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メギド72 金色の揺籃

 王都エルプシャフトから遠く離れ、辺境と呼んでも差し支えない地帯の森の奥。
 周囲の村々のいずれからも均等に遠く、唯一敷かれた小径は獣道にも似て、よくよく目を凝らさなければ人の気配すら伺えない。万が一、迷い込んだ旅人がいたとしたら、苔むす倒木に群生するキノコや湧き出す泉の冷たさ、総じて森の豊かさに驚くと共に、梢の向こうに見えてくる立派な屋敷に白昼夢を見ているかのような錯覚に陥るだろう。
 アーチ状の豪奢な破風や刻まれたエンブレム、両翼を広げたように真横に広がる建屋には格子窓が幾つも並び、奥へと連なる棟が戴く屋根には複数の煙突も見える。目に入るどの箇所もある程度の経年劣化が見受けられるが、荒れた様子は感じられない。何より玄関へと続くアプローチには掃き清められた石畳が等間隔で並び、白い花を無数に付けるグランドカバーはよく手入れされていた。窓の向こうには真新しいタッセルで括られたカーテンが揺れ、少し屋敷の側面へと目を移せば手製と思しき物干し台に色とりどりの洗濯物が風にそよいでいる。耳を澄ませば井戸水を汲み上げる滑車の軽快な音、ままごとに興じる子供たちの声、鍛錬に使われる木剣の鈍い剣戟がどこからともなく聞こえてくる。
 そう、ここには明らかに生活の気配があった。人間の生活圏から遠く離れ、然らば世捨て人の隠居先かと推測すれど、それも違う。老若男女、出身も様々なら衣装も面立ちもまるで異なる。ここに集うは異世界からの追放者。宵界メギドラルより臨界ヴァイガルドへ、ヴィータとして転生した追放メギドたち。そして、彼らが戴く唯一の王、ソロモン。彼らの拠点、アジトこそが何を隠そうこの屋敷である。
「やめろ、シャックス! それ以上は無理だ!」
 大きな声に驚いた小鳥が軒先から数羽飛び立つ。甲高い鳴き声の余韻のみを残して飛び立った鳥は後には何も残さない、はずだが、そこには柔らかな黄色を蓄えた巨大な羽根がそこそこの存在感を伴って落ちていた。
 卵の黄身、春に咲く花、とろけるバター、キノコのかさの裏。
 パッと明るくなるような色合いはどちらかといえば微笑ましいが、その大きさはどう見ても怪鳥のそれであり、庇護欲からはほど遠い。
 というわけで、当然その持ち主は巨大な鳥の姿をしていた。
 呼吸する度に全身波打つ黄色の羽毛。紡錘形の胴体に接続するのは鮮やかなオレンジ色の水かきのついた足。丸い小さな頭には黒く濡れたつぶらな瞳、常にぱかっと開いた口からは今は抗議と思しき鳴き声がピーチクパーチク繰り返し発せられている。
「ピー!」
 巨鳥はどうにかして屋敷内へと入り込もうと奮闘を繰り返していた。
 当たり前だが、鳥よりも扉の方が圧倒的に小さい。いくら空気を含んで膨れているように見えるだけとはいえ、限度というものがある。おそらく、鳥が強行突破を試みた瞬間に壁ごと扉は木っ端微塵に破壊され、最早扉だったのか壁だったのかわからぬ破片は辺り一面に飛び散り、修理にはそれ相応の時間を要するに違いない。
 それだけはなんとしても避けなくてはならなかった。
 何しろ物資も人手も足りない中、みんなで必死に修復して大事に使っている屋敷―アジトなのだ。少なくともここを生活の拠点とする一人として、そして拠点の代表として、看過できない。そう、決意も新たにソロモン王は黄色い鳥に立ち向かう。
「ダメだって! 扉が壊れるから……俺が悪かったから!」
「よせ、シャックス。お前のメギド体はアジトの中には入れないよ」
 背後から諭す声はいっそ冷ややかなほど冷静だった。
 振り返れば艶やかな黒髪に裾の長いコートを羽織った少年が見慣れた面持ちで佇んでいる。斜に構えたような、苦虫を噛み潰したような、呆れたような、そのどれでもないような。複雑極まりない感情を一見クールな表情の下に隠した彼の名はマルファス。追放メギドの一人であり、ソロモンの軍団の一員でもある。
「ピー! ピィピィピィ!?」
「うるさい。ソロモンもわざとじゃなかったって言ってるだろ。誰のせいでもないんだから我慢しろ」
「ピー!!」
「うるさい! シチューならとっといてやる!」
「あ……シャックスの言ってることわかるのか?」
 困惑気味に問われて我に返ったのか、少年はばつが悪そうに頭をかく。ピィとなぜか自慢げに鳴く鳥の声を、当然ソロモンは言語として認識できない。たとえそれがフォトンの過剰摂取と固定化によってメギド体のまま、ヴィータの姿に戻れなくなってしまった仲間、シャックスだとわかっていても。
