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ヤツハカ 人類愛、その極論

*** 本作はヤツハカの通常の時間軸から数百年後のIF設定となります ***


『おはようございます、ヒューマン。起床時刻になりました。本日のヤツハカシティ第十七特区の天気は晴れときどき雨。午後は雷魚の活性化が予想されます……』
 QOL保障プログラム、通称「妖精」が涼やかなアラーム音を鳴らしながら淡々と今日の予定を告げる。けれども、自らの体温で温まったシーツは逃れがたい吸引力を持ち、少年は軽く呻いて枕へと顔を押し付ける。起きたくない。意思表示は完璧だったはずだが、主人の怠惰を許すほど、妖精は愚かなヒューマンに対して忠実ではない。
『ナンバー六〇七七八、識別名称『ヒカリ』。起きてください。起床時刻です』
「……もうちょっと……」
『許可しません。洗顔と着替えを済ませ、速やかに朝食を摂取してください』
 その言葉通り容赦なくブラインドはロールアップされ、窓が面した中庭からは爽やかというにはいささか強烈な朝の日差しが差し込んでくる。
 ヒカリ、と機械音声が呼んだ少年のブロンドの髪は自然光を受けて一層きらめく。同色の睫毛で縁取られた瞳は晴天を写し取ったような碧色で、覗き込めば吸い込まれそうだ。眩しげに細められた目をこすり、声変わり直前のボーイソプラノが妖精への恨み言をぷつぷつと連ねる。
「君はもうちょっと僕に優しくしてもいいんじゃないの……」
『何か言いましたか、ヒカリ」
「何も!」
 明るい色のフローリングに足を降ろし、部屋に備え付けの洗面台で顔を洗う。手に取ったタオルは常にふかふかで、ヒカリはこれまでの生涯でそのことに疑問を抱いたことは一度もない。
 クローゼットを開け、用意された衣服を身に着ける。白いソックスに飴色の革靴。紺色の半ズボンはシェル型の釦と縁取りテープの金色が洒落ていて、シャツには碇のマークが刺繍されている。船乗りのイメージなのかもしれない。ヒカリは年頃の少年らしく海や船舶といったモチーフを特別好ましく思っていたから、当然今日の服装は満更でもない。無論、いずれも本物は一度たりとも見たことがないのだけれど。
 着替えを終えて振り返ると、すでに窓際のテーブルには出来立ての朝食の用意があった。キツネ色に焼きあがった分厚いトーストには山盛りのバターと木苺のジャムが添えられ、サニーサイドアップにカリカリベーコン、トマトは二切れ。銀色のエッグスタンドに澄まして納まった半熟卵にヨーグルト、たっぷりとミルクを注いだ紅茶。これだけの量をヒカリは殊更時間をかけてゆっくりと食べる。だから、規定の時間より早く起きないと遅れてしまうのだ。
『朝食後は歯磨きと身だしなみを忘れずに』
「はーい」
『先程も申し上げましたが、本日のレクリエーションはルーム五〇五にて写本です。シャツへのインク跳ねにはご注意を』
「わかってるって」
 ゆっくりと、けれど速やかに朝食を終え、歯を磨き、鏡の前に立ってから、元気よく声を出して部屋を後にする。
 一歩廊下に出れば、ガラス張りの天井から降り注ぐ光は強く、すでに今日のうんざりするような高温多湿を予感させたが、施設の中の空調は完璧にコントロールされているから、今日もヒカリが汗をかくことはないだろう。
 ヒカリは物心ついたころからこの施設で暮らしている。
 温かい食事、清潔な寝床や衣服、身の回りの世話をする妖精にレクリエーションと称される辛くも苦しくもない作業、そして同年代の子供たち。そのすべてがヒカリにとっては日常のすべてであり、当然だった。外の世界がどうなっているのかは知識でしか知らない。いつか自分が外へと出ていくかも知らない。わからない。けれど、不安はない。心配する必要はないと教えられているから。ヒカリをはじめ、ここに住まう多くの子供たちは生涯衣食住に不自由することなく、穏やかで健やかな人生を送れることを保証されている。
 なぜなら、それがこの世界における絶滅危惧種「人間」に対する不変の法であるから。
 すれ違う少年少女たちと朝の挨拶を交わしながら、ルーム五〇五へと向かう。ヒカリにとって世界のすべてとも言える施設の中で道を違えるはずもない。体調も万全で足取りも軽い。時間も定刻。今日もなべて世はこともなし。
「アリス先生! おはようございます!」
「おはよう」
 燃えるような赤い髪、褐色の肌に両耳の頂点がピンと伸びた長耳。今やこの世界の九十九パーセントを占める「異形」としては割合「人間」に近しい見た目を持つ青年はヒカリの担当指導員だ。フルネームはアリスゼル・ゼムン。だが、快活で親しみやすい人柄に親愛を込めて、皆気軽に「アリス先生」と呼ぶ。
「ちょっと待て、ヒカリ。お前どこに行くつもりだ?」
「え?」
 そのまま彼の横をすり抜けようとしていたヒカリは慌ててブレーキを踏む。東の空に昇る月にも似た真紅の瞳を持つ男はヒカリの反応に怪訝そうに首を傾げてみせる。
「今日のお前のレクリエーションはガーデンレストランのホールだぞ。妖精に確認しなかったのか?」
「ええ!?」
 ちゃんと確認しました! と慌てて弁明すれば彼はふむと頷いて、ポケットから取り出した小型の端末を操作する。しばらく音もなくスクロールとタップを繰り返すと、彼は如何ともしがたい表情でヒカリの方へと向き直った。
「悪いな。つい今しがた急にスケジュールが変更になってたみたいだ」
「ええ……」
「レストランのスタッフには俺から伝えといてやる。まだ開店には間に合うだろ。急いで行った行った」
 促され、礼もそこそこにヒカリは変更された目的地へ向けて速足で向かう。
 実を言えばスケジュールの急な変更は今回が初めてじゃない。今までも幾度となくレクリエーションの内容が変わることはあった。そのいずれもが、レストランでのホールスタッフへの変更であることにもちろんヒカリも気が付いている。けれど、ヒカリはレストランのレクリエーションが嫌いではないのだから、なんの問題もなかった。否、嫌な気持ちになるレクリエーションなどあるはずがない(あっていいはずがない)が、その中でもレストランでの「仕事」をヒカリはとびきり気に入っている。広大な敷地内に無数の学術機関、研究施設、果ては植物園や大規模実験棟まで備えた施設の中心部。温室を模したレストランには施設内外を問わず多くの客がやって来る。普段はなかなか見ることも話すこともない、「外部のお客様」。彼らと一時とはいえコミュニケーションを取ることができるのは、ヒカリにとって大きな喜びだった。それに。
「今日もいらっしゃるかな」
 人知れず独り言と含み笑いが漏れる。ヒカリがホールに立つ度に遭遇する「あの方」。数週間ぶりの邂逅の予感に期待は高まり、改めて今日の服装を検分する。うん、大正解だ。

