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現代帝都 雨晴れて骨を忘る

 私立或ヶ丘女子高等学校はその名の通り丘の上に立つ由緒正しき女学校である。
 創立者の葉山環女史は革新的な女性論を展開した教育者として知られている。当時女学校といえば料理裁縫などが主なる内容であったところを純粋な学問に特化したカリキュラムを提案し、女性の意識改革を促した先駆者だった。残念ながら葉山女史の声はなかなか世間に受け入れられなかったが、それでも強い信念は一つの潮流を生み出し、その結果の最たるものが或ヶ丘女子高等学校の前身である葉山女学校の設立だと言われている。「文武両道」「清廉潔白」を校訓に掲げ、その名の通り学問に邁進し、心身ともに健やかなる女性を教育すべく、かの白亜の学び舎は今に至るまで清らかに空へと聳え立つ。
「その『アル女』の教頭が今回の依頼者ッス」
 永遠に続くかと思われる高い塀に沿って二人は小声で話しながら歩く。辺りへの騒音を慮ってのことではない。最早壁と呼んでもいい高さ三メートルにも及ぶ塀と片側一車線の細い道を挟んだ向かい側は鬱蒼と茂る雑木林だ。時折聞こえるフクロウの声、落ち葉をかさりと探る何か、どれとも何ともつかぬ虫の音は不協和音を重ね、橙に光る外灯に羽虫が激突するカチカチっという音だけがやたらに響く。逆にそれ以外、特に人工の音はすべて吸い込まれてしまったかのように何もしない。道沿いにずらりと並んだ外灯以外の光もない。当然、壁の向こうにあるはずの校舎にも灯りは一切灯っていないだろう。
 夏の長い昼もようやく暮れて早一時間。アスファルトに蓄積された熱気と噎せ返るような湿度だけ残して、学校は夜の闇に呑まれて眠っているように見えた。
「依頼内容はさっきも軽く話したッスが……まあ、よくある怪談話ッス。骸骨の幽霊が出て襲われる。その姿を見れば呪われる」
「そ……そう、よくある話、ですね……」
「普通なら思春期にありがちな妄想で片付けられる話ッスが……そうもいかなくなったのは、被害者が出たから」
「被害者?」
「幽霊を見たって生徒が学校を休んでるッス。今日までに三人」
 そう言って、少し前を行く少女―流雨子の相棒にして現役の女子高生でもある尾上シキは顔をこちらへと向けた。彼女の黒いつむじばかり見下ろしていた流雨子は突然の強い眼差しに一瞬たじろぐ。夜は、そのこぼれんばかりの大きな瞳が一際剣呑な光を宿すように見える。実際、彼女は相当夜目が効くらしい。まるで、獣のように。
「流雨子はどう思う?」
「どうって……」
 流雨子が言い淀んでいる間に少女は再び視線を前に戻した。白のスニーカーが闇夜に目立つ。プリーツスカートの下にはランニング用だというスパッツを履き、上着の代わりにフード付きのパーカーという気崩した制服スタイルはおそらくこの女学校では許されない姿だろう。跳ねるような足取りは快活だ。きっとお嬢様学校は彼女の性に合わない。彼女もまた言うだろう。こんな窮屈そうな学び舎は勘弁だ、と。
「まあ、確信は自分にもないし、仮定の話をしても仕方ないッスね」
「シキ、」
「大丈夫ッス。流雨子はいつも通り」
 にかっと笑うと年相応に幼い顔に八重歯が目立つ。明らかに年下の少女に気遣われるのは面映ゆくもあり、歯がゆくもあった。彼女は流雨子を相棒と呼ぶが、果たしてその呼称に相応しい働きを流雨子はできているのだろうか。シキのことだから、問えば嫌味なんかでなく「当然」と答えてくれるだろうけれど。
 母が死んでから、流雨子の日常は一変した。
 自分が後天的に妖怪の力を得た人間だと言われたことには不思議と納得がいった。まるでこれまでの「生きづらさ」に対して名前が与えられたようで、気分自体も悪くない。シキの見立てでは流雨子の能力の正体は日本古来の雨女と東欧由来の泣き女バンシー。その複合型ではないかとのことだったが、流雨子も概ねそんなところではないかと自己解釈している。雨を降らす力、すべてを拒絶する涙、そのどちらもまだ完全に流雨子の支配下にあるわけではない。けれど、流雨子はシキの誘いに「はい」と答えた。伸ばされたその手を取った。だから。
「裏門の鍵は……聞いた通り開いてるッスね」
 ちょうど正門の真裏にあたるだろうか。塀が突然途絶え、木立と花壇がそれとなく整備された場所に私立或ヶ丘女子高等学校の裏門はあった。じりりと燻る外灯の下には小窓が付いた電話ボックスサイズの小屋が建つ。普段は守衛が控えているのだろうが、今は無人で中の灯りも消えていた。
「さすが裏門と言っても立派ですね……」
「基本無施錠ッスけどね。生徒がいる間は警備員がいるし、夜間こんな辺鄙なところにある学校まで誰も来やしないって心づもりかな」
「被害があったのにですか?」
「学校の幽霊なら門に鍵かけても意味ないッスから」
 きぃと身震いするような軋み音をたてて裏門の格子戸は開いた。シキは難なくそこを通り抜け、流雨子もそれに従う。
 門の外同様によく手入れされた木々が一定の間隔で並ぶ小道を行く。昼間なら木漏れ日が差し込んで、さぞ心地よい散歩道だろうが、今は折り重なった梢も葉擦れの音もただ不気味なだけのものにしか思えなかった。
 無意識に二の腕をさする。前を行くシキはさすがに平気な顔をしていて、ぽつぽつと設置されている外灯を頼りに目的の場所の探しているようだった。シキによると今回の依頼は校内に蔓延る噂の真相の調査。そのために校舎内に入る許可も得ているらしい。
 しばらく足元の覚束ない道を進むと、やがて何面もの小さな畑が連なる裏庭のような場所に出た。足裏の感触は芝生に変わり、時折飛び出た雑草が脛をさっと撫でた。右手には相変わらず木立が続いていたが、左手にはすでに校舎の端が見えている。三階建ての建物の外壁は白く、並んだ窓ガラスは夜を吸い取って黒々ときらめいていた。随分立派な建造物のようだが、これも学び舎の一部に過ぎないのだろう。流雨子の母校と比べても随分広い。
