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メルスト 木枯らしの街と寒がりの猫とあなた

 雪の国との国境沿いに位置するその街に到着したのは西の空からゆっくりと夕闇が迫る頃合いだった。ちらちらと舞いだした雪を避けるようにして宿屋に駆け込んだときにはもう、辺りはとっぷりとした夜に包まれ、身を切るような冷たい風が辻で渦を巻いていた。
 観光シーズンもそろそろ終わりを迎えるのだろう。宿は空いていた。もう少し早ければ滝と紅葉が見事だったんですがね、とそう大して残念そうでもなく宿屋の主人は言った。
 旅慣れした一行の手続きは滞りなく進む。仲間たちは思い思いに荷を降ろし、やがて割り振られた部屋へと散っていった。窓の外はいよいよ闇夜が迫り、民家から漏れ出る光がまるで空の星のように瞬いていた。
「あっ」
 宿屋に隣接する食堂で気の置けない仲間たちと夕食を楽しんでいたユウは何かを思い出したように突然立ち上がり、きょろきょろと辺りを見渡す。
 食堂は旅の者と地元の人間が半々くらいだった。メフテルハーネに存在する無数の国とそれに連なる種族たちは皆分け隔てなく食卓を囲んでいる。独特の意匠を施した外套や帽子が印象的な雪の国、犬や鳥や山羊など様々な動物の特徴を持った動物の国、掌にのるほどの大きさで昆虫の翅を小刻みに動かしているのは妖精の国、着物と呼ばれる繋ぎ目のほとんどないゆったりした衣装を着ているのは和の国。
 誰もが温かい食事に無事ありついて幸福そうな表情を浮かべていた。今日のメニューは豆のスープ、鶏肉のクリーム煮込み、それから焼きたてのパン。湯気の向こうに笑い声は軽やかに響き、特別ユウを気にする者もいなかった。
「ユ、ユウさん?どうしたのですよ?」
 しばし、辺りを見渡してから静かに着席したユウに何事かと驚いた様子でテーブルの上のメルクが話し掛けてくる。ユウと旅をする瓶詰め少女は元より表情豊かだが、それなりに付き合いの長いユウには、とうとうユウさんが寒さのせいで奇声を発するように…!?という困惑まで手に取るようにわかった。違うけれど。確かに窓ガラスは真っ白に結露するほど寒いけれど。
「いや、明日出発時間が変更になっただろ?」
「この先もっと雪の国に近づいてもっと寒くなるから、防寒具を整えてから街を出たいとのことだったのですよね?」
 それがどうかしたのですよ?と言外に尋ねてくるメルクにパンの欠片を口の中に放り込みながらユウは答える。
「その話してるときにリキがいなかったなと思って。誰かいないとは思ってたんだけど」
 そこまで話してようやくメルクも合点がいったようだ。その目が先程のユウと同様にきょろきょろと動いてくすんだ緑色の毛並みを探すが、やはり彼は見当たらない。
 リキはつい先日ユウたち一行に同行してくれることになった少年だ。出身は動物の国。種族は猫族。猫族は好奇心旺盛で手先が器用な者が多いが、リキはその反対で目新しいものには消極的で釦もかけ違えるほど不器用だ。ユウは当然猫族の常識なんて知らなかったし、リキが不器用でもなんでも気にしないと言ったのだけれど、彼にとってそれはとんでもないコンプレックスだったらしい。僕なんて、が口癖の彼はユウの同行依頼にもなかなか首を縦には振ってくれなかった。けれど、ユウは諦めなかった。勧誘のコツはめげないこと。紹介所のお姉さんに言われた通り、根気よく説得を続け、どうにか同行者として一緒に旅をしてくれることになったのだ。
「俺ちょっと伝えてくるよ。メルクはまだここにいるか?」
「はいですよー」
 リキさんによろしくです、というメルクの言葉に頷き、最後のパンの一欠片で皿に残ったクリームを拭い取ってからユウは席を立つ。
 賑わう食卓の間をすり抜けて宿屋へと繋がるドアを開けば、背筋も凍るような外気がひやりと首筋を撫でた。風が外灯の光をゆらゆらと不穏に揺らす。冬が近付くこの季節、街には強い風が吹くと食堂の亭主も言っていた。紅葉を刈り取り、枯れ草を吹き飛ばし、冬は鮮烈にやって来るのだと。
 食堂から宿へのほんのわずかな距離でも冷え切ってしまった二の腕を擦り、暖炉の燃える広間を突っ切って二階へと向かう。何人もの旅人が旅の疲れを癒やし、また新たな旅へと発つために往復した踏板はユウの足裏の重みでもわずかに軋んだ。
 宿屋の二階は控えめな照明が点々と灯っていた。薄暗く長い廊下にはずらりと扉が並び、その変わりばえしない景色の中で手書きの部屋番号だけが白く浮かびあがっている。ユウは見落としのないよう、目を凝らして数を数える。確かリキの部屋は八号室だったはずだ。
「リキ?ちょっといいか?」
 目当てのドアの前に迷うことなく辿り着き、ノックをしてから声をかける。
 しかし、返事はない。
 耳を澄ませても、強い風に窓がカタカタと鳴る音と隣の食堂の喧騒が遠く耳に届くだけで部屋の中からは物音一つしない。寝てしまうにはさすがに時間が早いし、出掛けているのかとドアノブに手をかけると意外にもそれはすんなりと回った。
 特別治安が悪い街での滞在ではないが、いるにせよいないにせよ無施錠とは無防備だ。旅慣れしておらず、勝手がわからないなら説明してやらないと、とつい大きなお世話!と罵られそうなことを考えながらユウは控えめにドアを開く。
「リキ?いないのか…?」