「まあ、一応……メギドラルの言葉ではあるからな」
「へえ、俺には鳥の鳴き声にしか聞こえないや」
 マルファスはすごいなと手放しで褒めれば、あからさまにため息をつかれた。
「とにかく、この鳥頭、一晩くらいで元に戻るんだろう?」
「ああ。そのはずだ」
「だってさ。それまでここで大人しくしとけ」
 じゃあなとひらひら手を振ってマルファスはさっさとアジトの中へと入って行ってしまった。あとにはソロモンとどこから見ても落ち込んだ鳥が一羽。その濡れた目は「アジトにいるのに野宿なんて」と露骨に物語っていた。心なしか頭部の両側面にある鳥の顔も落ち込んでいるように見える。萎れたせいか羽毛のボリューム感まで減っている気もする。それは、なんというか、そう、雨の日に捨てられた仔犬だ。世界の不幸をすべて背負ったかのような悲壮感の集大成。
「……わかった。俺も付き合う」
「ピ?」
「俺も一緒にここで寝る」
「ピィピィピィピ!?」
 結局。
 夕食を早々に済ませ、抱えるほどの毛布を探し出し、ランプを携えて玄関に戻ると、夜の帳は落ちて間もなく、巨大な鳥は空に輝く白い星を見上げているところだった。
 ソロモンの存在に気が付くと、ピ、と小さく鳴く。表情がほぼないせいで意思疎通できているか不安になるときもあるが、どんなに見た目が変わろうとも相手がシャックスであることには変わりない。
 ソロモンは持参した毛布を玄関ポーチに敷き、その上に座り込むと肩からも毛布をかぶった。シャックスの真似をして夜空を見上げれば、徐々に数を増やす無数の星は暗幕に散らばる宝石のようだ。幼いころ祖父の腕の中で、グロル村での生活の中で、王都へと向かう旅の途中で。何度となく見上げた空だ。静謐がきらめきを抱くような夜は春靄の中でも冴え渡るように美しい。
「きれいだな……」
「ピ!」
「シャックスは星が好きか? あ、シャックスが好きなのはキノコだったな」
「ピ!? ピィピピ!」
「はは、冗談だよ」
 きらきらと満天が瞬く。あの光はどこから来て、どこへ行くのかなんてきっと。
「へっ、くしゅ!」
 一陣の夜風が熱を奪う。毛布の端を寄せ集めても隙間から入り込んでくる冷気は容赦ない。
 もう少し毛布を持ってくるかと鼻をすすりながら腰をあげようとしたソロモンをすっと巨大な翼が制す。ピ! という鳴き声はもういい加減聞き慣れた。どんと胸を叩くのも翼。ヴィータとはまったく異なる姿かたち。それでも彼女が、彼女であることに間違いはない。
「えっと……そこ、入れって?」
「ピィピィ!」
 手招かれるままに屋敷の二階の窓に頭が届こうかという巨鳥のメギドの腹の下にもぐり込む。みずかきのついた足の上に乗ってもいいのか、躊躇したのは一瞬だった。ソロモンが自分の下に納まったのを見た瞬間、鳥はしずしずと着席する。
「う、わ」
「ピィ!」
「なんだこれ温かい……」
 しかも重くない。あれだけ巨大な鳥であるにもかかわらず、すっぽりと羽毛とも皮ともつかぬ何かに埋もれてしまっているにもかかわらず、その重みはほとんど感じない。ただ、しっとりとしたぬくもりと、かすめるような柔らかい感触が全身を包み込む。深く息を吸えばお日様と土と春の匂いが肺の奥まで満たした。これは、なんて幸福の具現化だろう。雛鳥にでもなった気分でソロモンは手足を丸めにかかる。
「シャックス、ありがとう。これなら風邪ひかなくて済むよ」
 くぐもった台詞に鳥が嬉しそうに鳴いたのが振動でわかった。心地よい揺れを受けて、ソロモンは喉の奥で小さく笑うと、ゆっくり瞼を下ろす。頬を撫でる羽毛の柔らかさと生き物の気配に安心する。よもや自分の何倍もある生き物の下で眠るような日が来るなんで、少し前の自分なら思いもしなかっただろうけれど。今はなんの違和感も感じない。だってここはまどろみの巣。誰もが安心して帰って来れる場所。他でもない、彼らがいるから。
「おやすみ……」
「ピィ」
 その日、ソロモンは夢を見た。
 蜂蜜とバターがたっぷりかかったふわふわのパンケーキは品切れになることなく何枚も焼かれ、食堂には無数の仲間たち、賑やかな笑い声、そして隣に座る金色の髪の少女は食べかすを口の周りにいっぱいつけて、いつもの顔で笑うのだ。

2019.3.24

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