り着くことができた。
 書き入れどきにも関わらず西田屋は変わらずひっそりとした佇まいで、通りに面した妓楼にしては驚くほど地味だった。格子の向こうに見世を張る女郎はいない。清掻きは聞こえない。周囲の騒がしさから取り残されたように暖簾だけがはためく店構えを前に躊躇ったのは寸時。
 しかし、いざ暖簾をかき分けようとしたところでひょいと中から飛び出してきたのは見慣れた美しい顔だった。
 下げ髪に金や銀のかんざしが踊り涼しい目許をした男は何の前触れもなく現れた静牙を少しも不思議に思った様子もなく、当たり前のようにその手を引いた。引っ張り込まれた影間茶屋の玄関先をほの明るい行灯がいつも以上に陰気に照らす。一階の暗闇の奥にはむっつりとした強面を変えぬ楼主がこちらの存在にさえ気付かぬ風で煙草をふかしていた。
「こっち」
 強い力で急かす男に引きずられながらも何とか靴を脱げばそのまま二階へと通じる階段へと誘われる。初老の楼主とは結局視線一つ合わぬまま静牙はいつも男と逢瀬を交わす座敷へと連れ込まれていた。
 今日の襖戸は最早馴染みと言ってもいい陰間がぴしゃりと閉める。灯された橙色の炎に浮かび上がる衣装は濃紫色の生地に熟れて実をこぼさんばかりの柘榴を幾つも描いた図案だった。宝石のように艶やかな果実の赤が妙に網膜に焼き付く。ずるりと裾が畳の上を這い、緩やかな弧を描いて広がる。まるでそう動くように設定された機械のように、淀みのない動きで環は己の定位置に座すと煙草盆から愛用の煙管を手に取った。立ち尽くしたままの静牙の鼻先を紫煙が掠める。彼の道具のあちこちに菊花が配されていることにこのとき初めて静牙は気が付いた。
「…俺、」
 促すわけでもなくただ静寂を提供する環に静牙は重たい口を開く。閉じられた窓の向こうからは廓の長い夜の始まりを歓喜する声が遠く聞こえていた。反してこの部屋には重苦しい沈黙だけが黒々とした巨体を横たえる。
「…俺、馬鹿だから」
 絞り出した声は掠れていた。指先も脚も言うことを聞く気配はなく小刻みな震えが今更のように止まらない。母の声が耳の奥で繰り返しこだまする。甲高い金切り声は記憶の隅々まで上書きされ、もうその声が優しかった頃など思い出せない。否、そんな思い出など果たして静牙は持っていただろうか。
「なんだかんだ言っても母さんは俺のこと好きなんだと思ってて…」
 愛してくれてるって。
「母さんは母さんだし姉ちゃんは姉ちゃんだし家族、なんだから、たとえ俺が尾神として、出来損ないだった…としても」
 きっと家族として受け入れてくれているはずだって、そう信じ込んでいたけれど。
「でも、そうじゃなかったんだな」
 彼女らが欲しているのは尾神に相応しい尾神の雄であってそれは静牙じゃない。それは。
「静、」
 透明度の高い声が揺るがない愛称で静牙を呼ぶ。灰を落とした煙管を煙草盆に戻し、彼はなぜか両腕を大きく広げた。深い色の布地でできた袖が蝙蝠に似ている。闇夜でも目立つ赤い瞳がじっと静牙を見つめた。
「おいで」
 そのたった三つの音が静牙の心を根こそぎから奪う。吸い込まれるように膝から崩れ落ちその胸へと飛び込めば、手触りのいい着物が指先と頬に柔らかく触れた。肩口に顔をうずめ、ぎうと力を込めて背を掴んでも彼は文句を言うどころか何一つ咎めることさえしなかった。ただ幼子にするように静牙の背を掌でぽんぽんと撫でる。その温度と感覚はどこまでも温かく、果たしてこんな風にあやされたのはいつぶりだろうかと思い巡らせながら目を閉じた。少なくとも最も新しい記憶の中でこうしてくれたのは母ではなく祖父だ。
 どれほどそうしていただろうか。
 いつの間にか震えは止まり、冷え切っていた指先はじんわりと温かくなっていた。おずおずと身を離すと一切の感情を表に出すことをしない環がほんの少し呆れたような顔をしてそこにいた。初めは静牙に対する表情なのかと思った。大きな図体をして何を甘えているのかとでも思われているのかと思ったがどうやらそうではない。