***

「ありがとうございました! またどうぞお越しくださいませ!」
 お昼時を過ぎ、数組のお客様を続けて送り出したあと、ようやく「その人」は現れた。
「いらっしゃいませ、ライエルン教授!」
 ヒカリの如何にも晴れやかな声にオウムの鳴き声が重なる。そこには全体的に暗緑色をした球形の異形がいた。身体のあちこちから伸びた無数の触手は辺り一帯の様子を窺うように蠢き、時折奇妙な擦過音をたてる。仕組みは不明だが地表からおよそ十センチ浮遊した状態で移動し、その体長はヒカリが見上げるほど大きい。瞳は一つ。球体のほぼ中央に埋め込まれた黄色の目玉はぎょろりと動いてヒカリを認めると、わずかながら愛おしげに細められたようにも見えた。
「ヒカリ! 久しい! いい天気!」
「はい! 僕もお会いできて嬉しいです。今日は日差しも強いですから、噴水近くのお席へどうぞ」
 人間には理解することの出来ない周波数を意思疎通に使用するため、教授は常に代弁役のオウムを連れていた。妖精の方が便利ではありませんか、と丁寧に尋ねたこともあったが、彼は首を振った。無機物よりも有機物の方がより自在に操作できる。そう宣った彼にはこの都市の学術機関のトップを務める威厳と自信が滲み出ていた。即ち異形の中でも上位種。徹底的に考え、知恵を持ち、生物として効率化の限りを尽くした「世界の頭脳」そのものの姿だ。
「オススメ! オススメ!」
「今日のオススメはベーコンとトウモロコシのキッシュです。あ、あと、レアチーズケーキも! 試食させてもらったんですけど、どちらも絶品で」
 嬉しそうに話すヒカリを専用の椅子に納まった教授はじっくりと眺めている。オウムは一方的に喋るばかりで、端からはコミュニケーションが成立しているようにはとても見えない。けれど、少年の紅潮した頬、落ち着かない足元、メニューをつかむ汗ばんだ掌。異形の限りなく優しい瞳の色、ゆったりと動く触手、そして密やかに素早く脈打つ核内臓。そのすべてが物語る。間違いなく、ここにいる二つの生命体は互いに惹かれあっている、と。

***

 喫煙所に入ってきた女が入り口を塞ぐようにして仁王立ちし、甘い匂いのする葉に火を点けたせいで立ち去るタイミングを逃した。
 アリスゼルはそう自分に言い訳して、細く長く紫煙を吐き出すと、口を開く。
「ライエルン教授は随分ヒカリを気に入ってるみたいだ」
「そうか。ではもうあの子の譲渡先は決まりだな。次の定期診断で各種サンプルを採取したら契約の話に移ろう。もう精通は来ていたな?」
「三ヶ月前に」
 結構、と言い捨てて女は指先で小さな火を揉み消す。その指も手の甲も頑強な鱗に覆われた女、かつては女衒とも奴隷商人とも呼ばれた二枚舌は、スーツの襟を正すとすっと目を細め、極めて目鼻立ちの整った男を改めてじっくり見遣る。
「アンタも因果なものだねェ」
「お互い様だろ」
 そうだ。百年経っても五百年経っても変わらない。この世は食うか食われるか。上位と下位。生き物としての優劣。変わったのは最も脆弱な種が己が飼育されていることに絶対に気付かないような構図が数百年かけて構築されたことだけ。
 ただ、それだけだ。

2019.04.01

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