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メギド72 真夜中のトランキライザー

 実を言えば真夜中に目が覚めるのはソロモンにとってそれほど珍しいことではなかった。
 覚醒から現実を認識するまでに、ほんの数秒。この間に夢の中へと戻れれば問題ない。けれど、窓から差し込む月明かりが妙に眩しいだとか、掛け布からはみ出た足先が冷えていただとか、そういった些細な要因によって意識はすっかり覚醒してしまう。
 今夜は空の高い位置にある月が随分と明るい。
 満ちる手前、ほとんど球体に近しいそれは煌々と光を投げかけ、窓の外に広がる森を真っ黒な塊のように見せていた。反してガラスを通して差し込む光は白々とし、ソロモンの褐色の皮膚も浮かび上がる魔紋もはっきりと視認できるほどの光源となる。
 ゆっくりと身を起こせば、すでに眼球の奥まで覚醒が進んでいた。おまけに喉は無視しがたい渇きをおぼえ、これではすぐに眠れまい。
 生憎、水差しも空になっている。ベッドから足を下ろし、少しだけひんやりと、よそよそしくなった靴に足先を入れる。月光を割りさくようにして立ちあがれば、白の眩さに眩暈がした。
 一瞬ランプを手にするかどうか迷って、結局やめた。厨房までであれば目をつむってでも辿り着けるだろう。それぐらい、いつの間にかこの屋敷に、このアジトに、この生活に馴染んでいる。時間の経過はときに残酷なこともあるけれど、少なくともこの変化は無駄ではないと、そうソロモンは思いたい。
 窓枠の形をした光が差し込む廊下をゆっくりと歩く。昼間はどこにいても仲間たちの気配を感じられるアジトも夜はひっそりと静まり返っていた。眠りの静寂は死に似ている。そんな一文がふと頭をよぎり、慌てて振り払った。
 どうやら妙に感傷的な気分になっているらしい。月が明るすぎるせいだろうか。自らの足音が鼓膜に響く。そういう夜がこれまでなかった、ということはない。だからこそ、そういう夜が厄介だということも認識している。なんと言っても対処法が限られている。ソロモンにできるのは精々喉の渇きを癒やし、ベッドにもぐり込んで、努めて思考の渦から抜け出すよう心がけ、無事深い眠りに誘われるよう祈ることだけだ。
 そんなことをつらつらと考えながら歩いていると、視界の端にふわっとした何かが入り込んだ。
 それはあまりに一瞬の出来事で、認知は数秒遅れた。しかし、暗闇にも慣れてきた目が不自然な何かを見逃すはずもなく、何より「それ」は「人」ではなく、つまり目立っていた。
「…………キャット?」
 毛並みの色からしてリリィキャットだろうか。幻獣のなかでも一際知能が高く、意志を持つものをメギドラルでは「プーパ」と呼び習わすらしいが、二足歩行のネコのような姿を持つキャット族はその筆頭ともいえる種だ。性格は極めて温厚。加えて前述のとおり知能は高く、また思慮深い。仕草は限りなくネコのそれに似ているのだが、手先は器用で何より治癒の術を使いこなす。
 傷ついたものをたちどころに癒すその力は彼らのアイデンティティとも言うべきもので、ゆえに力がすべてのメギドラルにおいても彼らは一目置かれているらしい。それはソロモンの軍団に所属していても変わらない。術の秘匿を条件に、彼らはその力をソロモンたちに貸してくれる。当然、彼らが召喚という形で呼び出されるのは交戦中がほとんどで、そうでないときはオーブの中で眠りについているはずである。特段、勝手に歩き回っていたとしても害があるとは思えないが、疑問はある。どうして真夜中にアジトを歩き回る必要があるのだろうか。先程も言ったとおり、彼らは負傷者を癒やすためにソロモンに協力している。それが使命、それが存在意義。だからこそ無駄なことはしない。動物が無益な殺生はしないのと同様に。ならば、なぜ。
 幻獣が知らぬ間にアジトの中を歩き回っている危機感よりも先に好奇心が疼いたのはきっと彼らへの信頼があるからだ。