 シキは景色が変わっても注意深く進んだ。じゃがいも、とうもろこしと書かれた札の立つ畑の間をすり抜け、重ねて積み上げられた植木鉢に足を取られることもなく、コンクリートの踏み台が付いた掃き出し窓へと向かう。貧相なアルミサッシの取っ手に手をかけると、それはなんの抵抗もなくすっと開いたようだった。
 そこは資料室だった。
 古い紙とインクの匂い。それから埃っぽくてどこか乾いた空気が喉を刺す。板張りの床に踏み込むのを躊躇った流雨子にシキが校内は土足だと告げる。少女はすでに消し跡が目立つ黒板の前に立ち、いつの間にか手にしていた懐中電灯をカチカチと鳴らしていた。
「校内は勝手に歩き回っていいって言われてるッス。とはいえ、見当とかは特に」
 心許ないほどの光源が床の木目を照らす。当たり前だが夜の校内は静まり返っていて、人の気配はおろか生き物の気配すら感じられない。廊下の窓からは向かいの校舎が見えたが、流雨子は意識的にそれらを視界から外した。探索においては不適切な行動だとは思うが、何分この空間に慣れるまでは許されたい。
 シキは見当などないと言っていたが、その割にはしっかりとした足取りでずんずん進んだ。二人分の足音はつつがなく続く。暗闇に目が慣れれば、馴染みのある校舎の中はそれほど恐ろしい場所とも思えなかった。等間隔に並んだ机、日直の名前、時間割、掲示された家庭訪問のお知らせ、わら半紙の束、置き去りの教科書。
「……何か聞こえないッスか?」
 突然、足を止めたシキが緊張した声で鋭く短く流雨子を制す。
 とはいえ、流雨子の耳にはなんの異変も察知できていない。シキが、シキだけが間違いなくそれを捉えていた。彼女の周りで旋風が渦巻く。見えない「犬」は忠実な下僕のように形なき鼻面を主に向け、声なき声で吠える。
「こっち!」
 走り出す少女の背中を慌てて追う。シキの手の振りに合わせて前後左右に大揺れする懐中電灯の灯りは最早あてにならず、流雨子はただシキの背中だけを追う。
 職員室前の体育祭の垂れ幕をひらめかせ、保健室の前に設置された体重計の針を揺らし、L字型に折れ曲がった廊下で一瞬少女を見失ったかと思えば、その先から怒号が轟く。
「そこで何してる!」
 一歩遅れた流雨子が見たのは、懐中電灯の明かりに照らされた事件の現場だった。
 骸骨のプリントがされた黒タイツに身を包んだ人影に二の腕を掴まれ、廊下に座り込んでいる女子生徒。彼女が着ている奇をてらうことのない伝統的なセーラー服にローファーは学生という時代を何年も前に通り過ぎた流雨子でさえも知っている。みんなの憧れ、丘の上の由緒正しき女学校、私立或ヶ丘女子高等学校の制服。
 シキと、そして流雨子の姿を認めると骸骨人間は無言のまま身を翻した。上半身の支えを失い、床に崩れ落ちる女子生徒に響く足音。それだけで「これ」が幽霊や怪異による異変なんかではないと何よりも雄弁に物語られていた。
「その子頼んだッス!」
「シキは!?」
「アイツ、とっ捕まえて来る!」
 そう叫んで走り出したシキの「本気」は到底流雨子が追い付けるようなものではなかった。おそらく「犬」が先行し、不審者の追跡をしているのだろう。少女の足取りは揺らぐことなく、ぐんぐんと速度を上げ、やがて廊下の奥の階段下あたりで見えなくなった。
 彼女が普通の人間に対して後れを取ることはまずあり得ない。
 流雨子はひとまず自分に割り当てられた役目に専念する。茫然自失の女子生徒に寄り添い、そっと声をかける。あ、と掠れた声と共に焦点がようやく定まる。思い出したように手足が震え、流雨子は安心させるように微笑みかけた。
「大丈夫。もう心配いらないから。怖かったね」
「……あ……わたし」
「無理して喋らなくてもいいの」
「ちが……私、返したはずなんです、音楽室の鍵……なのに、なんで、鞄に入ってて……返さなくちゃ、って……」
 話している最中から嗚咽が混じり、最後には泣き出してしまった女子生徒の肩を優しく抱く。彼女の体温を手触りのいい夏服の下に感じながら、流雨子はぼんやりと脳内で犯罪の形を思い描く。
 誰かが意図的に彼女の鞄に鍵を入れた。生真面目な女子生徒は使命感に駆られ、鍵を返しに夜の校舎へと舞い戻る。裏門の鍵は開いていて、校舎にも暗黙の了解ともいえる鍵の開いた入り口がある。そこから校舎内に侵入した彼女は鍵を保管している職員室へと向かう最中、暴漢に襲われた。当然、鍵を入れたのも暴漢の仕業。となれば、十中八九、先程の不審者は学校関係者、更に言えば性的暴行が目的だろう。
 詳細は警察の捜査を待つ他ないが、学校側も複数の被害者が出ている以上、放置するわけにもいかない。伝統ある女学校のとんだスキャンダルにはなるが、それもまた致し方ない話だ。
 話しているうちに落ち着いてきたのだろう。女子生徒は壁に背を預けながら、目を閉じてしまった。眠っているわけではないだろうが、パニックになるより余程いい。特別怪我をしている様子も見受けられない。
 流雨子はふっと肩の力を抜いた。今回、流雨子の力の出番はなかった。
 きっと今頃、シキは抜かりなく「犯人」を捕まえ、然るべきところに連絡を入れているだろう。流雨子の仕事は女子生徒を保護すること。それさえ達成できれば本依頼は完遂となる。
 などと、油断したのがいけなかったのだろうか。
 ふと、背後に気配を感じた流雨子はなんの気なしに振り返る。予想以上に相棒が早く事を片付けて帰って来たのかと、シキ?と彼女の名前を呼んで。けれど、結果的にそれは間違いだった。
 少女は少女でも少女ではない。
 それは、正真正銘白骨死体がセーラー服を着て、その虚ろな眼窩が流雨子を見下ろし、軋む骨のすり減りも明らかに、ああ、その悲しみが、恨みが、怒りが、ほんのわずかな邂逅だとしても、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い、悲しい。
 怒涛の感情に押し流されるように、流雨子の意識はそこで途絶えた。