「お前さんの一族の雌は随分不能が揃っているようだね」
「へ?」
「静が出来損ないだって?冗談じゃない」
 それは果たして彼の怒りだったのだろうか。
 確信が持てるよりも早くよくしなる指をした両手が静牙の顔を挟む。狼狽える暇も与えず至近距離にやって来た彼の唇が緩慢に動く。私の目を見て、と囁かれた途端に頭の真ん中に霞がかかる。そのくせ言いつけどおりに思わず見つめてしまった真紅の瞳は強く輝きを増し、彼の声は明瞭に届く音となってどんどん中心へ向かって響いていく。
 心臓が一つ大きく脈打った。己の身に起きた異変を異変と認識することができないままそれは凄まじい速度で進んでいく。
 恐ろしくはない。どこか懐かしい感覚が全身に満ちていた。嗅覚も聴覚も人間のときとは比べものにならないほど鋭くなり、目線は思ったよりも下にあるがそれでも野の獣よりずっと巨大であることは間違いないだろう。日が落ちた部屋の暗さは視界を得るための何の障害にもならない。見開いた瞳が何色に輝いているのか静牙にはわかっていた。それは不変にして変化。野山を駆け回る文字通り仔犬だった頃から格段に成長を遂げた狼神の本性。長く伸びた鼻面にふっさりとした毛に覆われた大きな耳。地を踏みしめる四足は逞しく屈強な爪まで備えている。毛並みは尾神の血を引くにしては珍しい灰白。白毛と灰毛が混在した獣の体躯を静牙は深い混乱と共に見下ろした。
「ど、どうして…」
「ん?」
「五歳ぐらいからこの姿にはなれなくなったんだ。もうずっと人間の姿で暮らしてきたのに」
「そりゃ誰かが封じたんだろう。お前さんが本性に変わらぬよう」
 困惑しながら尾で畳を撫でる静牙になんでもないように環は言った。彼の指先はさも楽しげに静牙の鼻先にちょんと触れ、ひげを均し、喉元へと伸びる。そのままくすぐられれば無意識に耳が動いてしまう。
 環、とあげた抗議の声を聞いているのかいないのか。満足げに口元を緩めた彼は何を思ったのか勢いよく帯をほどき始めた。次の動作も何を考えているのかもまったくわからぬのがこの環であって、静牙もそれは承知していたつもりだったのだけれど、さすがにこのときばかりは思わず大きな声でそれを制した。
「なななななにしてるんだよ!?」
「着物を着たままでは交尾ができないだろう?」
「こっ…」
 はてこの陰間はセックスの隠語としてここまで動物的な表現を使っていただろうか。そう思考が現実逃避したところでようやく今の己の姿を思い出す。まさか、そのまさかか。
「っ…このままする気か!?」
「他になにが?」
「なにがって…!俺今狼だろう?お前は人だし、」
 静牙の台詞を遮ったのはその鼻先に触れた唇だった。真っ赤な舌が獣の唇をなぞり、剥き出しになった牙をつつとさすり、微塵の恐怖もなく侵入しようとしてくる。自らの鋭い牙で傷付けてしまうことを恐れた静牙がすぐに口を開けばそれは容赦なく押し入った。ぬるりとした質感が二つ絡み合って混ざり合って水音をたてる。人と獣と、どれほど見目の異なる種であろうと器官としての舌はこれほどまでに似ているか。そう、早くも散漫とし始めた頭で静牙は考える。彼の放つ甘ったるい匂いに脳天がくらくらと揺れた。最初からわかっていたことだ。静牙はどうしたってこの美しい男傾城に。
「私とつがうのは嫌か?」
 逆らうことなどできるはずもないのだから。
 首を振るう獣にうんと当たり前にように頷いた環が脱衣の続きに取りかかる。帯、打掛、襦袢とその肢体は露わになり、眩いばかりの白さに目はくらんだ。薄く均整のとれた身体は今までも何度か見ているはずなのに今宵は殊更扇情的に見えた。腰紐を取り払い、下着まで脱ぎ落とした男が楽しげに笑う。結い上げたままの髪に挿さったかんざしがしゃらんと音をたて、夜に開く花の如き傾城はその身一つで噎せ返るほどの色香を放つ。
「私に発情してくれるのかい?」
「あ…」
「恥ずかしがることはないさ。誘ったのは私だ」