 部屋の中はしんと静まり返っていた。どうやら客室の内装はどの部屋も統一されているらしい。ユウの泊まる部屋と同じ板張りの床に厚みのある絨毯、小さなキャビネット、室内用のランプ、それから簡易的なベッド。灯りもなく人影もない。
 否、違う。
 行き過ぎた視線をすぐさま戻す。どう見てもベッドの上には不自然な盛り上がりがある。
「リキ?」
 再度声をかけてそっと足を踏み入れる。その拍子に踏み込んだ床が思いの外甲高く鳴いて、ベッドの上の塊がびくっと揺れた。
 ブランケットの端からひょこりと三角形の耳が現れる。緑白色をした毛並みに、先端だけが白い見慣れた色合い。艶やかでまっすぐな髪に白い肌、そして菫色の瞳が覚束ない視線を彷徨わせたままどうにかこちらへと焦点を合わせる。
「リキ!」
「…あ、勝手に入って…」
「どうした!?具合でも悪いのか!?」
 その尋常じゃない様子に慌てて駆け寄れば、彼は端から見てわかるほど震えていた。よく見れば彼の武器である奇環砲やブーツ、リボンの付いた鈴などは床に乱雑に転がっている。身の回りのものに気を遣う余裕がないほど体調が悪いのかと、ユウが反射的にその額に手を伸ばしかけたとき、リキはふるふると弱々しく首を振った。
「ちが、ちがくて、」
「え!?」
「ちが、具合悪く、ない」
「いやだって…!」
「さ、寒いの、苦手なんだ、す、すごく」
「……え?」
 ぽかんと口を開けたユウの反応に傷ついたのか、それとも単なる照れ隠しなのか。リキはそれだけ言うとふいっとそっぽを向いてしまった。ユウの視界には形のいい後頭部といつも通り垂れた耳。ちらりと視線をずらしても言葉以上に彼の感情を現してくれる尻尾は残念ながらブランケットの中だ。けれど、どうしたって彼は嘘をついていないだろう。卑屈で、自己評価が低くて、ひねくれた猫族の少年は、それでも決してユウを困らせたり、貶めたりすることを望んでいるわけではない。
「動けなくなるぐらい寒いのか?」
「……」
「そっか。ごめんな、気が付かなくて」
「どうして、あなたが謝るの」
 あなたは別に悪くない、と言外にフォローされているわりにじっとりと恨みがましげな目がこちらを向く。猫族特有のガラス玉みたいな大きな瞳は吸い込まれそうなほど幻想的な宵の色をしている。表情も態度も言葉も決して素直ではないリキだけれど、感情を豊かに現す尻尾と澄んだ瞳だけはいつも真っ直ぐにユウを見ていた。だから、より一層申し訳なく思う。それほどの信頼を寄せられていながら、彼の変化一つ気付けなかった己が恥ずかしい。
「ほんとごめんな…もっと早く気付いてれば防寒具とか暖房とか準備できたのに…」
「……隠してたのは、僕だし。それにこのくらいの寒さ、普通の人なら平気なんでしょ」
 それなら僕だって、と言うリキの身体はやっぱり可哀想なぐらい震えていた。耐寒にも当然個人差がある。ユウや他の仲間が平気だからってリキも平気であるなんて理屈は決してない。実際、このままではリキは寝付くことすらできず、震えたまま一夜を過ごすに違いない。朝日が窓から差し込み、指先が温まるまで、小刻みに揺れ続けた骨が軋むほど寒かった一夜を永遠の悪夢のように思い出すのだろう。
 かと言って彼のために暖房を手配したりして、「騒ぎ」を大きくするのは最も彼の望まぬところでもある。ただでさえ「欠点」を隠したがる彼のそれをさらけ出すような行為をしてみれば、もう二度と口をきいてはもらえないかもしれない。それどころかもう旅には同行しないとでも言われたらどうしよう。自分の悪い妄想にさっと目の前が暗くなる。そんな、ことはあるはずない、けれど、でも、だって、そんなことになるぐらいなら。
「もう僕のことはほっといて」
「俺が、」
「え?」
「俺がお前の暖房になる」
「……は?」
 心底意味がわからないという顔をしてみせたリキに構うことなく、ユウは靴を脱ぎ捨てるとさっさと彼のベッドに潜り込む。ブランケットを引き上げ、面食らって身動きが取れないリキを巻き込む形でばふりと横になる。彼の体温でほどよく温まったベッドからは日なたに集まった落ち葉みたいな匂いがする。
「な、ななななな…!」
「俺、結構体温高いから」
「そ、そういう問題じゃなーい!何考えてるんだあなたは!!」
 さっきまでの震えはどこへやら。慌てて逃げ出そうとする猫をベッドの中に引き止める。まあまあどうどう。馬みたいな扱いしないで…!そんなやり取りを繰り返すうち、徐々に彼の動きが緩慢になっていく。触れているところから伝わる温度と、段々と二人分の熱がたまっていくぬくもりに。元より幸福な眠りを何より愛する猫族が抗えるはずもない。
「ほんとにバカじゃないの…」
「そうか?」
「そうだよ……でも、」
 ありがと、と。消え入るようなその声は果たしてユウの幻聴だったのかもしれない。何しろすでにとろとろと眠りに淵に落ちかけていたリキ同様、ユウも夢と現実の狭間にいた。規則正しい寝息はどこまでも穏やかに連続し、ユウは欠伸を我慢することも諦めた。
「おやすみ、リキ」
 よい夢を。きっとこの部屋の中にまで冬を引き連れた木枯らしは入ってこない。だから、今日はゆっくりお休み。きっとまた明日から君と続いていく旅路のために。


2018/01/15

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