***

「あ、起きたッスか?」
 気が付くと、流雨子はゆらゆらと揺れていた。正確にはお尻を何かで支えられ、腕を華奢な肩に回し、要するに自分より二十センチも身長が低いシキに背負われる形で外灯がぽつぽつと照らす深夜の住宅街を運ばれていた。
「シキ!?なんで……お、降ります!降ろしてください!」
「別にいいッスよ。自分、見ての通り力持ちッスから。しかも流雨子軽いし」
 廊下にぶっ倒れてたんスよ、と言われて意識が途絶える直前のことを思い出す。ぬめっとした夜風が頬を撫で、背中を伝う冷や汗がどろりと冷えた。思わず彼女の肩を握る手に力を籠めれば、少女は何かを察したように口を開く。
「被害にあった生徒は無事学校側に引き渡したッス。……本当はあっちが本命ッスね。とはいえ、あのレベルになると自分にも厳しい」
「……シキでも?」
「尾上家の本業は呪詛なんで、お祓いは副業みたいなもんなんスよ。なんで、あっちはあっちで本業に任せたッス」
「本業?お寺とか神社とかですか?」
「違うッスよ。綺堂家っていう死霊術士の家系があって。途絶える寸前なんスけど、ばあちゃんも孫娘も腕はいいんスよねえ」
 なんで問題なく対処してくれると思うッス、と言われて流雨子はようやく安堵の息を吐いた。身の内に氷のようにわだかまる冷たさが消えたわけではない。あのとき受けた憎悪みたいなものは本物だった。けれど、それより何より悲しみや寂寥感に似たものの方がずっと流雨子の中に強く残っている。悲しい、辛い、誰か助けて。そんな、声にならない叫びを聞いた気がした。それを聞いたところで、何かできるほど、自分はできた人間じゃない。有能でもない。だからこそ、どうか誰かが「彼女」を救ってあげられるのなら。
「そう、よかった」
「よかった?」
 流雨子のつぶやきにシキは不思議そうな声をあげたが、深く追及はしなかった。
 気が付けば真上に白々と月が輝いている。真夏の天体は靄の中に霞み、なかなかその姿を見せない。しかし、それゆえに辺り一帯がぼんやりと白く輝くような光景はまるで無数の魂がまどろみ遊ぶ夢の中のようで、流雨子は深いため息をつかずにはいられなかった。


2019.07.15

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