 己の高まりを的確に指摘され消え入りたい気持ちになったが、環は機嫌よく笑うばかりでむしろどこか嬉しそうだった。少し待っておいで、と言葉を残し白い背が後ろを向く。小さな戸棚をしばらく探る音が続いたかと思えば彼はその手に小さな陶器の瓶を携えていた。もう一方の手で手招きされ、すでにじんと重たい下肢を引きずるように近寄れば、膝を突いた彼が目を細めて獣の首筋を撫でる。つかまらせておくれ、と囁かれた言葉の意味を解するよりも早くとぷりと瓶の中のものが男の掌に注がれた。独特の匂いが鼻をつき液体は油であることが知れる。それをどうするのか想像がつかぬほど、さすがの静牙も初心ではない。
「これに関しては男は面倒だ」
 己の後孔をほぐしながら本当に面倒そうに言う陰間が時折強く静牙の毛並みを握る。口では軽く言ってはいてもそれなりに辛い工程なのだろう。居た堪れず目の前にある薄い胸に額を押し付ければふっと吐息だけで彼は笑ったようだった。
「本当にいい子だね」
 やんわりとした仕草で頭を押し退けられる。脱ぎ捨てた着物も手にした小瓶も部屋の隅に追いやった環は畳に手をついたかと思えば高々と腰を持ち上げた。行灯の火がじりと揺れる。彼が先程まで自らの指で丹念にほぐしていた後孔がしっとりと濡れて艶めいている。あまりにも、あまりにも本能に直接的に訴えかけるその劣情は。
「早く、」
 静牙のなけなしの理性を木っ端微塵に破壊した。畳を蹴り、薄闇に浮かび上がるような肢体に覆いかぶされば、まるであらかじめそうあることが決まっていたかのように獣のそれはその場所に充てがわれた。まだ完全には張り詰めていない性器は男の後孔への侵入を試みる。狭い箇所を無理矢理押し開かれて、全身を震わせた男が小さく呻く。けれど静牙は動きを止めない。最早それは静牙の意志ではなく動物としての本能で突き動かされていた。熱く狭い男の中は全方位から静牙自身を締め付けてくる。拒否しているのか受け入れているのか。おそらく環もわかっていないだろう。いや、わかっていなければいいと思った。
 ずっという一押しで狼の性器はすべて彼の体内に納まった。大きく息を吐いた環が組み敷かれたまま首だけを動かしてこちらを見上げてくる。口はわずかに緩み涼やかな目許は朱を刷く。男はたとえ下肢を貫かれていたとしてもえも謂れぬ美しさを保ったままだった。
「静、」
 名を呼ばれる。カッと熱が集中する。四肢に力を込めて律動を開始すれば、初めて悲鳴のような嬌声が環の口から漏れた。小刻みな動きはおそらく彼の好みに合致していたのだろう。見下ろす背中はうねるように跳ね、かんざしは高らかに鳴り響く。力を込めて畳に突き刺さる爪は白く変色していた。獰猛な唸り声の合間に絞り出した声を拾った彼が揺らされながら答える。
「う、あっ、あ、し、ず…っ」
「環…っ」
「ああっ、んん!」
 一際大きな叫び声につられるように静牙が精を放ったのは彼の一瞬あとだったのだろう。小さく震える彼の身体を前脚で抑え、自分もどくどくと脈打つ怒張の開放感に身を任せる。しばらくは二人分の荒い息だけが部屋へと満ち、やがて本来の静けさを取り戻して行く。
 しかし、充分己が落ち着いたとみた静牙が自身を彼から引き抜こうとしたときそれは起こった。なぜか獣の性器は彼の後孔からびくともしないのだ。一人慌てる静牙に異変を察知した環がゆるりと状況を確認し、ああとつぶやく。
「お前さん知らなかったのかい?狼の魔羅は気をやると根元のところが膨らんでそうやって抜けなくなるのさ」
「へ、え!?本当か!?」
「本当も何も実際抜けないだろう。…まあいいじゃないか」
 そう鷹揚に言って環は笑う。きゅっと静牙自身を取り囲む肉の壁が締め付ける。あっと思うまでもなく妖しく腰を揺らした陰間がこの世の何よりも淫靡な顔で獣を煽る。
「夜は長いんだ。じっくりやろう」
 その声は静牙の思考を再び奪い取るのに十二分過ぎるくらいの威力を持っていた。


2015.10.29

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