 廊下の角に身を隠しつつ、迷いのない足取りで進む一匹のリリィキャットの後を追う。断続的に響く靴音と頭部にある水色の宝石が時折きらっと光を反射するせいで見失う心配もない。彼がどこからやって来たかは概ね見当がついていた。となるとその足はどんどんアジトの奥へと進められていることになる。
 ふと、既視感がわいた。最近まったく同じルートを通ったような気がするのだ。
 予感はすぐさま確信に変わる。人手不足もあって掃除が行き届かぬほどの最奥、真新しいドア、漏れ出たランプの明かりに薬品とアルコールの匂い。案の定、「にゅう」と鳴いてキャットはドアの隙間からその部屋へと身をすべり込ませた。
 そのあとをほぼ無意識に追いかけて、ドアを開けたあとにしまったと思ってももう遅い。そこには予想通り目を丸くした一人のメギドと数匹のキャット族たちがいた。
「おや、キャットだけでなくキミまでやって来るとは」
 もう月も高いよ、と言われて、そちらこそ、と返す。赤と金の中間のような鮮やかな髪が暖炉の炎に照らされ、燃えるように輝いている。同じ色をした瞳に白い肌、全身に薬の匂いをまとった男の名はアンドラス。ヴァイガルドでは凄腕の解剖医ドクター・アンドラスとしても知られている、ソロモンの軍団に名を連ねる追放メギドの一人である。
「勝手に入って悪かったよ」
「かまわないよ。後ろめたいことをしているわけじゃないからね」
「……何してるんだ?」
「薬品の調合を手伝ってもらっている。彼らは少量ならフォトンの操作もできるし、どうしても大量に必要になるものもあってね。俺一人では手が回らないんだ」
 言われて目を走らせればキャット族たちはアンドラスの実験室で縦横無尽に動き回っていた。あるキャットは乳鉢で何かをすりつぶし、あるキャットは大きな器で何かを撹拌し、あるキャットは何かを選別している。これで合点がいった。おそらく彼らは理解しているのだろう。自らの行為がいずれ誰かを「癒す」ことに繋がっているのだと。
「そういうキミはこんな真夜中に散歩かな?」
「まあ……そんなところかな」
「ふむ」
 一瞬返答に窮したソロモンに何を思ったのか。極めて読み取りにくい表情をした青年は思案のような間を取ったあと、うん、と一人頷いた。
「休憩にしよう」
「え」
「アビシニアン、右の棚の一番上にある紙袋を取ってくれ」
 頼まれたキャットがにゅうと鳴いて、ジャンプする。身軽な動作で棚の上まで辿りついた彼は難なく紙袋を手にすると作業台に着地した。たたんと軽やかな靴音、他のキャットが素早く敷いた油紙の上に紙袋の中身が広げられる。ざらりとこぼれ出たそれを見ればドライフルーツが焼き込まれた素朴なクッキーのようだった。キツネ色の間に覗く鮮やかな赤はフォレストベリーだろうか。甘酸っぱい味わいが舌の上で予想され、口の中がきゅっとなった。
「アンドラスが作ったのか?」
「まさか。街で買ったのさ」
 俺はそういうのは不得手だ、と呟きながらも彼の手が翻り、とんと目の前にカップが置かれる。ちゃんと取っ手の付いたそれにはなみなみと白い液体が注がれ、湯気が立ち昇っていた。それになんだか鼻先をかすめる甘い匂い。
「温かい牛乳だよ。キャットたちの好物なんだ」
 その言葉通り、小さなカップを手渡されたキャットたちがにゅうにゅうとざわめく。熱いものが苦手なのか、ふーふーと必死で息を吹きかける様につい笑みがこぼれた。
 アンドラスはといえば、作業机に後ろ手に寄りかかり、じっとソロモンを見つめている。その琥珀にも月にも似た黄色の瞳にほんの少しだけたじろいだのが遙か昔の出来事のようで、やはり口許が緩んだ。
 手渡された好意を有難く受け取る。口にした液体は温かくてほんのり甘い。思わずため息をつけば、アンドラスがいつもの表情で言う。
「よく眠れるさ」
 その声色に、うん、と素直に返事をした。


2019.08.16

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